カラダ料理

脳先生

第1話 目(前編)

 ボコボコボコ。ポチャ。僕は彼女の目を沸騰した鍋に入れる。大好きだった彼女。彼女とはバイト先で出会った。一目惚れだった。彼女はどんな時でも笑顔だった。それが自分にだけ向けられた笑顔ではないと気づくのには時間がかかるほどに、僕は彼女に魅了されていた。付き合うまで、それほど時間が掛からなかっただろうか。昔の話は、あまり思い出せない。しかし、別れは呆気なかったことは思い出せた。彼女の言葉で印象に残っている言葉がある。「あなたの感性は人並み外れてる。」彼女の目には、僕はどのように映っていただろうか。

 1月中旬の雪が吹き荒れる中、僕は彼女を居酒屋に呼び出した。彼女に会うのは、実に10年ぶりだろうか。高鳴る気持ちを抑えながら、待ち合わせの居酒屋へと足を運ぶ。気のせいだろうか、いつもより足が前に進む。居酒屋に着くと、懐かしい匂いがした。確かに嗅いだことのある彼女の匂いだ。僕は店員さんに言われるがままに、匂いのもとまでたどり着いた。「久しぶり。元気にしてた?」彼女が切り出した。僕は少し戸惑った。君を失って元気な訳がない。「うん。来てくれてありがとう。」意図せず言葉が出た。それから2時間ほど話をした。彼女は今、デザイナーとして働いていること。日本酒が好きだということ。そして、付き合っている〝彼〟がいるということ。僕はやるせない気持ちになった自分が嫌だった。僕は彼女をまだ自分のものだと思っていたのだろうか。頃合いを見計らい、僕は問いた。「僕の感性が人並み外れているってどういうこと?」彼女はその質問を待っていたかの様に話し出した。「うまく言葉にできないけど、例えば、美術館に行った時に展示品に対して思う感想や着眼点が他の人と違うんだよ。誰かと美術館に行っても、あなただったら、どんな感想持つのかなって気になっちゃう。」僕は理解できなかった。僕は人並みの感覚の持ち主だと思っていたからだ。「そっか。わかった。ありがとう。」そう言い残し、話題を変えた。頃合いの時間になり、店を出た。「今日はありがとう!久々に会えて楽しかった!またね!」彼女が切り出した。「あぁ、ありがとう。またね。」僕は素っ気なく答えた。彼女と別れた後、僕はキッチンストアへ寄り、タッパーとグレープフルーツスプーンを購入した。

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