第3話

 うつ病と診断された僕は月に一回、通院をしてほしいと医師に告げられた。母親には迷惑をかけたくなかったが、うつや自傷に関しての心配をかける方が申し訳なくて、通院を選んだ。


 僕は父親が死んでから、自傷行為をするようになった。

 父親が死んでから学校に行かなくなった僕を、母親はしばらくの間は何も言わずにいてくれたが、流石に一週間も経てば焦るのもわかる。でも僕の体は鉛が絡まったように重くて、全然動かなかった。でもだからといって、母親には迷惑をかけたくない、と考えに考えていたときに、ふと父親が使っていたカミソリが目に止まった。もはや半分無意識だった。僕は自分の腕にカミソリを押し当てて、横に引いた。紙で切ったときのようなピリッとした痛みが一瞬走ったあと、血液が滲み出てきた。あ、生きてるんだ。と思った。体の鉛が一瞬取れたように軽くなった。体からふわっと力が抜けていくのがわかった。

 それから僕は、何かある度に蓄積していって重くなっていく、体に絡みついた鉛を一瞬でも取り払おうと、自傷行為を日常的に行うようになっていった。繰り返していくうちに慣れてくるのか、少しづつ傷が深くなっていった。指でなぞると、凹んでいるのがよく分かる。そのまま傷を放っておいたらミミズのような腫れがいくつもできてしまった。それから僕は、夏でも長袖を着て過ごすようになった。


 そして僕は高校生になってから、頻度は減ったものの、まだ自傷行為を辞めることはできていなかった。そして母親の手術前日、倒れてうつ病と診断された。正直ほっとした。自分のこの辛さに名前がついたことに安心したのかもしれない。正体不明の何かが苦しめるよりも、名前が付いたもののほうがきっと、まだましだと思った。

 母親も無事に退院して、精神が少し安定したり、治療を受けて行くことで、少しずつうつが寛解に近づいていった。


 それは、普段通り、僕が病院の透き通った自動ドアを通ろうとしたときだった。色白い肌に、オレンジの花のワンピース、きれいに編み込まれた三つ編みをした少女がドアのすぐとなりで、北風に吹かれてうずくまっていた。

 あの、大丈夫ですか。と声を掛けた。彼女は静かに首を縦に振ったが、僕は彼女の肩に手を回して病院内の椅子に座らせた。

 それからしばらく経って、彼女の体調は少し回復し、会話ができるほどになった。彼女は雨宮日向子あまみやひなこといい、19歳の高校3年生だという。小さく華奢な体つきだったので、年下だと思ったが年上だったので、僕は少し驚いた。日向子さんは先天性心疾患に生まれ、幼い頃に手術を受けたため、定期的な通院が必要なのだという。今日は元々少し体調が良くなかったにも関わらず一人で病院まで来たため、負担がかかり、うずくまってしまったらしい。


 それから僕は通院のとき、日向子さんとよく会い、話すようになった。本当は僕が無意識に日向子さんを探しているのかもしれない。その時から僕は心の奥底では気づいていた。僕は日向子さんが好きなんだと。


 そうして次の桜の季節が来て、僕は高校3年生になった。僕は次に日向子さんに会ったときに、告白しようと心に決めていた。病院の自動ドアを通ると、日向子さんが出口に向かって歩いていた。僕を見つけると、透き通った瞳で僕を見つめて、微笑みながら小さく手を振った。僕は、病院から出ようとする日向子さんを引き止めて、告白した。


「うれしい。こちらこそお願いします。」


この返事を理解するまでずいぶん時間がかかった気がする。僕と日向子さんは付き合うことになった。日向子さんと出会って、僕は自傷行為をしなくなった。


 それから4年後、僕たちは結婚をすることになり、更にその1年後、子供を授かった。日向子さんは持病のため、帝王切開を勧められたが本人の希望で自然分娩をすることになった。僕は生まれてきた赤ちゃんの産声を聞いて、思わず涙が溢れた。僕たちの愛娘、陽茉梨が誕生した瞬間だった。

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