あの淵の底で——

依り代

「伸次君のご遺体は、弊機関が責任を持って捜索しております。調査に携わった者の認識に誤りがあり、対応が遅れてしまった事を心よりお詫び申し上げます」


 逢が頭を下げた。


 あの遺体が伸次じゃないのは、なんとなく分かってた。でも、まだ俺の中の常識が淵の怪奇現象を否定している。


「その話、本当なのか? 淵で泳いだ事もあるけど、何も起こらなかった。なんで伸次だけ……」


「これは仮説ですが、淵が見繕えるのは底に沈んだ物質だけだと思います。奴は底に潜んでいますから」


 つまり、俺は沈まなかったから淵に偽物が作られずに済んだのか……。


「あたし達は、今から病院に向かいます。息子さんの為、それから弟さんの為に、どうか一緒に来ていただけませんか?」




 逃げられないと悟り、俺は頷くしかなかった。


 病室に入ると、四辻は看護師に「うるさくしますが、絶対に戸を開けないでください」と言って、戸を閉めた。


 逢が妻に会釈をすると、妻は会釈を返して部屋を出て行った。どうやら先に話を通していたらしい。


 ベッドの上に横たわる息子は俺を見ると、あいつの顔になって笑い出した。不思議なことに、俺以外には息子が寝ているようにしか見えないそうだ。それがより不気味だった。


「伸一さんはこちらへ」

 四辻はさっきまで妻が座っていた椅子を指差した。


 俺が椅子に座ると、四辻は逢に目配せをし、逢は四辻に掌大の人形を渡した。


 四辻は人形で息子の体を撫でた後、椅子の上に人形を座らせて呪文のような物を口にした。

 その途端、息子は藻掻くように手足をバタつかせ始めた。逢が息子の体を押さえ付けたので、俺もはっとして息子の足を押さえる。


 しばらくして、息子は大人しくなった。

 何度か目を瞬かせ、「ここどこ?」と、首を傾げている。その顔は、俺が知る息子の顔だった。


 息子が戻ってきた!


 抱きしめると、息子は照れたのか俺を引き剥がそうとする。いつもの態度に安心した。


「倒れて病院に運ばれたんだよ。何があったか思い出せるか?」

「全然。でも、たしかベランダに出たら頭が痛くなった気がする」


 いつの間にか、逢は看護師と妻を部屋の中に呼び入れていた。妻は元気になった息子を見て涙を流し、俺と同じように息子を抱きしめた。



 でも、これで終わりじゃない。



「こちらへ」

 四辻は俺を会議室のような部屋に連れて行った。


「霊は体を持たない為、時に体を借りて生きている人とコンタクトを取ろうとします。この街を飛んでいた怪鳥の正体は、鳥の体を借りた伸次君の霊だったんですよ」


 そう言いながら、四辻は俺を椅子に座らせた。


「伸次君が鳥から息子さんに乗り移ったのは、どうしても伸一さんに伝えたい事があったからです。でも所詮は他人の体、思うように動かす事も、話す事もできなかったはず。さらに、伸一さんは彼から逃げてしまった。その為会話はなりたたず、状況は滞っていたのです」


 逢が椅子を俺の前に置くと、四辻は人形を椅子に座らせた。


「息子さんの体が乗っ取られたままでは、心穏やかに話はできないでしょう。そこで、僕は依り代を用意しました」


 四辻は膝をつくと、人形に何かを囁いた。すると人形は膨れ上がり、あの頃の俺と瓜二つの顔の少年に変身した。


「さあどうぞ、伸次君。お兄ちゃんに伝えたい事があるんだよね?」


 伸次と呼ばれた人形は、体の具合を確かめるように手をグーパーさせていたが、四辻に促されて俺を真っすぐに見つめてきた。


 怯える俺を見て、伸次は——

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る