第24話 ユキメ

 私は、ひとりだった。

 母も父も、私を愛する子として扱ってくれた。けれど、兄弟たちの中で一人だけ雪のように白い毛皮をしていた私を、兄弟たちはつまはじきにした。もし姉や妹がいたら少しは違ったのかもしれないが、異性かつ異物は、兄弟たちの中では腫物であり、化け物であり、かかわるべきではない存在だった。

 それでも私がくじけることなく成長できたのは、母が語ってくれた遠い昔のお話だった。母の、母の、母の、母だっただろうか。その母狐の息子は、一風変わった存在だったらしい。見たことも聞いたこともない世界の話を知っていて、狐の中ではとても賢くて、けれどほかの兄弟姉妹たちにまじってわんぱくに山を駆け回り、時に泥だらけになって笑っている、そんな子だったらしい。

 彼は頭脳明晰で、けれど体を動かすことがとても好きで、けれどある日、母を人間に殺されて、森を出た。


 それから、彼の兄弟は、人間たちによって住処を追われて。

 妹狐は、ある時偶然、その兄を目にしたのだという。

 無垢な少年は、世界を旅してわたってきたらしく、ほかの狐にはない威厳を持っていたという。そして何より、兄はいささかも肉体に老いがうかがえず、彼女は兄が神に等しい何かに至ったのではないかと、そう思ったそうだ。

 そんな話を、私は目をキラキラさせて聞いていた。


 その狐に比べれば、私はなんと平凡なことか。ただ、私は毛皮が白いだけで、母も父もいる。長い時を生きることなんてないだろう、ありふれた狐に過ぎなかった。――その、はずだった。


 両親が去って、独り立ちした私は、やっぱりひとりだった。

 誰も、私には近づかなかった。

 オスたちはみんな、私のおかしな毛皮の色におびえて、逃げていった。

 私はひとり、森で生きていた。


 ひとりで獲物を狩って、ひとりで夜を過ごし、ひとりで四季を生きた。

 私は、ひとりだった。


 ひとり“だった”のだ。


 それは、本当に運命のいたずらのような出会いで。

 私の前に、普通の狐とは違う彼が現れた。

 彼は、どこか飄々としていて、纏っていた風格は口を開けばあっけなく消し飛ぶ子どもっぽさも持っていて。

 ああ、彼だ、と私は思った。

 彼こそが、母が寝物語として私に聞かせていた、あの一風変わった狐なのだと、そう確信した。


 そして、彼のことに興味を持った。


 だから、彼の旅に同行を申し込んだのは、彼が私のことを「きれいだよ」、と言ってくれたからではないのだ。――その言葉は、確かに今も強く私の心に刻まれているのだけれど。


 私はそうして彼とともに旅に出て、たくさんのことを経験した。

 美味しい果実に出会い、川で遊び、追いかけっこをして、いがくりと格闘して、雪に足跡を残して、春の花々の蜜を飲んだ。


 幸せだった。

 幸せだと思った。

 気が付けば私の日常には鮮やかな色がさしていて。

 私は心の中で、この日常がいつまでも続くことを願って――


 そして、これまでの不幸の揺り戻しか。

 私と彼の日常は、終わることなく続いていった。

 途中で、おかしいと気が付いた。

 彼と同じように、私にも老いがやってくる気配がなかった。

 それは彼と旅に出てから二年目のこと。すでに四歳近いはずの私は、彼とともに、むしろ以前にも増して体調がよかった。

 まるで跳ねるように、山を駆けて。

 いつしか彼は不思議な力を使うようになっていて。


 やっぱり彼はすごいと、私は感心しきりだった。

 ひょっとしたら、彼が私の心の中の願いを聞いて老いを取り去ってくれたのではないかなんて、そんな夢物語を思い描いたりもした。

 夢、だったはずなのだ。そんなこと、普通の神様にだってきっとできないことだから。


 それから、八代や朱雀と出会って。

 彼と同じ力があることがうれしくて、私は寝るのも忘れて訓練した。彼が、私との成長の差を嘆いていたみたいだけれど、私はそれほどおかしいとは思わなかった。

 何しろ、訓練時間そのものが違うのだから。それに、誰に教わることもなく妖術を使っていた彼のほうがよほどすごいのだ。

 だから、あなたは悲観する必要はないのよ。


 彼が私にユキメという名前をくれた。私は雪のように白かったこの毛皮に誇りさえ感じた。この色は、彼に会うための導きだったのではないかと思った。

 そして彼はハクトという名を手にした。とてもいい響きで、後で八代に聞いたら、白いってことだ、と笑われた。私はまだまだ精進が足りないようだった。


 ハクトにはやるべきことがあるからと、別れた。

 必ず会おうと約束して、私は出雲へと向かった。もちろん、八代を簡単には許さなかったけれど。

 ハクトはすごく良いオスなのだ。そんなハクトを一人にしておいては、どこぞの女狐がハクトをさらっていってしまうではないか。

 そういえば、八代は「はははっ」とひとしきり笑って、ぐしゃぐしゃと私の頭をかき回した。


 出雲につけば、たくさんの神々が私たちを出迎えた。八代は意外とすごい神だったらしい。まったくそうは見えないのだけれど。特に、酒を飲み始めるとその残念さが強調されるから。お酒を飲まなければ――変わらずダメな狐かもしれない。

 神様たちは宴会をして、議論をして、宴会をして、議論をして――皆が八代のようで、私はその光景を呆然と眺めていた。

 ちなみに、その場には神以外の存在もいて、妖はもちろん、数名だが人間も存在した。まあ、意外と多くの妖や神が人に化けたまま行動していたことには驚いたけれど。

 後で八代がこっそり話してくれたが、神の多くは、その本来の姿をさらすと阿鼻叫喚の地獄を作り出すことになってしまうそうだ。例えば、威光が強すぎて妖たちを失神させてしまう神、醜悪すぎてみるものを卒倒させてしまう神、どぎついにおいを放つ神、建物に収まらないほど巨大な神、逆に化けなければただの置物と変わらない神もいるそうで。


 神とは変わり者の集まりなのだと、私はそう学んだ。

 そして、私の中でその変わり者の筆頭にして最大の敵になったのが九尾だった。

 彼はあろうことか私の妖術に干渉して本来の姿をさらさせた上で、私のあらゆる行動を封じて「こいつを俺の妻とする」なんて宣言したのだ。

 許せるはずがない。

 私の隣は、お前の場所ではないのだ。


 なのに、私は彼に勝てなかった。

 彼の術に縛られていて、私は妖術一つ使うこともできなかった。

 地力が違った。経験が違った。

 私はなすすべもなく婚姻の儀まで部屋に閉じ込められることとなった。

 ちなみに、役立たずの八代は九尾にのされていた。


 私は結界が張られた部屋の中で暴れた。

 けれど、私の幻惑の術は相手がいて始めて効果を及ぼすもので。

 相手がいない状況で、私に脱出の糸口はなかった。


 私はただ体を怒りに震わせ、無力感にさいなまれながら時を過ごした。

 たまにやって来る九尾を警戒して夜も満足に眠れない日々が続いた。

 そんなときに結界を紙切れのように破りながら一人の女が入ってきた。一目でその存在が、神の中でも上位にいると分かった。

 出雲で目の肥えた私は、彼女の正体をおよそ察することができた。


 彼女の口からハクトの名前が出て、私はもういてもたってもいられなかった。

 まるで私の感情に呼応するように、妖気がとてもたやすく動いた。これまでにない妖術の感覚があって、私はこれなら九尾に対抗できるかもしれないと思った。

 最も、やってきた女性が九尾と戦い始めたので、私が勝負をする必要はなかったのだけれど。


 私は急いだ。走って、走って、走った。

 まずは現れた彼女のにおいを、彼女が垂れ流しにしていた妖気をたどって、彼女がいた場所へと向かった。


 そこは、アニマル喫茶テルセウスなどという店で、そこに入れば、濃いハクトのにおいがした。私と別れてから、彼がここを活動拠点としていたことは明らかだった。

 けれどそこから先のにおいが、上手くたどれなかった。


「ハクトは⁉」


 近くの路地で変化の術を発動して人に化けた私は、扉を蹴破るようにしてその店の中になだれ込んだ。はしたないと思われるかもしれないけれど、どうでもよかった。だって今この場にはハクトはいないし、何より私は人間ではなく妖狐なのだから。


「ハクト、知り合い?」


「知り合いというよりは友人、いえ親友?家族?あるいは、ええ、恋人といってもいいかもしれないわ」


 もう五年ほど一緒にいるのだ。互いに抱き合って眠ったこともあるし、毛づくろいをしあったこともある。少なくとも私たちは家族だった。

 家族だった、はずなのだ。

 それなのに、私は彼に「裏切った」と思われてしまった。

 私は、あんな男とつがいになるつもりなんて全くないのに!

 ハクトはせっかちなのだ。そんな風でいては異性に好かれないと思うのだけれど、ライバルが増えないのはいいことなので私は指摘はしていない。


 この国ではありふれた、けれどどこか古風な黒目黒髪の少女は、目を白黒させながら私を店の奥へといざなった。ハクトの関係者だということくらいは伝わったらしかった。


「それで、ハクトはどこ?ハクトが禍津神になってしまったと聞いたのだけれど、状況はどうなっているのかしら」


 日常の中にいるらしい彼らに対する怒りを押し殺しながら私はそう尋ねて。


「どこかへ行ってしまったの。どこへ行ったかは、わからない」


 果たして、彼女からは何の成果も得られなかった。

 こうしている時間はない。九尾に並ぶ神が焦るほどの状況なのだ。私は一刻も早くハクトに会わないといけない。

 だから、私はすぐに席を立ち、何もしないでいる彼女たちを責めることもなく店を飛び出そうとして――


「わぷ⁉」


 突如視界が白く染まり、柔らかなものが私の顔にへばりついた。

 ふわふわと暖かくて、森のにおいがするそれを私は引っぺがす。それは、異様なほど大きくなった渡り綿毛のようだった。


 私が手にぶら下げた頭ほどの大きさのそれは、フルフルと体を震わせていた。おびえているのか、何かを告げようとしているのか。変化の術で渡り綿毛に化ければ意思疎通も可能だが、今はそんなことをしている場合ではなかった。

 だから私はそれを放って歩きだそうとして。


 ポン!とそれが酒瓶の蓋を開けたような軽快な音を立てた。同時に、にょきっ、と渡り綿毛の体から新芽が生えた。

 合計四つの新芽は、まるで手足のようで。

 そう思えば、気が付けば巨大な毛玉の中には、口と目が出現していた。


「お母さんに会いに行くの!」


 それは、そう叫んだ。渡り綿毛だった何かに私はどう返事をするか迷って、それで周囲の視線が私に集まっていることに気づいた。

 ハクトの名前を呼びながら勢いよく店の中に入ってきて、裏に案内されて、そして今扉の前で棒立ちになっている私は、とても目立っていた。

 私はそそくさとその場を後にして、そして改めて手の中の渡り綿毛を見下ろした。


「それで、あなたは?」


「お母さんに会いに行くの!」


 彼、あるいは彼女は、ただそれだけを繰り返した。

 そんな存在は、捨て置けばよかった。

 けれど、それの中に私はハクトの息吹を感じた。ハクトの力を、ハクトの熱を、ハクトのにおいを、それから感じた。

 だから私は、逸る気持ちを抑えて、それの言葉を考え、そして。


「いいわ、案内して」


 彼が誰かに会うために旅をしていたという八代の言葉を思い出して。その誰かというのが、「お母さん」であったのではないかとつながって。

 だとすれば「お母さん」を訪ねることにはきっと意味があると、そう思った。


「お母さんに会いに行くの!」


 それは嬉しそうに高い声音で告げて、ただの渡り綿毛と同様にふわふわと漂い始めた。

 頼りにしかねるその動く小物体に案内されて、私はハクトに会うための旅を始めた。


 ――ところで、「お母さん」とは誰のお母さんなのだろうか?ハクトのお母さんは死んだと聞いているし、この渡り綿毛が何かを言い間違えているのだろうか?それとも、そういう呼び名なのだろうか?

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