魔法醸女りゝかる霧島

粟沿曼珠

魔法醸女りゝかる霧島

魔法醸女りゝかる霧島

「霧島ちゃーん、この仕事やっといてくれる?」


「霧島さんまたミスしたの? これで何度目? はぁ……」


「結衣ちゃん聞いて! 私二人目の子供が生まれるの!」


 イラつく。


 仕事を急に振ってくる上司も、ネチネチと小言を言うババアも、同級生の幸せな報告さえもイラつく。


 真面目に生きてきたつもりだ。学校での成績も人間関係も良好、行事も部活動もアルバイトも真剣に取り組んだし、自分で言うのもなんだけど率先して人の手伝いやボランティアもした。


 なのに何故、私はこうも苦しめられる?

 何故、職場で急に仕事を振られたり小言を言われたりする?

 何故、結婚どころか彼氏もできずに三十路手前まで孤独に生きている?


 毎日のように周囲に苛まれ——塵のようだったストレスが、私の心にいつの間にか大きな山を築いていた。

 山を崩そうとしても、塵は次々と山に降ってきて寧ろ大きくなっている。崩すそうにも最早手遅れだ。


 それでも私はその無限に大きくなる山に、永遠に続く戦いを仕掛けなければならない。私の精神の健康を守る為に。


 


 人の少なく暗い道、小さい女性が縮こまって怯えている。その側には、二人のチャラい男。


 ナンパしている野郎二人を睨みつつ近付き——リュックから

 栓を抜き、一升瓶を掲げて焼酎を口に、そして胃に流し込む。口から零れ出た液体が顎と首を伝ってスーツを濡らすが、何年もやれば慣れたものだ。


 口に流れ込んできたと同時に襲い掛かってくる、焼けるような感覚。薩摩芋風味の冷たくも熱い水、この味と刺激が酷く堪らない。

 口を焼き、喉を焼き、食道を焼き、胃を焼き——そして、


「……っはぁ」


 瓶を口から離し、スーツの袖で焼酎塗れの口を拭った。

 熱がこもった体は光に包まれ——


「——んぁ?」


 縮こまった女性とチャラ男二人のすぐ側にまで来た。金髪の野郎が憎たらしい笑みを浮かべながらこちらを威圧するような声を出してきた。


「何だ——」


 野郎二人、そして女性は言葉を失って立ち尽くし、じっとこちらを見た。


 私のこの姿を見た人は皆言葉を失う。


 当然だ。


 ある種の戦慄を抱いてこちらを見上げる三人に、私は瓶を突き出して見せつける。変身と同時に変化したラベル、そこに記されている名前——否、銘柄は——


「魔法醸女りゝかる霧島」


 荒々しく書かれた文字を読み上げ、瓶を肩に乗せる。

 野郎二人を見下ろして睨み、呆れと苛立ちの込められた嘆息を零して語りかける。


 ——まあ、今まで諭しても誰も聞かなかったから、こうしてストレス発散の場として


「あんた達やめなさい。この子こんなに怯えているじゃない。そもそも恋愛とか性行為はそれ相応の関係になって——」

「ぶふぅっ!」


 金髪の野郎が吹き出した。それにつられてオールバックの野郎も吹き出し、げらげらと笑いだす。


「み、見ろよこれっ! 酒の瓶にこんな、こんなピンクのフリフリの服ってっ!」

「キツすぎだろいい年こいたがっ!」


 ——おばさん。


 おばさん。


 おばさん……


「おらァッ!」

「おがっ!?」


 心が怒りに燃え上がったのと、一升瓶がオールバックの頭を直撃して振り抜かれたのはほぼ同時だった。

 男は頭から血を垂れ流してアスファルトに倒れる。鉛色の大地を伝う血が金髪の足下にまで流れ——


「ひぃっ!?」


 その体には戦慄が走って彼は尻餅をついた。立ち上がろうにも上手く立ち上がれず、恐怖に満ちた表情でこちらを見たまま尻を引きずって逃げようとする。


 そんな男に瓶を振りながらずかずかと近付き、その髪を掴んで持ち上げ、自分の顔を近付ける。

 痛がって酷く怯えた表情を意に介さず、その顔を睨んで口を開く。


「あんた私のことおばさんっつったろ」

「い、いや俺は言ってな——」

「こちとらまだピチピチの二十代じゃボケがァ————————ッ!」

「いっごっ!?」


 その顔面に一升瓶の一撃を叩き込んだ。

 魔法少女の姿になると一撃の威力が遥かに上昇する、が——


「だ、誰か……俺まだ、死にたく……!」

「まだくたばってねぇか」


 荒い息を吐きながら金髪を睨んで近付くと、酷く怯えた表情で「来るなぁ! 来るなぁっ!」と彼は連呼し——


「ちぇすとォ————————ッッッ!!!」


 脳天に一撃を叩き込み、その衝撃に一升瓶が粉砕されると同時に遂に男は血を垂れ流して倒れた。

 ちなみに絵面は酷いが死ぬことは無いらしい。曰く「魔法少女が人殺す訳ねぇだろ」とのことである。


 荒い呼吸を消すかのように大きく息を吸って、吐く。そして小さな女性の方を向き——


「…………」


 腰を抜かしたのか、アスファルトの上にへたり込み、怯えた表情でこちらを見ている。

 その手に握られているスマホに表示されているのは、電話の画面であった。


 ——あ、まずっ。


 晴れやかな心の中に焦りが生じた。怖がれないように満面の笑みを浮かべて女性に歩み寄——


「ひぃっ!?」


 ——るが、一歩踏み出した時点で彼女は恐怖の声を零した。

 それを気にせずにずかずかと歩み寄り、屈んで女性の怯えた顔を笑顔でじっと見、そして

 私のことは既に警察の間で問題になっており、通報されたら面倒なことになりかねない。


「魔法醸女りゝかる霧島は、ずっと、ずーっと、君と共にある。いつでも駆けつけられるからね。肝に銘じておくように。あ、あとあいつら死なないから救急車呼ばなくていいよ」


 そう言って手を力強く握って拳を作り、彼女に見せつける。


「はっ、はいっ! ごめんなさいっ!」


 何度も何度も頭を下げる彼女を見てほっと一息吐き、私は立ち上がってこの場を後にした。

 思わぬところでさらに苛立ってしまったが、野郎二人をぶちのめしてストレス発散できた。


 ——でも、どうせすぐにストレス溜まるんだろうなぁ……


 そう思ってしまって嘆息が零れ、この場に相応しい暗い気持ちのまま帰路に就いた。


 これが魔法醸女りゝかる霧島、もとい霧島結衣——御年二十九歳——のストレス発散方法である。

 まあこうしてストレス発散をやりすぎたせいで問題になっているのだが。

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