【第六羽】四、紳士たちの遊戯

 その様子を、どこか冷めた目で見つめていたクィントゥスは、手元にある画集を見ているふりを続けた。本来であれば、紳士たちの会合に、成人していないクィントゥスが同席することは許されない。

 クィントゥスも、つい先ほど長椅子の上で目覚めた時には、自分の置かれた状況を見て、しまったと思った。書斎は、紳士倶楽部の会場となっていたのだ。

 どうやら自分は、画集を見ながら眠ってしまっていたらしい。


 しかし、紳士たちは、クィントゥスが起きたことに気付いているのかいないのか、何も言わない。クィントゥスの存在にはまるで関心がないかのように、彼らの注意は、卓上へと一心に注がれている。

 その時クィントゥスは、いつもなら紳士倶楽部に参加している筈の父アリウスの姿がないことに気が付いた。代わりに、アウネリウスが参加しているのを見て、クィントゥスは、浮かしかけた腰を再び長椅子に沈める。


(……まぁ、いいか。出て行けって言われたら、出て行こう)


 そもそもクィントゥスの方が先に居たのだ。それなのに、後から来た彼らに席を譲るようなことをするのは、クィントゥスの中にある幼い自尊心が許さなかった。

 それに、今まで秘匿されてきた紳士倶楽部というものが一体何をするものなのか、興味もある。大人の紳士だけが参加できる会合――といえば、少年にとっては未知の世界であり、僅かな背徳感と共に甘美な響きすら感じられる。クィントゥスが誘惑にかられるには、充分すぎる理由であった。


 紳士たちは、熱心に卓上に置かれた地図と駒を見つめて、ああでもない、こうでもない、と討論をしていた。そして、彼らの会話に挙がる地名や町名が実際に存在するものであることに気付いた時、クィントゥスは、彼らが何をしようとしているのかを知った。


(なんだ、つまらない。……部屋に戻ろうかな)


 甘美なる期待は、あっという間にクィントゥスの中で瓦解した。それは、秘匿されていたからこその甘美であったのだ、と気付く。その後、アウネリウスのことがなければ、すぐに部屋を出て行っていた。


 アウネリウスは初め、紳士たちの会話をただ黙って横から見ているだけだった。唐突に、一人の紳士が話題を振るまで、自分が意見を言うことになるなど考えもしていなかったのだろう。

 慌てふためく兄を見て、クィントゥスは、彼を哀れに思うと同時に、兄を笑いものにした紳士に対して、腹が立った。


 紳士たちは、ただの遊戯ゲームだからと軽い口調でアウネリウスを誘ってはいるが、実際のところ、アウネリウスの戦況を見極める能力の有無を確かめることが目的であることは明らかだった。

 会話を聞いているだけのクィントゥスでさえ、頭に情景が浮かぶほど具体的な地形と兵力の情報は、遊戯ゲームの域を超えていることを示唆している。

 紳士たちは、地図上に置かれた駒を動かしながら、互いに戦略を出し合い、意見を交わし、時には、熱が入りすぎて声を荒げることすらあった。そんな殺伐とした場に、若き新参者が口を挟む余地などある筈がない。アウネリウスの反応は、至極当然なものだろうと、子供のクィントゥスですら想像がついた。

 当主であるアリウスの不在を狙った上、兄を侮辱するような態度をとる紳士らの卑怯なやり方は、クィントゥスの小さな正義感を刺激した。


『クィンは、本当に絵を描くのが上手いなぁ。

 おかげで助かったよ。ありがとう』


 アウネリウスは、時々、自分の仕事に必要だからと、クィントゥスに絵を描いてくれと頼むことがある。それは、文字の読めない者にも解りやすく伝えるため、というアウネリウスの発案だった。

 文章から絵に起こすこともあれば、アウネリウスの口頭から伝えられただけで想像して描いたようなものもある。クィントゥスも、自分の描いた絵を褒められれば悪い気はしない。更に、自分が兄の役に立っている、という自負は、それだけでクィントゥスの自尊心を満たしてくれた。

 

(僕の描く絵を見て、褒めてくれるのは、兄さんだけだ)


 だから、クィントゥスは、せめて自分がこの場に居ることで、緩衝材か何かにでもなれば、という思いから席を立とうとはしなかった。クィントゥスという身内がいれば、彼らも目立った行動は起こせないだろう、と考えたのだ。

 しかし、その後、クィントゥスは、すぐに自分の考えが甘かったと知ることとなる。


 しばらくじっと長椅子に身を寄せて、紳士たちの様子を伺っていたクィントゥスだったが、彼らの態度は変わることなく、平然と遊戯を続けている。クィントゥスは、まるで自分が壁に飾られた絵画の一部にでもなったかのような錯覚を受けた。

 

 やがてアウネリウスが、何か食べ物を用意させて来ましょうと言って、和やかな笑みを浮かべたまま書斎を出て行った。

 一人置いて行かれる形となったクィントゥスの耳に、紳士たちの会話が棘のように突き刺さる。


――フェリクス家の継目つぎめでは……アリウス殿もご心労が絶えぬであろうな。

――アウネリウスでは、家督を継ぐに足る器とは思えん。我々の足を引っ張ることになるやもしれんぞ。

――なに、使えんやつくらいがちょうどよいのだ。

――では、次男はどうか。

――スピウスか。あいつは、野心だけは強いからな。

――むしろ警戒すべきは、スピウスの方なのでは……?

――まさか。次男坊に一体何ができるというんだ。


 そう言って、紳士たちは楽しそうに声をあげて笑った。クィントゥスは、彼らの顔を一人一人蹴り上げてやりたい気持ちをぐっと堪えて、歯を食いしばった。

 兄二人を愚弄されたことも腹立たしかったが、それ以上に、クィントゥスの心を傷つけたのは、三男は話題にすら挙がらない、ということだった。


 クィントゥスは、手にしていた画集を勢いよく閉じると、長椅子から腰を上げた。

 紳士たちは、突然、書斎に鳴り響いた派手な音に驚いて、クィントゥスを見た。彼らは、その時初めて三男の存在に気付いたかのように、皆一様に目を白黒させ、顔を青くしたまま何も言えないでいる。

 その様子を満足そうに横目で確かめると、クィントゥスは、堂々とした足取りで書斎を出て行った。

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