【第三羽】四、旅人の語る物語
神妙な顔をして尋ねるレインに、子供達はお互いの顔を見やって首を傾げた。
「神様の使いだろ。俺たちを救ってくれるんだ」
そんな当たり前のことをどうして聞くんだ、と半ば呆れた態度でいる子供達に、レインは首を横に振って答えた。
「天使は、心から助けを求める人の元に現れて、その人が幸せになる手伝いをする。それは、あくまで手伝いであって、直接人を幸せにしてやれるわけじゃないんだ」
子供達は、レインの言葉の意味を理解できず、皆不思議そうな顔をしている。レインは、まず何から話すべきかと頭をかいた。
「そうだな、それじゃあ……昔、大きな戦争があったことは知ってるよな」
これには、子供達も揃って大きく頷いて見せた。
昔、光の神と闇の神による大きな戦があった。それは、世界を巻き込む大戦となり、長き年月に渡って繰り広げられた。森は焼かれ、動物たちは住処を失って数を減らしていき、戦に巻き込まれた多くの人々が命を落とした。戦の跡地には何も残らず、人民の生活も心も荒み、世界は疲弊していく。このままでは全てが無へと還ってしまうだろうという時に、一人の神が立ち上がった。光にも闇にも属さない無と契約の神ミスラだ。光と闇の神々は、ミスラの元で協定を結び、互いに干渉しないという約束で大戦は終結した。
長き大戦によって神々は力を失ったため、深い眠りへと落ちた。その間、人間たちを支え導く存在として天使は神々から役目を承ったのだ。
「それが、〝人が幸せになる手伝いをする〟ことなのね」
子供達の一人が首を傾げて尋ねた。レインは頷いた。
「手伝うって、何をどうするんだよ。救ってくれるのと、どう違うのさ」
「根本的にまるで違う。お前達が親の仕事や家事を手伝うのと、親がする仕事は、大きく違うだろう。それと似ているが、それよりも酷い。天使にできることは、人が幸せになろうと努力する姿を傍で見守って、励ますことくらいなんだ」
そう言ったレインの表情は、抑えてはいたが、やりきれなさと痛みを堪える人のものだった。友達みたいだね、と呟いた女の子に、レインは、だといいんだがな、と心の中で自嘲した。
「でも、どうして。天使は、神様の御使いで、光と闇の大戦でも活躍したって、お話にもあるよ。そもそも神様のせいでこんな酷い世界になっちゃったんじゃないか。僕たちを救ってくれたっていいのに」
村の大人たちが聞けば卒倒しそうな暴言だが、大戦をただ昔話としてだけ知る子供たちにとってみれば、原因は神様にあるのだと誰もが確信している。
「確かに、発端は神々の争いにある。だが、それは、この世界に住む生き物、お前たちを守るためでもあったんだ。人間だって、それに荷担した。光と闇の勢力に別れてな。誰が悪いという話じゃないんだ」
それに、とレインは続けた。
「天使だって無能なわけじゃない。ただ、光に属する天使は、ミスラの契約に縛られている。光と闇に属する者は皆、世界に直接干渉してはいけないというね」
「それが破られると、どうなるの」
「世界が終わる」
レインの言葉に、しんと静まりかえる子供達。いつの間にかレインのすぐ傍まで集まって来ていて、数も増えている。
「なんだよそれ、天使なんて、なんの役にも立たないじゃんか」
口を尖らせてつまらなさそうにぼやく男の子を、リヴが静かに嗜めた。
「人の幸せは、誰かに与えてもらうものじゃないのよ。自分で手に入れてこそ、意味があるのだから」
その言葉に、レインは冷や水を掛けられたかのようにはっとリヴを振り返った。胸のあたりがぎゅっと絞られたかのように熱い。
「それじゃあ、〝天使の羽根〟は何なの。幸せになれるっていう伝承は嘘なの」
「天使は、自分を必要としてくれた人が幸せになったら、天使の羽根を降らせるんだ。天使の羽根を手に入れたから幸せになるんじゃない、天使の羽根は、その人が幸せになった証なんだよ」
レインは、そこまで語ると、木椀に残っていたスープを飲み干した。すっかり冷めてしまっていたが、喉を潤すのにちょうど良い。
「ふーん。でも、天使の羽根の話はよく聞くけど、実際に天使を見たとか、助けてもらったって人の話は聞かないぜ」
「そりゃそうさ。天使の羽根を見た者は、その天使との記憶を全て失うんだからな」
子供達が皆一斉に驚いた顔をして、どういうことかと説明を求める目でレインを見た。レインは、ちょうど最後のパンの欠片を口に放り込んだところだったが、子供達の視線に気付くと、一瞬しまったという顔をして頭をかいた。人が忘れてしまうことをレインが知っていたら、辻褄が合わなくなる。
「……まぁ、覚えてないんだからな。そんなところかな、と。
そんな簡単に天使が姿を見せてみろ。皆が拠って集って自分の願いを叶えろだのなんだのって、大騒ぎになるだろう」
咄嗟に誤魔化した割には、なるほど、と子供達は納得したようだった。
「天使さま、かわいそう……」
女の子が藁人形を抱いた腕にぎゅっと力をこめて呟いた。その思いがけない反応に、レインは、なぜ、と女の子を見つめた。
「だって、天使さまは、人間が幸せになる手伝いをしたのに。それを忘れられちゃうなんて……あたしだったら、悲しくて泣いちゃうよ」
女の子は、目を伏せて今にも泣き出しそうだ。レインは妙な居心地の悪さを感じた。
「そうね、感謝する心を忘れてはいけないということね」
優しく諭すように告げるリヴの言葉に、子供達が各々頷き同意する。レインは、思わず口を挟んでいた。
「いや、忘れる事は罪じゃない。むしろ、忘れてくれていいんだ」
言ってしまってからしまったと思ったが、子供達はレインの次の言葉を待っている。まあいいか、とレインは続けた。
「天使には、絶対に犯してはならないとされる禁忌がある」
「間違いを犯さないことかしら」
リヴが首を傾げて尋ねた。
「それもある。他にも、直接人間の手助けをすることとか。でも……」
レインは、一呼吸置くと、声のトーンを少し落とした。
「一番の禁忌は、人間と恋に落ちること」
恋、という言葉に女の子たちが色めき、素早く反応する。
「どうしてどうして」
逆に男の子たちは興味を失ったかのように退屈そうな顔をしていた。
「言っただろう。ミスラの契約上、世界に干渉してはいけないんだ。
人の幸せを傍で見守ること自体グレイゾーンみたいなものなんだ。ましてや、恋愛感情なんて抱いてみろ。見守るどころじゃなくなっちまう。
だから、天使は必要以上に人に心を開かないし、人は天使の存在を忘れてしまう。
でも、それで世界の均衡が保たれるんだから、忘れてもらわないと困るんだ」
女の子たちは、少し残念そうな顔をしていたが、そんなものなのか、と納得したようだ。
しかし、リヴの瞳は違った。
「そんなの寂しいわ」
「え」
レインが隣を見ると、リヴは、真剣な瞳でレインを真っ直ぐに見つめていた。
「天使様は、幸せなのかしら」
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