【第四羽】三、旅立ち

 隣町は、テフの住んでいた町と同じくらい、いや、それ以上にひどい有様だった。無傷で残っている建物は一つもないように見えた。道端には、たくさんの死体が転がり、ある場所では、積み重なって山になっているものもあった。テフが吐き気を堪えて歩き続けていると、見たことのない兵士の恰好をした大人たちが歩いていて、咄嗟に近くにあった瓦礫の隙間に身を隠した。彼らがテフのすぐ傍を通り過ぎて行き、彼らの話している言葉が自分の話す言葉とは少し違っていたので、すぐに敵兵だとわかった。聞き取れた言葉は、「制圧」「全滅」「協定」。子供のテフでもわかる。戦に負けたのだ。でも、それが自分にどう関わってくるのかまでは、よくわからない。とにかく、目的の叔父の家まで行こうと、敵兵たちが見えなくなるのを待って、飛び出した。右足の傷は、まだ完全には治っておらず、少し引きずりながら歩いた。左目の痛みは、だいぶよくなってきてはいたが、未だに視力は戻っていない。


 叔父の家があったらしき場所は、崩れてしまって原型を留めていなかった。一目で誰もいないことがわかる。どこか安全なところで無事に、とは、さすがのテフでも思えなかった。きっと、みんな死んでいる。


 これからどうする、とは、さすがのレインも聞けなかった。テフは、ぼうっと瓦礫の山を見つめている。泣くかと思ったが、泣かなかった。空は、下の方が夕焼け色に染まりつつある。やけに綺麗な夕焼けを眺めながら、明日は雨かな、とレインが考えていると、テフがレインを振り返った。


「どこか眠れる場所を探さないとね」


 その顔からは、やはり何の感情の色も浮かんではいない。


 翌朝、雨音で目が覚めたテフは、一度自分の家に戻りたいと言った。戻ったところで何があるとも知れないけれど、他に当てがあるわけでもない。雨が小ぶりになるのを待って、出発した。雨のお陰か、敵兵の姿は見えない。


 テフは、昨日から何も食べていない。歩いている途中、崩れかけた食料品店を見つけたが、既に食べられそうなものは全て持ち運ばれてしまっていた。空腹だったテフの前に、ゴミのように転がる死体が目に入った。迷うことなく、死体の荷物や服のポケットに食べる物がないか漁る。それらの中に、我が子を守るように覆い被さって死んでいる死体があった。そのポケットに、小さなビスケットの袋が入っていた。可愛いクマの絵が描いてある。その子供のためのお菓子だったかもしれないそれを、テフは迷うことなく食べた。他には、カビの生えたパンとチーズの欠片、僅かな小銭を見つけて盗った。


 レインは、それを見ても何も言わなかった。ただ、目を逸らすことなく、悲しげな瞳でテフを見つめ続けた。


 テフが自分の家に着く頃、雨はもう止んでいた。半分崩れ落ちた家の中から、テフは一冊の分厚い本を見つけた。蝶の図鑑だ。父が大事にしていたもので、よくテフにも見せてくれていた。表紙は土埃で汚れていたが、雨には濡れなかったようだ。中身をぱらぱらと捲って見ていると、ページの間に挟まれていた一枚の紙切れが地に落ちた。それを拾ったテフの顔に僅かだが感情の動きが見えた。


「僕、モルフォ=ティフを探す」


 レインの位置からはよく見えなかったが、その紙切れに何かが描かれているのは分かった。紙切れから顔を上げて、テフがレインを見る。その瞳に、雨上がりの空が映っている。


「一緒に、探してくれる」


 不安げに語尾を上げて話すテフに、レインは笑い返してやった。


「約束だからな」



 それから二人は、旅に出た。長い長い旅になった。テフが見つけた紙切れには、父の朱書きでモルフォ=ティフが生息していそうな場所の特徴や候補地と、青く美しい蝶の絵が添えられていた。暖かい気候を好むとあったので、まずは南を目指した。家の地下倉庫から生活するのに必要そうな物と非常食を持ち出したので、野宿する分には困ることはなくなった。お金も家の中から幾らか搔き集めたので、路銀に使うことができた。


 戦は、一旦停戦となったようで、攻撃を受けることはなかったが、あちこちで敵の兵士たちが略奪と暴力を行う場面に遭遇した。テフは、その度に身体を小さくして物陰や瓦礫の隙間に隠れてやり過ごした。


 危険を避けるため、町や人の通る道を外れて、何もない草原を行くことにした。方角が分からなくならないよう、時々、高い丘を登って、上から道を確認する。何度目かの丘を登っていると、上から吹いてくる風がテフの鼻梁に甘い花の香りを運んできた。頂上に着くと、そこは一面の花畑が広がっていた。暖かな日差しの中を、赤、白、黄……と、色とりどりの蝶たちが演舞している。それらの名前を一つ一つテフが言い当てていく。でも、そこに青い蝶はいない。


「青い蝶はね、眠らないんだって」


 蝶って眠るのか、と驚きながら、寝転んでいたレインが上半身をテフへと向けた。蝶を見るテフの顔は、心なしか明るく見えた。


 蝶は、昼間しか行動せず、夜には葉の裏や木の枝にぶら下がって眠るんだよ、とテフはレインに教えた。よく知ってるな、とレインが褒めると、テフは、それを教えてくれた父の話をした。


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