それでも猫は殺せない

探偵とホットケーキ

第1話

カノープスは両足が義足である。それも一等美しい、白い陶器の義足で、同業者の間でも有名だった。罪を犯すことを生業とするカノープスの界隈において、足がないと言うのは大きなハンデだ。しかし、カノープスは今、同じような立場のものを束ね、そのトップに君臨している。それこそメンバーは少人数ではあるが、出世したといえる。

 カノープスは生まれついた家が貧乏で、兎に角、何でも自分の思いどおりにならないと気が済まない性格であった。

 例えば、小学校の頃、通学路で猫が鳴いていれば尾を切り、犬に吠えられれば、その犬を彫刻刀で刻んで処分した。或いは、同じく小学校の頃、反抗的な態度を取る上級生に対し、暴力で対応することは当然だと思っていた。彼の周りはいつも血の匂いで満ちていた。

 到底、生半可な人間に教育を施せるはずもなく、完全に持て余した両親と教師。それらからカノープスは早々に離れ、自由気ままに罪を犯して金を稼ぐようになっていった。そのまま、とある似た者同士が集まる集団に流れ着き、そこに身を置いたのは自然の流れであろう。

 カノープスのいた集団は、同様のチームが多く見られる中、比較的頭角を現していた。中でも若手のカノープスは、矢張り最初は面倒な仕事を任されることが多かったが、そういう理不尽な仕事を寄越すやつを順番に始末して行ったら、やがて自分が中核を担うようになってきた。

 丁度、その頃のことだ。

「カノープス、幾らお前でも、レグルス様には敵わない。逆らわないことだ」

 そう助言をしてきたのはアケルナルという精神科医だった。白髪の男。勿論、普段は全く異なる名前で、医者として勤勉に働いている人物だ。だが、カノープスの集団で、専門医もやっていたり、時々、ターゲットに強い注射をして、こっそり死なせてしまったりという仕事もする。

 そんな彼の病室で、酒を呷りながら喋っていた時、アケルナルがそう口火を切ったのだ。

「レグルス? 誰だそれは」

「レグルスじゃあない。レグルス『様』、だ。レグルス様は、うちの組織の次期当主となるお方さぁ」

「そんなに凄いやつがいるのか」

「凄いなんてもんじゃない。あの方はねぇ……バケモノだよ」

 そのバケモノとされた男と、カノープスが相対したのは、それから一カ月の後のことだ。

 レグルスは元より、滅多に組織なことでは顔を出さない人だった。彼がやっと現れた、その時の姿は、今もカノープスは忘れられない。

 その日、組織は比較的重要な会合であったものの、まさかレグルスのような珍しい、しかも重要な立場の人間が来るほどの内容ではなかった。要するに全員がノーマークの状態で、現れたのだ。

 それがレグルスの作戦だったのではないかと思う。内緒で来ることで、自分に歯向かう可能性のある危険因子をあぶり出そうと言うわけだ。

 レグルス様の車がいらしたぞ! の一声で、他のメンバーが一斉に飛び出して、外に一列に並んだ。カノープスは全くその気はなかったが、早く来い、と腕を引かれて外に出された。いやいや並んでいると、その車は現れた。

 血のような暗い赤の車体が、夜の闇の中にある僅かな星の光を反射している。

 車が音もなく駐車場に侵入し、ドアが開く。其処からゆっくりと降りて来たのが、また美しい男だった。まるで彫刻が歩いているような、彫りの深い、背の高いモノクルの男が、笑みを湛え、豊満な美女を数人引き連れ、此方へ向かってくる。鼈甲色の髪は丁寧に撫でつけられ、確かに紳士という様相ではあるが、お世辞にも強そうではない。カノープスが、彼の白い頬を殴ったら、飛んで行ってしまいそうだった。

「おい、てめぇも頭を下げろ! 死にたいのか!」

 突っ立っていたカノープスは、後頭部を乱暴に押され、頭を下げる格好になった。

 レグルス様、レグルス様、と呼ぶ声が沸き上がる。カノープスはただ、頭を垂れるばかりだった。一瞬、視線を感じたが、実際にレグルスが向けて来たものだったのかは未だに分からない。しかし、どう見ても尊敬できそうになく、カノープスはケッと思っただけだった。

 カノープスが実際、レグルスと仕事をしたのは、それから更に数か月後のことだ。しかも、よりによって、当のレグルスを始末するという仕事であった。

 レグルスを持ちあげる者も多い分、引き摺り下ろそうとする人間もいるわけで。そういったチームの上層部数人からの命令で、カノープスが刺客に任命された。他にも依頼してみたらしいが、レグルスが恐くて断ってきたのだという。

 命を奪うならば、共に行動をするのが手っ取り早い。カノープスは、レグルスの命を狙うものたちの協力で、レグルスの側近レベルまで立場を引き上げてもらった。

 カノープスが認識していようが、当然、レグルスの方はカノープスを知らないので、先ずはしっかり挨拶が必要だ。早速、会いに行った。

 通されたのは、組織の別館――と言っても、他の者たちが会議に使ったり、寝泊りまでしている場所の、一万倍は大きい洋館であった。

 レグルスの従者に案内されて入ると、先ず、ゾウが飼えそうな広さの、シャンデリアが飾られた大きなエントランス。その先に長い長い廊下。蝋燭で灯された左右に、甲冑が並んでいる。カノープスはそこを、ひょこひょこと歩いて奥へ奥へと向かった。

「レグルス様に粗相のないように――」

 そう言葉を添えて開かれた、重そうな金色の扉の先にあったのは、食堂だった。

 咽ぶような血の匂いに、カノープスは思わず鼻を覆う。それでも我慢ならない、一瞬にして体に染み込む猛烈な鉄の臭いだ。見下ろせば、床は血で満たされており、一瞬にしてカノープスのブーツに染みついた。

 その中央に金の椅子とテーブル。其処に一人でかけていたのが、レグルスだった。未だ新品のようなスーツを着て、心底楽しそうににこにこ笑顔で、頬を紅潮させて――いるように見えた。良く見ると、確かに笑ってはいるが、頬は血で赤くなっているのだった。

「やぁ、君は……?」

 そうカノープスを振り返ったので良く分かった。レグルスは美味しそうに、人間の二の腕に齧りついているのだ。ちょうど肩関節から綺麗に切り取られた二の腕の、そのぜい肉を歯で削ぎ取るようにして食べている。カノープスは唖然とするしかなかった。

 動けずにいる間に、ごろごろと、車輪の転がる音が近づいて来る。サービングカートだった。その上に載っているモノを見て、カノープスは一旦、呼吸が止まる気がした。

 そこにあったのは、土気色の見事な死体だったのだ。目は開いたまま、腹は捌かれ、赤黒い腸がはみ出している。死体を見慣れたカノープスだから、かろうじて吐かずに済んだが、慣れぬ人なら、到底精神が耐えないだろう。

「嗚呼、これは素晴らしいのが来た。君も、良かったら此方に来て一緒に食べないかい。未だ太腿が残っているよ。最近、僕は太腿が一番好きなんだ」

「食べ……食べるって……?」

「勿論、これを」と、レグルスは爽やかな笑みを浮かべながら腸を取り出し、もぐ、と口に含んで見せた。

「さっき取って来てもらったばかりなんだ、んむ……とっても、おいひいよ」

「い、いえ、俺は……結構、です」

「なんだ、残念、君も人肉は嫌いなんだね。じゃあ、僕が全部いただこう。僕はこれじゃないと駄目なんだ。人間の肉でないと食べられなくてね」

 ナプキンで口を拭う彼をじっと見てしまう。そこに、何人もマーメイドドレスを着た美女が寄って来た。レグルスはそれらの手を取って、次々と甲に口づけしていく。

 味を訊くような馬鹿なことも思いつかず、カノープスはただ、確信していた。「この人は、バケモノだ」と。

「普段から、人肉だけを……?」

「ほとんどはね。ただ、毎日、こんなに良い仕事が入るわけではない――こんなに沢山の獲物を相手にする仕事、そうそうないから。そう言う時は、グミ型の完全食があるだろう、あれで飢えを凌いでいるのだけれど……駄目だ。舌に合わなくて吐いてしまうことも多いよ」

 侍らせた女性たちのくびれた腰に手を回し、次はどうしようか? と目を細めて言った後、

「言うまでもなく僕も、生まれた時からこんな食生活を送っていた訳ではない」と、上機嫌らしく、女を撫で回しつつ、昔話を始めた。

 当然のことだが、レグルスは至って平均的な、ありきたりな赤ん坊として、ミルクで育った。

 両親は子供の面倒を看るのが嫌いだった。レグルスを放って何処かへ遊びに出る夜も多く、レグルスは常に飢え、痩せっぽちの子供だった。

 しかし、人間はなかなか死なないものだ。痩せ衰えながらも、何だかんだと生き延びて愚図るレグルスに、両親はいよいよ暴力という手段に出た。

 レグルスの取り巻きの女たちが、レグルス様が可哀想だと、めそめそ涙を流す。

「床に、こう、どんどんと叩きつけるように、頭を強く殴られた時、脳みそでもやられてしまったのかもしれない。僕はすっかり変わってしまったんだ」

 「どんどんと叩きつけるように」のところで、レグルスが見せたジェスチャーがリアルすぎて、カノープスもうんざりした。

 レグルスの味覚は、その時から変化したらしいのだ。

 食べたいと思うものがほとんどなくなり、夜は一睡もできなくなった。親たちはますます怒り狂った。何せ、空腹を訴えるくせに、いざ目の前に食事を出すと食べない子供だ。可愛いわけがない。しかし、レグルスの視点からすると、それは全く美味しそうに見えなかった。頑張って食べても、気持ち悪くなってしまうだけだ。夜、布団で一人、親の寝息を聞きながら悶絶する日々だった。

 いよいよ体力が衰え、動けなくなって来たある夜のこと。

 命の限界を本能で察したレグルスが、本気で食指を動かせるものを見付けた。全く眠気を感じなくなったレグルスに対して、他の人間たちは無防備に眠る夜、隙は幾らでもあった。

 レグルスはキッチンから、一本の出刃包丁を用意。そして、寝息を立てる両親の元に行き――

 その喉に包丁を、突き立てた。

「その時に僕は知ったのさ、健康な人間は包丁を刺しても、簡単には死なないってね。親は断末魔を上げて、息をするたびに血を噴水みたいに噴き出して、苦しそうだったよ。とっても美味しかった。残さず食べ切ったから、骨しかなくて、おまわりさんも不思議がっていてね、犯人は分からなかったようだ」

 レグルスは猫のように自分の手についた血を舐め取ると、そう微笑んで話を締めくくった。

「その後、今のこのチームに流れ着いた、と」

「拾って貰って助かったよ。死体が幾らでも手に入るから、このチームにいる限り、餓死はしない。眠れないというのも、夜に敵襲をかけるための長所になる」

 カノープスにとっては困った事態だった。レグルスを始末しようにも、寝こみを襲う手段は取れそうもない。

「それで、今回の依頼は……」

「君は手伝いに来てくれたの?」

「はい。うちのチームでは若い方かもしれませんが、しっかり働きますのでよろしくお願いします」

「名前は?」

「カノープスと申します」

「カノープス。今回の獲物は大物だよ。一緒に頑張ろうね」

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