水面下シンドローム

円藤飛鳥

第1話


 恋愛とアイスって似ていると思う。

 甘くてひんやりとしていて、味わっている間はずっと幸福な気持ちでいられる。この世の中で最も人を笑顔にしている二つなんじゃないか。大袈裟かもしれないけど、そう思っている人間はわたしだけじゃないはずだ。


 でも、わたしは知っている。


 いずれアイスは溶け、消えてなくなるということを。それは恋愛も一緒だ。いずれ別れの時は訪れる。

 だから恋愛なんてすべきではない。

 サヨリと出会うまでのわたしは、そう思って生きてきた。


 ▼


 八月のうだるような暑さに耐えかね、ソーダ味のアイスを購入した。店員さんに感謝の言葉を残してから自動ドアを抜けると、人混みが広がっていた。


 水族館の魚の群れを連想する。自分も今からその中に加わるのだ。


 先に出ていた友達四人に声を掛け、歩きながらアイスを舐める。ソーダの甘み、ひんやりとした冷たさが一斉に主張を始め、脳に染みた。夏に食べるアイスの美味しさは格別だった。自然と涙が出てしまう。


「え、泣いてるの?」


 友達の一人が、やや引いた顔で言う。


「頭がキーンってなる現象で泣いたんじゃない?」

「ちょっと舐めただけじゃん」

「璃子はアイス食べるたびに泣くよ。たぶん、アイスに脳を支配されてる」


 好き勝手なことを言われている。わたしはそれらに反応せず、涙を流しながらアイスの尖端を口に入れた。このために生きているのだ、と心の底から思えた。


 わたし達はショッピングモールで買い物を終え、帰路についていた。


 すでに大学は夏休みに入っている。わたしは毎日のように夜更かしして同居人と二人、ネットフリックスで海外ドラマを一気観するという、自堕落な日々を送っていた。午後まで寝ていることも多く、こういう生活が一生続けばいいのに、と半ば本気で思い始めている。まずい状況だった。このままだとニートコースまっしぐらだ。


 友達の一人が「あっ」と声を上げた。足を止め、窓から雑居ビルの中を覗き込んでいる。


「あれ、サヨリじゃん」


 同居人の名前が出てきて驚いた。今日は、男友達と遊ぶという話をしていたっけ。

 横に並んで覗き込んだ。


「えっ」


 喉ぼとけが上下した。

 黒髪ロングの女性と相席していた。端正な顔立ちで、いいところのお嬢様のような人だった。夏だというのに露出が少なく、ロングのスカートを履いている。

 サヨリは、ミルクレープを食べていた。豪快に頬張り、口の端を吊り上げている。心なしか、わたしと話すときより楽しそうだ。


「誰? うちの大学の人?」

「美人さんだね~」


 友達の声が、遠くに聞こえる。

 しばらく眺めていたら、肩を叩かれた。


「垂れてるよ」

「え」


 気付けばアイスが溶け、棒を伝い、わたしの指を濡らしていた。てらてらと光っている。慌てて舐めとり、一気にすべてを平らげた。いい喰いっぷりだね~、と感心される。


「璃子はあの美人さん、知ってる?」

「知らないなぁ。同居人だからって何でも知っていると思うなよ!」


 胸を張って言う。自信満々に言うことか、と突っ込まれた。


 しかし、いったい彼女は何者なのか。

 そして、なぜわたしは微妙に動揺しているのか?


 ふいに記憶が蘇った。

 サヨリが黒髪ロングの美少女といた、と知人が一週間前に話していたっけ。

 サヨリ本人に確認してみたら、「黒髪ロングの女? そんな友達いないぞ」と言われ、安堵したことを覚えている。

 だが、目の前で二人は笑い合っている。


 汗が頬を伝う。顎に到達する前に手の甲で拭った。日陰の方に足を進めながら、友達に聞かれない声量で呟く。


「……ま、本当のことを話す必要なんてないからね~」


 言葉というのは不思議だ。口にしただけで焦りが消え、わたしの足取りは軽やかになった。

 そもそも、うじうじと考えるのは自分らしくない。

 直接本人に訊けばいいんだから。


 ▼


 わたしの住んでいるアパートは、駅とバスターミナルから徒歩十分ほどの、スーパーの裏手にあった。塗装が剥げ、若干の汚れが目立つ以外、いたって平凡な建物である。


 階段を昇り、二階の角部屋の前で立ち止まる。鞄から鍵を取り出した。がしゃりと解錠して中に入る。スリッパに履き替えて短い廊下を進み、ドアを開けると、冷気が体を覆った。


 サヨリがソファに座り、ハーゲンダッツを食べていた。


「は?」


 自分の目が濁っていくのを自覚した。

 サヨリは「やべ」という顔を浮かべ、視線を泳がせた。


「は、早かったな」

「それ、わたしのじゃん!」


 前のめりになって言う。


「わたしの名前、蓋に書いてあったじゃん! 泥棒じゃん!」

「大袈裟な……。今度、買ってきて渡すよ」

「この間も同じこと言って買わなかったよね……」

「わ、悪かったって。ほんと、すまんと思ってる」


 珍しく狼狽していた。

 わたしはサヨリに近づき、膝を折ると、口を大きく開けた。

 エイリアンの捕食シーンを見るような顔を向けられる。


「あーん!」


 わたしは更に口を大きく開けた。

 サヨリはスプーンでハーゲンダッツを抉り取ると、こちらに近づけてきた。ぱくりと食べる。高級感のある甘さに、目が潤んだ。

 涙がこぼれる。


「泣くなよ」

「そのツッコミ、今日二度目だから」

「……そっか。楽しかったか?」

「うん」


 わたしはサヨリの隣に腰掛けた。肩を寄せ合う。というか、寄りかかる。柑橘系の香りが鼻孔をくすぐった。

 サヨリは、高校時代と比べて髪が伸びていた。毛先を遊ばせ、お洒落さが上がっている。ヤンキー美女、というより、イケメン美女と形容した方がよさそうな見た目だった。


「やっぱりサヨリはアイドルになるべき逸材だったね。勝手に履歴書を送っておけばよかったよ」


 思わず口にすると、サヨリは苦笑した。


「懐かしいな……。最初に言い始めたのはプールの時か」


 プールか。記憶が呼び起こされる。


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