第17話 子/虎
「子……!?」
「『私たちにはもう必要ない』って断ったのに、押し付けられちゃったのよねえ」
絶句する千鶴をよそに、菊乃は手のひらを軽く傾けます。
「そ、そうなんですか」
どんなときもおっとりした笑みを絶やさない彼女は、断るのがあまり得意そうには見えません。
(なんとなく想像はつくけど……! それより、お薬落ちちゃわないかな? 使わないみたいだから、落ちてもいいのかもしれないけど)
「そうなの。ね? ……もしこんなものを持って帰って、
(そういえば、菊乃さんと旦那さんって、すごく仲がいいんだった! でも、それならそれで…………)
菊乃の言わんとすることを即座に理解した千鶴は、上がってきた熱を少しでも冷まそうと、頬をぱたぱた仰ぎました。
「使わなければいいだけじゃ……」
「手元にあったら、なんでも試してみたくなるじゃない?」
菊乃が薬袋紙を振って見せると、中身がかしゃかしゃ擦れ合う音がします。
彼女の笑みは、悪戯っ子のようでもあり、蠱惑的な女性といった印象でもあり、境界線をうやむやにされてしまいそうな危うい色気を感じさせました。
「…………。そのお友達、他にはなにか言ってませんでしたか?」
縁起のいい動物の名を冠した包み方だけあって、大口を開けた猛獣に睨まれている錯覚に陥った千鶴は、緊張した面持ちで問いかけます。
「どうだったかしら? あんまりちゃんと聞いてなくて」
「わ! 落ちちゃう……!」
菊乃が首を傾げたはずみで、いよいよ薬袋紙は落下してしまうかに思われましたが、咄嗟に両手で受け皿を作った千鶴によって、無事に救出されました。
「ありがとうね。でも、ちょうどよかったわ。外装を見ているだけじゃ、判断のしようもないものね?」
「ええっと……。じゃあ、中身を確認させてもらいますね?」
「私はいいけど、
「はい。見れば成分はわかるはずなので、時間はかかりませんし」
「そう……。でもね、実は千鶴先生を見かけたときから、決めていたの。『このお薬は貴女にあげよう』って」
「え!? そんな! わたしだって、いただいたところで予定はありませんから……!」
脳内がまぜこぜになってしまいそうなほど激しく首を横に振ったせいで、めまいに似た感覚をおぼえた千鶴でしたが、果たしてそれは本当に彼女の行動のみに起因するものだったのでしょうか。
「…………それは、
「えっと……。それは、どういう?」
「どうって、そのままの意味よ? あなたたちも、ご夫婦なんでしょう?」
異国の聖母を彷彿とさせる眼差しは、常日頃、彼女の子に注がれているのと程近いものでした。
(そういえば、紫水さんとわたしって……どういう関係……? でも、そういうことにしておかないと、評判にかかわるよね)
出発前の約束を守るため、千鶴は慌てて口角を上げました。
「…………まあ、そんな感じ……です」
「でしょう? 話し合いがまだなら、しっかりしておいたほうがいいと思うわ? もし
「……じゃあ、いただきますね。ありがとうございます。まずはどういうお薬なのか調べてから、決めることにします」
「ええ。私にも
口元を隠した菊乃からは、やはり人を惑わせる色香が漂っていました。
「…………はい!」
千鶴が譲り受けた秘薬を握り直すと、縁起物の獣は細い指先を口のなかに仕舞い込んでしまいました。
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