第32話 暗雲

「ああくそ、なんでこんなことに……!」


 男は、悪態をつきながら酔っ払った頭を抱えつつ夜の街を歩いていた。

 その男は、勇者パーティに所属する斥候の男である。

 斥候であると同時に、勇者パーティを企画した貴族の息がかかっている立場でもある。

 そんな彼は、現在非常に追い詰められていた。


「全部、あの勇者のせいだ……!」


 原因は、勇者の暴走。

 突然なんの根回しもなく、Sランク冒険者の灼華をスカウトしたと思ったら、こっぴどく振られた。

 それだけならまだしも、どういうわけか灼華に執着し街に残ると言い出す始末。


「大方、ろくな育て方がされてこなかったせいで、恋慕を自覚できなかったんだろうが……最悪には変わりない」


 勇者というのは、歪な教育のせいで人間性が歪んだ怪物だ。

 もちろん、表面上は正義を謳っているおかげで、そうそうは問題を起こさない。

 だが、教育されてこなかったことに対して、おかしな挙動を見せることはありえない話しではない。

 とはいえ、それにしたってアレは異様なのだが。


「ここからどうする? 既に勇者が醜態をさらした以上、教会はこの勇者パーティの正当性を疑い解散させにかかるだろう」


 ただでさえ、もともと教会は乗り気ではなかったのだ。

 あの気弱なシスターはそこまで積極的に解散に動こうとは思わないだろうが……教会そのものは話しが別だ。

 そして、そうなった場合もっとも危険な立ち位置にいるのは……実は他でもない、男自身なのだ。


「もしもそうなった場合、貴族どもは俺に責任を全部押し付けて始末しようとするに決まっている……!」


 勇者とその側近は、少なくとも命だけは助かるだろう。

 もう二度と勇者として日の目を見ることはないだろうが、それでも処刑されるようなことはあるまい。

 せいぜい、どこかの島か山奥で軟禁生活を送るようになる程度。

 勇者の側近も、その世話役として一緒にそこへ送られるだろう。

 それはそれで、側近にしてみれば溜まったものではないだろうが。

 命があるだけマシというものだ。

 斥候の男の場合、その生命すら危うい状況なのだから。


「どうにかして、この状況をひっくり返さなければ……」


 そうやって頭を働かせるものの、全ては無意味に終わる。

 原因は、自棄酒で酔いが回ってろくに思考できない状態だからなのだが。

 ただたとえ酔っていなくとも、視野が極端に狭まっている今の彼に、冷静な判断ができるとも思えない。

 どちらにせよ、男は詰んでいた。


 ただ……


「……そもそも、どうしてこうなってしまったのだ?」


 不意に、男はそう思考を巡らせる。

 原因は、勇者の明らかにおかしい思考回路だ。

 いくら勇者が歪んだ教育のせいでおかしいところがあるとはいえ、あそこまで極端な思考をするものか?


「あの愚行を犯す前の勇者は……」


 振り返る。

 この街にやってくる以前の勇者ケイオは、寡黙な性格だった。

 側近が全てをこなしてしまうから、勇者は思考を停止していたのである。

 おそらく、そう躾けられていたのだろう。

 勇者が自己主張をする時は、探索中に戦闘で指示を出す時だけ。

 もともと、そういう部分は教育を受けているだけあって無難だ。

 経験が薄いので、無難なことしかできないという欠点はあるものの、勇者パーティの実力は確かなのでそれで問題はなかった。


 そんな勇者が、初めて明確に自己主張したのがミウミへのスカウトだ。

 そこから勇者は加速度的におかしくなっていった。

 最終的にあの無能な荷物持ちと思っていた男に倒され、今は部屋にこもったままでいる。

 今の勇者が何を考えているのかわからないのは不気味だが、それよりも。

 ふと、男は思い出したのだ。


「……そういえば、勇者が自発的な行動をみせたのは本当にアレが最初だったか?」


 ……と。

 酔いが回った思考では答えが出ない。

 だが、引っ掛かりはある。

 確か、その少し前。

 少し前に、勇者が自発的な行動を取ったことがあるような気がする。


 確か、ダンジョンの最奥で――


 ……これ以上は、酔いがジャマして答えは出そうにない。

 そもそも、アレは普通に考えればそこまでおかしな行動ではなかった気もする。

 自分が疑いすぎているだけだろうか。

 そう考えながら、壁に寄りかかって男が酔いを覚まそうとしているときである。


「……誰だ?」


 不意に、道の向こう側から人影が現れる。

 男がいる場所は、人気のない裏通りだ。

 もともと夜も更けていて、人は殆どいない時間帯だが。

 それでも、男がそうしているように誰かがこの通りを通る可能性はある。


 だが、そいつは異常だった。


「…………低ランクの冒険者?」


 チンピラ然とした、身なりの悪い冒険者。

 もちろん知らない男だ。

 そもそも貴族の子飼いであった斥候の男にとって、このような木端意識するのも度し難い存在である。

 だが、眼の前に現れて。

 明らかに異様な様子をみせていれば、話は違う。


「……せいだ」

「なんだ……?」

「…………あいつのせいだ」


 その顔は、明らかに正気を失っていた。


「あいつのせいだ! あいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだ! あの無能が! あの荷物持ちがああああああああああ!」


 何を言っているのか。

 斥候の男には理解できない内容を口走りながら、こちらに近寄ってくる。


「くそ、何が何だか解らないが……俺に触れるな、低能冒険者風情が……!」


 そう言って、斥候の男は身につけていたショートソードを引き抜く。

 この程度のチンピラ、一瞬で制圧できる。

 たとえ酔いが回っていても、だ。

 しかし。


「ああああああああああああああああああああ! あいつさえいなければあああああああああ!」


 そういって、突っ込んできた男の手が。

 それを弾くために振るわれた斥候の男のショートソードを破壊し。

 斥候の男の首を掴んだかと思うと。


「ごえ?」



 首の骨を、一息に負ってしまうなど。



 斥候の男には、最期まで理解できなかったのだ――

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