第42話 目覚め
声が、聞こえた。耳朶を打つその声は、必死に何かを叫んでいた。
――ォ。
まるで水中にいるように、声はどこか不明瞭。異様に響く音に耳を澄ましながら、ゆっくりと意識を覚醒させていく。
――ト、ハクト!
ユキメが、泣き叫んでいる。僕のことを呼んでいる。
そう理解した瞬間、僕は飛び起きていた。
「~~~~~~ッ!?」
体を襲う激痛に、視界が明滅する。全身がバラバラになったような痛みに転がり、さらに痛み、負のスパイラルに陥る。
「落ち着いて、ハクト!妖術を使うの!」
必死なユキメの声が、僕の思考に流れ込む。瞬間、頭は言われるままに妖術を発動する。
賦活。あらゆる命を活性化するその力は、生命神である僕の力。
新緑を思わせるエネルギーが、僕の体を癒していく。
「……あれ、ユキメ?」
ようやく痛みが引いて、のっそりと起き上がった僕に向かって、涙目のユキメが飛びついてくる。涙目の彼女は決して離さないと言いたげに固く僕の体を抱きしめる。ぐりぐりと強い頬ずりに、首がもげてしまいそうだった。
もんどりうって倒れた拍子に後頭部を打ち付け、チカチカする視界が収まるころ。覗き込むように顔に影を作るエメリーが、居心地悪そうな顔で、僕を見て。
その瞬間、意識を失う前のことを全部思い出した。エメリーに体を締め上げられたこと――
思い出し、そして、口の中に感じる血の味に、いまさらながらに自分が危険な状況であったことを理解した。確かに、まるでクッキーを割るみたいにバキバキと嫌な音がしていたっけ。
「……ごめんなさい。その、さすがにやりすぎたわ」
「ううん、いいよ。だから、お願いだから、そろそろユキメを落ち着かせてくれない?」
僕の頼みに、エメリーは泣きそうな顔で首を横に振る。やけに力ないその動きに訳を問うよりも早く、エメリーは諦観をにじませた顔で口を開く。
「……ユキメに、『大っ嫌い』と言われたわ」
「まぁ、少しやりすぎだったよね」
「少しなんてものじゃないのよ!?」
僕を押し倒して抱きしめていたユキメが勢いよく体を起こす。泣きはらして真っ赤になった目じりにきらりと光るしずくを浮かべたまま、今度は僕の胸に耳を当てるようにのしかかる。
まさか、心臓が止まっていたとか、ないよね?
「……血を吐いていたのよ?本当に、死んでしまうかもって、ハクトが、今度こそいなくなってしまうかもって思ったの」
「大丈夫だよ。僕はちゃんとここにいるから」
そっと抱きしめたユキメの肩はひどく震えていた。
ユキメに誤解されたかも――あの瞬間の恐怖がこみあげて。今度こそ離すものかと、強く、強く、抱き締めた。
「……あの、ユキメ?」
「ん?」
「そろそろくすぐったいから止めてほしいんだけど」
「……」
ふんふんと僕の首のあたりを嗅ぎ始めたユキメの鼻息がくすぐったい。離そうとしても全力で抱き着くユキメをこれ以上大きな力で拒絶する気にはならなかった。
仕方なくユキメに抱き着かれたまま体を起こし、改めてエメリーを見る。
「……ねぇ」
「ッ、な、なによ!?」
「そろそろ、事情を話してくれる?」
「そ、そうね。そうよね。……このまま有耶無耶にするつもりはないわ」
まだ躊躇う気持ちがあるみたいで、何度も呼吸を繰り返して。
「その、ね。妖術を教えてもらいたかったの」
「……ミネルバのように人化の術を教えるってこと?」
「そうよ。だって、私はこんな髪をしているんだもの……」
目にかかる髪をつまみ上げながら言う。確かに、目立つ髪色だとは思う。
「でもきれいな色だよ。エメリーのうろこと同じ色だよね」
「…………ハクト?」
どこか不機嫌そうなユキメの声に背筋が伸びる。
「な、何かな?別にエメリーを口説いたりなんてしていないよ?本当だよ?」
「どうしてエメリーと話すの?どうして、私とお話ししてくれないの……?」
「……可愛い」
「可愛くないっ」
ぷくぅと頬を膨らませたユキメがぐりぐりと胸に頭を押し付ける。少し苦しいけれど、気持ちは幸福感でいっぱいだった。子どもっぽい姿を見せてくれるユキメがいとおしくて、そっとその髪を撫でる。
しばらくそうしていれば、ようやく落ち着いてきたのか、ユキメはそろそろと僕の体から降りて、けれどまだ安心できないのか、今度は腕に引っ付く。
そんなユキメを安心させるべく頭をポンポンしながら、僕はまっすぐにエメリーを見る。
「……いまいち事情が分からないけれど、妖術の協力はするよ。僕は神様だからね」
「……助かるわ」
小さく頭を下げたエメリーがばつの悪い顔をする。そんなエメリーとにらんだユキメは、ベー、と子どものように舌を出す。
絶望したように陰鬱な気配を放つエメリーが肩を落として。
「そろいもそろって何をちんたらやってんだよ……あ?」
その時、廊下の向こうから現れたミネルバは、僕たちを見下ろしながら首をひねる。はっと振り向いたエメリーと目があった、何やら驚愕したように、その猛禽類特有の瞳をくわと見開く。
「ど、どうした、おい?エメリー?」
「……丸焼きの刑に処すわよ?」
「な、なんでだよ!?」
何やら騒がしく言い合いを始めた二人をそっと残し、僕たちは仕事のために向かった。
途中、シトラスとすれ違い、何か言いたげに目元を腫らしたユキメを見ていった。
その日、エメリーとミネルバがやけにきびきびとした様子だったのは、きっとシトラスの雷が落ちたからだろう。
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