このクソ女からだけは限界までカネ引っ張ると決めた

顎男

第1話


「あ、ご飯作ってたの? ごめーん、今日は食べてきちゃった」


 殺す。

 

 何度も喰らってきたシチュエーションだが、料理担当にとって、同居人が「食べてきた」のは別にいい。

 そりゃ外にいれば夕飯に間に合わない時だってあるだろうし、あいつの仕事はカロリーが多い。

 だが、『なんの連絡もなく』、『事前に食べないなら伝えろとラインしてあり』、『既読が昼過ぎにはついていた』にも関わらず、しかも帰ってくるなりヒラリと床に落ちた領収書には『某高級フレンチレストラン ¥30,000』と印字されているのを見て、俺のメガネは怒りのあまり割れた。血圧が上がって顔が膨らみ安物のセルフレームが俺の憎悪によって歪んだからである。


「あー疲れた疲れた。まったく、事前に聞いてた情報と違うっていうのよ。あの仲介業者、もう仕事請けてやんないんだから!」

「おい」


 弁護士が着るようなフォーマル仕立てのブラウンチェック・ジャケットをダイニングの椅子に放り投げ、最近は女も結ぶようになったシルクのネイビーネクタイを指一本で剥ぎ取る。

 白のブラウスに金の細糸のような髪を滑らせながら、我が同居人は俺がお夕飯の準備が終わったら自分のために飲もうと思っていたご褒美用のハーブティーが注がれたカップを雑に掴んでゴクゴクと飲み干した。

 

「ぷはーっ。なにこれ味薄い」


 きちんと煮出しておいた俺の六分間がクソ女の胃袋に消えた。

 俺は砕けたメガネの破片を拾いながら(踏みつけると足を切って危ない)、同居人に近づく。

 

「おい、ロゼ」

「同業者同伴って言うからラクができると思ったのに、挨拶代わりに足払いかけたら一回転するしさァ。なーにがライセンス持ちよ。お勉強できりゃ仕事ができると思ったら大間違いだっての」


 脱衣所に入る前に靴下を脱ぎ、ちょっとよろけながら当然のように靴下を床に放る。

 俺が定期的に磨いているフローリングの上に『肉体労働』を終えたロゼッタの汗をふんだんに吸い込んだ靴下が落ちた。それを拾い上げるとバラの香りがした。

 俺が『そんなものに金を使うのはやめろ』と再三忠告した超高級ブランドの香水の匂い。

 コイツ靴下にまで……一振りいくらなんだよ……

 

「おい、ロゼ!」

「ちょっと須藤!」


 脱衣所に入り、ブラウスの第一ボタンに手をかけたロゼッタは眉を怒り形に寄せて俺を睨んだ。

 

「乙女のシャワーを覗こうなんて、どういう神経してんのよ! この恥知らず!」


 ピシャン!

 脱衣所の引き戸が勢いよく閉められた。

 すぐにシャワーの音と音程の狂い倒した鼻歌が聞こえる。

 俺の鼓膜に、ロゼッタのセリフが残響していた。


 恥知らず。

 

 恥知らず……?

 

 一人リビングに取り残された俺は、大型モニター(¥800,000)観賞用のソファ(¥450,000)に座って流れているニュースを見ているクマさん人形(¥120,000)の隣に座った。

 フェイントは一切かけなかった。

 俺の左のアッパーフックを食らったクマさん(本名:アレックス)はソファから吹っ飛んでいってベランダの窓に激突した。俺は全速力でそれを追いかけてアレックスの首根っこを掴み思い切り締め上げた。

 

「死ぃぃぃぃぃぃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!

 ああああああ、ああっ、ああああああああああああっ!!!!」


 耐えられない。

 

 耐えられない。

 

 耐えらんないっ!


 なんで俺があのクソ女に『恥知らず』呼ばわりされにゃあーならんのだっ!


「俺がっ、何回言ったら、無駄遣いをやめんだよてめぇぇぇぇぇぇはよぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


『仕事』で毎回、数百万円単位で稼いでくるにも関わらず、ロゼッタの預金残高は一向に増えない。


『一流の女は、一流のモノを身につけるものよ!』


 ロゼッタの高笑いが脳裏に響き渡る。

 何が一流の女だ!

 月末になって金がなくなったら、俺が近所の畑から野菜盗んできてメシ作ってるっていうのに!

 こっちは窃盗してんだぞ!

 これだから一日で数百万稼ぐようなやつの金銭感覚はセンサの死んだジャイロスコープと変わらないというのだ。

 

 俺はひとしきりアレックスをボコボコにし、「悔い改めろ!」とツバを吐き捨てる真似をした。

 ロゼが気に入っているこの人形をボコボコにすることだけが最近の俺にとって唯一の心の慰めなのだが、

 

『どんなに乱暴な女の子のおうちにお迎えされても、絶対に壊れません!』


 とメーカーが謳っている高級職人お手製の人形はビクともしなかった。

 たぶん火を点けても着火しないし、水没させても乾いたらフカフカに戻る気がする。いつかキレたらやる。

 

「ぜぇっ……ぜぇっ……」


 息も絶え絶えになりながら、俺は作っていたミートソースパスタが完成していたことを思い出しフライパンでフタをした。

 なるべく温かい状態を保とうとし、あのバカ女がもう夕飯を喰ってきたことを思い出して泣きそうになる。せっかく作ったのに。

 自分ひとり分のパスタを皿に盛り、トマト缶由来の血のようなソースを金色の洋麺にからめながら、一人でオレガノを振りかけて喰っていると、ロゼッタが髪をタオルで拭きながらピンクのパジャマ(¥72,000)姿で出てきた。


「はあー、いいお湯だった。あ、そうそうシャンプー減ってたから足しておいて」

「安いのでいいな?」

「なに言ってんの安いのはアンタ用でしょ。私のは『ハイパープレミアム・キューティクルスター』しか認めないわ」


 いますぐこいつを抹殺してお空のキューティクルスターにしてやりたい。

 ウォーターサーバー(俺が定期的に補充している)から汲んだ水をガブガブ飲みながら、おっさんのようにドカッとダイニングテーブルに腰かけた金髪碧眼の少女の前に、俺は一通の手紙を滑らせた。

 ロゼの目がそれを追う。

 

「なにこれ。税金なら払わないわよ」

「ちゃんと払えボケカス。税金じゃねぇ」

「じゃあ、なんの封筒なのよ」

「知らん。送り人が書いてない。ポストに入れてあった」

「ふーん。ファンレターかな? ああ、いけない、いけない。正体不明の『イバラ姫』は謎のままじゃないといけないのに~困っちゃうな~」


 風呂上がりで上気した幼稚園児のようなプニプニのほっぺを千切れるほど抓ってやりたい衝動を抑えながら、俺はロゼが手紙の封を開け読み出すのを待った。

 ロゼのニヤケ面が、そのままドット単位でフリーズする。


「どうした」

「……」

「ロゼ」

「え? ああ、いや、うん、別に? ただのラブレターだったわ、あはははは」

「誰からのだよ」

「し、知らない」

「はあ?」

「わ、わたたたたた、わたたたたたた!」言えてない。


 ロゼはガバッと立ち上がった。一瞬で神に罰され痔になった人間でもそんな立ち上がり方はしない。

 

「ね、ね、寝るわ! 須藤おやすみ! 部屋には絶対に入らないように!」

「入ったことねーよ」

「そ、そ、そうね! あははっ!」


 ロボットのようなギクシャクした動きで、ロゼは俺たちが住む2LDKの広いほうの部屋に入っていった。俺の部屋は当然に狭いほう(4畳半)である。

 俺はロゼに奪われたハーブティーの代わりに安い麦茶をコップに注いで、ずずっと啜った。

 

 テーブルには、ロゼに送られた『謎の手紙』が、そのまま置き去りにされている。

 

 

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