イジメ被害者。福島駿之介のお悩み(前編)

 小学校四年生の福島駿之介ふくしましゅんのすけはイジメに合っていた。

 最初は些細なイタズラだったが、そこから徐々にエスカレートし、無視や暴力が日常的になっていた。

「やめてよ!」

 駿之介は悲痛な声をあげるが、クラスメイトは一顧だにしない。

 今日は筆箱を隠され、恐る恐るイジメのリーダーの山吹拳也やまぶきけんやに尋ねたところ、

「うるせえ。黙ってろ」

 と殴られた。


 駿之介は必死に校舎内を探す。ようやく筆箱を体育館裏の側溝で見つけた時は、夕方になっていた。

(お母さんに怒られる。急いで帰らないと)

 彼は懸命に走り、家路を急いだ。

 何かに躓いたのか、道路で盛大に転んでしまった。膝がじいんと痛む。

「なんで、僕が、こんなことに……」

 駿之介の目から涙がぽろぽろと零れた。


 しばらく泣くと、誰かに肩を叩かれた。

「大丈夫?」

 彼が顔をあげると、綺麗なお姉さんが心配そうに見つめていた。

「うん」

「大丈夫? 立てる?」

 お姉さんが言った。長い黒髪がさらりと揺れた。

「うっ」

 駿之介は痛む膝を押さえた。両膝のズボンは破け、血が滲んできている。

「そこに私の店があるから、手当しましょう」

「えっ」

 彼がぽかんと見ていると、

「ああ。自己紹介がまだだったわ。私は羽織纏はおりまとい。不審者ではなく、ただの優しいお姉さんよ」

 纏は優しく微笑んだ。


「いらっしゃい」

 駿之介が纏と店に入ると、太った男が出迎えた。

(なんだろ、ここ。こっとう屋さん?)

 少年はきょろきょろと物珍しそうに店内を見た。古めかしい品物がずらりと並び、昔、母親と行った骨董屋に雰囲気が似ている。

 細川太ほそかわふとしと名乗った小太りの男性が、駿之介の膝を消毒して傷パッドを張った。

「どうぞ」

 纏は駿之介にお茶の入った湯呑茶碗を渡し、自身は紅茶カップを持つ。

「ここって、なんのお店ですか?」

 駿之介が聞くと、纏は優雅に紅茶を口に運んだ。

「お悩み相談室よ」

「相談室?」

「ええ。駿之介くんには悩みがあるんじゃない?」

「……」

 少年は顔を伏せ、沈黙した。

「イジメかしら?」

 纏の指摘に、駿之介は不意を突かれ、顔を上げた。

「図星のようね。話してくれないかしら?」

 促すと、少年はぽつぽつとイジメの内容を話し始める。


 *


「あの道具を渡しましたけど、大丈夫でしょうか?」

 遠ざかっていく少年の背中を見ながら、太が言った。

「うーん。どうかしらん。でも、使い方はあの子次第だわ」

 纏は不敵に笑う。


 *


 駿之介は母親と二人で2DKの公営住宅に住んでいる。

 自宅玄関のドアを開けると、母親の福島綾香ふくしまあやかは安堵した顔で息子を抱きしめる。

「事故や誘拐じゃなくてよかった」

「ごめんなさい。怪我をしてしまって、近くのお店の人に手当してもらっていたら、遅くなって……」

 駿之介はイジメにあっていることを告げていなかった。母親を心配させたくないからだ。

「高橋さんにも電話して、探してもらっていたのよ」

 高橋とは、綾香より五歳年上の恋人である。彼女が現在三十五歳なので、相手は四十歳だ。

「ごめんなさい」

 駿之介は高橋の事が好きではない。どのような職業なのかは知らないが、偉い人らしく、人を上から見下すようなところがあった。まるで、イジメっ子の山吹拳也のようだ。

「夕ご飯できているから、食べてね」

「うん」


 食事を終え、駿之介は自室の学習机の椅子に座った。

 謎の女性からもらった道具を机上に置き、眺める。

(不思議な形だ……)

 内部と外部の区別がつかない壺で、奇妙なオウム貝のような形をしていた。

(おねえさんは、これを『クラインの壺』って言っていたなあ)

 使い方は簡単だ。相手の髪の毛と自分の髪の毛を入れ、壺を揺らすと、人格が入れ替わることができるらしい。

「好きな人と入れ替わるのもよし。金持ちの人と入れ替わるのもよし。用途は自由よ」

 と羽織纏は言っていた。

 壺が割れると何が起きるかは教えてもらえなかったが、決して割らないように注意された。


 *


 翌朝。

 学校の昇降口からイジメは始まっていた。内履きの靴はベトベトなガムをつけられ、『死ね』というメモが添えられている。

 十分ほどかけて靴のガムを剥がしたのちに、暗澹たる気持ちで教室に行くと、机には赤文字で落書きがされていた。

 クラスメイトは見て見ぬふりをし、イジメのサブリーダーの仲嶺浩司なかみねこうじが忍び笑いをしていた。

 駿之介が椅子に座り、机を探ると、中から精巧な虫に似せたおもちゃが出てきた。

「うわっ」

 驚愕し、椅子もろとも倒れ、頭を打つ。彼の中で、なにかが壊れたような気がした。

「ぎゃはっは」

 山吹を中心とした男子生徒数名が嘲笑う。

 駿之介は無言で彼らに近づき、山吹に殴りかかる。取り巻きの男子生徒に抑えられ、拳は空振りに終わった。

「くっ。離せ」

 じたばたと闇雲に手足をばたつかせると、拳が何度か誰かの頬をヒットする。

「このやろう!」

 逆上した男子たちに代わる代わる殴る蹴るの暴行を受けた。痣が目立つ顔ではなく、腹部や足を中心に狙ってくるのがイジメ慣れしている。

「なに、やっているの! やめなさい!」

 担任の眉村瑞子まゆむらみずこが割り込んできて制止した。この女教師は典型的な隠ぺい体質で、イジメを目撃しても『じゃれ合い』と報告して済ませてしまう。

「こいつが、いきなり殴りかかってきたんだよ」

 山吹が言った。周りの取り巻き男子も「そうだ。そうだ」と相槌を打つ。

「そうなの? 他の子たちも見ていたでしょ?」

 眉村が尋ねた。近くにいた男子生徒は目を逸らして首を捻り、遠巻きに見ていた女子生徒は目を伏せた。

「ふざけるのはやめて、席について」

 教師は何事もなかったかのように授業を開始する。


 駿之介は午前中の授業が終わると、給食を食べずに早退した。

「お腹が痛くなった」

 と教師に告げ、一人で自宅に戻る。本来は保護者が迎えにくるルールなのだが、

「お母さんは親戚の葬式でいない」

 という言い訳を作った。

 自宅の学習机に座ると、ポケットからハンカチを取り出した。ハンカチの中には、髪の毛が六本入っている。

 さきほどの児童数名と揉み合いの際に、入手したものだ。

「どれが、山吹の髪の毛だ?」

 それぞれ色も長さも若干異なる。イジメグループの誰かの物であることは間違いなさそうだ。

 駿之介は自分の髪の毛を一本切り、ハンカチにある一本と共にクラインの壺に放り込んだ。

 壺を激しく揺すり、待つと、急にぐわんぐわんと世界が眩暈のように回り始めた。


 *


「おい! どうした!」

 意識を取り戻すと、山吹が顔を覗き込んでいた。

「え、あれ?」

 素っ頓狂な声をあげた。自宅にいたはずなのだが、何故か学校のトイレだ。

「どうしたんだ? 仲嶺、大丈夫か?」

 トイレの鏡を見て、

「あっ」

 駿之介は驚愕した。


 駿之介ではなく、イジメのサブリーダーの仲嶺浩司になっていた。

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