第18.5話 「女神」オタク、ミクの結論

朱音あかさんの告白から一週間が経ち。


連日ネットで騒がれているみたいだけど、それを追う気力すら湧かず、私はただひたすらぼんやりしていた。

女神が死んだ直後のような激しい激情はないんだけど、ただ何かが明確に失われたような虚脱感がある。

学校も仕事もキャンセルして、無事引きこもりに舞い戻った私に対して、両親は優しかった。

あまり口に出さないだけで、最近の私をずっと心配してくれていたんだと思う。

モデルなんだからこのぐらい細くて当然と思っていた体型は、確かに鏡でまじまじ見ると、あばらが浮き出ていてガリガリで、親の立場だったら不安になるのも無理はない。

親がうまく伝えてくれているのかマネージャーからの連絡もなかったし、女神オタク「ミク」としての活動は、事務所に所属した瞬間に辞めたから、かつて連んでいたオタクから連絡が来ることもない。たまに友達から体調を心配する連絡が来るぐらいで、あとは静かなものだった。

そんな中で、私はひたすら寝て起きてを繰り返し、起きている時間は──女神のことを考えていた。

女神と、女神にまつわる一連の事件のことを。


朱音さんが自首したことで、世間的には一件落着したように見えているかもしれないけど、私はもう知ってしまっている。朱音さんの話す内容が決して真実とは限らないことを。

それは朱音さんがこの後に及んで事実を隠しているとかそういう話ではない。

単に、朱音さんも、私が聞き込みを行なってきた他の人間と同様に、何かを誤解したり、都合よく解釈したり、間違ったりしてる可能性があるってことだ。

あともう一つ、朱音さんについて考える時に、併せてどうしても考えなきゃいけないことがある。


私も一歩間違えば、朱音さんになっていた可能性があるってこと。

だって私はこの一年間、必死に女神のプライベートを探り、その過程で何度も女神に裏切られたと泣いたし。

勝手に好きになって、勝手に裏切られた気になって、体調を崩すぐらい病んで。

私の場合は本人がもうこの世に居なかったからただ病むだけで済んだけど、今回聞いた様々な話を本人が生きている時に知ってしまったら、正直どういう感情を抱いたかは分からない。

朱音さんのように、きちんとけじめをつけさせたいって思うかもしれないし、彼女に警告するまでもなく自分のアカウントでさっさと晒し上げてしまうかもしれない。

そういったことをしない自信はなかった。

友達みたいに他の推しをさっさと作れる身軽さがあれば、ここまで深入りして真実を追い求めようなんてせず、素直に女神の死を悼めたはずだ。


愛情と執着は紙一重。

私の愛情は途中から執着になっていた。

そして、それが彼女への恨みや憎しみ、怒りに繋がっていく可能性は、全然あったのだ。

そう思ってしまうと、もう朱音さんのことを責められない──なんでこんな馬鹿なことをしたの、とは思うけど、インターネットで誰かと一緒になって石を投げる気にはなれなかった。


……そうか。

『アイドルはね、偶像なの。虚像なの。

あんたらは、あの子が見せていたあの子だけ信じれば良いんだよ。』

『あの子が死んだ理由なんて、そんなの分かるわけないわよ。

ただ一つだけ言えることは、それを知る資格は私にもあなたにも無いってこと。』

めいちゃんがあの時語った言葉が、ようやくストンと胸に落ちてきた。

墓を暴き立てるような真似。そんなこと、本当にするべきじゃなかったんだ。

暴いてみたところで心からスッキリすることはなくて、今みたいに、もっとグチャグチャに、汚い気持ちになっていく。泥沼に足を取られ、抜け出すこともできずはまり込んでいく。

私はいつまで経っても、女神の真実に辿り着けなかった。

当たり前だ。だって女神がいなくなった今、いや女神がいた当時から、誰も「ほんとう」の彼女なんて分かってなかったんだから。

皮肉なことに、真実を追い求めれば追い求めるほど、様々な選択肢と可能性に触れて何を信じていいかがわからなくなってしまう。

例えその中に、たった一つの真実が紛れていたとしても、もう私はそれを拾い上げる資格を無くしてしまった。だって私には、それを真実だと断定する術がない。

真実だと指し示すことが可能だったのは、この世でただ一人だけ、女神だったんだし。


真実がどこにあるにしろ、もう女神は戻らないのだ。

女神がいなくなって、今後もう私たちの前に姿を現す事はないということだけが、変わりようがない現実だ。

ふふ。なんだか、哀しみや怒りを通り越して、いっそ笑えてくる。

最後まで自殺の理由も分からずに、ただ、理由が分かったところであなたにはどうにもできなかったでしょ、と突きつけられたような気がする。

そう、私は彼女の苦痛に対して最初から最後まで無力だった。

私という一ファンがどれだけ女神を愛そうと、女神のことは救えなかった。

ひょっとして私は、そういう現実から逃避したくて、死の真相という、あってないようなものにしがみついていたのかもしれない。


そんな中、一週間ぶりぐらいにスマホに着信が届く。

一瞬、朱音さんかなと期待したけど、通知には社長の名前が記されていた。

今更、何の用で。解雇通知だろうか。

別に解雇される分には良いんだけど、ただそのための手続きとか、とにかく目の前に横たわる現実の全てが面倒なので無視を決め込んだ。

私の魂胆は全てお見通しだとでも言うように、何度も何度も、執拗に着信音が鳴る。

うっとうしいな、メンヘラかよ。

知ってる? 朱音さんがあなたの大事な大事な女神を殺したらしいですよ。

でもそれも多分、嘘だから。誤解だから。

本当なんてないんだよ、社長はもうとっくにわかっていたのかもしれないですけどね。

そう内心で毒づきながら、あまりにしつこいのでしぶしぶ電話を取ると、


「もしもし」

『もしもし。体調はどうだい? 今さっき彼女のお姉さんから連絡があって……どうやら、彼女の遺書が見つかったらしい。本当は君に見せる義理はないんだろうし、君に見せていいものかも分からないが……君は今、限界だろう。私はね、これ以上、うちの事務所で病む人間や、自殺者を増やすわけにはいかないんだ。仕事は別に復帰しなくていい。とりあえず以前のように寝て食べて、人間として当たり前の生活を取り戻すためにこれが必要なのであれば、メールでデータを送ろう』

「……」

『別に読みたくないということであれば無視してくれて構わない。用件はそれだけだ。休んでいるところ、すまなかったね。それじゃあお大事に』


──怖い。

最初に思い浮かんだ感想は、怖い、だった。

あれだけ女神のことを知りたくて追いかけたのに、死んでしまってからも諦めきれなくて、真実を探したのに。

遺書に書いてあることが、おそらく私が追い求めていた真実に最も近いはずで。

その中で、自分はファンに殺されたと書いていたらどうすればいい? 

ファンが憎かったと書いていたら。

あるいは、今までの自分は全部嘘だと、騙していてごめんと謝られたらどうすればいい?

嘘をついていたことを今更謝られたくもないし、呪詛の言葉も吐かれたくない。

だけど、代わりにどんな言葉が欲しいかと言われても、何をもらえれば私はかつての女神への愛を取り戻せるのかも、分からなかった。

あんなに、私のことを夢中にさせてくれた存在だったのに。

今じゃもう、女神に何を望めば良いのか、自分の気持ちすらも分からない。


ずるいよ。今になって遺書だなんて。

今更もう、どんな「正解」を「真実」を突きつけられたところで、私はもう、女神を信じられない、信じる資格を失ってしまったのに。

見つかった遺書は、私の中の女神の幻影にとどめを刺してくれるだろうか。

今度こそ、本当にお別れの時間が来たのかもしれない。



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