第28話 プロの世界

 八月に入ると途端に夏の色が強くなる。

 俺と柏崎は、ジリジリと肌を焼かれながら劇場に入る。

 劇場内では、音響・照明スタッフやマネージャーが慌ただしく行き来している。

 俺にとっては見慣れた光景だが、柏崎は借りてきた猫のように小さくなっている。

 今日は、ハウステンボス・ロアという劇団の公演会だ。

 ハウステンボス・ロアは、今流行りのモンキーカンパニーから派生した兄弟劇団という関係。

 チケットの競争率が高く、即完売は当たり前。

 それに比例して、有名で実力のある俳優が多く演目と合わせて人気の高い劇団となっている。

 柏崎との顔合わせは、すでに終わらせている。

 今日限りの関係だが、他のメイクさんは歓迎ムードだったので安心した。

 舞台監督に軽く挨拶を済ませ、控え室入りをする。

 柏崎は『はぁ〜』と、張り詰めていた空気を弛緩させる。

「開場前ってあんな感じなんだな」

「まぁ、今日は初日ってこともあって、いつもよりバタバタしてるけどね」

「へぇ〜」

 カチャカチャと意味もなくメイク道具を弄っている。

 流石に落ち着かないみたいだ。

「メイクの練習はバッチリ?」

「当たり前だっつーの、あんだけ練習すりゃ慣れる」

 アルバイトの提案をもちかけたのは一週間前。

 柏崎は今日に至るまで、俺を相手に毎日練習していた。

 お手本や実際の写真を見ながら、あーでもないこーでもないと。

 やはり、オシャレと演劇では勝手が異なるみたいだ。

「改めてありがとうな。柏崎が引き受けてくれたおかげで助かったよ」

「別に〜?あたしもお金欲しかったし」

 そっぽを向いて興味なさげに答える。

 柏崎は、お礼を言われたり褒められたりすると、こういう態度をとる。

 最近分かってきたのだが、どうやら照れているだけらしい。

 開演まで一時間を切ったので、メイクをしてもらうことにした。

 簡単なものなら三十分前でも問題ないが、練習したとはいえ初心者だ。

 早めに初めておくな越したことはない。

 俺は前髪を上げ目をつぶる。

「じゃ、じゃあ……始めるぞ」

「お願い」

「…………」

 ―――――ん?

 合図をした割に、一向に始まる気配がない。

 うっすらと目を開けると、メイク道具を前に固まっていた。

 微かに手が震えているように見える。

「緊張してる?柏崎」

「っ!ば、ばーか!緊張なんて…………――ごめん、少ししてるかも」

 いつもの雰囲気を保てるほどの余裕は無いみたいだ。

「練習通りにやれば平気だよ」

「簡単に言うなよな……。もし、あたしが失敗したら、お前たちの舞台が台無しになるかもしれないんだぞ?」

「それは困っちゃうな」

「や、やっぱり……今から、プロのメイクさんにやってもらおうぜ?」

 こんなに弱気になるとは思っていなかった。

 腹を括ったら『とことんやってやる!』みたいになると思っていたのに……。

『美の魔術師』なんて呼ばれてるが、所詮は学生基準で凄いことが出来てるだけ。

 プロの世界に片足突っ込めば、少しメイクが上手なだけの女の子に成り下がる。

「……翔さんや悠亜さんも同じ気持ちだったろうな」

「おい。なんで、今姉貴たちの話をすんだよ」

「いや、兄弟の話を聞いた後にさ、今の柏崎を見ていたらそう思ったから」

 柏崎は、緊張と恐怖で震える手を静かに見つめる。

「姉貴たちは才能があるから……。今のあたしみたいにビビったりはしねーよ」

「どうだろうな〜。才能なんて数ある武器の一つだと思うけどな」

「お前にゃわかんねーよ。こんなすげー劇団に声かけられるなんて、お前も持ってる側なんだろ?」

 縋るように俺を見る。

 否定しろと言っているかのようだ。

 だが、残念。

「まぁ、客観的に見て持ってるな」

「……だろーな、こんなとこまで来てごめんだけど……やっぱ出来そうにない」

 メイクケースをパタリと閉じる。

 ここで、逃げ出してしまったら柏崎の抱えている問題は解決しない……か。

 ここは、焚き付けるよりも――

「初めはみんな、今の柏崎と同じだよ」

「……え?」

「柏崎は今、プロの世界に片足を突っ込んでるんだ。恐怖や緊張を感じて当たり前だろ」

「それは……――っ!」

 気づいたらしい。

「もしかして……姉貴たちもこんな風になってたのかな」

「絶対になってるはずだよ。自分自身が通用するか分からない世界に来たんだ」

「そっか……そうなんだ」

 なぜか、ほんの少し嬉しそうだ。

 もう一押ししてあげれば、前を向いてくれそうだ。

「お兄さんたちって、高校卒業時にプロ入りしてたんだろ?」

「うん、してた」

「なら、今の柏崎は当時の兄弟と並んでるわけだな。卒業時にプロ入りなら、今の時期から半歩プロの世界を経験しないとダメだろうし」

 正直、スポーツのプロ入りの条件とか知らない。

「あたしは姉貴たちと並べてる……嬉しいけど……う〜ん」

 顔を綻ばせたと思えば首を捻る。

「それは、分かったけど……なんで、並べてるんだ?才能なんてないのに」

 メイクの才能以外に何があるというのだろうか。

 まさか、無自覚の才能だったのか?

「俺は知ってるよ」

「え?教えてよ、なんで?」

「公演会が無事に成功したらな。だから、早くしてくれ。開演しちゃう」

 気づけば三十分も経っていた。

「ご、ごめん。今から始める」

 慌てて準備をし、ようやくメイクに取り掛かることが出来た。

 メイクをしている途中で――

「ねぇ、その……ありがとう」

「ん」

 自信を持てたようで良かった。




「どう?」

「すごい、完璧だ」

 控え室の姿見の前で俺は驚いていた。

 本当に初めてかを疑う完成度。

「やっぱり、柏崎に頼んで正解だった」

「ま、まぁ!あたしにかかればこんなもんだし!」

 さっきまで震えていたのが嘘みたいだ。

 開演まで、十分前。

 ミーティングがあるので俳優陣は舞台に集合となっている。

「じゃあ、行ってきます」

「おう、頑張ってな」

 そう言って控え室を後にした。

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