めぐるめく日常 ~環琉くんと環琉ちゃん~

五木史人

1章

第1話 漂流者

海で漂流している人間を旅人とは呼ばない。


ぼくは、宛もなく漂流していた。


ぼくは宛もなく駅で降り、宛もなく歩いた。

すれ違う人々は、ぼくのような漂流者と違い、目的地に向かって歩いていた。

「いいな」心の奥で呟いた。


街を歩いて行くと、良い感じのたこ焼き屋があった。

「なんか、たこ焼きが食べたい」ぼくは少しだけ目的を手に入れた。


たこ焼き屋のドアを開けようとした時、店内から大きな荷物を持った少女が、外に出ようとしていた。もちろん目的を持っているであろう少女だ。

だからぼくは、少女の代わりにドアを開け、道を譲った。


この少女を飲み物に例えると、コーヒーではなく紅茶だろう。

それも甘みのない無糖の紅茶。


1秒未満の間、ぼくと少女は視線を交わして、少女は軽く会釈をしたので、ぼくも軽く会釈をした。


少女が意図したものなのか、偶然なのかは解らないが、すれ違う時に彼女の吐息が、ぼくの耳元に吹いた。その吐息がぼくの心に何かを吹きかけたような気がした。


さっきまで少女がいた店内には爺さんがいて

「いらっしゃいませ!」

と声が響いた。声がやたら大きい。


「うるさい爺」ぼくは心の奥で呟きはしたが、久しぶりに出来た目的の為に、席に着いた。


「たこ焼き1つ」

やたら愛想のやたら良い爺さんは

「はいよ!」

と叫んだ。


センスを感じる清潔感溢れる店内に、たこ焼きの良い香りが店内に漂ってきた。

こんなに良い香りなら、きっと美味しはずだ。


ぼくは宛もなく降りた駅で、宛もなく歩いて辿り着いた、美味しいであろうたこ焼き屋に出会えたことに感謝した。


「お待ち!」

爺さんは威勢よく叫んだ。


ぼくは心地よい気持ちのまま、たこ焼きを口に運んだ。


うん、美味し・・・


くない!

激マズじゃないか!

こんなまずいたこ焼き、こんなまずい食べ物がこの世に存在している事に驚いた。


「どうだ、美味しいだろう!」

爺さんは自慢げだが、この爺さんには料理のセンスがゼロなのだろう。


ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

ぼくの一部が発狂した。


「じじいい、てめえ何様だ!」

あまりの事に、ぼくはとても失礼な言葉を吐いた。

治安の悪い場所で育ったせいで、時々言葉が悪くなる。


じじいいはすぐに、

「どこにでもいる爺様だ」

と返してきた。


おもろい!と一瞬思ってしまった、ぼくは自身を悔いた。


この激マズな食べ物をこの世から抹消したい!

そんな衝動が起こった。

こんなもの存在しては行けない。


ぼくが超過激な人間だったら、すぐにでもこのたこ焼き屋を焼き討ちしているだろうが、残念ながらぼくは、超穏健派だ。


店内にバイト募集の張り紙があった。

ぼくは深呼吸をして心を落ち着かせた。


「あのバイトを募集してるんですか?」

「妻が入院しちゃってね、バイトを雇う事になってな」


そう言う事か、ここは元々その妻の店なのだろう。

ゆえに、このセンスなのだろう。


「ぼくを雇ってもらえますか?」

爺さんは、愛想だけで生きて来たと言わんばかりの、満面の笑顔で、

「なーんも問題ない」

と。


「非常に問題があるのはお前なのだが」ぼくは心の奥で呟いた。




つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る