第8話 集まる人々
土曜日に里依紗は町を出ていった。
一日おいて月曜日。
私達は里依紗は今頃どうしているのだろうと思いながら、彼女がいない教室でいつものように授業を受けていた。
武藤先生は里依紗の欠席理由を知らないらしく、私と真理に聞いてきたけど知らないふりをした。
里依紗から、もしも自分のお母さんから行き先について聞かれたら答えないでくれと最後に頼まれていた。
もちろん学校にも。
ただ、お母さんからは月曜になった段階でも私達に何かを聞いてくるようなことはなかった。
そのことが私を複雑な気分にさせた。
お昼休みが終わり、午後の授業が始まった頃だった。
ほどよい風が吹き込んでくる、温かい日差しの眠たくなるような午後。
遠くから救急車のサイレンが風に乗って聞こえてくる。
十分ほどするとまた聞こえてきた。
また一台。今度はパトカーのサイレンまで聞こえる。
一時間もするとひっきりなしに聞こえてきた。
徒歩の方からは数カ所から黒煙が上がっている。
なんだろう?数カ所で火事なんて今まであっただろうか?嫌な予感がしてきた。
なにかただならないことが起きているような予感。
他の生徒も街の異変に気がついたのかざわついてきて窓際に集まる生徒まで出てくる。
「ほら!席に戻るんだ!もうすぐ授業も終わるから集中しなさい」
武藤先生が手を叩くと一人の生徒が「先生、誰か学校に入ってきてます」と、言って窓の外を指さす。
「えっ?」武藤先生が窓際に歩いて行くと次々と生徒たちが窓際に集まった。
私も窓の外を見る。
校庭の先にある正門の方から、ふらふらと歩いてくる人達が十数人いた。町の人だろうか?
隣のクラスも同じように、みんな窓から顔を出していた。
校庭で体育の授業をしていた生徒と先生が、外から入ってきた一団に気がつく。
先生がみんなを集めた時だった。
突然、歩いてきた人達がなにか叫びながら生徒達めがけてすごい勢いで走り出した。
「なになに?」
「なんだよ?」
みんな何が起こったのかわからない。
校庭にいた生徒たちは一斉に悲鳴を上げて逃げ始めた。
町の人は走ってきて、飛びかかるように生徒に襲いかかる。
逃げていた生徒も急に他の生徒に襲いかかる。
私は何が起きているのか理解できすに校庭で起きていることを見ていた。
「なにあれ!未来!」
私の横にいた真理が正門の方を指さした。町の人がさらに大勢で叫びながら走ってくるのが見えた。
「みんな!教室から絶対に出ないように!先生は一階に行ってくる!」
武藤先生が大きな声で言った。
「先生、行っちゃうの!」
「嫌だ!」
女子から悲痛な声が上がる。
「先生が戻ってくるまで教室にいるんだ!いいね!」
全員に念押しすると武藤先生は教室を飛び出していった。
私は校庭で起きている異常な事態から目が離せないでいた。
何人かの先生が校庭に飛び出すと、逃げる生徒を校舎に入れ始めた。
バットのようなものを手にしている先生もいる。
それで獣のように襲ってくる人を殴ってる。
生徒を誘導しながら奮戦している中に武藤先生の姿も見えた。
私達のいる第一校舎に隣接している第二校舎からも先生が出てきて生徒を助けている。
その光景を見ていて無意識のうちに体が震えていた。
震える私の腕を真理がぐっと掴む。
「やばいぞ!暴徒が大勢来た!」
私の横に来た修哉が言った。
暴徒。
もう町の人は暴徒としか言いようがなかった。
「先生達も早く教室に入らないとやられる」
恭平が真剣な顔で言う。
叫びながら迫り来る暴徒の群れから逃れるように先生達も校舎に入った。
「警察だよ!早く警察呼ぼうぜ!」
「ダメだ!電波がねえ!」
「繋がらないよ!」
後ろから悲痛な声が聞こえた。
顔を見合わせた私達はみんなでスマホを取り出す。
しかし全員が圏外だ。
「これじゃあ外と連絡が取れない」
恭平が画面を見つめながら言った。
教室のドアが勢いよく開くと武藤先生と他に、生活指導の篠田先生、学年主任の松井先生が息を切らしながら入ってきた。
「先生!」
「先生!なにあれ?」
みんなが口々に聞く。
「わからない……みんな窓から離れるんだ!早く!」
武藤先生に言われてみんな窓際から離れた。
「ぎゃああああーっ!」
窓の外を黒い影が悲鳴を上げながら落ちていった。
「誰か落ちた!」
「嘘!」
「マジかよ!誰か落ちたぞ!」
教室中が大騒ぎになる。
「おい!どけっ!」
篠田先生が生徒を押しのけて窓際に行こうとしたとき!
「ぎゃあああーっ!」
今度は男子が落ちていった。
私はその光景をハッキリと見てしまった。
「いやああー!」
「わあああー!」
教室中に悲鳴が響き渡る。
「先生!救急車!」
篠田先生が松井先生と武藤先生に叫んだ。
「無理だよ!電話がつながらないんだ!警察も救急車も呼べない!」
男子の一人が言うと松井先生が携帯電話を取り出してみる。
武藤先生もスマホを取り出した。
「ダメだ。何が起きてるんだ?」
武藤先生が呻く。
「そうだ。災害用のラジオが各教室にあるはずだ。どこにある?」
「ここにあります」
篠田先生の問いかけに生徒の一人が答えた。
教壇にラジオを置いて電源を入れてみる。
篠田先生が周波数を合わせていると緊急ニュースが飛び込んできたが酷いノイズで明確に聞き取れない。
「鹿島町内に緊急放送です。危険……町内の方々にお知らせします。発生した暴動は拡大を続けています」
「暴動?この町で暴動なんて起きてるのか?」松井先生が驚くように言うと篠田先生も武藤先生も顔を見合わせて険しい顔をした。
現在が容易ならざる事態であることが先生たちの表情から生徒全員に伝わった。
「外が静かでも鍵をかけて家から出ないようにしてください。 次の放送をお待ちください」
ノイズが酷くなって聞き取れなくなった。
「どうなってんだよ?」「家から出るなって、俺たちここから出られないのか?」
「早く警察呼んでよ!」「電話が繋がらねえんだから呼べねえよ!」
生徒が口々に不安を口にすると武藤先生が手を叩いた。
「みんな静かにしろ!まだ何か言ってる!」
篠田先生がラジオのボリュームを上げる。
「市内全域に緊急放送です。鹿島町で発生した暴動は拡大を続けており、外は大変危険な状態となっています。ドアや窓に鍵をかけて室内から出ないように」
「緊急放送が市内全域に広がった。外にいる暴徒がもっと大勢いて暴れまわっているのか」
私の近くにいた恭平が窓の方を見ながら口にした。その視線の先には街の中心部で空高く上がる黒煙がある。
「繰り返します。救助が来るまでは外出しないでください。駅の周辺、繁華街、人の大勢いるところは危険な状態です。 絶対に近付かないでください」
そのあとはノイズが酷くなりラジオからはなにも聞き取れなくなった。
「おい!見ろよ!」
窓の外を見ていた男子の一人が叫んだ。
みんな窓に殺到する。
私も真理も修哉も恭平も窓の外を見た。
校庭に殺到していた暴徒達が今度は校舎に入り込もうと殺到している。
まるで痛みなど感じないかのように玄関のドアに体当りを繰り返しながら。
「あのままじゃすぐに入ってくるぞ!」
「みんあ落ち着け!落ち着くんだ!」
武藤先生が手を叩いて叫んだ。
「といかくここは安全だ。むやみに騒ぐんじゃない!」
「でも先生!助けを呼べないんだよ!」
「私達どうなっちゃうの?」
女子生徒の一人が泣きながら言う。
「殺されるの?」
「ダメだ!もう死ぬ死ぬ!」
「いやだ!お母さん!」
「騒ぐんじゃない!みんな騒ぐな!」
先生達は必死にみんなをなだめた。
「そうだ!一階の廊下、玄関の側には防火シャッターがある。あれを閉めて横のくぐり戸をロックすれば外から上には入ってこれなくなるはずだ」
篠田先生の言葉が全員の恐慌を何とか食い止めた。
「シャッターは二カ所ある。行きましょう」
篠田先生と武藤先生が教室から出て行く。松井先生はここに残り、他の教室の先生たちと廊下で何か話している。
大丈夫だ。窓から見る限り暴徒は中に入ってきてない。上手いことシャッターを降ろせば私たちがいる教室は安全だ。
そのことを真理に話すと二度三度とうなずいた。
しかし校庭の暴徒の数はどんどん増えてきている。
しばらくすると篠田先生と武藤先生が戻ってきて、無事にシャッターを閉めれたことをみんなに報告した。
まだ安心はできないと思ったが、教室には「自分たちはコンクリートの建物の中にいて、暴徒は入ってこれない」という気持ちから徐々に弛緩した空気が漂っていた。
「うぎゃああー!」
教室に漂っていた緩みを引き裂くような叫び声に全員が驚く。
女生徒の一人が突然叫んだかと思うと、自分の顔に爪を立てて引っ掻いた。
痛みをこらえるような声を発しながら自分の顔の皮膚を剥ぐように引っ掻く。
目と鼻と口と耳から、血がだらだらと流れ出してくる異様な光景に全員が言葉を発することもなく、その場の全員が動けないでいた。
もう一度叫んで、頭を激しく振ると、女生徒はいきなり走り出して窓の外に身を投げ出した。
教室はそれを見た生徒たちの悲鳴のるつぼと化す。
「落ち着け!みんな落ち着くんだ!」
武藤先生が両手を広げて大きな声で叫んだ。
「修哉!」
私は思わず修哉の名前を叫んだ。
「なにが起きてるの?」
「未来、大丈夫だ!」
修哉がしっかりと私の肩を抱く。
恭平も真理の横に来て、私達四人は自然と固まった。
「なんだよあいつ!なんでいきなり自殺するんだ!」
「先生!救急車は!警察はいつ来るの!」
「大丈夫だ!警察にもさっき連絡はついた!救急車も呼んだ!」
「いいか!今は落ち着くんだ!ここにいれば安全なんだ!だから冷静になるんだ!」
先生たちが必死に生徒をなだめているときに恭平がスマホを見てつぶやいた「相変わらず圏外だ。大規模な電波障害でも起きてるのかな?」私も真理も修哉もスマホを見るが圏外なのに変わりはない。
ラジオの方もいろいろと周波数を変えてみたがザーッという音しか流れてこない。
「ラジオ局もやられちまったとか?」
「それはわからないけど、少なくともここでは外の情報を得る手段が無くなったってことだよ」
修哉と恭平の話を聞いていたが、これでは暴動が沈静に向かっているのか悪化しているのかわからない。
「当分の間はここにいるしかなさそうだね」
恭平の言葉を聞いて私の腕をつかむ真理の手に力がこもった。
二時間が経過した。いつからか外から聞こえていた救急車やパトカーのサイレンが聞こえてこなくなった。
暴徒にやられてしまったのだろうか?
さっき聞いたラジオでは暴動は拡大していると言っていた。
あれからさらに拡大しているのだろうか?
学校に集まった暴徒は相変わらず校庭に溢れているが校舎に入るのを諦めたのか棒立ちになっている。
「あれはなにをしてるんだろう?」
窓から下を見た恭平が首をかしげた。
「なんでここに留まってるんだ?まるで俺たちを狙ってるみたいじゃないか」
「どちらかというと僕らを逃がさないよう包囲しているように思えるよ」
「なんのために?」
「わからない……ただ思っただけだから。でも奴らが入ってこようとしないのは今の僕たちにとっては幸いだ。あの人数が入ってきたら万に一つも助からない」
「未来!聞いて!」
「どうしたの?」
真理が私に真剣な目を向けて話し始めた。
「最近 地震のあった日から、私、変な気配を感じるの。この学校で」
「ええっ?」
「家でも感じたわ。でも今まで感じた幽霊とかそういうのとは少し違って……でも、その何かは学校にいるの。私達と一緒に」
「そういえば私も同じようなことを最近感じてたの。誰かに見られているような、誰かがいるような」
「僕もだよ」
話を聞いていた恭平が言った。
「本当なの?」
驚いて私が聞く。
「おい!なんの話だよ?」
私は修哉に真理と話していた内容を伝えた。
「俺はなにも感じてない」
修哉が戸惑うように首を振る。
私は真理の言葉で「一週間前」を思い出していた。
一週間前に大きな地震があった。
それから今日まで私の周りにも、この町にも不可解で異様なことが起こっていた。
一週間前。 たしか空が血を流したように真っ赤に染まった恐ろしい感じのする夕焼けの日だった。
一週間前から今日までを思い出した。全ての異変が、今日この時の前触れだったというのか?そんなことが有り得るのだろうか?
どうにもこれまでのことを現在の恐ろしい状況に結び付けて考えられない。
頻繁に流れていたニュース。通り魔。狂暴化。
たしかにそういう事件はあった。あったがこんな大規模なものではなかったし、そんな兆候もなかった。
私が考えを巡らせているとガチガチガチっと歯を鳴らす音に加えて獣が唸るような不気味な声が教室の隅から聞こえてきた。
みんな一斉に声のした方を向くと、そこには一人の男子が体を痙攣させるようにしながら立っていた。
「ひいっ!!」「うわあっ!!」男子の周囲にいた生徒は恐るように声を上げると退く。
目は真っ赤に充血して、鼻腔と歯茎からはだらだらと真っ赤な血が流血している。
息は荒く、まるで犬のように小刻みな呼吸。
「おい!どうした!?」篠田先生が声をかけるといきなり男子が吠えた。
「うがああああーっ!!」「きゃああーっ!!」一番近い場所にいた女子生徒に襲いかかる。二人はそのまま机を蹴散らすように床に倒れ込んだ。
「ぎゃああ!!痛いー!!」男子に覆い被さられた女子生徒が手足をバタバタさせながら叫ぶ。
「噛み付いてるぞ!!」「先生!!」周りの生徒は怯えるだけで動けない。
篠田先生と武藤先生が二人がかりで男子を女子生徒から引き剥がそうとした。
「ぐうう!ぐうう!」唸りながら頬に噛み付いている男子を引き剥がす。
ぶちぶち……ぶちッ!!「ぎゃああああっ!!」引き剥がした拍子に、頬肉が噛みちぎられる音を聞いた。そして真っ赤な鮮血と言葉にならない悲鳴。
「ぎゃあ!!痛い!痛いー!!」頬を押さえて絶叫する女子生徒に松井先生が寄り添い叫んだ。
「誰か!なんでもいい!布はないか!?ハンカチでもティッシュでもいい!!」見ていても凄い量の出血だとわかる。噛まれた女子生徒の上半身は、血で真っ赤に染まっていた。
「痛い…痛いよお…」泣きながら痛みを訴える女子生徒を励ましながら、松井先生が頬に生徒から渡された何枚ものハンカチを強くあてる。
「なんだあの音?」修哉が言うと、私も隣の教室の音というか声に気がついた。教室のみんなも異様な音に気がつく。
「悲鳴だ」恭平が言った。隣からは机やイスの倒れる音、大勢の悲鳴や叫び声が聞こえてくる。
「なんだ?」「どうしたんだよ?」みんなが騒然とする中、武藤先生と篠田先生に取り押さえられた男子は、まだ獣のように暴れている。
顔から垂れる血が先生達の服を真っ赤にしている。
そのうち両隣から騒ぐ声が聞こえてきたかと思うと、生徒達が廊下に出た音が聞こえた。
廊下中が悲鳴で溢れる。「助けてー!!」助けを求める大勢の声が聞こえた時だった。
「うおおおおー!!」「ぎゃおおおー!!」ドン!!ドン!!ドン!!獣のような咆哮とともに教室のドアが強く叩かれる。
「なに?」「なんなの?」ドアを叩く音は絶え間なく続く。
「おまえたち!誰でもいいからドアを塞ぐんだ!!」篠田先生が叫ぶと、私の横にいた修哉が動いた。
それを見て恭平も手伝う。修哉と恭平がドアの前に机を移動させると、他の生徒も手伝うように机を移動させた。その間もドアを叩く音と叫び声が教室に響く。
窓の外からは襲われる悲鳴と、追いかける獣のような声。
そして別の方向から叫び声が聞こえた。
今度は別の女子が豹変した。
同じように血をだらだら流しながら。周囲の生徒から悲鳴が上がる。
「修哉!」「未来、真理、さがってろ!」修哉は私達二人の前に立ちはだかった。
血で真っ赤に染まった口を開けて叫ぶと、今まで側にいた友達に向かって走り出した。
豹変した女子が逃げる友達の髪を掴む。
「痛い!!離して!」痛がる友達を無視して後ろから首筋に噛み付いた。
夥しい血が噴き出し、噛まれた女子はバッタリと倒れると手足をピクピク痙攣させながらバッタリと動かなくなった。
「うわわああっ!!」「死んだ!!」「殺されたー!」周りで怯えていた生徒達が逃げ出した。
「篠田先生」武藤先生が叫ぶと、篠田先生は頷いて、今度は豹変した女子の方へ向かった。
取り押さえられていた男子生徒が力任せに武藤先生の腕を振りほどいた。
「きゃああー!!」「逃げろ!!」見ていた生徒達は半狂乱になり教室の中を逃げ回る。
「ああっ!見て!」真理が指をさした。「うそでしょう!?」私が口を押さえる。
豹変したのは二人だけじゃない。もう一人増えていた。
逃げる生徒の後ろから飛びかかって床に倒れ込む。
私と真理、修哉と恭平は教室の隅に身を寄せていた。頬を噛みちぎった男子生徒と私の目があった。
叫びながら突進してくる男子生徒の腹を修哉が思い切り蹴り飛ばした。
机を倒しながら吹っ飛び倒れる男子生徒。しかしすぐに起き上がると凶暴な声を上げながら修哉に飛びかかってきた。
「うわああっ!危ない修哉!」修哉に飛びかかろうとした男子生徒を、恭平が横からイスで殴りつけた。
短い悲鳴を上げて倒れる男子生徒。それを間近で見ていた他の生徒達は、手にイスを持つと倒れている男子生徒に一斉に殴りかかった。
立ち上がろうとする男子生徒の頭や顔にイスが振り下ろされる。同様に、他の生徒も豹変した二人に対して、イスや鋏、モップなどでめちゃくちゃに殴り始めた。さっきまで友達だった相手を。先生達が止めようとするがみんな言うことを聞かない。
まるで、なにかに取り憑かれたように殴り続ける。
血飛沫が上がるたびに悲鳴が上がる。私と真理は手を取り合いながら、その恐ろしい光景から目が離せなかった。
床に血だまりができる頃、ようやく豹変した生徒達は動かなくなった。
殴っていたみんなは相手が動かなくなったのを確認して手を止めた。
全員が目を見開いて肩で息をしている。
「殺しちまった……」「死んでるよね……」「俺らが殺した…?」みんな自分がしたことを実感するように、動かなくなった友達から離れた。
「仕方ない。仕方なかったんだ」誰かがうわ言のように言う。
「いやだああ!助けてぇ!」「もういやぁ!」何人かの女子が座り込んで泣き叫んだ。
「助けて……助けて」私の横で、真理もガクガク震えながら顔を伏せて繰り返す。
「真理。大丈夫。大丈夫だからしっかりしろ」 恭平が真理の腕を掴んで力強く穏やかに声をかけた。
「これよ……」私がボソッと言うと、修哉が私を見た。
「どうした?未来」
「これなんだよ……昔、この学校ができる前の病院で起きたことは」
「えっ」すぐそばで聞いていた真理が私に顔を向けた。
「私……あの死んだお婆さん、田島さんに聞いたの。病院とこの町の人が死んだ事件は、たくさんの人が突然狂いだして殺しあったからだって」
「なんだそれ?そんな事件、聞いたことないぞ?」恭平が首を傾げる。
「わからない!でも田島さんが言ってたの!あの人、ここにあった病院で働いていた人なの!」私が言うと、修哉が思い当たったような顔をした。
「やっぱり噂は本当だったんだな……」
「ええ。やっぱりこの学校の前は例の病院だったのよ」
「違う!」私の言葉を遮るように修哉が語気を強めた。
「みんなが死んだ原因だ!噂では新種のウイルスを開発したせいだって言われてた!そのウイルスが残ってて感染したんだ!だからみんなおかしくなってる」
修哉の言葉が教室の全員に響き渡った。
しかし私にはウイルスで人間があんなになるなんて信じられない。
「そうだ!ウイルスだ!」
「このままじゃあ感染する!」
「ここから出ないと!!」みんなが口々に叫び始めた。
「ちょと待ってくれ!」恭平が大きな声で言うと、みんな静まり返った。恭平は口に人差し指をあてるとクラスメイトの顔を見渡して言った。
「気がつかない?教室の外が静かだ」恭平がつぶやいた。
みんなが恭平を見てから辺りを見回す。
「ほんとうだ……さっきまでドアを叩いていた奴らがいないぞ」修哉がみんなに聞かせるように言った。
恐ろしい出来事で気がつかなかったが、いつからか廊下にいた恐ろしい暴徒に変わってしまった生徒達がドアを叩く音が聞こえなくなっていた。
それどころか気配すらない。
「どっかへいったのかな?」恭平が修哉の顔を見て言う。
「今なら逃げれるよ!」「そうだ!外に出よう!」「早くバリケードをどかしてよ!」みんなが言い出した時だった。
「ちょっと待て」武藤先生が大きな声でみんなを静める。
「外に行く?窓の外を見てみろ!校庭にうようよいるんだぞ!おかしくなった連中が!どうやって逃げるんだ?」その言葉で、みんなが一瞬抱いた希望が消し飛んだ。
「じゃあどうするんだよ!?」男子生徒の一人が先生に詰め寄る。
「先生!でもここから出ないと、俺達もウイルスに感染するんじゃないの?」
「そうだよ!早く出ないと感染する!」その言葉が引き金だった。
「嘘?私もああなっちゃうの?」
「あんな化け物みたいに?」
「みんなに殺される?」「いやだ!殺さないでよ!」
教室中に狂騒がウイルスのように伝染する。
取り乱した生徒を武藤先生と篠田先生が必死に落ち着かせようとしていた。
松井先生は頬をかじられた女子生徒を必死に介抱している。
修哉と恭平は取り乱しているみんなを落ち着かせようと、先生と一緒になって宥めにいった。
ついさっきまでの日常とは、一瞬にして変わってしまった目の前の光景。私は呆然とそれを眺めているだけだった。
「違う……」私に抱き抱えられた真理がボソッと言った。
「えっ」
「違うの。未来」
「何が?何が違うの?」
真理は周囲を見てから私にだけ聞こえるように話しだした。
「これはウイルスなんかじゃないよ……」
「どうして?どうしてわかるの?」
「ウイルスで窓から飛び降りたり、他人を食べたりする?」
「それは……私もそう思うけど」
「感じるの……もの凄い悪意みたいなものを……それがさっきからずっと私達に向かって発信されてる……そんなふうに感じるの」
真理はガタガタと震えながら言った。
「それって、ここで死んだ人の幽霊みたいなの?」
「それがわからないの……とにかく、私達の周りには、その悪意の念みたいなものが渦巻いていて、それがみんなをどんどんおかしくしてる。学校だけじゃなくて外にも影響してる」
「だから近所の人も?」私が聞くと真理は頷いた。
外にも影響していると聞いて、私は自分の家を、お母さんやお父さんを思い浮かべた。
学校からは離れているけど、お母さんとお父さんは無事だろうか?
「でも、どうしてそうなるのかわからないの。誰がやってるのか……」
家族を心配している私の耳に、真理の言葉が続けて入ってきた。
「さっき話していた、私達を見ていたやつ?この学校にいると感じていた「なにか」じゃないの?」
「多分、そう。でもあまりにも感じが違いすぎて…… ほんとうにそうなのかわからないくらい……」真理が顔をしかめて言った。
「でもちょっと待って」「なに?」
「今回のことはウイルスじゃないとしても、昔のことは?あのお婆さんが話したことは、今回のことと同じだと思うの……いきなり患者が凶暴になって、どんどん感染するみたいに広がったって」
そのときも何者かの「悪意」が大勢の人を狂わせたのだろうか?
「それは私にもわからないけど……」真理は申し訳ないという表情をして首を振った。
「よし!職員室に場所を変えよう!みんな移動するんだ!」武藤先生がみんなに向かって言った。
「ここでは電波が不安定みたいだが、職員室なら固定電話もあるし、テレビもある!通信手段もあれば外からの情報も手に入る。これで助けも呼べるぞ!」松井先生も武藤先生に続いて言った。
先生たちの言うとおりだと思った。
「よし!みんなドアの前の机やイスをどかすんだ!静かに急いで」修哉がみんなに指示すると教室にいた男子が全員動き始めた。
助かる道筋が見えたせいか教室のみんなの表情には明るさが見える。
「真理。大丈夫!これで助かるよ」私は励ますように真理の肩を強く抱いて言った。
「うん」真理も口を力強く結んで頷く。
「ちょっと待ってくれ!武藤先生!職員室に行くまでにまた大量の連中に出くわすかもしれない。ここにいたほうが安全じゃないですか?」
「いや、ここにいても外部からの情報が思うように取れない。職員室へ行くのがベストです!それに考えもありますから」
篠田先生と武藤先生の会話が聞こえた。「考え」って?私達が助かる方法でもあるんだろうか?でも、この状態ではとても学校の外へは逃げれそうもない。
「もうすぐバリケードが全部除かれる……ここから職員室まで移動するぞ」修哉が私の横に来て言った。
「その間に奴らと遭遇しなければいいけどね」恭平も額の汗を拭いながら言う。
「この際だ。なんでもいいから武器になりそうなものを持ってたほうがいい……鉛筆でもなんでも」修哉が私と真理に言う。
それにしても静かだ。他の教室や他の階はどうしたんだろう?
バリケードをどかすと、まず武藤先生がそっとドアを開けて静かになった外の様子を見る。そして私達の方を振り向いた。
「誰もいない。大丈夫だ」それを聞いてみんなが教室の外へ出る。
非常口への誘導灯しか点いていない薄暗い廊下に、みんな息を殺して移動した。
遠くから唸り声や叫び声が響いてくる。多分、暴徒化したクラスメイト達は違う階にいるのだろう。
「よし。声を立てずに職員室まで行くぞ」武藤先生が声を殺して言った。
「ぎゃああああ!!!」突然、集団の真ん中から叫び声が上がった。
「噛み付いてる!!」
見ると、頬をかじられた女子生徒を抱えていた松井先生の首筋に、抱えられてぐったりしていた女子生徒が恐ろしい形相で噛み付いていた。
肉を噛みちぎる音と一緒に女子生徒が松井先生の首を食いちぎった。
血飛沫が噴水のように天井に向かって飛び、周りにいた生徒の顔は血塗れになった。
廊下に出た私達はパニックになって騒ぎ始めた。
「静かにしろ!!静かに!!」武藤先生と篠田先生が必死に押し殺した声で私達に言う。
周りの数名が凶暴化した女子生徒を押さえつけたとき、窓ガラスが振動する程の地響きのような音が聞こえてきた。
「来た!!」「こっちに来る!!」
上の階から大勢が獣のような咆哮をあげて走ってくるのがわかる。
「くそ!!行くぞ!!」
武藤先生が手を振ってみんなを促す。
私は真理と並んで、修哉と恭平の後ろから足早に歩き出した時だった。
「うおおおお―――!」
私と真理の後ろにいた男子生徒が、急に叫びだし私に襲いかかってきた。
「きゃあっ!」
掴みかかられて一緒に倒れこむ。
私と真理は離れてしまった。
吠えながら私を襲う顔を間近で見た。
鼻や耳、口から血を流し、目は充血して血走っている。
「ひいいい!」
恐怖に悲鳴を上げたとき、馬乗りになって私に噛み付こうとしていた男子生徒の顔が蹴り飛ばされた。
そのまま私の体から離れると今度はすぐそばにいた他の生徒に襲い掛かった。
「大丈夫か」
「修哉!」
修哉に抱き起こされると腕を引っ張られた。
「行くぞ!」
「待って!」
真理がこっちに来ようとした時に、後ろから逃げ出してきたクラスメイトがどっと押し寄せた。
他にも何人かが凶暴になってみんなが興奮している。
「未来!」
「真理!」
人波に阻まれながらも、必死に手を伸ばす真理。
「もう無理だ!こっちも来るぞ!」
私は修哉に引っ張られて、よけいに真理と離れた。
「待ってよ!真理が!」
「上からも来てるんだよ!」
修哉に言われて、階段の上の方から叫び声と足音が響いいてくるのが聞こえた。
「真理ー!」
名前を叫んだが、真理の姿はクラスメイトに紛れて見えなくなってしまった。
私は修哉に引かれるままに走った。
階段に差し掛かったところで、上から降りてきた狂った生徒達に出くわした。
「急げ!立ち止まるな!」
武藤先生に言われてみんな階段を駆け下りる。
叫びながら追ってきた生徒が次々と階段を飛び降りて襲ってくる。
勢い余って壁に激突しようがおかまいなしに飛びかかる。
私のすぐ横でも、逃げる生徒に後ろから飛びかかってきた。
悲鳴とともに倒れこむクラスメイト。
助けを求める声を振り切って走った。
「頑張れ!あと少しだ!」
武藤先生が私達に声をかける。
息も絶え絶えにようやく職員室にたどり着いた。
「ちくしょう!開かない!」
武藤先生がドアノブをガチャガチャ回すがドアは開かない。
「鍵がかかってるの?」
「先生!」
ついてきたみんなが悲壮な声を出す。
「くっそ!普段は開いてるのに!」
武藤先生がドアを強く叩いた。
「開けて!」
「お願い開けて!」
「助けて!」
みんなが叫ぶと同時に、どこからか唸り声と走ってくる音が聞こえてくる。
「開けろ!開けてくれ!」
「開けろよ!」
武藤先生と修哉も叫ぶ。
「お願い!助けて!」
私も泣きそうになって叫んだ。
そっとドアが開いて顔をのぞかせた男子生徒が私達をギョロッと見る。
「早く入れ!」
短く言うと、ドアを勢いよく開けた。
私達は雪崩込むように部屋に入った。
駆け込むと、後ろでドアが閉まる音がした。
部屋の中は真っ暗だ。
「みんな声を出すな!!静かに!!」
暗がりから男性の声がした。
みんなが声も出さずにいると、廊下の方から暴徒化した生徒が叫びながら走ってくる音が聞こえた。
みんな耳をふさぐ。
息を殺して身をかがめていると、足音はそのまま職員室の前を通過していった。
やがて静かになる。
ホッとしたように全員から安堵のため息が漏れた。
あの教室からここまでたどり着いたのは結局、私を含めて五人だった。
「おまえら何年?」
職員室の隅の方から声が聞こえる。
「君たちは誰だ?」
武藤先生の問いかけた。
「私達は三年生。先生?私らの学年担当じゃないよね?」
武藤先生の問いに答えた三年の女子が聞き返した。
暗がりで目が慣れてくるとここにいた人の顔も見えてくる。
男が三人、女が二人。
「他の先生は?どこに行ったんだ?」
武藤先生が尋ねる。
職員室には私たちの他に人影は見えない。
「さあ?俺たちが来た時は誰もいなかったよ。そこの床見れば想像はできるだろ?」
言われて床を見るといたるところに夥しい血だまりが出来ていた。
「そうだな。君達はどうやってここへ?」
三年生がいる第二校舎と私達がいる第一校舎はつながっていない。
「校庭を、校庭を突っ切ってきた」
「あの校庭を?」
武藤先生が驚いた。
「校庭に出たときは十五人いたんだ。俺達以外は逃げてる途中で暴徒になったか、やられちまったよ」
「私たちは用務員さんがこっちの校舎に入れてくれたの。でも用務員さんもおかしくなって自殺しちゃって」
「用務員室は一階ですぐ外には暴徒がうようよいる。だから二階まで逃げてきたんだ」
三年生が口々に説明する。
「向こうの、第二校舎ではなにがあったんだ?」
「わからない。いきなり自殺したり……コンパスで自分を突き刺したんだ!」
「自分で叫びながら何度も何度も突き刺したのよ!」
横にいた三年女子が震えながら言う。
「そうしたら今度は、一人が発狂したみたいになって近くの人を襲い始めた。あとはまるでウイルスが感染するみたいにどんどんおかしくなって」
三年男子は一旦、言葉を切ってから一言。
「血の池地獄だよ」
全員押し黙った。
「私、戻る」
その一言で、全員が私を見る。
「なに言ってるんだ?未来」
修哉が眉根をよせて言った。
「真理を助けなきゃ」
そう言ってから周りを見た。
「恭平だっていないじゃない!早く助けに戻らないと!」
「馬鹿ッ!あそこに助けになんて行けるかよ!殺されるぞ!」
修哉が私の肩を掴んで言う。
「修哉は気にならないの?真理や恭平があいつらに殺されちゃう!生きたまま噛みちぎられたりするんだよ!」
「気になるとかそういう問題じゃないだろう!俺だってあいつらは心配だけどもう無理だ!」
「なにが無理なのよ!」
私が言い返した時だった。
「頼むから興奮しないでくれ!静かにしてくれ!」
泣きそうな声で三年生の男子が言う。
「そうよ!奴らに聞こえたら押しかけてくる」
声を押し殺して女子も言う。
「私は一人でも助けに行くから!」
「待てって!!」
ドアに向かおうとする私の腕を修哉が掴んだ。
「離してッ!」
腕を振りほどこうとした。
「待て!落ち着くんだ!」
武藤先生が私の前に回り込んで言う。
「ここに来た目的を思い出すんだ!外に連絡を取るためだろう?」
「そうだよ!スマホは電波が繋がらないけど、ここなら固定電話があるから繋がるって!」
私たちと一緒に逃げてきた男子生徒が言う。
「じゃあ、真理や恭平や、他のみんなを見殺しにしろって言うの?」
私の問いかけには誰も顔を伏せて答えない。
「あの状況じゃどうしようもない。でも今また、未来をあんなところへは行かせられない。わかってくれよ」
修哉に言われて私は膝を折って泣いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます