第14話 初任給

 

 三日目。

 拍子抜けするくらいに予定通りに、ヒルク邸の瘴気祓いが完了した。

 最終日に作業を終えて帰宅したユウキたちを、ピーターとヒルクが迎えてくれた。


「三人とも、お疲れ様!」

「ぐるる……わふっ」

「っと、四人ともか。失礼」

「わんっ」

「ポチのおかげで、魔獣や魔物の駆除がかなりスムーズだったわ。どういうわけか、この子は魔獣に怖がられてるのよ」


 ふふん、と誇らしげなポチであるが、アキノが頭を撫でようとするとぷいっと避けてユウキの側で伏せをした。

 褒められるのは好きだけれど、懐くことはないらしい。

 腐っても、いや、小さな毛玉になっても誇り高き魔獣の王である。


「今回の報酬です。面倒な仕事だったかと思いますが……あんなに綺麗にしてもらって、亡き父母も喜んでいると思います」

「もう放置しちゃだめですよ?」

「はい……」

「ところで、別れた奥さんというのはどうして夜逃げを?」

(た、たしかに気になるけど! 聞くんだ、今!)


 アキノはずけずけと物を聞く人だが、不思議と嫌な感じはしない。

 本当に躊躇いなく質問をしてくるからだろうか。


「おそらく……掃除をサボりがちな人だったから、夜逃げする前から瘴気溜まりになりかけていたのかもしれません。我が家の使用人はあの家を出てしまいましたからね」

「あー……」


 それなりの広さがある屋敷だ。

 一人で掃除をしようとすると、それだけで一日が終わってしまうだろう。


「それで自分の手に負えなくなって、あちこちに作った借金もあって夜逃げしたのかと……すぐに自分が手入れをはじめたら、こんなことにはなっていなかったのですが」

「ピーターさんは悪くないでしょう、それ」

「ははは……昔から気が弱くて。でも、こうして皆さんが瘴気祓いを受けてくださっって、本当に助かりました」

「い、いえっ……微力ですが、お力になれてよかったです」


 サクラが真っ赤になって俯いた。

 とても嬉しそうに、はにかみながら。


「これはヒルクさんからの報酬だ」


 ユウキとサクラに、革袋が一つずつ渡された。

 嘘だろう。修行なのに、お給料が貰えるのか。


「ユウキ殿の報酬からは、家賃と食事代など含めて一割引かせてもらっているよ」

「もんだいありませんっ」

「お金の使い方についても学ばせてほしい、とルーシー殿から言われているからね。まずは自分で管理してみるといい」

「はいっ」


 サクラの報酬よりも一回り小さい革袋だ。

 だが、六才児にはずっしりと重い。


(おお、おおお……っ!)


 ユウキは感動した。

 仕事をして、お金を稼いだのだ。

 オトナである。六才児だけど、これはオトナといっても過言ではない。


「失礼だけど、教団への上納金はそれで足りるでしょうか」


 これくらい入っています、とヒルクが手で示した数字にサクラが目を丸くすして、こくこくと頷いた。十分すぎるくらいの額だったのだろう。


「よしよし、よかった」


 ピーターは満足そうに頷いた。

 自分の仕事を通じて人助けができたことを、心から喜ばしく思っているようだ。本当に善良な人なのだな、というのが全身の毛穴から漏れ出ている。

 アキノがユウキを小突いた。


「ねえ。少し散歩に行くけど一緒にどう? まだろくにトワノライトを歩いてないでしょ」

「いきたいですっ」


 正直、かなりありがたい申し出だ。心強いこと、このうえない。

 ユウキはまだ、ろくに買い物のひとつもしたことがないのだ。

 ルーシーからコインの価値なんかは教えてもらったが、慣れていないし相場もわからない。というか、コインの見分けがすぐにつかない。

 おどおどしているうちに、騙されてしまうかもしれない。


「じゃあ、サクラさんも途中までは一緒にいこうか」

「は、はい! 本当に……お世話になりました!」


 勢いよく頭を下げたサクラに、ピーターが微笑んだ。


「ユウキ殿をお迎えしたとはいっても、うちは人手不足でね……また手を貸してくれたら助かります」

「もちろんですっ! こんなカス虫以下の人間でよければ……」

「……んー」


 サクラの返答にピーターが少し顔を曇らせる。

 なるほど、やっぱりそうだよね。ユウキがそっと、サクラの服の袖を引っ張った。


「ねえねえ、サクラさん」

「はい?」

「おれね、サクラさんがじぶんのことバカとかゴミとかいうとね、とってもかなしいよ。だから、そんなこといわないで?」

「えっ」


 ぴき、とサクラが固まってしまう。

 おそらく、そんなことを言われたことがないのだろう。今までの生活で、自分を底辺に置くことに慣れきってしまっていたのだろう。

 ユウキが先に言葉を発したことに驚いたような表情で、ピーターが言葉を続けた。


「ユウキ殿の言う通りです。それに、価値のない人に大切な仕事を預けることはできないよ」

「あっ、その」

「謝らなくていいんだ。でもね、たった三日でヒルクさんの家を元通りにできたのは、あなたがいたからです」

「そ、そうなのですか?」

「おそらくアキノと俺で手分けしていたら……うん、まるまる一月以上はかかったかもなぁ」

「そうね、私も同感」


 アキノが街に出かける支度をしながら行った。


「まあ、ユウキさんの存在が大きいですが……サクラさんが魔力を分けてくれなかったら、私はもっと早く瘴気酔いでダウンしてたでしょうし?」


 サクラが、ぽかんと口をあけた。

 褒められている状況に、頭と心が追いついていないのだ。


「とにかく、これからもお互いによろしく。見習いさん」

「はいっ……はい! よろしくお願いいたします!」


 サクラがまた涙ぐんでいるのを、ユウキは見ないフリをした。

 この世界での初任給を握りしめて、ポチと一緒に家の外に飛び出した。


 ◆


 街の市場に連れ出してもらって、買い物の仕方を習ってから、自由行動ということになった。


 いくつかの露店を回って、満足のいくものが買えた。

 トワノライトの中でも比較的治安のいい西地区の市場ということもあって、子どもだけで買い物をしている姿もちらほらあった。

 サクラにコインの使い方や買い物のルールやマナーを教わりながら、夕食の買い出しに付き合った。

 案件が落ち着いたお祝いに、骨付きのこんがり肉を夕食にするそうだ。

 骨付き、こんがり、肉。

 聞くだけで一文節ごとによだれが垂れてしまう。

 考えてみれば、ユウキは六才の本日に至るまで塩漬け肉と干し肉以外の肉を食べたことがなかった。

 この世界で食べた食べ物は、正直どれも美味しくなかった。ユウキにとってはオリンピアの結界内で採れた果物を生のまま丸かじりするのが一番おいしい食べ物だったのだ。

 夕食の予定に心躍らせながら、ユウキはアキノとの待ち合わせ場所にやってきた。肉は注文を受けてから時間をかけて焼き上げるらしく、その時間を利用して肉屋の前で間に合わせになったのだ。

 すでに周囲にはいい匂いが漂っている。


「わふっ……」

「そうだな、ポチ。おなかすいたよな」


 ポチと一緒に鼻をヒクヒクさせてしまう。魅惑の匂いだ。

 香辛料の匂いも混じっているので、これは期待ができそうだ。

 なんだかんだ、骨付き肉というくらいだから、六才児には食べきれないかもしれない。ポチと分け合おうか……いや、魔獣の王フェンリルといえども香辛料や塩分で体を壊してしまうかも。犬にタマネギやニンニクを食べさせたら致命的らしいし。


「ユウキさん、お待たせしました」


 紙袋を抱えたアキノが肉屋の前にできた人だかりから現れた。


「アキノさん!」

「買い物はできましたか?」

「はいっ」


 仕事用にとピーターからもらった肩掛け鞄を、ぽんと叩く。中には買ってきた品がちゃんと入っている。


「では、帰りましょう。肉が冷めてしまいますからね」

「わーいっ!」


 思わず飛び跳ねてしまう。

 ポチもユウキの周囲を飛び回っているけれど、果たしてポチのぶんの骨付き肉はあるのだろうか……と一抹の不安を抱いてしまう。ぬか喜びは辛いので。

 ピーターの家に向かって歩いていると、向かいから見覚えのあるシルエットの一団が歩いてきた。サクラと同じミュゼオン教団の制服の一団だ。

 手にしている杖や服が上等なので、サクラよりも位の高い見習いか、あるいは聖女たちのようだ。

 何やら不機嫌そうな表情をしている。


 ユウキはすれ違いざまに、そっと耳を澄ましてみた。

 うんざりした様子で噂話に興じているようだ。



「ねえ、聞きました? あのお貴族様……瘴気溜まりの浄化をしたとか」

「ええ、あの支部長様が報告書片手に上機嫌だったからね」

「はぁ……そんなに簡単なご奉仕なら、あいつを置いてくるんじゃなかった」

「仕方ないでしょ。結局めぼしいものもなかったし、思ったより瘴気が濃かったんだから」

「惜しいことしましたね」

「でも……あんなに魔物や魔獣がたくさんいたのに、どうやって?」

「どうせ、お貴族様のコネか何かで、誰かにやらせたのよ」 

「苗字持ちはいいよなぁ~、まったく」

「支部長様の覚えもよくなっちゃって、まぁ……」



 うわぁ、とユウキは聞き耳を立てたことを後悔した。

 ひどい話である。


「お貴族様」というのは、おそらくサクラのことだろう。

 夜中にサクラを教団の施設から連れ出して、瘴気溜まりになった屋敷に置き去りにしたのだ。

 苗字持ち……つまり、貴族の出身だからという理由でやっかみの対象になっているのだろう。家が貧乏だからこそ、教団で見習いになったというのに。


(なんか、嫌なものを聞いちゃったな……)


 とりあえず、サクラの働きがきちんと教団には伝わっているらしいことだけは、喜ばしいことだけれど。


「ユウキさん? どうかしましたか」

「ううん、なんでもないよ」

「ちゃんとついてきてくださいね、迷子になりますよ」

「はーい」


 アキノのスカートの端を握った。

 途中、アキノの顔見知りらしいスープ屋や道具屋の店員が声をかけてきた。


「アキノちゃん、隠し子かい!?」

「可愛い息子ちゃんだねぇ」


 年齢的にアキノの子はないだろう、と思うけれど。いや、この世界だと十代で子持ちも多いのだろうか。

 どちらかというと、歳の離れた弟とか。

 アキノが気を悪くしていないだろうか、と恐る恐る様子をうかがうと。


「ばか、違うわよっ!」


 大声で反論しながらも、まんざらでもなさそうなアキノであった。

 

 肉が冷めないうちに、と急いで帰ってくると、ピーターが夕食の準備をすすめてくれていた。早起きなぶん、日が沈んだばかりなのにすでに眠そうだ。


「おかえり、今夜はユウキ殿の歓迎会も兼ねてパッとやろう」

「ありがとう、父さん。お肉も大きいところもらってきたわ」

「おおっ、そりゃ楽しみだなぁ」


 パンが二種類と、豆のスープとオレンジっぽい果物とリンゴっぽい果物がバスケットに盛られている。果物は小さいし干からびているけれど、貴重な生鮮食品だ。


「冷めないうちに、いただきましょ!」


 アキノが紙袋から取り出した骨付き肉は、まだほのかに湯気をたてていた。

 ほかほかの、骨付き肉だ。


「…………っ」


 とても美味しそうな匂いによだれが垂れそうになるけれど──同時に、ユウキの目に涙が浮かんできた。


(ち、ち、小さいっ!)


 紙袋から出てきたのは、小さな手羽元の丸焼きだった。

 たぶん、元の世界でいう鶏の手羽元だ。

 一人につき、二本。

 骨付き肉ではある。こんがり焼いては、ある。

 けれど、想像していたのは通称マンガ肉と呼ばれている「アレ」だったし、鶏肉ならば片足ぜんぶを焼いてほしかった。

 六才児の小さな体格のアドバンテージを活かして、自分の顔より大きいお肉にかぶりつきたかった……ああ、照り焼き味なら言うことなしだ、最高。

 だが、現実は手羽元だ。

 鶏肉すらもこの世界だと貴重品ということなのだろうか。

 流通の問題なのか、それとも畜産の問題なのか。


(それでも、ピーターさんとアキノさんが奮発してくれたんだよな)


 ありがたいことだ。文句を言うなんて、とんでもない。


「いただきますっ!」


 ユウキは丁寧に手を合わせて、すべてに感謝。

 アキノが興味深そうにそれを見て、真似をした。


「イタダキマス」


 小さな骨付き肉にかぶりつく。

 筋張っていて、ぽそぽそとしているけれど……紛れもなく肉だった。

 塩漬けでもなく、干し肉でもなく。

 久しぶりの生鮮食品だ。味が薄いけれど、涙が出るほど美味しく感じる。


「ん~っ、美味しいっ」


 アキノが頬をおさえる。

 骨をもらったポチがくぅんと鼻を鳴らしている。

 ポールも満足そうにモグモグと口を動かしている。


「うまい……瘴気のせいで、おちおち鶏も羊も飼えなくなったからなぁ」

「しょうきのせい?」

「私が生まれる前だけど……牧場がまるごと瘴気溜まりになって、動物がみんな魔獣になっちゃった事件とかあるみたい」

「たいへんだっ」

「畑もそうよ。よく風の吹く土地じゃないと瘴気溜まりになっちゃうからね。使える土地が少なくてねぇ」

「小麦畑が丸ごと魔獣化したことがあったんだよ、たしか……コガネドクムギになっちゃって。結局、ぜんぶ燃やすしかなかったんだ。あわや飢饉ってことになったから、どうにか近隣の国から支援をとりつけたっけ……」

「ピーターさんが?」

「うん、昔の……ルーシー殿のおかげで顔だけは広いからね」


 なるほどなぁ、とユウキは理解した。

 まずもって、食べ物を育てられるほどの余裕が世界にないのだ。

 瘴気のせいで土地も使えないし、せっかく育てても魔獣化してしまったら食べられない。美味しくするための品種改良なんて、やりたくてもやりようがないのだ。しようがないのだ。それでも、しょうがないのだ。


(この世界で美味しい物を食べるの、結構ハードル高いぞ……)


 たとえば、近くのスーパーからお取り寄せでもできれば話は別なのだろうけれど。


「ところで、買い物はどうだった。満足のいくものは買えたかな」

「はいっ!」


 ユウキは自分の部屋に置いてきた紙袋を思い出す。

 はじめての給料で買ったのは、小さな踊り子人形だった。

 トワノライトの名産品であるエヴァニウム──の加工途中で出てくる、エヴァニウムの細かな破片があしらわれていて、太陽の光を集めてダンスを踊るカラクリ仕掛けが施されている。


(かあさんと師匠、よろこんでくれるかなぁ)


 年に一度はオリンピアのもとに帰っておいで、とルーシーから内密に伝言されている。そのときに渡そうと思っているプレゼントだ。

 母親へのプレゼントなんて、照れくさい。

 けれど、オリンピアの嬉しそうな顔を思い浮かべると、何かしてあげたくなってしまうわけで。

 踊り子人形をそっと鞄にしまい込む。

 壊れないように、慎重に布で包み込んだ。


 ◆


 ──魔の山、奥地。

 元は聖峰アトスと呼ばれていた頃の面影を残す、オリンピアの結界内。

 人間の幼児を育てるためにすっかり所帯じみてしまった小屋から、壮年の女性が姿を表す。

 魔獣狩り専門の狩人マタギを生業としているルーシーだ。

 数年前に拾った異世界からやってきたという赤子を縁として、この聖域を拠点に暮らすようになったのだ。

 まったく、人生には何が起こるかわからない。

 極めて腕のいい狩人である彼女には、魔獣の出没によって反応する特別な羅針盤を携帯しているから


「なあ、オリンピア。いつまでそうしてるんだ?」


 ルーシーはかろうじて瘴気に汚染されずにいる精霊の力を宿した泉を熱心に覗き込んでいる古い友人──人格を宿した高位精霊オリンピアに声をかけた。


「うぅ……もしかしたら、ユウキさんが映るかも!」

「あー、精霊の遠見鏡か」

「そう! 精霊の多い水場にユウキさんが近づいてくれたら、ここに映るはず……」

「どこもかしこも瘴気まみれで、まともに精霊がいる水場なんてないだろ」

「うう……そうでした。聖水が湧いている水場は、ナンチャラ教団さんが独占してしまっていますし」

「残念だったな」


 しょんぼりと肩を落としているオリンピアに、ルーシーは苦笑する。


「お前が私以外の人間にそんなに執着するなんて、思ってもみなかったな」

「あっ、ヤキモチかしら? 心配しなくても、私のとびっきりのお友達はルーシーですよ」

「べ、別に嫉妬なんかしてないさ」


 それに、とルーシーが続ける。


「私としても弟子の様子は気になるからな……少し様子を見に行こうと思う」

「まあ! それなら、私も……あっ」

「お前がここを動いたら、この場所も瘴気に呑まれるぞ」

「そうよね、はぁ」


 オリンピアがいることで、どうにか清浄を保っている聖域だ。

 だから、彼女がこの場所から勝手気ままに出て行ける日は来ないのだ。


「ユウキがいつか、この山を元に戻してくれるかもしれない」

「そうねぇ。別世界からの旅人さんは、特別なことをするためにこの世界にやってくると聞くからね」


 くすくすと笑うオリンピアの頭を、ルーシーがくしゃと撫でた。


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