見限られたセカイ
はじめアキラ
見限られたセカイ
「最近の異常気象。各々調査を進めてくれたことと思う。分かったことを報告してくれたまえ」
私はテーブルをぐるりと見回して、調査チームの面々に告げた。ああどうしてこんなことに。このチームに所属してから既に五十年近く、こんな酷い状況は初めて見ると言っていい。
踏んだり蹴ったりだ。ほんの数年前までは、自分達王家直属の気象予報士達はむしろ暇で仕方なかったほどだというのに。世界的にも天候は安定し、近年は大きな台風にも見舞われずに済んでいたほどである。それは気象予報士のチームと王家直属の魔導師のチームが一体となり、ある程度天気を左右することができるようになったからというのもあるだろう。風が大きく吹き荒れそうな時を事前に気象予報士が察知し、魔導師達が現地に趣いて風を防ぐバリアを張る。大雨が降りそうな時はその雨を溜め込める結界を作り、逆に雨が足らない地域にその雨量を提供するということをしていた。今や天気というものは、人間の科学と魔法で十分コントロールがきくものとなっていたのである。
その状況が一変したのは、数年前から世界情勢が急速に不安定になったこと。世界屈指の大国であるチャラスカ共和国が、同じく大国であるバラスカ連邦に宣戦布告。お互いの領海・領空を巡って血みどろの戦争になり、それはやがて同盟国をも巻き込んだ世界大戦に発展した。気象予報に関わるチームは世界の安定を保つための気象予報ではなく、戦争に有利になるための予測と天候操作を与儀なくされるようになったのである。何故ならば此処、サラエ王国は、バラスカ連邦随一の同盟国家であったためだ。ほぼ真っ先に、バラスカ連邦をサポートするべく兵を出さなければならなくなった国である。
戦争は、泥沼化した。両者の総合的な軍事力がほぼほぼ拮抗していたため、次第に国の人々は“どんな手を使ってでも相手の戦力と人口を削り取れ”という方向に走ることになる。
どこかの国は、敵国に疫病を持ち込まれ、人々がバタバタと全身から血を流して死んでいった。
どこかの国は、大量の毒薬を川に流し込まれ、無関係の一般人が山ほど殺される結果となった。
テロが横行し、人が人を疑い傷つけ合い、小国から順に医療が崩壊していく。まだサラエ王国の状況はマシだが、このままいけば他の小国同様道端に死体が溢れる結果になるのは目に見えていた。ただでさえ航空機も船も次々と堕とされ、手足を失った負傷兵が病院に担ぎ込まれ続けている状況だというのに。
――戦争と、それによる環境汚染。今のこの世界は、どこもかしこもゴミ溜めのようだ。
戦争が最優先されるあまりに、人々は多くの配慮を欠いていく。それまではこの世界の環境保全を第一に守っていこうと、多くの人々で手を取り合って活動に取り組んでいたのに。希望を賭けて荒地に植えた木々。やっと少し大きくなってきたというところで爆弾が落ち、再び焦土と化してしまった。
花が咲くのは時間がかかるのに、それらを火で焼き払うのは一瞬の出来事だ。このままでは戦争が終わっても、世界は元の状態に戻らないのではないか。平気や爆薬を作る工場が、制限を外されて遠慮なく大気と水を汚していくから余計にである。誰もが危機感を覚えるようになった時、さらに泣きっ面に蜂とも言うべき出来事が起きるようになったのだ。
それがつまり、異常気象。
突然、世界全土に雨が降り止まなくなったのである。しかも、その雨がどうにもおかしい。今まで降っていた雨よりもどこか生臭いような臭いのする雨なのだ。まるで、ゴミを溶かして降らせたように。
今までは雨が多い時、他の雨が少ない地域に渡すことでどうにか成り立っていた王国。しかし、世界全土で雨が降り続くともなればその策は使えない。一刻も早く、この異常気象の原因を突き止めなければどうにもならないだろう。
「主任、降った雨の成分を分析したのですが」
部下の一人が手を上げて、自分が調べたデータのホログラムを表示した。
「この異常な臭いから薄々察してはいましたけど……やはり、普通の雨の成分ではないですね。まず、通常の雨よりも酸性に近い。同時に、やや色も薄い赤茶色に濁っていることが多いようです。塩素やナトリウム……微量に含まれるアンモニアと、いくつかの異物が臭いの原因であるようです」
「異物とは?」
「非常に細かいのでなんともいえませんが、泥、石、腐敗した有機物の混合物質であるということしか」
なんてことだ、と私は頭を抱えるしかない。その情報だけ聴いても、到底降り続く“雨”が綺麗なものではないことは明白である。しかも一部の物質は、明らかに人体に有害だ。降り続いた雨をどうにか綺麗なものにしようと浄化設備もフル稼働させているが、そもそも雨は直接川にも流れ込むのである。薄いとはいえ酸性の雨は、浄化設備がある建物さえも腐食させていく。このままでは、雨が降るのに綺麗な水を得ることさえも難しくなっていくのは明白だった。
「これほどの異常気象ともなると、この世界の“神”が何らかの天罰を与えているのではないか……と。古いサラエ教の信者達は申しております」
年輩の部下が、苦い顔で言った。本人も半信半疑と言った顔である。
サラエ教――かつて、サラエ王国で主流とされていた宗教の一つである。この世界を作ったのは、数多の世界を創造してきた偉大なる“神”であると。その神が指先を一つ振れば雲が晴れ、悲しみに涙を零せば雨が降るのだそうだ。部下いわく信者達は、このような雨が降り続けているのはきっと神が嘆き悲しんで世界を濡らしているからに違いない、と言っているらしい。
かつては主流であった宗教とはいえ、今はほとんどの人々が科学と魔法の力を知り、自らで天気さえも操れるようになった時代である。敬虔な信者など、今やひとにぎり。実際私も神の存在など馬鹿らしい、というのが本音だった。
ただ、かつてサラエ教の神殿があったという、サラエ神山。あそこには一度、上ってみる価値があるかもしれないと思ったのは事実である。世界で一番高い、頂上は雲さえも突き抜けるとされる大きな山。かつて教祖はその山の頂上で神と対話し、人々に信託を下ろしたというのだ。まだ信者が多かった頃そこに天文台を設置しようとして、信者達の激しい反対により断念した経緯があることを私は知っている。
「神がいるかどうかはともかく。サラエ神山の頂上でもう一度、気象観測を試みる価値はあるかもしれないな」
うむ、と私は頷いてみせた。世界で一番高い山の頂上から見ることができれば、下界の様子も雲の様子も、地上からでは見ることができなかったものがたくさん見られるのかもしれなかった。
幸い今は、サラエ神山に気象予報士が登ることに反対するような信者は殆ど残っていない。多少反発は来るとしても、大きな問題にはならないだろう。
第一、このままでは世界が汚れた水の底に沈んでしまいかねないほどの雨量である。今は宗教だの神様だの、そんなことで躊躇している場合ではないのだ。
「すぐに準備をしよう。チームの中から数人ずつ、気象予報士と魔導師を選別するのだ」
「わかりました」
「勿論、私も自ら向かう。老体に登山は堪えるが、この現象の真実は自らの目で見なければ気がすまないからな」
「主任……」
汚れた雨が降る原因。なんとなく皆も想像がついているのだろう。
人間達が山ほど汚染物質を撒き散らして人を殺し、その遺体さえも弔えずに道端に捨てて来たゆえの因果応報。汚染物質は川に流れ、大気に撒かれ、恐らく空の高い高いところに貯まり続けていたのだ。そして、ピークを過ぎて雨として降り注ぐようになってしまった。――毒ガスやウイルス、腐った人の死体が落ちた水。それらが空からまとめて降り注いでいると思うとあまりにもぞっとする。国中で疫病が流行し始めたのもその報いなのだろう。今のところ私と私の家族は無事だが、それもいつまでもつかわからない。近所に住む親戚さえ、先日熱病にやられて倒れたと訊いている。嘔吐や下痢が止まらない症状は、明らかに汚染された水を摂取したからに他ならなかった。
――サラエ神山の頂上から、観察・記録し。山の上から雲に向かって浄化剤を撒いたり魔法で汚染物質を取り除けば……まだ世界は持ち直せるかもしれない。
その時、全員の携帯端末が甲高い音を鳴らした。緊急速報の音である。研究員の一人が慌てたようにテレビをつけた。この音が鳴る時は決まって“悪い知らせ”である。テレビのニュースを見た一人が、呻くように呟いた。
「畜生、バラスカ連邦の……アリュー砦が落ちた……!チャラスカの悪魔どもめ……!」
降り止まぬ雨の中でも、人々は戦争をやめない。映像の中で、崩れた砦と逃げ惑う兵士達の姿が映し出された。爆撃機が次々と爆弾を落としているのが見える。あれは、落ちてすぐ爆発するものではない。地面に刺さった後、時間差で魔法の力を撒き散らす魔法弾だ。風を吹き上げて人々を細切れにしたり、雷を落として周囲の者達を黒焦げにしてしまったりすると聴いている。
ここが落ちた、ということは。バラスカ連邦の首都まで攻め込まれる可能性が、一気に高まったということ。この砦から連邦の首都まではあと街一つ分しかない。恐らく今日中にも、サラエ王国から増援が出されることだろう。――既にこの国は、一般人から徴兵して兵隊を出さなければいけないくらいに追い込まれている。今から戦争に向かうとしたら、ろくな訓練もしていない若い新兵達に他ならない。もしかしたら病弱で徴兵をまぬがれた私の息子にさえ、声がかかることになるのかもしれなかった。
――畜生。こんな時くらい、休戦する勇気を持ったらどうなんだ……!
人の欲は、あまりにも深くおぞましい。
今日も窓の向こうは、どろどろと濁った雨が降り続けている。
***
会議から――二週間後。
サラエ神山から下山した私が真っ先にしたことは、家で待つ最愛の妻を、息子を、孫を抱きしめることだった。疲れきり、汚れた登山装備のままだが今だけは許してほしいと思ったのだ。そうでなければ今にも、言ってはいけないことを叫びだしてしまいそうだったものだから。
「お帰りなさい、あなた。ど、どうしたの?そんな泣きそうな顔をして。この年で登山なんて無茶をするわと思ったけれど……」
「ミザリー……」
ああ、これではいけない。自分は希望を賭けて、山に登ったというのに。これでは、妻にも息子達にも不安な思いをさせてしまう。
笑顔を作らなければ。玄関の薄暗い証明の中、私は口角を上げるため死ぬほどの努力をしなければならなかった。何故ならば。
――ああ、希望を持ち帰るために、山に登ったはずだったのに。こんな、こんなおぞましい真実、一体誰に話すことができるだろう?
山の頂上は、確かに雲を突き抜けていた。そして私達はそこに残された神殿に上り、見たのである。そう。
巨大な、顔を。
私達の世界を見下ろす大柄な老人を――かつてサラエ教の人々が神と呼んでいた存在を。
頂上では、神と話をすることができる。それは比喩でもなんでもなかったのだと私達は思い知らされたのだ。雲の上では全てを見ることができたのだ。私達の世界が、巨大な円形の箱庭であるということも――それを覗き込み、好きなように私達の世界を自由にすることのできる創造主がいるということも。
創造主は言った。この世界はもうゴミだらけになってしまい、とても綺麗にできる状態ではなくなった、と。だから見限り、ゴミとしてまるごと捨てることにしたのだと。
『なんだお前達、何が不満だ?お前達も、ゴミ箱が汚物でいっぱいになったら、ビニール袋ごと丸めて捨てるじゃないか。私も同じだ。私が作った世界などいくらでもある。この世界だけが全てじゃない。だから此処はもう見限ることにしたのだ。私の活動はどうしてもゴミがたくさん出る。この“ゴミ箱”に捨てて、いっぱいになったら箱ごともっと大きな処分場に捨てることに決めたのだ』
そう。
降っていた雨の正体は。“神”が捨てたゴミと、排泄物であったのだ。
『お前達の意見はきかんぞ。そもそも、私が何もしていないのに、世界をゴミだらけにして滅茶苦茶に汚してくれたのはお前達じゃないか。私の言葉を聴きに来る者もいなくなったのに、一体どうやって忠告しろというのだ?』
この世界は、もう終わり。
いずれ神が捨てる汚物でいっぱいになり、そのまま壊される。まだ箱庭の底では、頑張って生きている者達がたくさんいるのに――その存在は彼にとっては、ゴミ箱を這い回る羽虫程度の命に他ならないのだ。
「あなた?」
妻の、不安そうな声が再度聞こえて――私は涙をこらえ、全身全霊の演技をした。
「……ただいま、ミザリー」
私達の世界は遠くない未来、汚いものに埋もれて消えるだろう。
あるいは自覚がなかっただけで、私達そのものが最初からゴミと同じ存在だったのだろうか。
残念ながらそのような救われぬ考察をするほど、今の私に余力はなかったのである。
見限られたセカイ はじめアキラ @last_eden
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