四次元蛇口

朝倉亜空

第1話

 “プロローグ” 

 ある青年が、年末恒例の電車内落とし物市に行き、何か掘り出し物はないかと物色していると、蛇口を見つけた。それは何の変哲もない、ごく普通の蛇口だったのだが、青年はそれを買い、アクセサリーのつもりで面白半分に自分の部屋の壁に取り付けた。

 彼がそのレバーをひねってみると、驚いたことに、蛇口から液体が噴出してきた。しかもそれは新鮮なオレンジ果汁だった! 青年はありがたくそのオレンジジュースをガブガブ飲むことにしていたのだが、ある日、テレビニュースで、今年は不思議なことに全国のミカン農園で果汁が一切含まれていない、カラカラに乾いた皺くしゃの果実が多く確認されているとの報道を見た。もしかして、ここの蛇口から出ていたのは、その果汁か……?



 “本編”

 12月に入ったので、その青年は都心のデパートまで足を延ばした。年末恒例の電車内落とし物市を覗きに行くためだ。たいていは傘や帽子ばかりなのだが、中には掘り出し物もあったりする。真珠のネックレスや大人気の最新式ゲーム機、品薄でプレミア価格になっているタブレット端末などが格安で買え、見つけた人にとっては一足早い、嬉しいお年玉となる。また、それ以外にも、何で? と言いたくなるようなものもあったりするのが面白い。大人の靴が一足とか、ズボンとか。落とした人はどんな格好で家まで帰っていったんだろうか。さらには、骨壺や入れ歯なんてのもあるが、買う人がいるとは思えない。

 青年は催し場隅のワゴンコーナーへ向かった。ワゴンの中は案の定、折り畳み傘と帽子と手袋が山積みになっている。目ぼしそうなものはもう、あらかたかっさらわれているようだったが、彼は右手をその忘れ物の小山の中に突っ込み、中でゴソゴソとやってみた。

 すると、手のひらサイズの、何か固いものにぶつかった。青年はそれを掴み、山から引っこ抜いた。

 それは何の変哲もない、ごく普通の蛇口だった。レバー上下操作式の物ではなく、古くからある十字型の回転式のレバーになっている奴だ。

 これを自分の部屋の壁にネジで固定させ、面白インテリアにするのもよさそうだ。値札を見ると、なんと¥0-となっている。タダだ。買うとしよう! 満足気分で、青年は帰路についた。


「これでよしっと」

 三十分ほどかけて、青年は蛇口を壁に設置した。台所や洗面所でもない、ただの自室の白い壁ににょっきりと突き出た蛇口。うん! そのアンバランスが奇妙で面白い。彼は一人、悦に入っていた。友人が訪れた時にもきっと、呆れつつも気に入ってもらえるだろう。もちろん、単純に壁に釘打ちしただけだから、てっぺんの蛇口レバーをひねり回したところで水道水が出るわけはない。だが、それがいい。青年は遊び感覚で回転レバーに手を伸ばし、くるくると回してみた。

「ぅわああっ!」

 彼が叫んだのも無理はない。

 蛇口の先から、ジャバジャバと水がほとばしり出てきたのだ!

「やっ、やばいやばいっ!」

 青年は慌ててレバーを逆に回した。

 急いでぞうきんを持ってきて、床にまき散らかった水を拭いた。

「ん⁉ これ、ただの水じゃないぞ」

 ふき取ったぞうきんから、甘酸っぱい、いい匂いがした。そういえば、さび水の様な、赤味がかった色をしてたっけ。

 拭き掃除を終えた後、今度はガラスコップを持ってきて、コップに水をためてみた。

 ガラスコップの中の水は、きれいなオレンジ色をしていた。鼻を近づけると、フルーティーないい香りだ。青年はコップを唇に寄せ、思い切って、ほんの少しだが口に含んでみた。

「実に美味しい! とても上質なオレンジジュースじゃないか!」

 青年は非常に驚いた。

 それからというもの、青年はのどが渇くとなると、ガラスコップを持ってきて、この蛇口からオレンジジュースをたっぷりと頂くようになった。おかげで随分と体重を増やすことになってしまったのだが。

 だが、年が明けて、三月に入ったあたりにオレンジジュースの出が止まってしまった。少し残念に思っていた青年だったのだが、その頃、何気にテレビを見ていると、ちょっと妙なニュースを目にした。

 どういうわけか、全国のミカン農園で同時多発的に、収穫期のミカンの果汁がまったく蓄えられていない、カラッカラに干からび、しわしわに小さくなったものが発生するという事態が起こっているとのことだった。まるで果汁がどこかへ消えていったようだと、ミカン業者は不思議そうに話し、嘆いていた。

 ……まあ、あっちで消えて、こっちに出たんだな……。少し、申し訳ない気がした。


「おっ、また出てきたぞ!」

 夏が過ぎ、九月の半ばごろ、蛇口レバーをくるっと回してみたところ、再び果汁が出てきた。今度のはきれいに澄んだ、うす黄色のジュースだった。「おやっ、今年はリンゴだな!」

 一口飲んで、確かめる。最高にうまい! 上等のリンゴジュースだ!

 青年はこうなることを予期し、準備を整えていた。オートマティカルに瓶詰ジュースにする機械を部屋の中に導入したのだ。稼働スイッチを押して、蛇口レバーをひねるだけ。ベルトコンベアー式にとっとことっとこ瓶詰リンゴジュースが出来上がっていく。こいつは飛ぶように売れた。何せ、市場には本物の完熟リンゴの出荷数が極端に少ない。全国のリンゴ園では、前回のミカンの比ではないくらい、今回はしわっしわの干からびたミイラリンゴの数が極端に多いのだ。それはこの蛇口で流れ出る果汁の量が段違いだからなのだが。

 それで、全国のリンゴ好きの皆様方が、この特上リンゴジュースを買ってくださっているのだ。わーーっはっは。青年の笑いは止まらなかった。もう少し高値にしてもよかったな。

 そして、今年もリンゴの収穫の最盛期が終わるころ、三月の終わりには蛇口からの果汁の流出量は渋くなり、彼はジュース製造を止めた。いやー本当に儲かった。

 また、やはり今回もテレビニュースが、リンゴ果実の謎の皺くしゃ不良の大量発生を取り上げていた。そのニュース映像の中で、リンゴ園の経営者さんが号泣しながら、インタビューに答えていた。

 青年は誰かが大泣きすれば、その分、他の誰かが大笑いするのだという地上の真理を、身に染みて実感した。次の新鮮搾りたてジュースは何だろう。青年は早く秋の収穫期が来ないかなと、心待ちした。


「うーん、やっぱり今年も最高にうまい!」

 青年は蛇口からコップに注ぎ入れた綺麗なルビー色のジュースを一気に飲み切った。

 九月に入るなり、待ちかねていた私が蛇口レバーをひねって開けると、紅玉色の液体がほとばしり出てきた。今年はブドウだ。それでは最高級ブドウジュースの製造を開始するとしますか。全国のブドウ農園の業者さん、誠に申し訳ない!

 青年はジュース製造機の稼働スイッチを押そうとした。その瞬間!

 大地震が発生した! ゴガゴガガンガンと床が物凄い縦揺れ、横揺れに見舞われた。天井や壁がミシミシと悲鳴を上げ、製造機が激しく揺さぶられている。時間にして三十秒ほど、揺れに揺れた。

「いやー、びっくりした。震度六近くはあったな」

 幸い、奇跡的にガラス瓶が割れるなどの被害はなかった。だが、機械はどうだ⁉ この機械には精密部品が多く使われている。そういったものは強い振動や衝撃に非常に弱い。強いショックが原因で誤動作を起こしてしまうなんていうこともよくある。万が一、故障でもしたなら……。青年は機械のあちこちを、何か不備がないか時間を掛け、入念にチェックした。小汗をかきながら悪戦苦闘し、一時間ほど調べたが、彼にはなにがしかの問題点を発見することはできなかった。恐る恐る、稼働スイッチを押した。ウィーンという静かなモーター音とともに機械は動き出した。壊れていない! 青年はほっと胸を撫で下ろし、蛇口レバーをくるくるとひねった。じゃぶじゃぶと勢いよく、鮮やかな赤朱色の液体が機械の投入口に流れ込んでいった。これでよし!

 地震があったり、慣れない機械のチェックをしたりして、青年は少し疲れたようだ。あとは機械に任せておけばだろう。軽く頭がクラっと来た青年は身体のだるさを感じ、その場でごろんと少し寝ることにした。


 某所ブドウ農園にて。

 男性従業員たちが熟れたブドウの収穫作業に勤しんでいた。

「今年もなかなかの実りだな」

「ああ、そうだな」

「しかし、よく注意してチェックしようぜ。何せここ数年は原因不明の果物の不良発育の事例があるからな」

「うん。前回はリンゴで、その前はミカンだったな」

「なんでも、果汁が一滴もなくなって、ミイラみたいにくしゃくしゃに縮こまってしまうらしいじゃないか。リンゴ農家、泣いてたぜ」

「大赤字だ。可哀そうになあ」

「今のところ、ここのブドウは大丈夫そうだが……。それはそうと、ちょっと作業に精を出しすぎたのか、今、頭がクラっと来た。悪いが少しだけ座って休憩してもいいか?」

「ああ、かまわんよ」

「悪い。じゃ、ちょっとだけ……」

 どうも貧血っぽくていけねえやと言いながら、その男はゆっくりとしゃがんだ、のだが、そのまま気を失いどさっと倒れこんでしまった。

「お、おい! どうした! 大丈夫か⁉」

 もう一人の従業員が倒れた男に駆け寄り、その肩を揺さぶりながら、声を掛けた。

「おい! しっかりしろ!」

 そう言って、その男を両手で引き起こした時、男の異常な軽さに驚いた。しかも、男の顔、首筋、上腕部に見る見るうちに深い皺が刻まれていき、まるで百歳を超えた小さな老人のように縮こまり、どんどん軽くなっていってることにもっと驚いた。

「な、なんだ⁉ こいつ、皺くしゃのミイラになりやがったぞッ!」

 そう叫んだ直後に、その従業員もクラっと来たのか、バタリとその場に倒れこみ、見る間に皺くしゃに縮こまっていった。


 製造機は誤動作を免れたのだが……。

 

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