たわごと.16 どれもこれもエンタメのうちですよね ~ あくまでも、私見です ~


 ――けっこう、まじめ? な話になります。


 小説は、ハイカルチャーからサブカルチャーまで、またにかける文化。

 ゆえに、

 現場のニーズがどうあれ、ここでお披露目してよいエンタメは、わかりやすさ、簡潔さ、軽快さを求めるものばかりではありませんよね。

 web上で高い人気を博すとされるのが、軽るめのテイストで、刺激的なもの、ノリの良いもの、明快なもの、解凍度が高いものなのだとしても……(方向性に関しては勘違いしているかもしれません)。


 趣向・分野は無数に存在し、

 程度・割合が異なるなかにも人が想像するものには、複数のジャンル要素がまざりあっているものです。


 ファンタジーやSFの中に友情や恋愛、戦、その他もろものの要素が混在するように。

 詩や手記、現代文学にメルヘンや哲学、数学、オカルト、古典要素がまぎれこむように。


 読みたい人(物語を求めている方)・物語りたい人、

 気分転換に訪れている方、

 目的はあやふやでも余暇になにかを探されている方、

 味わいたい方、成長したい方、

 生きゆく糧としたい方、

 さらには嗜好趣向の似通った方との出会い・交友(仲間)・接点を求めている方、

 自己を主張する場、考えやことばを整理する場所として活用されている方など。


 とにかくこの現場を利用するものは多様なので、求められているものは、わかりやすいものばかりではなさそう、というのが主観です(あたりまえっちゃ、あたりまえ)。


 それでも画面の文字をもとに、必ずしもじっくり読み解くように覗くとは限らないこの現場で求められるものは、その方面――

 明快で、あまり考えなくても理解できるもの、気軽に楽しめるもの・日常の負担にならない種類の娯楽なのでしょう――


 読みたい・なにか得たいと思っても、それにける時間は限られていて、

 現実に追われ疲れていると、頭を休めたくもあったりするから、じっくりとりかからなくては全体像が見えてこないような重いものは(そういったものを求めている時以外は)避けられてしまう。

 誰だって、おもしろいという保証がなければ、手を出したくない・時間を割きたくないというのが本音なのだと思います。


 読み手に負担をかけない手軽さのなかに、人の目をひく小知恵やウイットさ、意外さ、トリッキーさなどのスパイスを効せられたなら〝なおよろし〟の世界なのです。


 趣味のサークルとは違うので、この現場に、いらっしゃる方々が手にとりやすくて好むもの――より大衆ウケするものが前提とされる。


 利潤を追求する組織企業内では、埋もれると切り捨てられてしまう。

 立ちあげた企画そのものが、うしなわれてしまいかねないのであり、

 にぎわってもらわないことには困るので、方向性は広くあいまいにしておいて、手を変え品を変え、あおり、はやしたてながら、かなりまでを流れに任せ、

 方針からはずれる荒らしや避けたいもの・極端なものだけを否定する。


 これと思うものを見かければ、とりあげることを試み、顧客の反応を見る――傾向の差があるなかにも、それが各々サイトさんの方針のように思います。

 というのは、

 あくまでも、さほど広く知っているわけでもない人間わたし個人の憶測・感想です。間違えているかもしれないし、それだけではないのかもしれません。


 見極めるものの好みがどうあろうと、あつかう品は商品なので、私情はあっても二の次で……(むろん、精査する方々にも好みやこだわりがあるので、そのへんも反映されているのだとは思いますが……)

 そうしてとりあげてみたものが、ウケればよし、反響が芳しくなければ、そうか…と見送る。

 時期じゃない、この場の旬じゃないのだなと、とりあえず見限る――

 作品はいくらでもあるので、よほどでないかぎり、そのまま、忘れ去られそうですが……

 ともあれ。

 そういう界隈なのだと思います。


 このとおりの数ですし、

 求められるのは、物語を作りあげ、表現する力量はもちろんのこと、

 流行・ニーズを見極められる審美眼(もしくは、その先をゆく発想)とセンス、

 定番を持ちだしたとしても、そこにありがちなマンネリやパターンを打破して、人を呼び込めるだけの刺激と魅力。

 多少のことではへこたれない〝根性打たれ強さ〟と〝意欲〟で、

 人様の目にとまるためには、なにより〝自立的な宣伝力〟〝臨機応変さ〟が強みとなる……

 世知辛さと甘さとゆるさあそび、厳しさと寛容さ、共依存になりかねない危うさを秘めた相互依存が混在している――

 人によって築かれるものだけあって、人間社会のゆらぎが、そのままに反映されている現場のように思います。


 少し考えればわかること――人によっては〝考えるまでもなく〟と達観もされているのだろう現実だったりしますが、過疎地と化しているわたしとしては、つくづく思い知らされるのです。


 どんなに強がっても、掲げた以上は読まれたいものです。

 仕上げたものに不足があろうと、ひとつひとつに時間と労を割かれている。

 でも、そんなのはあたりまえの現実で、個々人創り手が自分から進んでとり組んでいることなので……。


 これは、成し遂げたことやその試み・結果を誰かに認めてもらうこと。

 自身の存在意義を確認することで安心したい人間の本能……群れを形成する動物のさがであり、子供じみた承認要求なのでしょう。

 

 押しつけたくはなくても、お披露目した以上は目を止めてストーリーを味わってほしいものなのです。

 それで、なにかしら良い反応や感想を抱いていただけたなら感動ものなのです。

 作り上げて展示したもの、見向きもされないのは悲しいです――場所をお借りしてひらいたお店に閑古鳥が鳴いております😓 


 このありさまを人様が見かけたなら、


 ――現実が少しでも見えているなら、宣伝がんばれよ。

 自身がしたためた作品がかわいいなら、もっと行動するべきだ。

 手段によっては、ほんのちょっとの手間だろう。

 コミュニティーには怖い要素もあるが、長短情報の坩堝で……そこには発見やヒント、先人の知恵が転がっている。

 手に負えないというなら、なにも、すべてに対応することはないんだ。

 それができないなら、ひたすら書いて、自分の手法を磨いて掲げ、手数で稼げ……

 効果・成果があるかは未知数で、おまえのがんばりと対応とセンスと運。それを見かけた相手次第だ—―


 とか、思いそう。


 でもいまは、自分の書きたいものの質の向上を図るだけで、いっぱいっぱい。

 アピールしようにも、アピールの仕方を迷います。

 むちゃはいかん。ゆっくり行こうと、自身を保養して、ちょい、あきらめ気分にもなるのです。


 わたしの作風・文章表現は、たいていが、どっちつかずだったりもするのです。

 文体・構想とも未熟ななかに、たいがいがヘビーともライトとも、正統派とも大衆向けとも異端ともつかない――のかな…? そんな気がしています。

 小説とは、押さえるところを押さえていれば、自由なものです。

 けれども。

 その押さえなければならない部分が、よくわかっていないのかもしれないのです。


 型にはまりきれもしないなかに、くずしたがるし、こだわるし、変にまったりしておりますし、表現しきれてもいない。

 緩急の〝緩〟が多すぎるのでしょうか?

 まだまだ、過剰と不足の調整も、リズムの取り方も不充分だったりします。

 極端に硬いともいえないものですが、さらりと、表面をなでるように読まれる方の頭脳・意識には、内容が入ってはいきそうにないのです。

 そうなってくると、きっと、ぜんぜん楽しめない。

 じっくり読んでいただいた時、自分が提供している品が、楽しめるものなのかもわかりませんが……ともあれ。

 そうあらば、ポイントポイントにそれを補助できるようなインパクトを入れるべきなのかな……?

 そんなの、どうやって? 

 むずかしいです。

 大々的に削り落とししなくては、いっそう、ごちゃごちゃしてしまいそうです。

 それも、よっぽど巧く削らないと、これと表現したい部分のつじつまが見えなくなってしまいます。


 べつにだからって締めだされているわけではないのですが、うまく立ちまわれもしていないので、肩身が狭くて、ここの題名のような主張をしてしまったわけです(達観しよう、わりきろうとしても、なかなか、わりきれない現実です)。


 硬かろうが未熟だろうが、柔らかろうが癖があろうが、人間ひとそれぞれで良いのだと(こんなのはアマチュアだから言えることで、作品を提示する上では甘すぎる考えなのでしょうけれど――でも現実を鑑みれば、けっこうそう思える)。


 マイナーで、ウケがふるわないがゆえに肩身が狭かろうとも。

 居ずらく思えても、べつに現場に居ることを否定されているわけじゃない。

 触れられる機会そのものが、多くないのが実情なのだし、きっと、思い込みなのです。


 平素が運営元さまの意にそいきれない不充分な状態であったとしても、自分が応えたい・応えようと思ったとき、自分にできる範囲内で手がけるていどでも良いのですよね。

 そもそも運営さまにとって、わたしはサクラにもならない通りすがりの人(サイトさんが不特定多数に向けて用意してして下さったベンチに腰をおろした程度の存在)なのだから、負担に思うほど意識し過ぎるのは、それこそ自意識過剰というものです。

 

 読む分には、わたし、文学的なものも軽いテイストのものも嫌いではないのです。

 好みはありますし、あまり難解なのや極端にエロスに左右されるものは…――いえ。

 官能があるのはかまいませんが、それが目的になってしまっているように思える流れや、過剰に思えるほどの残虐性などは御免したかったりします。


 溺愛であれハーレムであれ、極端な要素が含まれるのは、かまわないのです。

 好むか、感嘆するかどうかは描かれ方しだいになる。


 けれども、表現や場面頻度における好み、糖度、リアリティ(というか整合性)、主用キャラクターの個性、裏付けには、少しうるさいのだと思います……(甘さも辛さもすっぱさも〝うま味〟も……、物語による比率変化をうかがい推理するなかにも、味覚総押さえ嗜好です)

 作風や文章の調子にもよりますが、ひきたてやあそび、それと読み手に自由に(連想)させる空白ていどのものは良しとしても、その要素ばかりとしか解釈できない胸やけ・窒息・空腹および暴食感を懐きそうなかたよりは、ついていけなくなってしまいます。

 のちのち魅力的な場面があるかもしれないので、損をしているのかもしれませんけれども💦

 

 風俗は風俗、マイノリティはマイノリティと了解できても、とかくヘンタイネタは苦手だったりします。

 現象として、ちゃかしたり、物議をかもしたり、さらりと表されたものは守備範囲の内ですが、過度になってくると懇切丁寧にその場面を見せつける必要があるのかとか思ってしまうのです(なっとくのいく脈絡や魅力的な描写や効果があれば、きっと別腹)。

 純文学や風俗、耽美系になると、そこまで表すのが〝良し〟とされるのかも知れませんが、あまりそういった方向に〝こってり〟されると、苦手認定してしまいます。

 表現やリズムや物語性やキャラクターに惹きつけられる要素があれば、また違ってきそうなのですが(しょせん、自分本位なリズム感と嗜好なのです……)。

 

 ともあれ、

 きっと極端に基本よりまじめなものを仕上げるのは、型破りなところがあるわたしには無理だと思うので、そちらは憧れるだけにして、いずれは、あまり人様の思考の負担にならない、さっぱりしたもの(この場で主流となっている気楽なテイストのものも)書けたらいい書いてみたいなぁ、と考える今日このごろなのです(と、主張したところで、より難易度が高いような気もしてきました……💧)。


 わたくし、考えなくても頭のなかに飛び込んでくる軽快なものも、けっこう好きなのです(わたしのこの我欲の強いわがままな頭で理解できる範疇であれば、ですけれど)。


 一人称の構成も嫌いではないです。

 ただ、ひとつの視点にしぼられると、その特定されたキャラクターの性格や考え方、観点が他人様ひとさまの頭でも、しっかり消化できるかに大きく左右されると思うので。

 なっとくさせられるか、その世界をまだ知らない読み手さまに理解できるよう見せられるか……

 そのキャラに見えていない部分の調整が――どこでなにを、どうとり上げ、かいま見せるかが、ことのほか難しい作業になるように感じられるのです。

 ヒットすればいいのですが、そこでどこまでも空振りが続くと見向きもされなくなるものだと思うので……。

 まぁ、三人称も創作主の視点・観点によるものなのですが――


(描くなら、あまり、そっけなくなるのも嫌なので、その点わたしは、登場人物、主に主人公にかなりまで依存しております。

 場面や物語によって、変転があるなかにも、かならずしも個体を特定しない〝3.1〟人称なのかな? いや、〝1.3〟人称?

 自分が上手くできているかどうかは別として、

 プロの方でもお見かけしますので、たぶんなのですが、三人称におけるタブーではないと考えております。――キャラに依存できない場面の語り表現は正直、かなり苦手です)


 エンタメは、観衆の要求に応え、楽しませることを目的としますが、サービス精神をそこまでは進化させられずにいる者が試みたからといって、読んでもらえるとは限らず……宣伝下手であれば、なおさらで……

 でも、書いてみたいと思うだけならただなのですよね。

 楽しそうなのですが、まだまだこの場で主流と思われるノリ・勢いには、ぜんぜん追いつけそうになかったりもしています。

 わたしが描く趣向――男性ウケはしないだろうなとも思ういっぽう、女性にうける方向とも、少しずれがあるように感じるので……。


(正直、〝主人公にストレスをかけてはいけない〟のダブーには疑問をおぼえております。

 人によっては、そうなのかもしれないけれど、必ずしもそんなことはないと考えるのです。

 webの現場において、暗い展開が連続すると、うかがうのが辛くなる、足が遠退とおのくというのはわかります。けれど、そのへんを冒険・試練として、効果的にかわし、作品の魅力に転じる、表現力巧みな作者様というものも、ありそうなのです。

 暗い・明るい、軽い・重い、硬さ・やわらかさに関係なく、ほどよいクッションを敷いて柔軟に読む者を魅了する……、

 わたしがめざす創作の理想、あこがれが、それだったりしますそこにあったりします

 つまるところどこまでも、わたし個人の観点、嗜好に偏るものなので、誰にとってもそうであるとは限らない――〝まゆつば論〟なのですけれども)


 なろう系やその類型には、その世界ならではの難しさがあります。

 ちょっとしたことで、リズムがくずれますし、読者を惑わせないまっすぐな表現が望まれるいっぽう、刺激を必要としていて、時には、ほんのわずかな期間にアイデアが大量消費される。

 ヘビーであれライトであれ、〝わかりやすさ〟においては、一定レベル以上の文章力と表現力が必須で、

 文字少なめの軽いテイストにしようと、存外、難易度が高かったりするのです――仕上がりの軽快さから容易いことのように感じられても、それは表面だけで、いっそう、思い切りの良い取捨と高いセンスが求められる。

 

 なにを書くにせよ、それを目にする者・読む者へのサービス精神と筆力の不足を実感しているところです。

 いま、表に出している品に集中するべきなのでしょうけれど、気分転換に思うことを連ねてみました。

 達観できずにいる、わが身の心の迷いですね。

 長々と、おそまつさまでした。



 ――この下に余談をつけておりましたが、長くなったので分離して次項へ移動しました――


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