【第七羽】三、夢での邂逅

 夢を見た。真っ暗な海の底から光を見上げている。とても優しく温かい光。前にもどこかで見た気がするが、思い出せない。光の中から誰かが自分を呼んでいる。くぐもっていてよく聞き取れないが、その声は切なく、必死に自分へと何度も何度も呼び掛け続ける。あまりにその声が一生懸命なので、リヴは胸が熱くなった。その声に答えたいと思った。

でも、身体に力が入らない。


――リヴ……。


 同時に、自分の名を呼ぶもう一つの声が背後から聞こえた。そのよく聞き覚えのある声にリヴが振り向くと、そこには、父がいた。見える筈のない父の姿をリヴの目がはっきりと捉えている。そのことに驚きつつも、父に会えた嬉しさで胸がいっぱいになる。


――父さん、父さん、やっと会えた。父さんの顔が見える、姿が見える、でも、どうして…………私は、死んだの。

――リヴ、すまなかったね。お前を一人にして。たくさん辛い想いをさせたね。本当にすまなかった。


 父は、泣きそうな顔をして言った。思えば、いつも自分の所為で父にはたくさん悲しい想いをさせてしまっていた。


――そんなの、父さんの所為じゃないわ。それよりも、今はこうして父さんと一緒にいられる。これからもずっと……ねぇ、そうでしょう。


 父は、悲しそうな笑顔で答えた。


――本当はお前の傍にずっといて、守ってやりたかった。でも、そういうわけにはいかない。ものには順序というものがあるからね。私は行かなければいけない。


 父の姿が揺らぐ。まるで水の中に映る像のようだ。リヴは急に不安に駆られて父にすがろうとした。けれど、身体が凍っているかのように重く、動かすことができない。


――待って、行かないで。私も一緒に連れて行って。身体が言うことを聞かないの。

父がすっと腕を上げて私の背後を指さした。つられて私もそちらを向く。

――私にとっての光がお前だったように、お前にも見えているだろう、あの光が。お前を呼んでいる。


 気付いていた。先程から絶えずリヴを呼び続けている優しい光。冷たく暗い闇の中で唯一の希望のように光り輝いている。


 ――……暖かい……――


 凍っていた肢体が徐々に温められ解けていく。リヴは、自分の身体が軽くなっていくのを感じていた。同時に、それは父との別れが近いことを告げている。

リヴ、と父が呟く。


――お前の名前は、私がつけた。その意味を、お前は覚えているかい。


 リヴは頷いた。それは、リヴが辛い時、傷ついた時に幾度となく父から聞かされた魔法の呪文でもあった。

 リヴが振り返ると、父は優しく笑っていた。愛しい者を残していくというのに何故笑顔でいられるのか。リヴは、悔しくて父を罵りたい気持ちをぐっとこらえた。これが本当に父との最後の別れになると判っていたからだ。徐々に薄れ離れていく父に向かって、リヴは笑顔を向けた。


――私、父さんの娘で本当に良かった。ありがとう。


 レインは怒っていた。こんなにも激しい怒りを感じたのは、生まれて初めてだった。身体の中で見えない猛獣が暴れているかのようだ。


 レインとリヴが初めて出会った崖の上で、下に向かって吠え続けるレオンを見た時、レインは自分でも頭がどうかなってしまうかと思うほど強い怒りを感じた。それは、海へと飛び込んだリヴに対してなのか、リヴを止めることが出来なかった自分に対してなのか、または、このような理不尽な運命を与える神様へ向けた怒りだったのかもしれない。胸の奥底から巨大な津波が押し寄せ、自身をも飲み込んでしまうほどの強い力を感じた。

 天使の羽根がなければ間に合わなかった。


 レインは、暖炉の前で眠るリヴを見つめ続けている。氷のように冷たかった身体は、今では血の気が通い、頬には赤みがさしている。安心して眠っているようだ。海から救い出した時には息をしていなかった。咄嗟に天使としての力を使い、リヴの身体から海水を抜き取ると、なんとか息を吹き返した。海面に落ちた時、すぐに気を失ったのだろう。そのおかげであまり海水を飲み込まずに済んだようだ。


 その後は、どうしていいのか分からなかったので、一旦リヴを抱いたまま墓場へと戻った。マルクスは無事に埋葬され、ちょうど祈りの儀式を行っている最中だった。そこへ突然現れたずぶ濡れのレインとリヴを見て、皆が驚きの声を上げる。中には、状況を察して悲痛な鳴き声を上げる者もいた。青い顔をして睨むディルクは、レインがリヴを抱えていなかったら、今にも掴みかかって殴られていただろう。


「足を滑らせて、海に落ちたんだ。大丈夫、息はしている。

 でも、身体がすごく冷たくて……頼む、助けてほしい。俺は、どうしたらいい」


 オンバと数人の女たちが一緒にリヴの家へと付き添ってくれ、あれこれと動いて指示をしてくれていなかったら、レインは一人でどうしていいかわからなかっただろう。女たちがリヴの濡れた服を脱がせて身体を拭いている間、レインは暖炉に火をつけ、その前で寝かせられるよう寝床をしつらえた。そこへ寝かせたリヴの様子を皆でしばらく見ていたが、顔に血の気が戻ったのを見てもう大丈夫だろうと、レインを残して皆戻って行った。

 オンバは、帰る前にレインを捕まえて言った。


「前に私が言った言葉を覚えているかえ」


 祭の夜、オンバがレインに向けて言った言葉をレインは思い出した。


『見えるもの全てが真実とは限らないよ』


 あれは、リヴのことを指していたのだ。オンバは気付いている。リヴが足を滑らしたのではなく、自分から海へ落ちたことを。いつも笑顔で辛いことなど知らないような顔をしていたリヴだが、その胸の内側にはずっと一人で抱えていた大きな闇があったのだ。それに気付いてやることが出来なかった自分に、レインは表情を固くする。オンバは、その心を見透かすように白く濁った眼でレインを見上げた。


「あんたは、村に災いをもたらす。早く村を立ち去りなさい」


 この子のことを大事に思うのなら、とオンバは告げた。けれど、レインはそれに負けることなくオンバを見返した。もう心は決まっている。


「大事だから、ここにいるんだ」


 オンバはレインの真意を推し量るようにしばらく見合っていたが、結局何も答えることなく帰って行った。

 

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