20 エイユウサマの物語
迷い家の主体である大木は光の粒とり雲散する。そして散った光の粒は天へと舞い上がり、やがて消失した。
これで長年語り継がれてきた迷い家がもう現れることは無い。
「橘樹の巫女様……いえ、梓さん」
誰かが私の肩を叩いた。
振り返ると、肉体の半分が光の粒に変わってしまった本の虫が佇んでいる。
「本の虫……」
本の虫に駆け寄り、抱きしめる。
少し離れた場所でコウが頬を膨らませているが、どうやら今回は黙認してくれるらしい。
「梓さんへ最後に伝えなければならないことがあるんだ。調査の依頼についてだけど……梓さんが見た夢と類似している物語を色々と調べたんだ。様々な記録を調たけど、一番可能性が高いのは橘樹家に伝わる『英雄の物語』だと思う」
英雄の物語。橘樹家が代々生き神と宮司を世襲してきた神社に伝わるいわれ。祖母から散々聞かされた昔話。
「もしかして私が見ていた夢は一代目生き神の記憶?」
「少し違うかな。一代目の記憶も混ざっていると思う」
「一代目だけでは無いということは……歴代の生き神全ての記憶」
「多分そうだよ。残念だけどボクにはもう時間があまり残されていないから、記録全てを語る事は出来ないけど」
「歴代の生き神についての記録なら実家に帰ればあるかもしれない。大丈夫だよ」
もし記録が見つからなくても神託を通して調べれば良い。神様が答えてくれる保証はどこにもないが。
「そうなんだ。それなら良かった」
「それよりも柳田さんに伝えることは無いの? お友達だよね?」
「彼に伝えたいことなら色々あるけど……別れの言葉では寂しいよね。あぁ、でもボクがもう居なくなるこは伝えないといけないのか。だってまた噂をし続ける人がいたら、また別の都市伝説として誰かを傷つけてしまうかもしれない」
本の虫は微笑む。もう既に体の半分以上が光の粒へと変わっている。
「紡。ボクは少しの間、眠りにつきます。半年前、君がこの場所に戻ってきてボクは驚きました。だって人々がボクを忘れてしまってから長い年月が経っていたから。かつて共に遊んでいた君はまだ少年だったのに、立派に成長したね。これから旅館として迷い家が人々の記憶に残ることをボクは祈ります。帰ってきてくれてありがとう……忘れないでくれてありが……」
本の虫が最後の一言を発するより前に優しげな声は雲散してしまった。
先ほどまで一人の怪異を抱きしめていた腕の中にはもう誰もいない。
すぐさまコウが駆け寄ってくる。
「何か分かったか?」
「コウが私の実家が祭っている神様である可能性と、歴代の生き神もコウに会っている可能性が浮上した」
「そうなのか? 私は梓以外の生き神について何も覚えていないが」
本当に生き神の記録を漁る為には実家へ帰る必要がある。しかし、かつての私ならば造作も無い『帰る』という行為が今では苦痛でしか無い。
『お帰りなさい。生き神様』
『お待ちしておりました。生き神様』
そう私に話しかけてくる信者達の姿が目に浮かぶ。
そして『えぇ。今帰りました』と笑顔で返答する私も。
「梓はこれからどうするつもりだ?」
「実家に帰って貴方について調べるつもり」
「梓はそれでいいのか?」
「どういうこと?」
コウは目を伏せる。
「実は梓がいない時に、梓の机の上に散乱していた母君からの手紙を読んだんだ。もしかして家族とは上手くいっていないのでは……」
「構わないよ。これは私が生き神であることを放棄してから初めてやりたいと心の底から願ったことだから」
「そうか。ならば私は君の願いの為に尽力しよう。神とは本来そういうものだろう」
「ありがとう。コウ」
私の頬を一筋の滴が伝った。
*
これは橘樹家に伝わる始まりの物語。
橘樹家が千年以上守ってきた地、渡水に伝わる呪われた神話。
かつて今の橘樹邸がある集落は荒神に支配されていた。
当時の日本では珍しいことではない。荒ぶる神を治め祭ったことで権力者となった一族の伝承なら星の数ほどある。
しかし、橘樹家に伝わる英雄は荒ぶる神を誅した英雄の中でも一際優れている存在であった。石一つで山の神を
ある日、荒ぶる神が治める集落へ一人のエイユウサマが現れる。
今まで数々の荒ぶる神を誅してきたエイユウサマはいとも簡単に荒神を討伐した。
人々は感謝した。感謝の意を伝える為に宴も開いた。
エイユウサマにとってこの様な光景はいつものことだ。
人々はエイユウサマに助けを乞い感謝する。そしてこの場所にとどまって欲しいと懇願する。無論、エイユウサマにそんな暇は無い。
一つの命を救えば、次は百の命を救わなければならない。
終わりの無い旅路でした。救いようのない旅路でした。
それでもエイユウサマはへっちゃらです。
なぜならばエイユウサマ泣くことも、怒ることも。喜ぶことも知らなかったからです。
集落から去ろうとするエイユウサマの元に一人の少女が現れました。
少女の体は傷ついていました。集落の者に散々利用されたからです。
少女の心は傷ついていませんでいた。彼女は集落の者の為に尽くすことに喜びを感じていたからです。
エイユウサマは最初。少女が助けを求めてくると思っていました。
しかし、少女はこう言いました。
「ありがとうございます。貴方様が今まで数々の命を救ってくれたことを感謝します。身を犠牲にしてまで使命を果たさんとしてきた貴方様に敬意を述べます。新たな旅路を歩む前に僅かですが感謝の気持ちをお受け取り下さい」
そう言って少女は井戸から汲んできた水をエイユウサマに差し出しました。
エイユウサマは驚きました。なぜならばエイユウサマは初めて『村を救ってくれた英雄』としてではなく『今まで過酷な旅路を歩んできたエイユウサマ本人』に感謝を述べてくれる存在に出会ったからです。
水を受け取ったエイユウサマは尋ねました。
「これが必要なのは君の方だろう?」
少女は答えました。
「いいえ。こんな役立たずの私より貴方様が飲むべきです」
「君はここから離れて、どこか行きたい場所は無いのか?」
「分かりません。私に願いは無いのです」
なんとなく少女のことが気に入ったエイユウサマは彼女娶ることにしました。そしてまた帰ってくると少女に伝え、集落を去りました。
エイユウサマが集落を離れてから雪が降り、花が芽吹き、やがて一年経ちました。
約束通り集落へと帰ってきたエイユウサマは少女を探しましたが、姿が見つかりません。
エイユウサマは集落の長に彼女の行方を尋ねました。すると長は答えました。
「あの子なら荒神の贄となったよ。荒神の祟りを恐れた集落の民が身寄りの無いあの子を生贄として神に捧げたんだ」
その言葉を聞いたエイユウサマは初めて感情を抱きました。怒りと、悲しみと、後悔が入り交じった複雑な感情です。
「なんという惨いことをしてくれたんだ」
長はひれ伏し許しを乞いました。
「お許しください。あの子が望んでやったのです」
「なんだと?」
「えぇ。あの子は皆の為にと喜んで海へ身を投げました」
エイユウサマには理解出来ませんでした。
人間とは通常、生きる為に活動する生き物です。対し少女は他人の為に喜んで身を削ります。
エイユウサマは自分が少女を愛しいと思っていたことに気づきました。大切なものは失ってから気づくものです。
「
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