第16.5話 「女神」オタク、ミクの解像

女神が死んだ。

自宅のマンションで服毒自殺したそうだ。

全国ツアーの初日を、東京ドームで華々しく飾った一週間後のことだった。


それまでの私の生活のほとんどは、女神への愛で構成されていた。

十二歳の時に出会ってからというもの、この六年間、一日たりとて女神のことを考えない日はなかったし、その生活は今後もずっと、女神がいつかアイドルを引退し、私達の前から姿を消してすら続くのだと思っていた。

私の人生は、女神以前と女神以後で区切られているかのようで、女神と出会う前の私がどんな風に息を吸って、どんなことに興味があって、どんな顔をして生きていたかなんてもう思い出せない。

人気アイドルである女神の突然の死に、ネットや週刊誌では様々な憶測が飛び交った。

世間の重圧、裏での壮絶ないじめ、悪質なストーカー被害、果ては芸能界に巣食う闇によって彼女は消されたんだとか。

そんな中で私は、心にぽっかりと大きな穴が空いてしまったみたいになってしまって、このまま以前のように普通に生活するなんて無理だと思った。

この穴は、女神が死んでしまった理由を知ることでしか埋まらない。

せめて自殺の理由を知り、私の中の女神像を完成させるのだ。そう思って、今まで走り続けてきた。

だけど、私は女神に一向に近づけない。

そんな私を軽蔑するかのようなめいちゃんの冷たい視線が頭に浮かぶ。

言われなくても分かってるよ、めいちゃん。

夢のように美しく、いつだってファンに真摯で。透き通るような歌声と、伸びやかなダンスが印象的で。ずっと私が推していた存在。女神と慕って追いかけていた存在。

もちろん、女神が私たちに姿を見せていない間、どんな生活をして何を思っているかなんて知る権利がないことは、めいちゃんに言われなくても分かっていた。

それでもどこかで、何かを期待してしまっていた。


女神のことが、何一つとして分からない。

私が推していた「女神」って、なんだったんだろう?

アイドルは虚像だ。偶像だ。

そう言ったって生身の部分が漏れ出る瞬間はある。

バラエティとかラジオとか、雑誌のインタビューとか、ライブとか、生配信とか。

ファンというものは、偶像の彼らを愛しつつも、その仮面が剥がれて出てきた生身の部分こそを愛し、追い求める生き物なんじゃないのか。

意外とホラー映画が好きで、休みの日は家にこもって、ひとりでB級ホラー鑑賞会をやってるだとか。

ウーバーイーツでついついサイドメニューまで買い込んでしまって、食べすぎることになり後悔するとか。でもライブ前はシビアに節制して、体力が衰えてしまわない程度に、ギリギリまで体を絞るとか。

恋愛映画のヒロインをやるにあたって、勉強のために少女漫画を読み漁ったとか。

そういう情報の一つ一つが血肉となって実像としての女神を構成しているんだって、そう思っていた。

簡単に言えば、私は、女神のことを勝手に知った気になっていた。

でも、実際は何一つ分かっていなかった……ということだけが、追いかけ続けてようやく分かったことだ。


私を孤独から救ってくれたあの歌は、女神のものじゃなかったかもしれない。

深い青が素敵だと思ったあの絵は、女神じゃなくて姉が描いたものかもしれない。

恋愛したことないと言いながら、陰では愛人をやっていたかもしれない。

天使じゃなかったかもしれない。悪魔だったかもしれない。

私が推していた存在は、決して「女神」なんかじゃなかったのかもしれない。


きっと関係者の誰かは、女神について嘘をついたり話を盛ったりしてるんだろうし、そうじゃなくても勘違いとか、自分に都合のいい独自解釈をしてるとかは絶対ある。だって、彼女に対する証言が余りにもそれぞれ食い違っているんだもん。

まるで私たちファンと何も変わらない。

結局、誰も女神のことを分かってなくて、何かを押し付けて理解した気になっていて。

女神の本当のところは、きっと女神自身にしか分からなくて、だけど彼女はもうこの世から消えてしまった。

そして残された私は、女神にはなんの罪もないはずなのに、勝手に私が期待を押しつけただけなのに、なんで私たちファンを裏切ったんだと女神を責めてしまってる。

もしかするとそういう身勝手なファンに女神は嫌気がさしてしまったのかもしれないという罪悪感にも駆られながら。

でも、だって、推しのことをもっと知りたい、近づきたいと思う気持ちはファンなら当然だ。

推しが急に自分の前から姿を消してしまったのなら、尚更。

決して、皆が言うような下世話な興味なんかじゃない。

ただ、女神が抱えていた痛みを、苦しみを、共有したかっただけ。

あの時のライブでの女神があんまりにも綺麗で幸せそうだったから。

せめて自殺するほどの苦痛を隠し持っていたのなら、私にも背負わせて欲しかった。

その痛みだけが、この世から姿を隠した女神と私を繋ぐ連帯だと、私だけが本当の意味での女神の理解者であると思いたかった。

私だけが──。


そんなことを考えていたら、スマホが震えた。ポップアップ通知で報せが現れる。

──心臓が脈打つ。

なんでだろう、すごく嫌な予感がする。そうか、そういえば今日は女神の命日。ちょうどあれから一年、一周忌だったのだ。

のろのろと緩慢な動作で、机に放ってあったスマホを取り上げると、

「なに、これ」

朱音あかさんのアカウントが炎上していた。理由は単純明快、

『女神を殺したのは私です』

そんな呟きから始まる告白が、延々と呟かれていたからだ。

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