第29話 恋の花はいつか

「……最近、ユキメがすごく可愛いんだ」


 夜、止まり木でこくりこくりと舟をかくミネルバに声をかければ、彼は眠気を振り払うこともせず、半目を僕に向けてくる。

 ユキメと紆余曲折あり、結婚をして九か月ほど。最近、人化した状態で触れ合ってくることが多くて、僕はどきどきしっぱなしなのだ。

 とはいえ僕はここにバイトとして身を置いており、なおかつ神様としてしっかりしないといけない。

 つまり、ユキメの色香に惑わされてはいけないのだ。


「……あれ、ユキメは僕のお嫁さんだから、惑わされてもいいのかな?」

「知らん。どうでもいい」

「ちょっと。大事なことだよ?同僚を思って少しは建設的な意見をちょうだいよ」

「知らん。勝手にさかっとけ。俺は眠いんだよ」


 明らかに機嫌の悪そうな声。その理由を考えて、はたと気づく。そういえば、僕はミネルバ以外のミミズクを見たことがない。ミミズク、それも妖となると、ひょっとしたら日本には一匹もいないかもしれない。つまり、彼がこのままテルセウスにとどまるのならば恋をすることも、恋が成就するのも夢のまた夢。


「ごめんね、そうだよね。独り身にはつらい話だったよね。僕の配慮が足りなかったよ」

「おい、ちょっと表に出ろ」


 ぱっちりと目を開いたミネルバがカチカチとくちばしを鳴らす。ついでに片足で止まり木の上に立ち、もう一方の足でわしづかみにするぞ、と見せてくる。

 ただなんというか、ミミズク姿でやられても可愛いだけだった。

 さすがにここで可愛いと言ってしまうとミネルバが怒り狂うので口には出さないけれど。


「……口に出さなくても顔に出てるんだよ」


 わなわなとくちばしを震わせるミネルバに、ごめんね、と謝っておく。たとえ謝罪の気持ちがこもっていなくても、謝るのは大事だ。


「おい、もう少し丁寧に謝れ。そして反省しろ」

「だってミネルバがいつまでも可愛いのがいけないんだよ?」

「可愛く生まれたくて可愛くなったわけじゃねぇ」

「あ、ミネルバ自身も自分が可愛い姿をしているって思っているんだね?」


 揚げ足を取るように言ってしまったら、ミネルバの動きが固まる。見開かれた目は零れ落ちんばかりで、なんだかすごく怖い。こう、もう少し反応が欲しい。首をぐりぐりと回しているところなんかすごく可愛いから、そういう反応が望ましいんだけれど。


「俺は、可愛くねぇッ!」

「ハイハイ。ミネルバは格好いいね。鋭いくちばしとかぎ爪。音を立てずに飛ぶのも、その凛々しい眉も」

「これは眉じゃねぇ。羽角だ。何度言ったらわかる」

「眉で通じてるじゃん」


 そういう問題ではないと、地団太を踏んで叫ぶ。そういうところも可愛いのだけれど、彼は気づいているんだろうか。仲良くなったからか、最近彼はいろんな顔を見せてくれる。怒ってはいるんだけれど、こう、まるでツッコミを誘っているような怒り方をするのだ。


「羽角はミミズクとしての誇りなんだよ。フクロウみたいな何考えてるかわかんねぇ顔した奴らと一緒にするんじゃねぇよ」

「え、フクロウにあったことあるの?」

「俺はお前より長生きなんだよ。会ったことあるに決まってるだろ」

「ちなみに、同じミミズクとは?」

「もちろんある」


 じゃあどうしてミネルバは独り身なんだろう。なんて、考えてすぐに思い出した。そういえば以前の彼は突っ張ったいたずら小僧だったんだっけ。精神年齢が低くて異性に相手にされなかったのかな。それとも、単純に出会いが少なかっただけ?


「その同情的な視線をやめろ。何を考えてやがった」

「これまで同性のミミズクにしか会ってこなかったのかな、って思って」

「メスにだって会ったことあるに決まってるだろ」

「じゃあ袖にされたの?」

「俺は振られてねぇ。そもそも妖に種族なんてあってないようなもんだろ。それころ変化の術を覚えればどんな種族にもなれるんだからな」


 そう。だから例えば神様みたいな妖術を得意とする者たちは、自分の種族以外の種を交わって種を残すことがある。そういう形で混血化が進むこともあって、神様業界では外見が混とんとしつつあって、本体を見せたがらない神様も少なくないと聞くけれど、それはさておき。


「うん。だからミネルバ、もう少し人化の術を頑張ろうね?」

「……きっとお前の教え方が悪いんだ」


 かつての約束通り僕がミネルバに人化の術を教えるようになって早半年。ミネルバはまだ一向に術に成功していなかった。

 僕の教え方が悪いのかと思って、同じく妖術を得意とするユキメやマスターにも指導を変わってもらったけれど成長の兆しはなし。

 どんよりとした様子でうつむいてしまったミネルバを元気づけたくて、僕は灰色の頭脳を高速回転させる。


「そうだ。人化の術の成功っていう目標達成にご褒美を設定するのはどう?ご褒美というか、自分の望みでもいいけれど」

「もっと強い気持ちで人化の術の成功を願えってことか」

「うん。そうだよ!……例えば、人化の術に成功して異性にモテるんだ!とか?」

「お前の中で俺はどれだけ女に飢えてるんだよ」

「だってミネルバって誰かとお付き合いしたことないでしょ?」

「ねぇよ。悪いかよ!?」

「別に。僕も付き合ったのはユキメだけだし。だからほら、人化したらいい出会いも増えると思うし、どう?」


 いら立ちのままに叫びたくて、けれど怒りが強すぎて言葉にならないらしい。もしくは、そのゴールが意外と自分にマッチしていることに気づいてしまったのか。

 果たしてミネルバは固く口を閉ざし、眠ったふりを始めるのだった。


 これ以上うるさくするとシトラスに怒られそうだから、僕もミネルバに合わせてベッドに横になる。

 明日のユキメもきっと可愛いだろう――その誘惑に負けないようにしないとと思いつつ、僕の意識はすぐに闇へと沈んでいった。






「ハクト、うるさい」


 翌朝、起床して顔を洗っていると、背後から地獄のように低い声が投げかけられた。明らかに機嫌の悪い声。

 振り向けば、そこには眠たげに目をこするシトラスの姿があった。今日は珍しく朝から人の姿をしており、ただその服はだらしなく着崩れていた。

 正直目のやり場に困る。


「おはよう、シトラス。それと昨夜はうるさくしてごめん」

「……どうせハクトがミネルバに余計なことを言ったはず」


 サトリだろうか。まるで見てきたような発言にどきりとする。

 タオルで顔を拭きながら場所をどけば、シトラスは手元のレバーでお湯に切り替え、温かくなるまで鏡に眠たげな視線を送る。細められたその目は、鏡越しに僕をとらえて離さない。ジト目から逃げるように顔にタオルを当てれば、小さなため息とともに視線が感じられなくなる。

 お湯になっていることを念入りに確かめてから、シトラスは顔を洗い、僕が持っていたタオルを奪い取る。


「次にうるさくしたら毛皮バリカンの刑」

「謝るからそれだけは辞めて。本当に、お願いだから」


 丸裸なんて耐えられない。ずっと人化の術を続けるというのも大変だし遠慮願いたい。

 必死に謝るけれどシトラスは前言を撤回してくれなくて、僕はこれからしばらく、彼女の眠りを妨げないように細心の注意を払う必要があることを理解した。

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