窓を開けた日に限って

やさを

窓を開けた日に限って

さあ出かけよう、という寸前。ふと思い立った。

僕は履きかけてた靴を脱いで放ると、

部屋に戻って、窓を開けた。


「たまには換気してあげよう」


窓を開けたまま出かけるなんて、このご時世不用心と言われそうだ。でも僕には問題ないという確信があった。なぜならここは7階だ。


突然の雨か矢文でも飛んでこない限り大丈夫だ。


僕は改めて部屋をあとにする。


ヒュン


「なんだ?」


振り返ると僕は目を疑った。

窓から何物か飛来してきたオブジェクトが。

僕はそいつを拾い上げる。


「矢文だ」


矢文だった。


矢に白い手紙のようなものがしっかり結んであった。そして示し合わせたかのようにスマホの電話が鳴った。非通知だ。


僕は普段、非通知からの電話には出ないようにしているが、そのときはなぜだか出なくてはいけない気がした。


「もしもし」


「こんにちは」


日本語の挨拶入門みたいなやり取りからはじまった。記憶にない女の声だった。


「あなたは誰?」


「誰だと思う?」


「質問しているのは僕だけど」


「じゃあ誰だったらあなたは嬉しいのかしら」


「新垣結衣」


女は黙った。

僕は通話をスピーカーにして、矢文から手紙を丁寧に剥がすことにした。ギターのピックガードの保護フィルムは剥がすみたいに。


「今何をしているの?」


「ギターのピックガードの保護フィルムを剥がしてる」


「嘘よ」


「どうしてわかる」


「わかるのよ。あなたは矢文を矢から丁寧に剥がしている」


たった今、世界で矢文を丁寧に剥がしているのは僕くらいだろう。

そしてこの事実を知っているのは矢文の貰い主と送り主しかいない。


「なんのつもりなんだ」


「不用心に窓なんか開けるからよ」


一瞬そうかと思いかけたが、

玄関が開いてたからと言って泥棒が許されるわけじゃない。


「矢なんか投げたら危ないじゃないか」


「私は手紙を渡したかっただけ」


「手紙なら郵便ポストに投函しなよ」


「そこ、郵便窓口かと思って」


スピーカーが女の笑い声で震えた。

やれやれ。


女の正体はわからないが、彼女は僕が換気するために開けた窓口を「郵便窓口」と勘違いして投函してしまったらしい。

この世で一番不要な会話をしている間に、僕は矢から手紙を剥がし終えていた。手紙は几帳面に折りたたまれていた。


「これを読めばいいの?」


「手紙を読まないでどうするの?読まずに食べるの?」


「まさか、黒ヤギさんじゃあるまいし」


僕はその折りたたまれた手紙を「逆再生」するように丁寧に開いた。


開いた瞬間、僕はやはり目を疑った。


それは妹が昔、自分の誕生日に描いてくれた

僕の似顔絵とメッセージそっくりだったのだ。


妹は10年前の震災で行方不明になってそのままだった。

ひとり上京した僕への手紙をポストに投函しに出かけて、そのまま帰ってこなかった。これは当時母親から聞いた話だ。

でもどうして。長い間ずっと封をしていた記憶が、走馬灯のように一斉に僕の頭を駆け巡った。ビデオの巻き戻しみたいに。

僕は呼吸を忘れていたことに気づく。


「お前、みさきなのか?」


返答はなかった。

慌ててスマホを手に取ると、4分も前に通話は終了していた。


僕は急いで部屋を出て、エレベーターに飛び乗った。まだ下にいるかも知れない。


僕はエレベーターの中で、二人で夏祭りに出かけた日のことを思い出していた。なんでかはわからない。地元の小さいお祭りだ。


あの日、僕はみさきに綿飴を買ってやると大喜びした。そのあとすぐに大雨が降ってほとんど綿飴は食べられなかったけど、みさきは萎んだ綿飴を「水浴びしたプードルみたいだ」と笑っていた。なんていうか、みさきはそういうやつだった。


今思えば、あのときの「上手いこと言った」みたいな笑い方は、さっきのスピーカーの声とよく似ていた気がする。


エントランスを出て、部屋の窓のある方角に向かって走った。


けれどそこには、誰もいなかった。


妹もいなければ、もちろん郵便配達員もいなかった。


ひょっとしたらあの矢文さえ、幻かも知れないと思った。


ザア…


急な雨だった。もちろん傘なんてない。濡れて困る綿飴もない。

僕はしばらく滝行みたいに雨に打たれたままになっていた。


「やれやれ」


僕は頭をかいた。


窓を開けた日に限って。

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