【第二羽】四、悪魔の呪い

 彼らの声を聞きながら、リヴは、レインの容姿を想像してみた。子供たちがあんなに懐いているのだから、きっと優しい顔立ちをしているに違いない。


「あーもう、お前らひっつくな」


 子供はあまり好きではないようだ。


「俺に妹か弟ができるんだ」


 そう嬉しそうに話しているのは、5歳になるユタだ。弟か妹ができることがよほど嬉しいのだろう。何度も同じ話をしては、皆を辟易させていた。


「ユタ、もうすぐお兄ちゃんになるんだから、好き嫌いしてたら笑われるわよ」


 ユタの皿には、野菜だけが綺麗に残されていた。ユタは、リヴの顔と皿を交互に見て、どうして解ったんだろう、と不思議そうな顔をしている。

 レインが後でこっそりリヴに聞いたところ、いつも残すのよ、と苦笑して答えた。



 †††



 夕方になり、大人たちが家へ帰ってくると、リヴの仕事は終わる。子供たちは自分で家まで帰れる子、親が迎えにくる子と次々に帰って行ったが、ユタが一人だけ取り残された。いつもなら母親が迎えに来るのだが、臨月が近いため、歩くのに時間がかかっているのかもしれない。家まで歩いて行く途中で会うだろうとリヴが言うので、レインも一緒にユタを家まで送ることにした。


 村が茜色に染まる中、レオンを先頭に、リヴとユタが手を繋いで歩き、その少し後ろをレインが付いて行く。道中、ユタは何度も弟妹の話をした。弟だったら、一緒に遊んであげる、自分の宝物を見せてあげてもいい。妹だったら、とリヴが尋ねると、悪いやつらから守ってあげる、と胸を張って答えた。レインは、明らかに飽き飽きとした態度を隠さなかったが、リヴは始終笑顔だった。


 あと少しでユタの家へ着くという頃、突然、レオンが前方に向かって低く唸り始めた。見ると、前方から三人の青年らがこちらに向かって歩いてくる。リヴと近い年齢だろうか。先程の子供達といい、意外と人がいるんだな、と少し珍しげに眺めていると、三人は、にやにやと嫌な笑い方をしながら近づいてきた。


「おい、見ろよ。面白いもん、見付けたぜ」


 真ん中を歩いていた赤毛の青年が顎をしゃくると、両脇にいた二人が同調する。レインは、嫌な予感がした。


 一番背の低い青年が一歩前に出て、リヴに向かって手を振った。反応がないのを喜ぶかのように、今度は自分のお尻を叩いて見せる。見かねてレインは思わず口を出していた。


「おい、やめろよ」

「誰だ、お前。外の人間か」


 その時、初めてレインの存在に気付いたとでも言うように、青年たちがレインに注視する。上から下まで値踏むように眺めると、赤毛の青年が一歩前に出て、鼻で笑った。


「この村に何の用か知らないけどな。一つだけ忠告しといてやる。

 この女には、関わらない方がいい」


 レインが眉をしかめると、赤毛の青年は脅すように声を落として続けた。


「悪魔に呪われるぞ」


 青年たちが声を上げて笑った。


「リヴ姉ちゃんを虐めるな」


 突然、ユタがリヴの前に両手を広げて庇うように立ち塞がった。両足が震えている。レインの立ち位置からでは、リヴの表情は見えない。


 背の低い青年がユタの襟を掴んで持ち上げた。


「ばーか。悪魔が取り憑いたんだって、村のみーんなが言ってるぜ」


 今にも泣き出しそうなユタに、吠えるレオン。レインの中で、何か冷たい感情が沸き上がる。思わず口を挟んでいた。


「低俗だな。自分より弱い者を虐める事でしか己の存在意義を保てないのか」


 レインを中心に、周囲の空気が一気に冷却されていく。ユタは、寒気を感じて身震いした。


「なんだと」


 かっとなった青年たちは、周りの気温が急速に下がっていることに気がつかない。背の高い青年がレインの胸ぐらを掴んで威嚇するも、レインは不敵に笑って見せた。そのまま殴りかかろうとした青年の拳を、背後から現れた何者かが掴む。


「やめろ。村での争い事は、御法度だ。やるなら村の外でやれ」


 黒髪を短く切り揃えた体格のいい青年だった。

ディルク、とリヴに呼ばれた青年は、そのまま掴んだ拳を腕ごと捻りあげた。捻りあげられた青年が痛みに堪らず声を上げる。分が悪いと判断したのか、それともディルクという青年が村で逆らえない立場にいるのか。ディルクが腕を放すと、三人の青年たちは、舌打ちしながら去って行った。


 解放されたユタは、リヴにしがみつく。その小さな肩を優しく撫でるリヴに、ディルクが初めて視線をやった。


「お前も、言われるだけ言われてないで、少しは言い返せ」


 言葉はきつかったが、ディルクの口調は落ち着いていて、苛立ちや怒りは感じられない。むしろ言っても無駄だと初めから諦めているようだ。


「村での争い事は御法度、でしょ」


 そう言って、リヴは笑った。

 ディルクは、決まり悪そうに視線を外すと、今度はレインに正面から見据えた。


「あんた、旅の人か。こんな事を言いたくはないが、あまりこの村に長居しないでくれ。

 見た通り、自分たちが生きるだけで精一杯の暮らしなんだ。

 それに、村の事を余所から来たやつに口を出されたくない」


 それだけ言うと、ディルクは背中を向けて元来た道を戻って行った。


「ごめんね。口は悪いけど、本当は優しい子なのよ。ちょっと不器用なだけで……」

「俺の存在が気にくわないんだろ」


 元来た道を戻って行ったということは、こちらの通りに用があったわけではないのだろう。その理由がリヴにあることに、レインは気付いた。僅かな時間だったが、彼がずっとリヴの方を意識しているように見えたからだ。


「さっきは庇ってくれてありがとう」


 レオンがリヴを気遣うように手の甲を舐めている。


「でも、私はそんなに弱くない」


 先程のレインの言葉を指しているのだと気付くまで少し時間がかかった。「弱い者」と言ったのは、腕力的な弱さを意味していたのだが、リヴはそれを違う意味で受け取ったらしい。


「別に、目が見えない事が特別だとは俺は思わない」


 皮肉のつもりだった。だから特別優しくしてもらえるなんて思うな、と。ただ、あのように、相手の弱みを知った上でからかいの材料にしか出来ない輩の存在が許せなかっただけだ。


(本当に、どうしたんだ俺は)


 いつもなら口を出す場面ではなかった。天使は、救いを求める相手の傍にいて、ただ見守るだけの存在だった筈だ。本当なら、リヴ自身が自分で抵抗するように仕向けなくてはいけなかったのに、気が付けば口を出してしまっていた。それも、もう少しで天使の力を使ってしまうところだった。ディルクが止めてくれなければ、あの青年の腕に凍傷を負わせるぐらいの事態になっていただろう。


(いや、これは仕事じゃないんだ。俺は今、ただの旅人としてここにいる)


 理由の解らない胸の苛立ちを抑えようと、レインは頭を軽く振った。少し言い過ぎただろうか、とリヴを見ると、彼女はきょとんと不思議そうな表情でこちらを見ていた。


 その時だった。耳をつんざくような女性の悲鳴が聞こえた。それと同時に、先程去って行ったディルクが走ってこちらへ戻ってくる。何事かと尋ねる前に、ディルクはレインの腕を掴んで引っ張った。


「おい、お前。手伝え」

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