第24話 舞台の上から

 交流会当日。俺はまだ閉じられた幕の内側で、各々着替えやセリフを確認する部員を横目になんとなく教室のセットの周りをぶらついていた。

 

 二日間にわたって近隣の高校の演劇部が集まり演劇を行う交流会。 久城高校演劇部の出番は大トリ、一番最後だ。

 

 そんな出番が、もうすぐそこまでやってきていた。もう十分も経たないうちに開幕となるだろう。

 

 本番直前にもかかわらず、どうしてこんなにも悠長にしているのかと問われれば、俺の役割は脚本と演出であり、本番当日は正直やることがないからだった。

  

「狭間くん、お疲れ様です」 

  

 掛けられた声に振り返ると、この舞台の主要人物の一人、灰咲レイラの衣装に身を包んだ鈴木が、席につくところだった。


 お嬢様方が通うような学園が舞台なだけあって、その制服は普段のものよりもだいぶ派手だ。


 ブレザーこそ代わり映えしない紺色だが、胸元のリボンは真紅で、同じく真っ赤なスカートには白いラインのチェック柄が入っている。

 

 だが、レイラの衣装最大の特徴は何より、実にシンデレラらしい、透き通ったブロンドのセミロングだろう。

 当然、染めてもらったわけではなく、あくまでウィッグではあるのだが、そのキツすぎない色味はあくまで自然で、鈴木によく似合っていた。


「……おう」


「いよいよ本番、なんですね」

 

 そう言う鈴木は、やはりと言うべきか、少しばかり肩をこわばらせているように見えた。


「緊張するか?」


「……はい。それに今回は狭間くんが隣でフォローしてくれるわけじゃないですから」


「確かにそうだな」


 鈴木はこれから、まだまだ慣れない人前に立つことになるのだ。


「……でも、六花ちゃんとなら、大丈夫な気がするんです」


 そう言って鈴木は柔らかく笑った。


 四月の部活紹介の時なんか、俺がめちゃくちゃな事を言ってなんとか緊張をほぐしたってのに、隣におらずともこの効能とは……流石六花だ。


「ああ。鈴木と六花なら大丈夫だ」

 

 ……そういえば、あの部活紹介の時、六花は俺に会うためだけに学校に来ていたんだったな。

 それを聞いた時は驚いたが、六花の境遇を知った今になって、ようやく俺は、あの時の彼女の気持ちが分かった気がした。


 きっと、目を覚ましたばかりで、何もわからない、誰も知らない。孤立無縁だった彼女は、誰かと繋がりが欲しかったのだ。

 

「鈴木が六花と仲良くなれて、本当、よかったよ」


 思わず、呟くように声が漏れた。


「……はい? すみません狭間くん、何か言いましたか?」


「何でもねーよ。……まああれだ、思えば、あれから随分遠くに来たような気がするって思ってな」


「そうですね……でも、本当にこれでよかったんでしょうか」


 鈴木が突然何の話を切り出したのか。俺は生憎、痛いほど分かってしまっていた。


「……六花の記憶探しを、打ち切ったこと、だな」


 鈴木は静かに頷いた。

 

「少なくとも、あの時はそうするしかなかっただろ」

 

「そう、ですよね……」

 

「あとは頃合いを見て再開するか……それに、記憶喪失は時間の経過で回復するパターンが多いって前に鈴木も言ってたろ?」


 すると鈴木は、少し俯いて話し始めた。

 

「……あれから色々考えてみたんですが、私は六花さんの記憶障害……いえ、記憶喪失が時間で回復することは、無いと思っています」

 

「……どういうことだ?」

 

「私が調べられたのは、あくまで一般的な症例のみです。でも、今の六花ちゃんを取り巻く状況は、決して普通ではありません」


「それは、そうだな」


 狙ったかのように頭痛が引き起こされる現状が、普通なわけがない。


「医学書やら論文やらの内容はアテにならないってわけか。だとすれば、あと残ってるのは……神頼みくらいか」 

 

「あまり得策とは思えませんね……まだ天才的な頭脳を持った名探偵を探す方が効果的に思えます。それこそシャーロック・ホームズみたいな」

 

「……偽物のホームズで悪かったな」

 

「いっ、いえ、すみません。狭間くんを非難するつもりでは……」


「分かってるよ。……そろそろ開演だろ? 行ってこい」

 

「狭間くん……私、頑張りますから、見ていてください!」 

 

「ああ」


 舞台裏を通って客席へと回る最中、俺は六花とすれ違う。


 衣装に着替えたばかりの六花は、髪色はそのままに、大きな三日月のヘアピンを付け鈴木と同じ真紅の制服に身を包んでいた。


 いつ見ても現実離れしたルックスだな。

 六花は、まさしく画面の中から飛び出してきたような存在感を放っていた。

 

「長太郎くん、行ってくるね」

 

「頑張れよ」 

 

 六花は、舞台に向かったかと思うと、ふいにこちらに振り返った。


「それと、この舞台が終わったら少しだけ時間をくれないかな。――キミに、話したいことがあるんだ」

 

 そう言い残して六花は舞台へ向かった。

 

 その話とやらが、六花の記憶についての事なのか。はたまた別の何かなのかは分からない。


 けれど、今日を境に俺たちを取り巻く関係性が大きく変わる。そんな予感だけを、ただひしひしと感じていた。

 

 ◇

 

 ――オウジさん、どうか私と、踊ってくださいませんか?


 ――オウジくん、ボクと踊らない?


 緊張の中は始まった舞台も気づけば終盤。

 二年生の四月から始まった物語も時が流れ、二人のお姫様がそれぞれオウジを呼び出し、高校最後のイベントであるプロムナード――舞踏会の相手に誘うシーンまで進んでいた。


 そして迎えたプロムナードの日。

 二人は制服から着替え、それぞれの御伽噺をモチーフとした煌びやかなドレスに身を包んでいた。

 

 鈴木演じるレイラはシンデレラらしく、水色を基調とし、肩周りやスカート部分が大きく膨らんだ王道のデザイン。 

 六花演じるカグヤは、朱色、山吹色、若竹色を取り込んだ、成人式に着る袴をドレスに仕立て上げたような衣装だ。


 片や洋風、片や和風。どこまでも正反対な二人のプリンセスだ。

  

 そして、漆黒のタキシードに身を包んだ南部長が現れる。

 髪型こそ、黒髪のポニーテールのままだが、そのハスキーな声やすらりとしたスタイルは、まさに王子様そのものだ。


 ……正直に言えば、俺にだって王子としてあの場に立ちたかった気持ちがないわけではない。

 だが、部長のあの立ち姿を一目見た時から、そんな気はとうに失せていた。

 

 ……まったく、部長には叶わないな。

  

 そして舞台はその後も順調に進み、無事に閉幕を迎えることができたのだった。    


 ◇

  

 交流会は無事に終了し、俺たちは慌ただしく撤収作業を終えるとめでたく解散となった。

 

 ホールには既に誰もおらず、俺と六花ただ二人だけが席に座っていた。

 

「ごめんね長太郎くん、みんなと帰るところだったのに」

 

 立ち上がった六花が、客席の間の通路を歩きながら言う。


 俺も続くように立ち上がると、数歩離れてその足取りを追った。

 

「気にすんな、どうも込み入った話らしいしな」

 

「そうでもないよ、案外、すごく単純な話かも」

 

「そうなのか……? 一体どんな話だ?」

 

「……あれから考えてたんだ、ボクはこれからどうすればいんだろうって」


「どうすれば……か」


「ほら、記憶探しはもうやめたでしょ。だから、これからどうしようかなって。……とはいっても、身元不詳の高校生じゃ、引っ越しも転校もそもそもできないだろうけど」


 あはは、と六花は笑った。


「俺は、いつだって記憶探しを再開してもいいんだからな。鈴木だってそう思ってる」

 

「長太郎くん、怒るよ?」


 どうやら今の六花には、記憶探しを再開するつもりは全く無いらしかった。


「……でも、思い出したくない訳じゃないんだろう?」

 

「はは、ずるい事聞くなあ、長太郎くんは。――本当はね、やっぱり思い出せるものなら思い出したい。……でもね、それと同じくらい……ううん、自分のことを差し置いてでも、ボクは二人のことを大切にしたいんだ」


「……六花」


 ――ああ、つくづく俺ってやつは捻くれている。なにせ、こうやって言われれば言われるほど、六花の記憶を取り戻してやりたくなるんだから。


「もちろん、部員やクラスのみんなも大切だけど……やっぱりボクにとって二人は特別なんだなって思う」


 自分が誰かにとっての特別。そんな事、生まれてこの方考えたこともなかった。


「それで――長太郎くん、本題なんだけどね」


 六花が舞台の端にある階段をトン、トンと小気味よく登った。

 俺は、舞台の中央に立った六花を下から見上げていた。




「好きだよ、愛してる」




 その告白は、突然だった。




「――だからボクと、恋人になってください」




 まず真っ先に、「これは夢だ」と思った。


 次に、タチの悪い悪戯だと疑った。


 けれど、次第に赤みを帯びていく六花の耳が目に入ると、俺はようやく、これは本当の事なんだと、そう思う事ができた。


「はは、心底驚いたって顔してるね」

 

「あ……いや……」 


「でも、やっと言えた。言うなら絶対にボクからって思ってたから」

 

 突然の事にしどろもどろになっていると、六花は俺の目の前で人差し指を立てた。

 

「――一晩だけ、長太郎くんには返事を考えて欲しい。それ以上短くても長くてもいやだよ」

 

 どうしてそんな事を――という疑問は、やはりお見通しだったらしい。

 

「一晩置いて欲しい理由は、考えた上でキミの本心が聞きたいから。

 ……その場の勢いに任せてOKを貰っても、ボクは嬉しくない、わけじゃないけど、ちょっと卑怯だと思うから」

 

 そのあまりのいじらしさに、俺は目眩すら覚えそうだった。

 

「……じゃあ、猶予が一晩だけの理由は……?」

 

 尋ねると六花は少し遠慮がちに、そして頬を林檎のように真っ赤に実らせて言った。

 

「ボクが、早く返事が聞きたいから……。だって、たくさん待たされたら気が気じゃなくてどうにかなっちゃうよ……!」

 

 その言葉が聞けただけで……いや、とっくの前からもう返事は決まっていたようなものだが――それでも六花が一晩待って欲しいと言ったのだ。

 ならば、俺はそれに応えよう。

 

 俺は喉元まで出かかっていた告白への返答を無理矢理に飲み込んだ。

 

「じゃ、じゃあ明日の朝、屋上で待ってるから……。絶対、だからね……?」

 

 六花は上目遣いでそれだけ言うと、変わらず真っ赤な顔のまま、小走りで去っていってしまった。

 

 しばらくして頭が少しだけ冷えると、俺はある現実的な問題点に思い至った。


 非現実的だが、実に現実的な問題だ。

 

 六花とデートした日の帰りのことを思い出す。


 六花からは俺に好きだと伝えることはできるようだ。

 

 だが――果たして俺は、六花に好きだと言えるのか?

 また頭痛とともに、記憶まで失ってしまうんじゃないのか……? 

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