第15.5話 「女神」オタク、ミクの信仰

作家の手紙は当然だけど直筆で、まずその達筆ぶりに驚いた。

流石は著名な作家と言うべきか、流麗な筆跡もそうだし、簡素な便箋の感じも落ち着いていて、いかにもという感じ。

手紙の文章は彼が書く小説よりも断然読みやすく、こんな風に本編も書いてくれればいいのに、なんて思った。

それじゃあ、愛読者の求めるものにはならないのかもしれないけど、新規ファンを増やすなら断然こっちの方が良いのになあ。


文章から読み取れる落ち着き払った態度は、中学時代に一部で人気のあった古文の先生を思い出す。

私にはさっぱりその良さが分からなかったけど、それこそ女神のお姉さんみたいなちょっと大人しめの女子生徒には人気だったのだ。

意外と女神にも、その手のオタク女子みたいな嗜好があったりするのだろうか。


念のため、作家をフルネームで検索する。

……うん、ないな。ないない、これは流石にない。

ちゃんと立場を弁えていて、おじさんの癖に若い子いけるとも思ってない、とかも加味すると、総合点で見ればプロデューサーよりは上かもしれないけど、少なくとも月九俳優を袖にしてまで選ぶ男性ではない。

顔は決してブサイクではないけど、やはり三十の歳の差はどうにもならないよね。自分の父親よりも年上の男はどう頑張っても異性としては見れない。それが結論。


それよりも今気になるのは、彼が書いていたという女神をモデルにした小説の方だ。

彼女が憑依型の女優であるということはファンの間では周知の事実みたいなものだったから、作家の言っていることは事実だろう。

そして、その作家曰く、その作品は「筋書きが酷」で「戻って来れないかもしれない」と心配していたとのことだ。


……気になる。

あくまで創作上の脚色を加えられた姿とはいえ、そこには作家が映しとり、再解釈した「女神」がいる。生身の女神の一部分がそこには切り取られている。

何より、生前の彼女は、自分をモデルにしたこの小説の原稿を読んでいた。

何を思って、どう読んだのだろう。

私も読みたい。

まだ、この作品は出版されていないらしい……どうしよう、また歳の差の恋だったりしたら。

手紙では「疑うようなことは何もない」といった風に書いていたけど、それはつまり、お姉さんも二人の関係を疑ったということで、そのぐらい二人は怪しかったってことだ。


それに、手紙ならなんとでも書けるわけだし。

娘がいるとかなんとか言っていたけれど、それは何の証拠にもならない。

本当に娘のような年頃とは一切恋愛が成立しないって言うなら、なんであんな作品が書けたんですかって話。

本人が取り繕っているだけで、何かそういう願望とか下心とかがあってもおかしくなかったんじゃないの?

もしかしたら、次回作のヒロインに出してやるからといって、女神に何か強要したとかだってあり得るかもしれない。

そんなことを真剣に考えていたら着信音が鳴った。

相手はイラストレーターの「朱音あか」さんからだった。


「もしもし」

『ミクちゃん? お久しぶりです。相変わらず女神のこと探ってるんでしょ?』

「そうですよ。……悪いですか?」

『悪くはないけど。……なんだか機嫌悪そうですね。かけ直したほうが良いですか?』

「……いや、大丈夫です。で、用件はなんですか?」

『一緒にグループのセンターやってたって女の子。名義を変えて活動してたから長い間わからなかったんですけど、ようやく見つけたから一応伝えとこうと思って。何かの手がかりになるかは分からないですけどね』

「一応チャットに送っといてください」

『あと、前ミクさんが気になるとか言ってた小説家を僕の方でも洗ってみましたけど……確かに以前から交流はあったみたいですね。ただ、ミクさんが心配しているようなことは何もなさそうでしたよ』

「なんでそんなことが朱音さんに分かるんですか」

『いやあ、考えてくださいよ、五十代ですよ、五十代。年の差って言ったって、限度があるでしょう。常識的に考えて、それは無いですよ』

「そんなの分からないでしょう」

『じゃあ天使と同年代のミクさんは、五十代でも恋愛対象に入るって言うんですか?』

「入るわけないじゃないですか! 変なこと言わないでくださいよ、気持ち悪い」

『ほら、そう言うと思った。君たち女子高生ってば、僕みたいな三十代前半ですらおじさん扱いなんだからなあ』

「でも、私がナシだとしても、女神はアリだと思ってる可能性はありますよね」

『そりゃそうですけど……全人類が女神の恋愛対象ですか? 博愛主義者ですか? 馬鹿馬鹿しい』

「女神に恋愛感情がなかったとしても、作家の方はあった可能性はありますよね。女神にフラれて逆上した可能性は?」

『いやあ、流石に自分より三十以上も下って無いですよ、無いです。それにあの小説家には奥さんがいたらしいですよ……死別したらしいんですけどね』

「奥さんと女神を重ねて見ていた可能性とか」

『奥さんとの間には娘さんがいたそうで、女神と同い年だそうですよ。流石に己の娘と同じ年頃の女の子をそういう目では見ないんじゃないかなあ』

「娘が父親の愛情を独り占めする女神に嫉妬して殺したのかもしれない」

『あのう、自分でも無茶苦茶言ってるの分かってます?』

「女神にまつわる全てが無茶苦茶なんですよ、もう」

『頭おかし……じゃなくて、今日のミクさん、いつにもましておかしいですよ。何かありました?』

「私が追いかけてた女神ってなんなんでしょう」

『急にそんな哲学みたいなこと言われても。女神は女神でしょう。純真無垢で、誰よりもアイドルであろうとした気高い女の子。才能にも溢れていて……ミクさん、何を考えているんですか』

「女神が私や朱音さんの想像していたような人間じゃなかったとしたら、例えば不倫とか盗作とか、愛人とか……それでも朱音さんは女神のことを推し続けますか?」

『は? それは推すわけないじゃないですか』

「えっ」

『だって詐欺みたいなものでしょう。こっちは女神がそういう子だと思ってないから推してるのに』

「でもそれじゃ……女神が可哀想じゃないですか?」

『可哀想? 僕たちファンがどう思ってるかを知ってて、それを利用して稼いでるんですから。裏切るなら、その分の責任はちゃんと取らなくちゃ。それがアイドルってものだと僕は思いますが』

「でも今のは極端な話で、ちょっと自分と思ってたのと違ったみたいなのは、よくある話じゃないですか。それでも責任を取らなきゃいけないんですか?」

『……程度問題だとは思いますけど。僕たちは、理想の女の子にお金を払って推しているわけでしょう。理想じゃなかったら、それを拒否する権利はあるはずだ』

「それは確かに……そうかもしれないですけど……」

『まさか女神が不倫でもしてたんですか』

「いや、そんなことは」

『じゃあ良いじゃないですか。……余計なお世話かもしれないですが、いい加減ミクさんも、女神の呪縛から解放されて、自分の人生を生きた方が良いですよ』

「女神の呪縛? 私が? ……違います、これは愛です。女神がちょっと想像と違うだけで、すぐに推し変しちゃう朱音さんには分からないかもしれないですが」

『僕は推し変してないですよ』

「私はやることがあるのでもう切りますね。作家の手紙についてもゆっくり考えたいし」

『手紙って……ミクさん、まさか小説家にまで接触したんですか』

「正確には、彼女のお姉さんと話して、文通の一部を見せてもらいました」

『どんな内容でした』

「随分と女神は小説家に入れ込んでいたようですね。なんせ、自分の姉に紹介しているぐらいですから。ラブラブで何よりって感じでしたよ」

『嘘です。そんなの有り得ない』

「それがあり得るんですよ、私も信じられないんですけど。愛って歳の差とか余裕で超えちゃうんですね。はーびっくり」

『嘘を吐くのは辞めてください。女神を貶めて楽しいですか』

「なんで私が嘘を吐いてるって思うんですか? 私は朱音さんと違って手紙を読んだ側ですよ? 今じゃマネージャーも女神と一緒だし、女神が共演したイケメン俳優とも会って、それ以外にも友達とか、家族とか、とにかく朱音さんよりずっとずっと、今の私は女神のこと理解ってる立場なんです。逆に聞くけど、嘘だって思う根拠はなんですか? 朱音さんは女神の何を知っているって言うんですか?」

『そんなの、絶対に嘘だからに決まってるでしょう』

「というか、別に女神が歳の差恋愛してたって良いでしょう。犯罪じゃないんだから。純愛だったみたいだし。不倫とかならまだしも、本当のファンなら歳の差恋愛ぐらい受け止めて応援してあげないと」

『本当のファンならってなんですか。勝手にミクさんの考えを押し付けないでください』

「朱音さんこそ、アイドルに色々押し付けすぎですよ。……ちなみに作家の話は嘘なんですけどね。仲良くはしてたみたいだけど、恋愛していたかどうかまでは分からなかったです」

『……こっちが心配して電話かけたって言うのに、態度も悪いし嘘吐きだし、もういいです』


朱音さんに一方的に電話を切られてしまった。

なんだかどっと疲れてしまって、かけ直す気にもならない。

変な嘘を吐いてしまって驚いたけど、あんまりみんなが勝手なことばかり言うものだから、私も女神の物語を作って、ちょっとぐらい誰かを振り回してみたくなったのだ。

ちょっとした悪戯心。

この一年近く、ずっと女神に振り回されているんだから、これぐらい許してほしい。すぐに事実に訂正したし。


何かの呪いがかかっているのかと思うぐらい、女神を取り巻くあれこれは未だに全容が見えない。

暗中模索とはまさにこのことで……ずっと暗闇の中を彷徨っているような心細さと、緊張と。

朱音さんの連絡によって、芋づる式にかつての推し友達の存在が連想された。

精神衛生に悪いからということで、ミュートしてからというものの、久しく彼女の投稿を見ていない。

流石にまだ連絡する気にはなれないけど、なんとなく気になって、彼女のアカウントを見てみる。

直近の呟きは、アイドルグループの新曲MVのリツイートだった。どうやら彼女の新しい推しらしい。

あーあ。ほら、やっぱり。

彼女に限らず、かつて女神を慕っていたファンのほとんどが、今はもう新しい推しを作っている。女神のことなど忘れてしまったかのように、通常の生活を取り戻している。


……やっぱり私は間違ってない。呪縛だのなんだの、失礼な。そんな浅い人間たちに、私の愛をどうこう言われたくない。

それにしても、このアイドルグループのセンター、どこかで見た顔だ。

どこだっけ……あ、そうだ、この顔は、確か朱音さんに教えてもらった、あの。

『芸能界って色々あるよねー。これは女神が病む気持ちも分かるわ。さっき流れてきたアイドルの子もパーティーとか、色々大変なんだろうなぁ』

これぐらいなら別に最悪アカウントがバレたってどうってことない。

明確なことは書いていないし、誰のことを名指ししたわけでもないし。「色々大変」がなにで、「パーティー」がどんなか、そこを具体的にしないと何も言っていないのと同じだ。

私は一切何に関しても嘘を吐いていない。

ただ、これを見た友達は、絶対に、自分の推しが何か良からぬ会合に顔を出していると邪推するだろう。

なんだか、特に面白いことがあるわけでもないのに笑えてきた。

せいぜいみんな、私の言葉を曲解して、女神に限ってそんなおじさんとーとか、私の推しが変なパーティーに行っているなんてーとか、みんな好き勝手に嘆いていればいい。


私は、私だけはこのまま真実に辿り着く。


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