後編



 次の朝は、なんだか眩しくて目が覚めた。


(朝日の入らない方向を選んだと思ったんだけど…)


 思い返しながら目をこすって起きると、キラキラの光源は空でなく隣にあった。

 光の束のような髪を持つ『何か』が、隣に寝ていたのだ。


「………え、ええええええええーーーー!!!」


 声を上げながら、座ったまま後ずさる。

 そのまま息をつめて見つめていると、髪の束が揺れた。

 むくりっと『何か』は半身を起こして、こちらを見た。


「ヒ…!」

「おはよー…」


 挨拶は普通だったが、現れた場所は普通じゃない。

 ちなみに声は男性の物だった。


「あ、あなた、何? 何でここにいるの…?」

「なんで…? ん…ここはたまに来るんだ。気持ちいいから…」


 遺跡のことを言ってるのだろうか。


「い、いえ、遺跡でなく、何で、私の横にいたの…?」

「あぁ…気持ちよさそうだったから」


 怒声を上げそうになった私は、だるそうにかき上げられた髪から、現れた顔を見て、開いた口がふさがらなくなった。

 見たことのない透き通るような水色の瞳が、男女の美しさを超越した端正な顔にはまっていた。

 そして耳が…少し長くてとんがっていた…


「…あなた、いったい…?」

「…うーん、僕はディオン」


 前世で、一部の人間に熱烈に愛されていた『エルフ』という概念は、この世界にはない。

 だから私は、その種族名を口にする訳にはいかなかった。


「その『ディオン』は個人のお名前ですの?」

「面白い事を聞くね、君」

「私は、人間の、オディールと申します」

「なるほど…」


 君は僕を『人間』と思わないんだね――


 …と囁かれた時は、首筋がヒヤッとした。

 風も吹いてないのに、彼の髪はキラキラ波打っている。ホラーだ。


「…失礼をいたしました」

「いや、いいよ」


 人形のように笑う美形――怖い。

 もう彼が隣に寝てたことなど忘れて、ここから立ち去るべきだと本能が訴えていた。

 ただ、理性は『それが出来ればね…』と諦観を告げた。


「…オディールは、なぜこの森にいるの?」


 こちらの質問には答えることなしに、彼は美しい口元に微笑みを浮かべ尋ねた。

 私は透明のプレッシャーに負け、『双子の妹がいること』、『その妹に婚約者を奪われ、罪を着せられ逃げている』ことを白状した。


「ふうん、大変だったんだね」


 軽い口調で言われたので、自分も「はぁ、まぁ」とか適当に返した。


「行く宛はあるの?」

「この森を抜けて隣国へ出て、何か仕事を探そうかと」

「君、貴族のご令嬢だよね」


 家名は告げなかったが、オディールの、手入れの行き届いた髪と肌を見れば平民でないことは分かるだろう。


(しかしそれを言えば、目の前のツヤツヤな髪と、透き通る肌の相手は何者だというのだろうか…)


「仕事なんてできるの?」

「そこそこは…屋敷のメイドのやることを一通り見ていましたので」

「メイドねぇ…」


 これに関しては、前世の記憶のおかげで抵抗なく働けると思う。

 パワハラオンパレードみたいな会社と、モラハラ&セクハラの見本市な深夜コンビニで培った技能と精神は、オデット相手にも王妃教育にも大いに役立った。


 メイドの仕事ならあるよ、そう目の前の金髪はオディールに告げた。


「家の管理人を探してたんだ」


 管理人…執事か家政長みたいなものだろうか。

 言われたことは出来るだろうが、オディールに自ら屋敷を切り盛りする知識はない。


「申し訳ございません。そのような仕事には、専用の知識を積んだ方がなるべきです」

「小さい家だし、専用の知識なんていらないよ」 

「…それは貴方様のお屋敷ですか?」

「僕のだけど、誰も住んでなかったんだ。しばらく滞在したいんで、窓を開けて空気の入れ替えが出来ればいい」


(そりゃ窓を開けるくらいは、できますがね…)


 本心から言えば、さっさと断ってこの場を去りたい。

 だが窓の開け閉めもできない相手が、隣国でメイドになれる訳がないと言われそうだ。

 それに私は怠惰なので、窓の開け閉めだけの仕事、というのも惹かれていた。


 迷う心を見透かすように、エルフは


「家を見てから決めてくれればいいよ」


 サラッと断りづらい言葉を投げて、前を歩き始めた。




 エルフに連れられどんどん森の奥へ入っていったら、不自然なほど開けた場所に出た。

 そこに、可愛い木のお家ログハウスが建っていた。


(確かにこれなら『小屋』だ)


 エルフの家というより、森番小屋だが。

 私が開けるべき窓が見えないのが気になったが、こちらから見えない裏手にあるのだろう。

 このキンキラエルフとまるで似合わない家だったが、ドアを開けて中に入ると、その感想は一変した。


 贅を尽くした装飾が施された天井と壁。

 磨き抜かれた床の、広々としたエントランス。

 そこから続く廊下には華奢な細工の窓(多分嵌め殺し)がずらっと並んでいる。

 奥もとても広そうだ。

 オディールの知る一番豪華な建物――つまり王宮と比べても遜色がない。

 

(どこの離宮ですか、これは…)


「外側と内側の大きさが合わない…」


 無意識につぶやくと、内装に全く負けないエルフは『そうだねー』の一言で、説明責任を放棄した。

 そして、どんどん中に入り、両扉の開かれた部屋に入ると、その奥に掛けられた大きな鏡の前に立った。


 鏡に映るのは当然そのエルフであるが、よく見ると鏡の中のエルフは、こちらのエルフとは違う動きをした。

 この時点でオディールが逃げ出さなかったのは、単に驚きすぎてとっさに足が動かなかったからだ。


『おや、一人じゃないね。誰かさらってきたのかい?』


 鏡の中のエルフが口を開いた。


「管理人が要るって言ったのは、お前だろう?」


 こちらのエルフが応える声も同じものだ。

 鏡の中のエルフが覗き込むようにこちらを見た。


『ふーん。少しこちらの血が混じってるね。リンドン家の子かい?』


 リンドンというのは、この国の王家の家名である。


 その昔、この国は精霊王が建てたという…今までは単なる、箔付け伝説だと思っていたが、結構真実が含まれていたっぽい。


「先祖は同じですね…」


 公爵家というのは、王家の外戚だ。

 先祖は同じだし、何度もお互いに嫁が行き来している。


「そっか、面白い子を拾って来たね」

「面白いね、確かに」


 失礼な会話だったが、口を挟むまい。

 相手は完全に『人外』だ。鏡で通信する事から考えても、人知を超えた存在だ。


「ちょうどいいね、手伝ってもらいなよ」

「いや、そっちはおそらく解決した」

「急展開だね、おめでとー」

 

 家の中の手伝い、って感じの話じゃないんですけどー?


「彼女には、この家の管理を頼もうと思って」

「管理ねぇ…」

「どうせお前ら、誰もこっちに来ないんだろう」

「まぁね」


 話はそれで終わりとばかりに、エルフは鏡から目を背けた。

 すると、鏡の中のエルフも消えた。

 最後に、意味ありげな視線をこちらに寄越してから…


 別に否定的な視線ではなかったが、とても意味深ではあった。

 やっぱり出て行くべきだろうか?


「僕は、子鬼を捕まえに来たんだ」


 声の方を向くと、エルフは部屋に在ったソファに腰かけていて、身振りでその前の席をこちらに示した。

 おそらく逃げそこなった私は、素直に席に着き、彼の言葉を繰り返した。


「『コオニ』とは?」

「簡単にいえば『魔物』だね」


 魔物は文献に残っているが、今はいないとされている。


「僕らが、昔住んでいた場所に、氷山みたいな一角があって、そこに魔物を封じてるんだ」


 氷漬けになった悪魔?みたいなものを想像する。


「数百年単位で見回りに行くんだけど、今回、僕が見に行ったら一部が欠けててね…」


 そこから魔物が逃げ出したとのこと。

 しかも、逃げる時に他の魔物も一緒にとかしていった。


「…お仲間?」

「いや? そいつらを逃がした後、自分は彼らと反対側に逃げた」


(おとりかよ…)


 虚無の表情になったであろう私に、エルフは頷く。


「そんな風に、小鬼は知恵が回る。他の奴らは単純ですぐ捕まったんだが、小鬼は既に擬態していて見つからなかった」

「ぎたい…」

「そう。小鬼は、自分の姿を望むままに替えられるんだ。すでにあるものに限るけどね」


 奔放な妹オデットで鍛えられた、私の嫌な予感は限界まで高まっていた。

 なんなら先を聞きたくない。

 だが、エルフは容赦なかった。


「さっき、君と君の妹は双子だと言っていたが、僕が見た所、君と同じ存在はこの世界にない」


 突っ込みどころ満載な、超越者のお言葉だが、とりあえず抵抗する。


「それは、双子と言っても、体は別ですし…」

「僕らの世界じゃ、例え顔や性別が違っても双子は同一の星を持つ存在だ」


 城の蔵書室にあった文献で、『精霊は星を読む』と記載があったのを思い出した。

 具体的な意味は分からないが。


(いや、この人が精霊なのか、どうかも知らんが…)


「私と妹は双子ではないと…?」

「君に同じ星の下に生まれた姉妹はいないし、この地に残った同胞…『リンドン家』の血を引いた者は5人だ」


(えーっと、王様、第一王子、第二王子、お父様、私…)


 私は心で指を折る。

 片手は簡単に埋まってしまった。


「少ないですね…」

「人の世にしては、よく残ってると思うが」


 多分、お互い見ている対象が違うが、それは大した問題ではないだろう。

 問題は…


「小鬼の性質は、邪悪。周囲をかき乱し、他者を貶める事を生きるゆえのすべと考え、手段を選ばない」


 まるで、誰かの評価を聞いているようだと思う。


「巻き込まれる人間が、多ければ多いほど、アレは愉悦を感じる。20年近くも大人しく、貴族令嬢の仮面なんぞを被ってる理由はその辺だな」


(あまり大人しくもありませんでしたけどねー…)


 確かに王家に入れれば、巻き込まれる範囲は国中だ。

 そんな『小鬼』であれば、笑いが止まらないだろう。

 似たような質の私の『妹』も…


「妹…オデットは」

「小鬼だね」


 18年、私に憑りついていたらしい『災厄』は、こんな風に終わった。




 そこからは早かった。


 次の日に、エルフは王都に行き、元『妹』を連れて来た。

 とりあえず高価なドレスを纏ってはいたが、あまり妹の面影はなく、目は血走り、裂けた口からは牙、乱れた髪の間からは2つの角が見えていた。


「いちいち説明するのが面倒なんで、王に関係者を呼び出してもらった」


 集まった私の両親、元婚約者らの前で、エルフは魔物の嫌うお香を焚いた。

 そのお香を焚くと、魔物は生きてるだけで手一杯で、その他が…子鬼の場合は、擬態がおざなりになるらしい。


「擬態の解けた姿を見て、若い男が吐いて叫んで倒れた」


 エルフが城で王相手にあれこれ話した後、オデット――小鬼は、王太子の部屋で見つかった。

 卒業パーティの後から、ずっーーと、二人でこもっていたらしい。


 いきなり引きずり出された事に憤慨していた王太子も、オデットの擬態の解けた姿を見て、己が『何』とよろしくやっていたかを把握できたらしい。


 想像するのも怖い阿鼻叫喚の中で、管理者として説明責任は果たして来たとのことだ。


「一応、君の家には責任はないと言った」

「…有難うございます」


 18年間、知らずに『小鬼まもの』を娘として育てて来た責任……ないわな。

 むしろ被害者だ。

 それでも、何だかんだ言う人はいると思うので、遠い御先祖様(多分)の言葉は有り難い。


「あと、君が無事だと教えた」

「そうですか…」

「帰るかい?」


 あの家に戻っても、もう生活をかき乱す存在はいない。

 多分、皆歓迎してくれる。

 公爵家の跡取りとして。

 私の事を慮って、吟味して、家柄と性格の良い、ふさわしい男性が縁組されるだろう…


「くだらない…」


 思わず、そんな言葉が口を出た。


「うん、どこにでもくだらない事はあるね」


 面白がる声が、返される。

 形の良い、口元の笑みにつられ、尋ねてみる。


「どこにいても同じなら…、ここにいてもいいですか?」

「いいよ」


 あまりにもあっさりとした答えに、私はこの家に来て初めて笑った。




 別にすることはないと言われたが、結局人は何もせずにはいられないのである。

 私はメイドの真似事や、前世の料理の再現なんかも始めた。


 前世の話をすると、エルフが面白がって、似たような食材を揃えてくれた。

 出来た料理を食べる、こちらのエルフも嬉しそうだが、料理やレシピを見た、鏡の向こうの誰かが大歓喜している。

 そのうち、こっちにやって来るかもしれない。



 この場所でエルフと暮らしていると、つられて私の中のエルフの血が蘇り、私の寿命も多少伸びるらしい。


「50年も過ぎれば、知っている『人間』は誰もいなくなるよ」


 そんなもんだろうな、と思う。

 だけど、その時でも、このエルフは側にいるだろう。

 そんな想いを見透かすように、エルフは提案する。


「此処に飽きたら、旅にでも出ようか」

「いいですね」


 干したシーツの側で、二人で寝転がる。

 下草が少しうっとおしいが、それくらいどうでも良く思えるくらいに、気持ちが良かった。

 私の怠惰はエルフの血かも知れない、なんて思いながら、私はしばしの夢の中に旅立った。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る