君がそう言うなら、悪くない

三浦彩緒(あお)

君がそう言うなら、悪くない

          ◇◇◇


 ――雨は、嫌い。

 髪は乱れるし、水溜りの水が跳ねたり、車が通りがかる時に、水しぶきが上がるし。

 見ているだけで、めまいが酷くなりそうな気がするから。

 だから、梅雨のこの時期は、毎日が憂鬱。

 でも、今日から少しの間、学校へは行かなくても済む事になった。

 なんて、ママに言ったら、怒られるだろうけれど。

 『起立性調整障害』――

 私が入院する事になった、病気の名前。

 元々、朝起きる事が苦手だった。別に、夜更かししてる訳じゃないのに。でも、中学二年の途中くらいから、夜は眠れなくなるし、そのせいか、めまいや頭痛が酷くなってきた。成績は良かったけれど、授業にも集中できなくなってきて、段々と成績も落ちてきた。

 初めて、そこで身体の異変について、先生や両親に話した。病院に行く事になって、受診したら、入院が決まった。

 入院なんて初めてだし、少しだけ心細いけれど、特に仲が良い友達が居る訳じゃないから、学校に行けなくなった事は、寂しくはなかった。

 只、ちゃんと治るかな。

 治って、高校受験も、無事に迎えられるかな。

 将来こうなりたいとか、何がしたいとか、今はまだ、無い。

 それならば、パパやママの言うように、通信制でも、何でも良いけれど。


         ◆◆◆

 

 ――雨は、好きだ。

 今年も、雨の多い、梅雨の時期がやってきた。

 雨の日が嫌いな人が多いだろう。

 だからこそ、僕のこの鬱々した気持ちだけでも、当たり前のように、人並みになれている気がするから。

 『骨肉腫』――

 僕の、病気の名前。

 急激に背が伸びた事による成長痛だろう、なんて、軽く考えていた。病院を受診し、検査結果の末に判明。幸い、治療は成功したけれど。今回は定期検診で、軽い肺炎に罹っていた。その治療の為の、入院。

 昔よりも医療は発達し、予後は比較的良いと言われていても、いつ再発するかも、分からない。

 そんな不安を日々抱えながら、高校受験とか、考えなくちゃいけないなんて、不条理だって思っている。


         ◇◇◇


 入院の手続きが終わって、ママは帰った。

 疲れちゃったし、少し休もうと思ったけれど、個室に一人で居ても、何をして良いか分からなくて落ち着かなかった。窓から外を眺めてみても、建物しか見えなくて、散歩がてら、デイルームに来てみた。

 大きな窓。雨だけど、明るく感じる場所。

 景色を見ようと外を眺めてみると、病室から見る景色よりも、こっちの方が断然良い。

 でも、雨が降っている事に変わりはない。

 明日からから始まる検査の事も相まって、より一層、気が滅入る。

「あ〜、ああ〜……」

 自分でも驚く程の大きな溜め息が出ると、すぐ近くで、噴き出したような笑い声が聞こえた。


         ◆◆◆


 部屋に案内されてから、母は帰宅した。

 入院には慣れたけれど、慣れてしまった自分に、気が滅入る。

 今日から点滴が始まるらしいけれど、看護師が言っていた時間迄、まだ一時間近くある。喉も渇いたし、飲み物でも買いに行こうと、デイルームに向かった。

 大きな窓の前に、長い髪の女の子が居た。

 病衣を着ているから、入院患者なのだろう。

 同じくらいの年齢か?

 一見、普通そうに見えるけれど。

 窓越しの景色を、上に見たり下に見たり、目線がコロコロ変わる彼女は、突然、大きな溜め息をついた。

 余りにもの、包み隠す事もない大きな溜め息に、思わず噴き出してしまった。

 一瞬。

 不謹慎かと思い後悔したが、そうは思わなかったようで、彼女の顔は、只々恥ずかしそうに、赤くなるだけだった。


         ◇◇◇


 恥ずかしかった。

 誰も居なかった筈なのに、笑われてしまった。

 自分でも、顔が赤くなっていくのが分かった。

 だって、少しだけ色白だけれど、背が高くて、いかにもモテそうな男の子だったから。

「噴き出して、ごめん。余りにも、正直だったから、つい――」

 そう言って、自動販売機でジュースを買って、私に、「飲む?」と差し出してくれた。

 デイルームのテーブル席に座り、話し始めた。

 彼は、同い年だった。

 隣街の、中学校。

 私が幼いだけなのか、同い年のはずなのに、彼はどこか大人びている、そんな雰囲気だった。

  

         ◆◆◆


 余りにも真っ赤になっている彼女を見て、笑ってしまった事を申し訳なく思い、自動販売機で飲み物を買って、勧めた。

 すると、「あ、ありがとう…」と言って、彼女は受け取った。

 歳が近そうだから、少し話してみたくて、テーブル席に誘った。

 同い年で、隣街の中学校に通っているそうだ。

 はたから見ると、同い年には見えない落ち着いた感じと、話し掛けにくそうな雰囲気の彼女だったが、さっきの溜め息と良い、話してみると、年齢相応だったので、良い意味で安心した。

 これが、『ギャップ』というものなのか。

 それに、同年代と自然に話せるのは、久し振りかもしれない。


         ◇◇◇


 かいくんは、とても話し上手で、口下手な私には、羨ましく思えた。きっと、友達も多いのだろうな、と、思った。

 点滴があるから、部屋に戻ると言うので、私も、自分の病室へ戻る事にした。

 すると、同じ個室の並びの、一つ隣の病室だった。

「遊びに来ても良いよ。勉強とかあるなら、一緒にやろうよ。一応、僕達、受験生だしね」と、言ってくれた。私は、「うん、ありがとう」と、答えた。

 櫂くんは、将来、やりたい事とか、あるのかな?

 目指してる高校とか、あるのかな?

 きっと、大人びた櫂くんは、ちゃんと、先の事考えていそうだな。

 聞いてみたいな。

 でも、私は――

 そう考えてしまうと、櫂くんの病室へは、気軽に行っちゃいけないような、気がした。


         ◆◆◆


 茉吏まつりちゃんが、楽しそうに話しを聞いてくれるから、調子に乗って話し過ぎたかな。

 疲れさせてしまっただろうか。

 挙げ句の果てに、病室に戻る時には、遊びに来ていいなんて、言ってしまったけれど。

 距離感が、バグってしまったのかもしれない。

 でも、聞いてみたい。

 茉吏ちゃんは、受験したい高校とかは、決まっているのだろうか?

 将来の目標とか、あるのだろうか?

 やっぱり、成績が良くて、進学校とかに行くのかな?

 話してみたいな――

 でも、僕は?

 僕に、この後の続きは、あるのだろうか。


         ◇◇◇


 二日目の午後。

 やっぱり、櫂くんに、色んな話しを聞いてみたいと思った。

 そして、話しをしてみたいと思った。

 病室のドアを開けて廊下に出ると、櫂くんも、ちょうど病室から出て来た。

「あ、」

 お互い、同じ事を言ったから、思わず笑ってしまった。

「今から、空いてる…?良かったら、櫂くんの部屋に、遊びに行こうと思っていたんだけど…」

 私なりの勇気を出して、言った。

「勿論、良いよ」

 櫂くんは、快く、応じてくれた。

 櫂くんと、自分の分の飲み物を持って、病室に向かった。


         ◆◆◆


 軽い肺炎だからなのか、微熱程度で済んでいる。先生の言う通り、抗生剤の点滴で、すぐに良くなる気がする。

 茉吏ちゃんは、どうして入院しているのかも知らないし、僕も聞かずに居た。

 茉吏ちゃんが同じように、聞かないで居てくれる事が、何故か嬉しかった。

 デイルームとかに、居るのかな?

 それとも、検査や治療で部屋に居るのだろうか?

 まあ、いいや。気分転換がてら、病室から出て見ようと、ドアを開けて出た瞬間、茉吏ちゃんが出てきた。

 同時に声をあげたから笑ってしまったけれど、遊びに来ようとしてくれて居た。

 勇気を出して、聞きたかった事、聞いてみようかな――


         ◇◇◇


 沢山、話せて良かった。

 お互い、病気については、聞かないけれど――

 大人びている櫂くんも、実は話して見ると、同じような不安を抱えていて、安易だけれど、とても身近に感じた。

 

 それからは、退院迄、毎日時間が合えば、一緒に勉強をして、話しをした。

 入院している事を、忘れそうになるくらい。

 櫂くんのおかげで、検査も治療も、頑張れた。

 初めて友達と呼べる、そんな存在に、まさか入院した事で出会うなんて、思っても居なかった。


         ◆◆◆


 病気の事は抜きにして、茉吏ちゃんも、これからの不安を抱えて居た。

 明日の事。

 来月、来年、再来年。

 成人する迄の数年、それから先の事――

 少しだけでも、考えて良いのかもしれない。

 いや、悩んでいる時点で、もう、考えているって事なんだ。

 

 こんな場所で、友達と呼べる相手に会えた。

 入院も、案外、悪くないのかもしれない。


         ◇◆◇◆◇


 退院の日――

 デイルームの大きな窓から、一緒に外を眺めていると、久々に晴れ間が見えた。

 そこには大きく、はっきりとした、色の鮮やかな、虹が架かった。

「あ、見て!綺麗な虹!」

「本当だね、綺麗な虹」

「――私ね、雨、嫌いだった」

「――僕は、雨、好きだよ」

「うん、そんな気がしてた」

 茉吏ちゃんは、微笑んだ。

 

 そう――

 雨は好きだ。

 でも、好きな理由は、変わった。

 鬱々とした気分を、他の誰かと同じにして、安心する事じゃない。

 鬱々とした気分も、悩みも、いつか、この虹みたいになる。

 雨はきっと、そんな前触れだから。


 

 雨は嫌い。

 でも、今は、雨は嫌いだった――

 水溜りの水が跳ねたって、構わない。

 誰かと見る雨上がりが、こんなに綺麗だった事を知ったから。

 悩んで、葛藤したって、構わない。

 雨は、いつか光が見える、前触れだから。



 君がそう言うなら、悪くない――

 

 

  

 

 

 


 

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君がそう言うなら、悪くない 三浦彩緒(あお) @sotocamp2022

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