【第四羽】徒花 ―青い蝶は眠らない―

【第四羽】一、瓦礫の下で


 ――生きる為に、人は何かに一生懸命になった事があるだろうか――


 一人の子供が瓦礫の下に埋もれて泣いていた。


 この町では、少し前に戦があったばかりだった。子供は数日前から何も口にしていない。敵から攻撃を受けて逃げ惑う群衆の中で、親とははぐれてしまっていた。探し回っている内に自分がどこにいるのかもわからなくなった。そして、空が突然ぴかっと光ったかと思うと、気付いた時には、崩れた瓦礫の下にいた。大きな板のような壁が瓦礫の山に被さり、ちょうどその隙間に身体があったので助かった。ただ、右足が何かに挟まっているようで身動きが取れない。頭上を覆う壁には小さな明かり取り用の窓があり、そこから灰色の空が見えている。助けを呼んでも答える声はなく、泣き疲れて眠り、また目が覚めると変わらない状況に声を上げて泣いた。それを何度も繰り返し、窓から見える空が2回目の夜を迎えるのを見る頃には、声も涙も枯れていた。この町で今生きているのは、もう自分だけかもしれないという考えが浮かび、空腹と身体の痛みの辛さを助長する。そして、何より喉の渇きが子供の生きる気力を奪っていった。


 朦朧とする意識の中、子供は、明るくなっていく空を何かが横切るのを見た。朝の日の光の中をひらひらと舞う黒い影は、鳥のようにも蝶のようにも見える。それは、消えかけていた子供の瞳に再び光を灯らせた。


――まだ、死にたくない――


 その想いが天に届いたように、子供の頬を冷たい刺激が走った。雨だった。空は晴れているのに、ぱらぱらと雨が窓から降ってきている。不思議に思って窓の外を見上げていると、突然影が差した。外に誰かが立っている。子供は、声を上げて助けを求めようとした。しかし、口の中がカラカラに乾いていて声が出ない。それでも必死に声を出そうと開いた口の中に雨が入り込んだ。子供は、それを飲み込んで喉を湿らせると、助けて、と声を上げた。


「俺の名前は、レイン。お前が幸せになる手助けをしに来た」


 その自称〈天使〉と名乗る男は、開口一番にそう言った。金の髪に空色の瞳、見た目は大人というには若く、子供というには大きすぎた。背中に白く大きな翼が生えているのを見る限り、天使というのは嘘ではなさそうだ。


 助けを求める子供の声を聞きつけて、ちょうど巡回していた自警団員たちが、瓦礫の下で動けなくなっていた子供を助け出した。その子供は、瓦礫に挟まれ足を怪我していたので、団員の一人が背負って街の避難所へと連れて行った。そこは、小さな教会で、唯一敵からの攻撃を免れ、無傷だったようだ。怪我をして血だらけになった人がたくさん運び込まれており、白い服を来た女性たちが忙しそうに動き回ってきた。子供は、教会の隅っこに座り、先程もらったコップ一杯の水を少しずつ飲みながら、自分の怪我の手当をしてもらう順番を待っている。


「お前の名前は」


 子供は、目の前で仁王立ちしてこちらを見下ろす天使を見上げた。背中に生えた翼は、明らかに通行人の邪魔になりそうなのに、誰も気にしないで通り過ぎて行く。どうやら他の人には、彼の姿が見えないようだ。


「……テフ。ティフ・テフ」


 擦れた声しか出なかったが、レインの耳には、しっかりと届いた。顎に手をやり、意外そうな顔をする。


「お前、女か」

「よく言われる。でも、違う」


 蝶好きな父親がつけてくれた名前だと答えた。女みたいな名前で、よく近所の子供達にからかわれたが、自分では気に入っている。


「そりゃ悪かったな。でも、いい名前だと思うぞ」

「うん、ぼくもそう思う」


 笑おうとして失敗した。父親を思い出したのだろう。声を上げることなく、両の目から涙が零れ落ちる。その表情からは、どこか感情が欠けていた。


「蝶、好きなのか」


 こくん、とテフが頷く。


「モルフォ=ティフって、知ってる」

「なんだ、それ」


 レインが首を傾げた。


「青い蝶。とっても珍しいんだ」


 青い蝶は、幸せを運んでくれる。それを見つけた人は、何でも願い事が叶うのだとテフの父親が教えてくれた。


「父さんは、ずっとその蝶を探していた」


 テフは、父親のことを思い出しているのか、じっと誰もいない空を見つめている。


「さっき、僕、その蝶を見たような気がしたんだ。でも、はっきりとは見えなかったから、違うかもしれないけど……」


 語尾がだんだんと下がっていくテフを励ますつもりで、レインが言った。


「じゃあ、落ち着いたら後で探しに行こう。

見つけたら捕まえて、父さんを驚かせてやろう、な」


 テフは、やはり感情のない表情をしていたが、それでもレインの言葉に、こくんと頷いた。



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