第42話 レントゲンの日(11月8日)

お久しぶりです。カクヨムコン用の執筆をさぼりエッセイを書いてます。

それからDiscordのカク友さんが楽しいし、いい人達すぎて、笑みがこぼれます。


さて、今日はレントゲンの日。129年前の1895年11月8日に彼が人類で初めてX線を発見しました。私のペンネームの令はX-rayからとっています。X線は世界を変えた世紀の大発見です。今回はX線に関係する歴史的人物二人、レントゲンとハンスフィールドについて取り上げます。


1.【レントゲン】


レントゲン(Wilhelm Conrad Röntgen、1845年3月27日 – 1923年2月10日:77才)は、ドイツの物理学者です。X線発見の功績により第1回ノーベル物理学賞を受賞しています。


父はドイツ人で織物商、母はオランダ人です。

レントゲンはオランダで初等教育を受けましたが、教師にいたずらをした友人をかばったためギムナジウムに進学できませんでした。その後工科大学の機械工学科に進学し、物理の博士号を取得しました。


やがて大学などの教授を務めながら、多数の物理論文を発表し、科学者としての実績を積みました。


50才、レントゲンは大学の学長に選ばれた後に1895年10月から放電管の実験を始めました。当時、レーナルトらによって真空放電や陰極線の研究が進められていました。


1895年11月8日、クルックス管を用いて陰極線の研究をしていたレントゲンは、机の上の蛍光紙の上に暗い線が表れたのに気付きました。クルックス管が黒い紙で覆われいたのにも関らずです。


簡単な実験をしてレントゲンはついに目には見えないが光のようなものが装置から出ていることを発見するに至りました。後年この発見の時、何を考えたか質問されたレントゲンは、「考えはしなかった。ただ実験をした」と答えています。


彼の素晴らしいところはこの後も続きます。レントゲンは拙速に発表などはせず、それから何と7週間もかけて未知のX線の研究実験を行ったそうです。そして次の特性を明らかにしました。


・1,000ページ以上の分厚い本やガラスを透過する

・薄い金属箔を透過し、その厚みは金属の種類に依存する

・鉛に遮蔽される

・蛍光物質を発光させる

・熱作用を示さない

・写真乾板を用いて、鮮明な撮影を可能にした


そして同年12月28日、満を持して『新種の放射線について』という論文を出したのです。1月には有名な『妻の薬指に指輪をはめて撮影した写真』を論文に添付して、著名な物理学者に送付しました。 写真はこちら↓

https://kakuyomu.jp/users/misugi2023/news/16818093088202038005


その後、X線写真という直観的に非常にわかりやすい証拠と、彼の実績からこの世紀の発見は世界に急速に受け入れられました。『ネイチャー』、『サイエンス』などの有名な科学雑誌に論文が掲載されました。


アメリカでは透視への不安から『X線オペラグラス禁止条例』が制定されるなど新発見に世界中が大騒ぎとなったようです。


レントゲンは科学の発展は万人に寄与すべきであると考え、X線に関し特許などによって個人的に経済的利益を得ようとは一切せず、ノーベル賞の賞金についても、ヴュルツブルク大学に全額を寄付しています。


 * * *


「作品ができたぞ!」と言って推敲をあまりせずに公開している私は反省です💦

それからカクヨム=アピールも重要ですよね。

奥さんの手の骨の写真をみんなに配るなんて強烈だけど😓



2.【ハンスフィールド】


ハンスフィールド(Godfrey Newbold Hounsfield、1919年8月28日- 2004年8月12日:84才)はイギリスの電子技術者です。1963年頃(43才)~1975年(56才)にかけて英国EMI社でX線CTスキャナ(コンピューター断層撮影装置)を開発しました。これはX線発見以来の最大の発明となり、1979年にノーベル賞を受賞しました。


農場を営む両親のもと、5人兄弟の末っ子として生まれました。機械いじりが好きで手製のグライダーで干し草の山から飛び降りたり,手製の爆弾を破裂させたりしたそうです。学業には身が入らす空軍に入隊し、主にレーダー関係の任務につきました。終戦後にようやく電気大学に進学して卒業しました。


1951年ハンスフィールドはEMI社に入社。初めはレーダーを担当し、コンピュータや自動パターン認識の研究を経てCTスキャナの研究に没頭するのでした。


1963年、彼はアラン・コーマックの研究論文に目を留めました。当時この論文に注目する人はほとんどいませんでしたが、ハンスフィールドはこの論文に発想を得て360度で撮影したX線データをコンピューター処理し、断面像を作る装置を考案しました。


連日、深夜まで装置の試作・研究に没頭しつづけ、1968年頃からはついにCTの開発に着手しました。当初、画像処理をするのに1週間という膨大な時間を要し、実用化には時間と相当の開発費がかかったようです。


これにEMI社は、多額の研究投資を続けました。これはひとえに史上空前のレコードの売上をEMIにもたらした世紀のロックグループ『ビートルズ』のおかげだそうです。


こうして開発・改良されたCTスキャナは1972年に臨床機が稼働.その画期的な技術・画像が世界中から絶賛されました。


この発明はX線の発見以来、医学史上最大級の発明といわれ、人体の放射線診断技術を飛躍的に進歩させました。


1979年にはノーベル賞を授与されます。博士号をもたず,医師でもない一介のサラリーマン技術者の受賞は極めて異例でした。


ハンスフィールドは温厚、実直を絵にかいたような人物で、周りの誰からも好意を抱かれるという点で、衆目は一致しています。彼ほど、ノーベル賞受賞前後で変わらなかった人は珍しいといわれます。


世界中から舞い込む講演依頼をことごとく断り、以前となんら変わらない生活ペースでEMI社に出社し、1986年の退職まで淡々と研究開発に専念したといいます。彼の人柄が偲ばれます。


ちなみにEMI社の研究部門はその後アメリカに渡り、BIR社、CMRU社と名を変え、今もシカゴで開発を続けています。


* * *


運と努力と人柄ですよね~💛

さらにCTができたのはビートルズのおかげでもありました🤣


私はカク友さん達と同様、この二人の人柄がとても気に入りました。

私達が病院で的確な診断を受けて、有効な治療をしてもらえるのは彼らのおかげです。感謝いたします。



ハンスフィールド出典

https://radiology-history.online/profile-hounsfield.html

https://iyo-monogatari.jp/nihonjin/history-of-medicine/741.html


(2024.11.8)

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