第3話 狐としての学び

 気が付けば世界はすごく暑くなってきていた。

 森の中は、木の枝が太陽の光をさえぎってくれるからすごく涼しい。

 けれど時々ある木々がない草原に出れば、太陽の光が僕を照らして、すごく暑かった。

 この毛皮は思った以上に優秀で熱を保ってくれる。そのおかげで僕は雨に濡れた際も凍えて死んでしまうことはなかった。

 けれど直射日光を浴びるとまるでフライパンで加熱されているみたいで、僕は慌てて日陰へと飛び込んだ。

 それでいい、とお母さんは僕のことを見ながら真剣にうなずいていた。

 お母さんは言った。木のないところは強いものたちが僕たちのことを狙っているから危険なのだと。だからそういった場所には出てはいけないと。

 僕が日陰に逃げたのは、本能がそうしろと告げていた、かららしい。

 狐の体は暑さに弱くて、そして日向には出てはいけない。

 僕はまた一つ学んで賢くなった。


 狐の弱点、というかこれは僕だけなのかもしれないけれど。

 僕はすごく朝に弱かった。

 狐の優秀な毛皮は寝ている間も僕のことをぽかぽかに温めてくれていて、その温もりから抜け出すのがすごく大変で、僕は兄弟姉妹の中でも寝起きが悪かった。

 よく考えてみれば、起きてもぽかぽかから抜け出す必要はないのだ。だってそのぽかぽかの熱は、僕の毛皮がため込んでくれているものだからだ。

 ぽかぽかから抜け出すということは、つまり毛皮から抜け出すということだろうか?


 毛皮を脱いで、ぽかぽかを捨てる……?


 ものすごく嫌な光景が浮かんだので、僕は考えることをやめた。

 ぽかぽかは逃げない。

 学ぶことができたけれど、僕はやっぱり朝に弱かった。

 けれどお母さんがいうには、僕たちは本当は夜に活動する生き物らしい。だから、僕が夜に目がさえて朝に眠くて仕方がないのは自然なことだと、そう励ましてくれた。


 僕が寝坊助な理由が、人間だったころの慣れのせいだなどとは、僕は口が裂けてもお母さんにいうことはない。

 だって、前世のことを話してもしもお母さんに「化け物」なんて言われたら、僕はきっと生きていけないから。

 ねえお母さん、大好きだよ。

 大好きだから、困らせたくないから、僕はお母さんにこのことを隠し通すんだ。

 お母さんに隠し事をする悪い子だけど、僕のことを嫌いにならないでね?




 僕は、兄弟姉妹の中では走ることが好きだった。

 動けるということが、体が動くということが、楽しくて仕方がなかった。

 お母さん曰く、僕は生まれたころからそんな落ち着きのない性格だったらしい。ぜひお母さんには、僕のことを「活発な子」と表現してほしい。落ち着きがないだなんて、そんなの兄さんみたいじゃないか。


 その兄さん――僕と一緒に初めて狩を成功して一緒に転げまわり、挙句の果てにお母さんに怒られたあの兄のことだ――は、僕以上にやんちゃだった。

 彼は木登りが大好きで、木の幹に爪をひっかけては、ひょいひょいっと木を登って行ってしまうのだ。

 兄さんは高いところが好きだった。

 兄さんは僕に向かって、よくこう話していた。

 高いところはいいぞ、すごく世界が広く見えるんだ。高いところから下を見れば、まるで僕は森の王になったようにさえ思えるんだ――

 そんなことを言う兄さんに、僕はこう言ってやった。


 馬鹿と煙は高いところが好きなんだよって。


 残念ながら、兄さんは馬鹿という言葉の意味が理解できなかった。

 僕以上に行動的で野性味の強い兄さんは、頭を働かせるくらいなら動くべきだと考える、脳筋な狐だった。


 そしてそんな兄さんは、お母さんの言いつけを破って開けた草原でのウサギ狩りをするようになり。

 空からびゅんと降ってきた何かにさらわれて、姿を消してしまった。


 お母さんは、お兄さんのことは忘れなさいと言った。


 それが、僕が狐としての生の中で初めて強く死を意識した瞬間だった。


 普段ネズミを食べる際には考えもしなかった死は、実にあっけなく兄に訪れて。

 そして僕は、少しだけ巣穴の外で活動する時間が怖くなった。

 それから、僕自身が変わっていっていることが、怖くなった。昔の、人間だったころの僕は、きっとネズミを殺したときに死を強く感じていただろう。そして、僕もいつかはこうなってしまうかもしれないとか、ネズミの命に感謝してご飯を食べようとか、そんなことを思ったのかもしてない。

 けれど僕はあっという間に狐としての生活に慣れてしまっていて。


 そして僕は生まれてから一度も、食べるものに向かって感謝の言葉を、「いただきます」を言っていなかったことに気が付いた。

 まだ目も足も弱かった赤ちゃんだった僕たちに食事を狩ってきてくれていたお母さんにすらいただきますとお礼を言っていなかったことに気づいた僕は愕然とした。


 ちなみに、いざ食事の場面でいただきます、と口にしたら、お母さんも兄弟姉妹も変な顔をして僕を見た。

 また僕が変な行動を始めたと、兄弟姉妹は素知らぬ顔で食事を再開した。

 言葉の意味を尋ねてくれたお母さんに意味を話したけれど、お母さんも不思議そうに首をかしげて、そんな考え方があるのね、と言うだけだった。


 残念ながら、狐の価値観に「口にするすべての命に、そして食事を用意してくれたものへの感謝」というものはなかったらしい。

 だって、僕たちは常に自然の中で生きていて、そして自然の中で死んでいくことを決められているから。

 僕たちは当たり前のこととして命を食らい、そして命を食らわれる立場にある。


 僕はそこで始めて、自分は自然のサイクルの中にいるのだと理解した。


 兄の命も、そうしてほかの何かの命となったのだろう。

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