投票後は外食で

境 環

第1話


 私は、機械で作られた品物の打痕や傷を見つけ仕分け作業をする派遣社員だ。歳は42歳で結婚は一度もしていない、独身貴族のお局だ。家族は、祖母、父、母、弟である。弟と言っても金沢で独立しているから、能登には滅多に帰って来ない。盆と正月に姪を連れて来る。良くある事だか、両親、祖母は姪にお年玉を渡さざるを得ない。それは自動的に弟のものになるのだ。私は、叔母だか、姪には絵本などの類しか渡していない。不服がる弟の目をよそに、姪の頭を撫でながら本を読み聞かせるのであった。


 安月給なのもあるが、余程の事がない限り人にはお金は渡さない。いわゆるケチなのである。

 将来の老後の為に貯蓄している。CMに出てくる、パンパンには膨れたリスの頬をみると私の生き方は間違っていない。貯める事は生きていく糧になるのだと改めて思うのだ。

 

 この秋、私の町で市長選挙が始まる。今はまだ選挙カーが動いていないが、もうそろそろ饒舌なウグイス嬢の声が小さな町に響き渡る。

 現職の市長がご老体である為、勇退し副市長の後藤が立候補を表明したところだった。

 県内のニュースでも後藤候補の一本化で決着するとした。が、しかし元市議会議員の胡散くい男が急に立候補するとの報道に母は、

 「あ〜この男、市会議員1期しかできなんだ鶴野やん。評判悪くて次の選挙で落ちてんねぇ」

 亡くなった祖父には敵わないが、町の政治の事はこの界隈では秀でている方だと思う。

 鶴野を支持している自民党の県会議員がまた最悪で、ブルドッグみたいな面持ちで目の奥が仄暗いのである。


 それからまもなくもう1人が立候補してきたのだ。その男は現市会議員でトップ当選した腕の持ち主だった。

 市議会議員を辞めてまで市長選に立候補とはどういう風のふき回しか…

 

 三つ巴の戦いかと思いきや、鶴野が立候補を取り下げ、現市議である岸井の応援に回ろうとしたのであった。一体どうなっているのだ?

「あ〜あれやね。稲垣が裏で手を回しとるね。自民党推薦二人もいらんからね〜」

 と母は「二転三転する市長選」と題したニュースを見てボヤく。

 確かに鶴野より岸井の方が、市民の信頼はあるらしい。

 

 あの仄暗い目つきのドンは何を企んでいるのか…岸井を応援し、当選する事によって自分の顔の広さや好感度を試したいのか…

 だか実際稲垣は、わが町を何一つ良くしていない。ただ親の七光りで祭り上げられているだけだ。選挙の時だけ腰が低くなるが、後は知らんぷりで裏表の高低差がありすぎてめまいと鳥肌が発する。

 この町は、過疎化で少子化。企業も少なく働けない。欲しいものがあれば金沢ヘ足を伸ばさなければいけない。住み難さの連打である。

 

 選挙戦が後藤と岸井の一騎打ちと決まって間もなく、差出人のない封書が父宛に届いた。父は、

 「なんやこれ〜誰やろ〜」

 と言いながら、中身を抜くと、

 「……なんやこれ…怪文書か?」

 私が気になって

 「何?見せて」

 と、欲した。

 それは、1枚のゴシップ記事のごとく、後藤が不倫していると書かれてあった。密会の現場に遭遇した証人がいるとか、そういった馬鹿らしい類のものである。

 「これって、公職選挙法に違反せんがん?あからさまに足を引っ張って、票入れさせんつもりやろ?」  

 「これはしたら駄目な事や。岸井陣営の仕業なのは分かるからな〜どうしたもんやろな〜小さい町やしすぐ噂立つし、簡単に鵜呑みにするか、そうでない人がおるか、どっちに転ぶかは、開票後すべて分かる事や」

 私の腸は煮えくり返っている。鵜呑みにする馬鹿がいるのか!敵方のプライベートを暴いて、何になる?自分で自分の首を絞めている

 多分、役立たずの仄暗い男が関与しているのは間違いない。汚い真似を使ってまでも当選させたいのだ。自分の為に…


 隣町で働いている私は、日中選挙カーに遭遇出来ない。帰ってからが活動期になる。職場でも怪文書が届いてた人が数人いて、話題はその事で持ちきりだった。不倫は本当か否か…やはり田舎者が話す事だ。

 帰宅後ウグイス嬢の声がしないか聞き耳を立てているがいっこうに聞こえて来ない。

 私の活動は本人を見て、「頑張って下さい」と言う事だけである。私達家族、ショウちゃんのお母さん、町の人々はせいぜいそれぐらいしか出来ないのである。候補者の近しい人以外は、選挙期間中そういうものだと思う。

 すると少し向こうの辺りからウグイス嬢の「勝たせて下さい。お願いします」と必死なアピールがこだまする。

 父がニ階から大きな足音を立てて、降りてきた。

 「誰か来たぞ」と私達に言い残し、玄関へ向かった。父も後藤派だ。

 徐々に声量のある声が近づいて来る。 

 「きしい、きしいのぶゆきでございます!南町の皆様、お願いします!勝たせて下さい!」と聞こえて来る。猫のスリーが立ち止まり、首を左右に振る。

 父は、玄関に留まっているようだ。夜の静けさの中、活気ある声が近づいてピタリと止まった。

 おそらく家の前で待っていた父を見て挨拶に来たのだろう。玄関先が少し騒々しい。私は後藤派だから出なかった。分け隔てなく接すればいいが、仄暗いドンが応援する候補者には近づきたくなかった。

 

 「岸井、初めて見たけど、貫禄のない顔しとるな〜あれ、普通のおじさんやぞ。一回みたら忘れる顔やわ。アハハハ」と笑いながら、明日仕事で朝が早い父が階段を上がって行った。

 普通のおじさんか…10年前にも存在感の薄い市長がいた事を思い出す。1期4年で任期を終え、なにかにつけ薄っぺらい印象があるのだ。何も出来ない人間を二度と市長にはしてはいけない。

  

 街宣車が回って3日目。そろそろ後藤がこの南町に見参する頃だろう。ご飯を食べて一息ついた頃、「後藤でございます〜」と聞こえた。母と私は、「近くにおるぞ!」と意気込んだ。

「どこから聞こえる?」と母。

「上の方から聞こえる!」と私。

 耳を澄ませながら、網戸越しにどこから聞こえるか必死に探し当てる。

「あ!すぐそこやわ!私、外行って見てくるわ!」

 と言い残し、だらしない格好で細い道路を行ったり来たりした。本当にすぐそばにいる。後藤はどんな人だろう…普通のおじさんであって欲しくない。市長にふさわしい風格であって欲しい。ポスターではどんな面構えか分かったけれども、生身を見ないと何とも言えない。

 独身男女の婚活を応用したマッチングアプリがまさにそうである。私も無料登録している。写真やプリクラという加工品を載せて、自身のアピールをする。男性の方も同じで、顔写真が掲載されている人の方が人気だ。いわゆる「いいね」されやすい。お互いが「いいね」の判断をすれば、マッチング成立で、メールのやり取りが始まる。実際会ってみようかなと思う人やそうでない人もいる。私は、実際何人かの男性とデートした事がある。ほとんどの人が写真のイメージとは違った。やはり、会って話してみないと分からない事だらけだった。

 「ごとう、ごとうひろふみでございます。南町の皆様お騒がせしております。よろしくお願い致します」

 私は、ダッシュした。近くの道から降りて来るのが分かった。車のライトが狭い交差点のミラーから見えた。元陸上部の血が騒ぐ。選挙カーがゆっくり坂道を曲がり、こちらの道を選んでくれた。

 私の家まで来てほしくて、選挙カーが私を照らした時、亡き祖父の血か母の血か分からないが、人目もはばからず、小さな道を占領した。

 私は笑顔で、足を大きく横に開き、上半身はスタンドの店員のように「オーライ〜オーライ〜こちらですよ〜」と全身全霊を込めてバックする。

 もう、恥も外聞もあった事か!もう、日が落ちているし構わん!というなりふりで誘導した。後藤サイドも大きな声で「ありがとうございます!頑張ります!」とテンションが高かった。

 後藤は私を認識し、選挙カーから降りてきた。

「ありがとうございます!頑張ります!」と笑顔で挨拶した。私は、

「向こうにもいます!」と言い、後藤を家の前に連れていく。

 車より先に走る。支援者なのか分からないが、玄関から出てくる近所の人もいた。皆、手を降っている。

 これだけの人がくつろいでいる中、わざわざ出てきていると言うことは後藤はこの戦いに勝つかもしれない。私は、走りながら「こんばんは〜」と手を降る人々に会釈した。私の顔が見えているかどうかは分からないが。

 道を曲がってゆるやかな坂道を登る。私は家に着き肩で息をしているところ、両親、祖母が玄関前で後藤と二言三言話している。母は、ガッツポーズをしている。深々と会釈し後藤は助手席に戻った。

 「ごとう、ごとうひろふみでございます。南町の皆様、お騒がせしております。お願いします」と再開し、去って行った。

「あんた!どこまで行っとったいね〜」

「後藤さんここまで呼んできてんて〜」

「あら〜あんたも好きやね〜選挙」

「だって後藤見てみたかったもん。私が必死にアピールしなんだら、ここまで来んかったやろ」

 私は母に身振り手振りで事の説明をした。

 

 そんな時、向かいのショウちゃんが仕事から帰ってきた。

「選挙カーの前で、踊っとったやろ。アハハハ」

 と言いこちらに向かってきた。

「踊ってた? ああ…見てたんか〜ただ家の方に来てほしいから必死にアピールしとっただけや〜」

「ほれ!写メ撮ったぞ!」

「オイ!何でそんな事したん!余計な事して〜」

 私は、ショウちゃんの頭を叩いた。

「インスタに載せる!今季一の面白さやし、いいね増えるやろうな〜」

 私は、顔を真っ赤にして、インスタグラムのアップを阻止しようと携帯を奪おうとするが、背の高いショウちゃんにはかなわなかった。くっそ〜と心の中で叫びながら、家に入った。

 

 私はお風呂に浸かりながら、後藤の笑顔を思い出す。ゴシップ記事の事は知っているはずだ。嘘か真か定かではないが、本人は傷ついて本望ではないと思うが、態度には表さず真摯に選挙戦を戦っていると見えた。やはり、後藤にこの町を良くしてもらいたいと痛感したのであった。


 部屋へ向かい、携帯を見てみると、画面にはショウちゃんのインスタグラムの新着を告げる文字が点灯されていた。

「とうとうやったな〜」

 と、呟き、そそくさと開いた。

 そこには『阿波おどりをする向かいのねーちゃん』と題された写メが公開されていた。もう、100を超える『イイね』が押されていた。

 ショウちゃんは、知人が多かった。高校で野球をしていた時に知り合った仲間やファンが沢山いるのだ。4番でピッチャーだったから、かなりのモテようで今も尚健在であるから、インスタグラムのフォロワーが増える一方であった。

 コメントも入れている人もいた。

『わぁ〜ホントに阿波おどりしてるみたい〜選挙カーと一緒じゃあない?』

『ウケる!向かいのねーちゃんみてみたい』

『選挙ごときで何でこうなったのか…』

 などと言いたい放題だ。

 確かに私は阿波おどりをしてる様に見える。悔しい事に、上手く撮れた画像だった。

 私は、踊ったつもりはない。『オーライ〜』と誘導しただけなのに、この有様だ。

『私ですけど、何か?』

 と、コメントしたかったが輪をかけて盛り上がりそうなので、すぐ払拭した。

 辛い泣き寝入りだ…。阿波おどりの弁解の場を設けられず。ひたすら、失笑の的となってしまった。

 へんてこな格好で、車を先導した事は後悔していない。こちらへ来てもらう為に身体が勝手に動いたのだ。 

 

 ネット社会というものは、良い時もあれば悪い時もある。近々の私の行動に対しては、悪く働いている。空回りと言うべきか、翻弄されてると言うべきか…ついていないな…と思う。

 阿波おどりの動作に見えた私を撮ったヘイちゃんは、仲間に関心を向けられて良い思いをしているのであろう。

 私の心はざわつき、眠りについたのはいつもよりはるかに遅かった。


 投票日前日、仕事から帰って外から声が聞こえないか確認するが、秋の虫の声が単調に響くだけだった。

 この期間中、遠くの辺りから聞こえて来る事が多かった。

 結局、家の前に来たのは後藤も岸井も一回だけだった。町の噂では、後藤が優勢であるらしい。噂は、時として正しい判断をする事があるのだ。特に田舎は、町全体が親戚みたいな感覚に陥る時があり、主に選挙となるとその力を発揮する。


 投票日当日になった。長いようで短い選挙期間だった。私達家族は、意気揚々と投票会場ヘ向かう。

「人がこんだけ後藤やいうとるから後藤の当選やろ〜」と祖母はゆっくりした足取りでつぶやいた。

 それに対し、父、母、私は「うん」と言いながら首を立てに振った。

 会場は人が少なく、私の好きなバンドの音楽が静かに流れていた。母は立会人の人と知り合いらしく、「こんにちは〜」と挨拶していた。 

 投票を終え、車に乗り込む。 

「もう、17時やね〜どっか食べに行くか?」

 と、母は言った。

 

 ふと、私はある事を思い出した。あれは、何年前の選挙だったか…市会議員選挙なのは間違いなかった。

 私の中学時代の恩師が新人候補として出馬した時だった。とてもお世話になった先生だったので、絶対落選させたくなかった。今のように人に失笑される行動は出来なかったが、この町の政治の腕利きもどきと称す母に手伝ってもらって、一票投じて貰おうとしたのだった。

 母の図らいもあったのか定かではないが、先生は見事当選した。

 その時、投票後外食する事となる。貯蓄が好きな私だったが、先生が当選して嬉しかったのか「今日は、私のおごり!」と言い放ったのだった。現金は多く持たない主義なのでクレジットカードで一回払だ。 

 今回は、その時のゲン担ぎとして

「私払うよ〜」

 と言うと、母は

「そうくると思ってん」

 と、手で口元を隠し、低い声で笑った。

 母はすべてお見通しなのか…と思うと、少しムッとした。

「回転寿司やよ!他の店は高いからね」

 私が強い口調で言い放つと、祖母は

「久しぶりに焼肉食べたいな〜」

 などと言い出した。 

「あ〜良いね〜お父さんも焼肉食べたい」

 と同調

「お母さんも…うふふ」

 この三人は、私がおごる様な事があると、あれこれとねだる習慣がある。 

 給料から5万渡して、寝場所、電気、ガス、水道、食費をやりくりして頂いているのだから、たまに親孝行して罰は当たらないだろう。

 祖母は、素直な性格といえば聞こえがいいが

 遠慮を知らない傾向にある人物だ。

 お父さんもお母さんも、それを納得しているようなので、良い話ならばそれに乗っかるのであった。

「分かったわいね!食べすぎんどいてよ!」

 と強く釘を刺した。


 市内で唯一チェーン店の焼肉屋の駐車場で、隣の書店からショウちゃんが出てきたところを母は見て、

「どしたん?エロ本か?」と笑う母に、

「おばちゃんこそ家族で何しに来たん?」

 とヘイちゃんは買った本を脇に挟んで問うた。

「玲子のおごりで焼肉食べに来たんや」

「え〜いいな〜俺めっちゃ腹減っとるげんてね〜」

 その時私は、大変嫌な予感がした。

「ショウちゃんも一緒に食べるか?」

「食べる!食べる!やったー!」

 私はうなだれ、ショウちゃんを睨みながら、

「腹八分ね!いや、あんたは五分やわ」と言うと、母が、

「そんなケチな事言いなさんな!恥ずかしい!」と窘めた。

 私は、怒りの球を何球も投げたかった。悲しいかな、女房役がいなくて、ジャストミートする爽快感を与えられなかった。談笑するショウちゃんと父、母、祖母の少し後ろを歩く私は、肩を落として入店した。


「いらっしゃいませ!何名様ですか?」

「え〜っと。5名です」 

 と、父が確認しながら言った。


 勘定の計算を諦めて、奥へ行こうとすると、

「玲子!」と声をかけられた。

 案内してくれた店員が高校の同級生だった。

「真理子!びっくりした〜久しぶりやね〜TSUTAYAやめたん?」

「そうそう。こっちの方が時給良かったからね」

 小声で真理子は言った。

「あれ?あの男の人…野球で有名やった子やろ?」

「ああ…斜め向かいに住んどるげん」

「そんな事、私知らんかったよ!同級生やのに…」

 そう言う真理子は少し寂しそうだった。

「アイツには大変な思いしとるげんて〜今も昔も」

 厨房の方から冷たい視線が送られて来て、真理子は

「あ!ごめん!仕事中やった!注文しにうかがうね」

 そそくさと、中へと入っていった。

 真理子は、TSUTAYAの前にも他の店に働いていた。長続きしないのかなと感くぐる。


 肉の注文を聞きに来た真理子は、ずっとショウちゃんを見ている気がした。私に微笑んだのかショウちゃんに微笑んだのか分からない。


 私の懐を思ってか、大酒呑みの両親は、ビールを2杯飲んで、つまみがてらに焼肉を食べていた。

 ショウちゃんは余程お腹が空いていたのか、カルビ2人前を平らげ、牛タン2人前を頼んだ。

「ちょっと!予算オーバー困る!」

 私がたしなめると

「大丈夫!半分出すわいや〜」

 と言いながら笑った。

 本当かな…と疑心暗鬼になりながらも、投票に行ったかを聞いた。

「おう!後藤に入れたぞ!母ちゃんも同じやと思う」

 市役所に勤めているショウちゃんのお母さんが後藤に投票したのならば、いろいろ見積もって後藤が勝利したと私は確信した。


 みんな食べ終えて、「帰るか!」父の一言で母、祖母が席を立ち、駐車場ヘ向かった

 父に「ショウちゃんの分払ってよ!」と口から出そうだったが、そんな薮から棒な事は止めた。


 レジに進むと、真理子がいた。

「ご協力ありがとうございます」

 と言うから、かなりの金額なのか?と気もそぞろだ。

「オレ、半分出す。オヤジさん達、ほとんど食ってないやろ?」

 背の高いショウちゃんが伝票に顔を近づけた。私達はほぼ密着である。

 真理子はじっとこちらを見つめている。睨んでいると言えようか…

 ショウちゃんに甘えて半分出して貰った。ケチな私を知ってか知らずか分からないが、本当に助かった。けれど、真理子の対応が気に触った。終始、仏頂面で私に挨拶してくれなかった。あんな冷酷な顔立ちの真理子は初めて見る。


 店を出て、硬い表情の私にショウちゃんは、

「どしたん?」

 と心配そうな顔をした。

「レジの子同級生なんやけど、表情が曇ってたというか…なんかおかしかった…」

「俺も、あの人の顔見た事あるげんてね〜どこであったんか分からんけど…」

 と、神妙そうに言った。

「今日はありがとうね。半分出して貰って…」

「ほとんど俺が食べたみたいなもんや〜」

 いつになく優しい言葉だった。ふざけて難癖つける奴が…といろいろ振り返る。


 ショウちゃんと別れた後、車内では後藤の当選を願う両親と祖母がいた。

 投票結果が明らかになるのは早くて、21時ぐらいだろうか。

 帰宅して、お風呂に入ったりしているとすぐに時間が過ぎていった。

 外食祈願をしたので、余裕を持っていた。

 接戦なのかなかなかテレビの速報が出なかった。

 父はもう寝てしまったが、祖母と母と私で居間のテレビを見ていた。

 痺れを切らし「もう寝るわ〜」と私が立とうとしところ、「ピピピ」と音が鳴り選挙速報が出た。

「端咲市市長選挙、岸井信之氏当選確実」

 という文字がテレビ画面の上の方で光っている。

 私は、

「嘘やろ…」

 と落胆した。

 後藤が勝つ噂はただの噂となった。

 外食の件、真理子の件、後藤落選の件などで寝付きが悪かった。


 岸井政権が発足しようとした矢先、ある女が岸井を訴えようとしていると、新聞各社が報道した。「岸井氏、ストーカーの加害者か」という題目だった。女の話に信憑性が高かった。しかし、仄暗い目つきのドンが息のかかった子分のイタズラを拭う為に、裏でいろいろ根回ししたのか定かではないが、女はすぐに口をつぐんだ。

 市民団体もその事に触れようとはしなかった。長いものに巻かれろということか。

 バカヤロウだ!

 この町の未来は暗い。


 春のうららかな日、玄関先で洗車している私に斜め前からショウちゃんが『おう!』とおでこに二本の指を当ててから、こちらに歩み寄って来た。

 私は、先日急に私の家に来た真理子を思い出した。

 同級生だが、特に親友と言う訳ではなかったのに、誰かに聞いたのか自分で調べたのか分からず、部屋にいた私を祖母は大きな声で呼び出し、玄関に佇んでいたのが真理子だった。

「ねえ、翔太君の家、斜めだったよね?どっちの家?」と聞いてきたのだ。

 私はその時なんの躊躇いもなく教えた。後から、選挙の時、ショウちゃんと家族で真理子がバイトしている焼肉屋に行った事を思い出す。もう半年前の事だった。


「あのさ〜俺、彼女と同棲するやろ?」

 その事は、ショウちゃんのお母さんから聞いていた。

「断捨離しようといろいろ片付けてたら、一枚の写真が出てきてさ〜びっくりしたよ〜一緒に写ってた人、焼肉屋のねーちゃんやった。どこかで見た事あったな〜って思ってたけど、高校の時よく練習見に来てた人やったわ」

 ショウちゃんが私に写真を見せてくれた。

 ぎこちない笑顔のショウちゃんと控えめな笑顔の真理子のツーショットだった。


 写真を返そうと顔をあげたら、ショウちゃんの真後ろに誰かがいる。


「真理子!」

 ショウちゃんに向かって包丁を突き出している。

「翔太君…同棲なんてやめようよ。私と一緒にいよう」

 薄笑いを浮かべながらそう言った。

「あんた…何言ってるんだ…?」

 振り絞る様な声でショウちゃんは応えた。

「だから言ってるでしょう!同棲なんかしないで私と一緒にいるって!何で分からないの!」

 真理子の声は、ドスが利いていてもはや別人格になっていた。

「分かったから、ナイフ降ろせって」

 ショウちゃんは、震える声を放つ。


「何しとるんや!」

 犬の散歩をしていた町会長が、真理子を見つけて怒鳴った。

 町会長を睨みつけた真理子は、足早に去って行った。


 翌日の朝刊に、『端咲市で刃物を持った女が逃走中』と載った。

 

 数日経った今も、真理子は見つかっていない。

 私達住民は、戦々恐々としている。

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投票後は外食で 境 環 @sktama274

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