拝啓・超人気歌手の幼馴染へ~俺に言いたいことを歌として世間に発表するのはやめてくれ~
@panmimi60en
曲名?…えぇと……(!ピコーン)639Hzですっ!!
『寂しい夜を赤燐で照らす 半径八十センチの幸せ 冷たい鼻先にあの夏の花火が薫る 目を閉じれば あの日のあなたが今もそこにいるような気がした』
――と、そこまで曲を聴いた俺は動画を止めた。
すると元の画面――メッセージアプリの画面に戻り、ちょうど動画を送ってきた張本人である幼馴染・葉月莉音から『ねぇねぇハル、聴いてくれた? どうだった?』とメッセージが送られてくる。ちなみにハルとは俺の名前だ。
『恥ずかしい』
『なんで!? どこが!?』
『どこがって訳じゃないけど、なんとなく』
うさぎのキャラがorzの形で項垂れているスタンプが送られてきた。
こいつ……文字だとちゃんと会話できるんだから、普段もこういうふうにすればいいのに。
このやり取りも対面だったらきっと『どう?』『なんか恥ずかしい』『……ふぅん』で終わるやつなのだ。
そんなんだから俺以外に友達ができないってのに、なんで対面だとあんなに素っ気ないんだろうか。
たまに喋るとやたら遠回しで伝わらないし。
『そんなにダメかなぁ?』
『ダメとかじゃなくて、恥ずかしいだけだって』
保育園から現在通う高校まで一緒の幼馴染が作った曲を、まともな精神状態で聴ける奴なんて存在するのか?
『ところで赤燐てなに?』
『マッチ』
『へー』
マッチか。
こいつ、煙草なんて吸ってないだろうな……?
……歌詞はともかく、曲は良く出来てるんだよな。数か月前に初めての作曲に取り組んだってのは聞いてたけど、まさか本当に仕上げてくるなんて。
おまえ実は天才なんじゃないか? 歌詞はともかくメロディが完成してるんだよな。脳に留まるメロディと声。独特の雰囲気がある曲。
歌が上手いのは知ってたけど、ここまでとは……。この曲、ネットで公開したらそこそこ再生回数が伸びると思うんだが。
もう一度再生してみる。
小学生の頃から変わらない部屋、ヨレヨレのTシャツ、それとギブソンES-355のギター。
あれはジャズ好きなオヤジさんコレクション(弾けない)のギターだ。
完全に自分のものにしてしまったらしい莉音は、首から下だけが映る映像の中でギターをかき鳴らし歌い始める。
……やっぱり良い曲だ。
俺は再び動画を止め、アプリから追加メッセージを送った。
『ギター上手くなったな』
すぐに既読になって返信がきた。
『まだまだだけどね。でも最低限のことは一通り覚えたよ。ハルに教えてもらったおかげ、ありがと』
そんなの、もう何年も前のことだ。
基礎中の基礎しか教えてないんだから、ここまで上達したのは莉音自身の努力の成果でしかない。
『せっかくだからネットに上げれば?』
『え。恥ずかしい』
『顔は映ってないんだから平気だって。もし伸びたらお金になるかもしれないじゃん』
『うーん。そうだね。どうせ誰も見ないもんね。やってみようかな』
『おー』
適当に返事をしてアプリを閉じようとした時、もう一度莉音からメッセージが届く。
『ハルはもうギターやらないの?』
『やらないよ。やる理由もないし』
そう返すと少し間があって、数分後やっと返事がきた。
『そっか。ハル、こんど花火やろ。久しぶりに』
『いま冬!』
莉音の話に脈絡がないのはいつもの事だ。
本人の中ではそれなりに思考の道筋を辿って出てくる言葉らしいのだが、聞いてる側にはただの飛躍にしか感じない。
いまさら突っ込む気にもなれない俺はただ会話を合わせるだけ。
今度こそアプリを閉じた俺はなんとなくクローゼットにしまいっぱなしの安いギターに目をやり、そして逸らした。
一週間後。
莉音の歌ってみた動画は投稿され、えらいことになっていた。
再生回数は瞬く間に十万回を超え、絶賛のコメントもちらほら。“天才発見”、“初めて歌で泣きました!”、“え?これ自分で作ったの?”なんてコメントもついてる。
顔を出していなかったおかげであの歌い手の正体に気付く奴は学校にいなかったが、休み時間にスマホで再生する奴がいたり口ずさむ女子を見かけたりした。
当の本人はそ知らぬ顔で教室の片っこでちんまりと本を読んでいる。髪の毛はボサボサだ。
あいつ、空想の世界に浸り過ぎて自分のことに無頓着なんだよな……。
それもぼっちの原因なんだが、あんまり気にしてないみたいだ。
「――ッ!!」
莉音はポケットからスマホを取り出して画面を見た瞬間肩を揺らし、食い入るように見つめたあと机に突っ伏してつま先をパタパタと動かし始めた。
「どうした?」
近付いて話しかけてみると、莉音は片方の鼻パッドが取れて紛失しているメガネをかけ直しながら顔を上げた。
「ハル……! きた……!」
何がだよ。
自分の中だけで理解している話法には気を付けろっていつも言っているのに。
莉音が突き出してきたスマホの画面を見ると、そこには大手レコード会社の名前とメッセージが。
「うわ……。“あの曲に大変感銘を受けました。声も素晴らしく、大きな可能性を感じさせられます。是非一度お話をさせて頂きたく”――って、お前これ、スカウトじゃ……!?」
こく、と頷く莉音。
マジ……?
「凄いじゃん」
「で、でもまだ話を聞くだけだから……」
「そうかもしれないけど、凄いよ。頑張れよ」
「うん……。ねぇハル、話を聞く時、一緒に聞いてほしい……」
「なんで俺が。もし同席者が必要ならそれは俺じゃなくてオヤジさんだろ」
「うん。でも……」
不安そうな顔でうつむく莉音。
なんだ? 親に隠し事でもしてるのか……?
心配になった俺はふと、未成年喫煙疑惑のことを思い出して莉音の頭に顔を近付けてみた。
……うーん、煙草の匂いはしないな。
「な、なに!?」
莉音はのけぞった。顔が真っ赤だ。
「いや、ヤニ臭かったらどうしようと思って」
「そんな訳ないでしょ……」
すごい見下すような目をしている。
怒らせてしまった。
――そんな事があってから更に数か月後。
動画は200万回を超えたところで突然アカウントごと消えてしまった。メッセージアプリで『消したの?』と聞いたら『自宅で撮ったものは危ないかもしれないから一応消しておいた方が良いって言われた』と。
それもそうだな、と思ってそれ以上は聞かずに放っておいたのだが……代わりに“葉月リオン”という本名そのままな名前のアカウントが突如出現し、そこに例の曲が改めてUPされた。
しかもプロのバンドによる編曲とスタジオのセット、黒いパンツスーツと黒い帽子(外国人が葬儀で被ってそうなレース付きのやつ)という大人っぽい衣装、ヘアメイク付きのやたら気合いが入ったMVだ。
ちゃんとメガネ外してるし、いっぱしの芸能人に見える……。
あいつ、本当にメジャーデビューしてしまったんだな。
学校を休みがちになったとは思っていたが、どうやらその間に色々と動いていたらしい。
驚くようなスピード感でデビューした莉音のMVはネットを飛び出して朝のニュースから音楽番組と、テレビにも「16歳の天才シンガーソングライター」という煽り付きで出るようになった。
ここまで来ればさすがにクラスの奴らも気付く。クラスの目立たないぼっち女子が突然歌手になった、と。
当然、クラスはあいつのことで騒然となった。
「あの歌い手が葉月さんだったなんてな。全然気付かなかった」
「ねぇねぇハル。葉月さんと仲良かったよね? なんでもいいんだけど、葉月さんのアカウントがあったら教えてよ」
色んな人にそう聞かれたが、勝手に教える訳にはいかないので「あいつが登校した時に聞けよ」と言って全て突っぱねる。
「え~でも緊張するもん。可愛いのは知ってたけどあんなに歌が上手いなんてさぁ。有名になる前に知ってたら頑張って友達になってたのに。クールで怖くて話しかけられなかったんだだよな……。ハルは幼馴染だっけ。ずるくね?」
何がずるいんだよ。いつも同じ教室にいたのにいない者扱いしてたのは自分達だろ。だいたいあいつ、クールでもなんでもないし。
……ん?
「待て。あいつが可愛い……?」
「可愛いだろ! 幼馴染のくせに知らねーの?」
「知らん」
すると友人は信じられないものを見る目をした。
「アイドルグループのセンターより可愛いのになんで分からないんだよ……」
そう……なのか?
近くにいるのが当たり前すぎたせいか全然分からん。
でも、もう遠い人間になっちまったんだよな……。そのうちあいつの可愛さってやつが分かるようになるのかな。
俺は普通にアイドルグループのセンター・遠峯いぶきちゃんの方が可愛いと思うけどな。
その後も莉音は毎月のように新曲を発表し、その全てがヒットするというとんでもない偉業を成し遂げていた。やっぱりあいつは天才だったらしい。
当然学校にはほとんど顔を見せず、たまに来たと思ったら午前中で早退して行ったりと傍目にも多忙そうだ。
相変わらず髪の毛はボサボサで、誰に話しかけられても「ア……ウン……」としか返さないコミュ障っぷりを如何なく発揮しててちょっと安心したけど。
でもメガネは新品になってた。もうずり落ちメガネは見れないんだなと思うと少し寂しかった。
「あたしを分かってくれるのはあなただけ そう思っているけど ねぇ気付かないの この視線 ずっと見ているのに アイドルなあの子はそりゃ可愛いけど あたしも前髪を切ったの 見て 気付いて」
クラスの女子が葉月リオンの新曲を歌ってキャッキャしている。
最近あいつの曲をちゃんと聴いてなかったけど、あんな歌だったのか。
……前髪切ったのか?
新曲のMVを見てみると確かに少し短くなっていた。
だから何だって話だな。
歌詞に合わせて衣装や見た目を整えるくらい普通にやるだろ。
MVを閉じようとした時、チラッと映ったバックバンドのギタリストに目が留まって脳内が停止した。
……マイロ・デイビーズ。
世界的に人気のあるロックバンド【ミスエデュケーション】のギタリストでありながら日本オタクで、バンドが休止中なのを良い事に英国と日本を行き来しながら音楽活動をしていると噂のアーティスト。
俺の憧れのギタリストだ。小6の時の俺がギターに触れたくなった原因の人で、中3の時にギターをやめた一因でもある人。
こんな完璧な音を聴かせてくれる人がいるんだから、俺なんかが頑張る意味なんて無いんだよな。そう思って、受験を控えていたのもありギターに触らなくなってそれっきり。
莉音、あいつ……こんな凄い人に演奏してもらってるのか。
胸の奥にモヤッとした気持ちが生まれた。
が、嫉妬する資格なぞ俺には無いと思って押し込めた。
莉音は才能があって努力もした。俺は才能が無かったし努力もしなかった。それだけの話だ。
その日の夜、ひさびさに莉音から『ちょっと喋りたい』とメッセージが来ていたけれど、俺は『もう寝るから無理』とだけ返して放置した。
大人げないとは思ったが、今あいつの話を聞いて素直に応援してやれる自信が無かったから。
翌朝確認したらあの直後にウサギが泣いてるスタンプが送られてきていたようだ。俺はそれに返信をしなかった。
『既読無視 万死に値する! これから家に突撃してもいいのよ 嫌なら何か返事をして イラストひとつで構わないから』
次の月に発表された新曲はそんな感じの歌だった。今までの曲よりもかなりポップでふざけた曲調。特に女子に大ウケだ。
衣装もこれまでクール系で通してきたのに急にアイドルみたいなヒラヒラでフリフリになってた。
あいつ、迷走してない……?
少し心配になったけど俺が口を出す事じゃない。そう思って放置した。
夜中にトークアプリから通話の着信があったようなのだが、その時は本当に寝てて気付かなかった。
かけ直そうかと思ったけど忙しいだろうなと思ってやめた。
そうこうしているうちに俺達は学年が上がり2年生になって(莉音は出席日数ギリギリで進級できたようだ)、やがて夏が来て過ぎていった。瞬く間だった。
「学園祭に葉月リオンを?」
秋口、学園祭実行委員会から俺にそのような話が持ちかけられた。
えらく気合いが入っているらしい委員長(三つ編み)は前のめりで頷く。
「そう! うち軽音部が無いじゃない? だから今一番勢いのある天才シンガーソングライター、葉月リオンのステージをね! 学園祭の目玉にしたいの! ハルくん幼馴染でしょ? なんとかお願いできないかな」
「無理でしょ」
夏休み中、フェスに参加(歌う方で)してたらしいのだがあいつのステージは人が入りきれないくらい集まって事故が起きる一歩手前だったと聞いた。
そんな奴を学校の体育館で歌わせるとか危ないし、だいいち許可が下りるとは思えない。
「そこをなんとか! 私達も事務所に連絡してみたんだけど断られちゃって……こうなったらもう本人に直接頼むしかないの! 葉月さんの連絡先を知ってるのはハルくんだけなのよ~! お願い! 聞いてみて!」
「やっぱり断られてるんじゃねーか! ……やめとこ? あいつも忙しいだろうしさ」
「……分かったわ。でも聞くだけ聞いてみてくれる? ご本人が無理だと言うならその時は潔く諦める」
結局、委員長の押しの強さに負けて聞くだけ聞いてみる事になってしまった。
久しぶりにトークアプリのあいつの画面を開いて『ダメ元で聞いてみてって言われたんだけど、学園祭で歌うのってできる?』と入力。送信。
秒で既読になった。あいつ、思ってるほど忙しくないのか……?
しばらくして返信がくる。
『ハルがギターで参加してくれるなら』
『っていうかそれならむしろ歌いたい』
……は?
『どういうこと?』
『だから、ハルがギター弾くなら歌いたいって』
『なんで』
するとウサギが踊っているスタンプが送られてきた。
葉月莉音言語鑑定士を15年やっているが、これは分からん。スルーだ。
『バンドなんて必要なくない? 音源流せばじゅうぶんだろ』
『要る! バンドじゃないなら出ない』
わがままだなー!?
翌日、さっそく委員長に結果を聞かれた俺は「条件を付けていいなら歌うって言ってた……」とだけ伝えると「条件って?」と返された。
「俺がバンドで参加するなら……って」
すると委員長はぽかーんと口を開けて俺を見上げ、それから吊り上がる口角を両手で隠して(隠しきれてない)チシャ猫みたいにニヤニヤしだした。
「へぇ~! そういう! なるほど~! 葉月さん、歌詞の内容からして絶対に恋してるなって思ってたけど、まさか幼馴染にだったなんて! わぁ、どうしよう! 楽しい~!」
恋!?
「いやいやいや、待て。そういうのとは違うだろ。歌詞なんてそれっぽければ良いだけで、別に恋なんてしてなくたって書けるはずだ」
「分かってないなぁ~。ハルくん、ちゃんと葉月さんの歌聴いてる? あれきっと全部ハルくんに向けて歌ってる曲だよ」
「そんな訳なくない!?」
「ううん、絶対そう。一回ちゃんと聴いてみなよ。――じゃ、学園祭のステージ楽しみにしてるね! 練習、がんばって!」
ぐっ、と拳を見せて委員長は去って行った。心なしか足取りがルンルンだ。
「ええ……?」
まさか本当に学園祭バンド、決定しちゃった感じ……?
っていうか莉音のやつ、俺に向けて歌ってるって……そんな事ある訳ないんだが。
チラッとしか聴いてないけどどれも感情重ためのラブソングだぞ。あいつが俺にそんな感情なんて持ってるはずがない。
『ハル、今夜うちに来て。学園祭でやる新曲について相談がある』
で、莉音。なんでそんなに乗り気なんだよ! さらっと新曲とか言うな!
売れっ子歌手が学園祭のために新曲を書くか普通!?
なんだか大変なことになりつつある予感に気付かないふりをしながら、夜、のこのこと葉月家へと向かった。
「あらぁハルくん! 久しぶりね! 莉音から聞いてるわ。新曲の相談ですってね。どうぞどうぞ、入って」
莉音のお母さんがニコニコしながら出迎えてくれた。
娘が売れっ子歌手になっても相変わらずな人だ。
「お邪魔します」
「ご飯は?」
「食べてきました」
「あらそう……」
なぜか残念そうなお母さんに通され、俺は莉音の部屋の前に立つ。
ここに遊びに来るのは中学生の時以来だ。
毎日のようにギターを持ってきて、莉音にコードを教えてたっけ。
「莉音」
ノックして名前を呼ぶと、既読がつくのと同じくらいの早さでドアが開いた。
久しぶりに顔を見た気がする。
前髪以外変わってないな。
「ご飯は?」
「食べてきた」
お母さんと同じことを聞いてくる娘にちょっと笑いそうになりながら室内に入る。
「ちょっと見ない間に凄い事になってるな。おまえの部屋」
全面に防音パネルが貼られていて、床も分厚いカーペットが敷き詰められている。きっとカーペットの下にはゴム製の遮音マットが敷かれているんだろう。
極めつけは一人用の小さな防音室が室内に置かれているところだ。
いいな、これ。音楽を趣味にする人間の夢の部屋だよ。
「窓も、二重にしたの」
「金かかっただろ」
「高かった。でも必要だったから。いつか地下室を作ってスタジオを置きたい」
「最高だな、それ」
俺が言ったらただの道楽だけど、莉音が言うと必要に駆られてって感じになるのがちょっと悔しい。
「で、相談って?」
さっさと話を終わらせて帰ろう。
そう思って本題を切り出したのだが、莉音は答えずギターを持ち出して鳴らし始めた。
――ああ、新曲ってコレのことか。
鼻歌と共に奏でられたその曲は耳に残るメロディを持ち、明るい雰囲気を纏う良曲だった。
「いいんじゃない?」
もうほぼ完成形だろ。
俺に相談する事なんてあるのか?
「……いいかなぁ。でも歌詞が決まらない。それ相談したかった」
「なんで俺に?」
今さら俺がアドバイスできる事なんか無いし、まして歌詞なんて。
莉音はじーっと俺の顔を見てギターを差し出してきた。いつも、MVでも使っていたあのギブソンES-335を。
「……なに?」
「今のをハルが弾いて。あたしは歌詞を考えるから。はいこれ、スコア」
「お前……無茶振りもいいとこだろ。そんなにすぐには弾けないって」
「ハルなら大丈夫だよ。いけるいける」
何を根拠に、と思ったが、ギブソンに触れるという誘惑には勝てず結局ギターを受け取った。
小6の時、いつか欲しいと思ってた。
ギターから離れたとはいえ、今でも憧れが消えた訳じゃない。ので、さすがにこの誘惑には勝てない。
鳴らしてみるとかつて憧れていた音がした。
心が震えるほどの喜びを感じた。
「いいじゃん」
莉音が嬉しそうな顔で言った。
「やっぱりあたし、ハルのギター好きだな。一番好き。ねぇアンプに繋いでみようよ」
「え、でも夜だし。いくら音対策しててもさ」
「大丈夫! あの防音室に入ればほぼ音漏れしないよ」
そう言って室内に設置してある一人用の防音ブースに俺を引っ張り込む。ぎゅうぎゅう詰めだ。
「狭い」
「一人用だからね」
なんでそこに二人で入るん……?
まぁいいかと気を取り直してギターをアンプに繋ぎ音量控えめにして音を鳴らす。
ああ、最高だ。
莉音はふんふんと鼻歌を歌ってご機嫌な様子。
「楽しいね」
「そうだな」
一通り流し練習だけして解散になった。
帰り際、スコアを渡されて「家でも練習してきて」と言われた。明日また来て、とも。
「本当にやるのか? 学園祭」
「やる。ハルと一緒なら」
だからなんで俺と一緒なんだよ。
そう言いかけた時、“全部ハルくんに向けた歌だよ”と言った委員長の言葉がふっと脳裏をよぎった。
まさか。
いやまさかだろ。
「あのさ、莉音ってもしかして」
「なに?」
「……えーと」
さすがに聞けない。俺のこと好きなの? とか、自意識過剰もいいとこだ。
「――歌詞、出来そう?」
はぐらかそうとして文脈がおかしくなった俺の質問に、莉音は特に疑問を抱かず答える。
「うん。ハルのおかげでね。明日には出来そう」
「凄いな」
帰り道、葉月リオンのチャンネルからMVを再生してみようと思った。が、なんか怖くなってやめた。
そうこうしているうちに学校では学園祭の準備が始まった。
俺達のクラスはコンカフェをやる事になり、主役である女子達は大いに張り切っているが全面裏方の男子(俺も)はどうやってサボろうかという方向に思案を巡らしている。
ちなみにそういう態度はしっかり伝わるようで「ちょっと男子ぃ~! 真面目にやって!」と小言を頂いた。
委員長が言うには、葉月リオンがステージに立つことは混乱を極力減らすためその瞬間まで伏せるそうだ。
ステージはダンス部や吹奏楽部、合唱部などの部活系と趣味でバンドをやっている生徒達の発表の場というていで段取りが組まれていく。
そんなところにプロが出るのはどうなんだ? と思わないでもなかったが、莉音だってこの学校の生徒である事には違いないし、それに出場者に順位がつけられる訳でもない。
なので、まぁ、いいのか……と一応納得しておく。
莉音は最後の出演。オオトリ、サプライズというやつだ。これを知っているのは先生達と実行委員、生徒会の役員達と、あとは俺だけ。
この件に関しては厳格な緘口令が敷かれている。――となると、気になるのは他のバンドメンバーのことだ。
まさか俺と莉音二人だけって事は無いだろうし。校内で秘密を守れそうな奴を探して勧誘するなら早めにしておかないと間に合わなくなる。
どうするんだ?
「協力するって言ってくれた人が何人かいる。大丈夫」
夜の練習会で莉音はそう言った。
「おまえの知り合い?」
でも友達いないじゃん、おまえ……。
「うん。こんどの日曜日、お父さんが近くのスタジオ予約してくれたからハルも一緒に行こう。みんな集まってくれるって」
もしかしなくてもそれってプロ……と思ったが、怖いので詳しく聞かなかった。
「プライベートな案件なのに大丈夫なのか?」
「大丈夫。一度日本の学園祭っていうものを体験してみたかったんだって」
外国人……?
まさか――と思った予感は的中し、日曜日に莉音と一緒に向かったスタジオで俺は憧れの英国バンド【ミスエデュケーション】のメンバーが勢揃いしている前に立って危うく転生しかけた。
「ハァイ、ハル。Are you her childhood friend? I heard your guitar! So fire!」
「ハ、ハーイ……」
やけにフレンドリーなマイロ・デイビーズにカタコトのハーイで応える。俺の神が喋った!
どうしよう。俺、英語ほとんど分からんぞ!
「キンチョーしてるね。だいじょーぶ。リラァックス。OK?」
日本語喋れるのかよ!
ハハ……と笑ってコンビニで購入してきた水を一気飲みする。
生きた心地がしない。
「おい莉音。どういう事だ」
「マイロが“学園祭だって!? それってアニメでよく見るやつか!?”って」
なるほど。アニメで見たやつを自分もやってみたい、と……。
アニメ好きなマイロならあり得る。
「じゃあ、他の方々は?」
全員いるんだけど。
不仲説と音楽性の違いってやつで活動休止中のはずなんだが、なんで普通に日本の町スタジオで集合してるんだ。
さぁ……? と首を傾げる莉音と俺の間にマイロ神が割り込んでくる。デカい。
「ぼくが呼んだんだ。葉月リオンが本物の学園祭に誘ってくれたぞって言ったらすぐに飛んできたよ。みんなぼくが勧めたアニメで調教済みさハハッ」
「ハハ……」
噂されてるほど不仲ではないらしい。
……とんでもねえ展開だ。
俺、この人達と一緒にやるの? 場違い感で消滅しそうなんだが。
「莉音。俺、無理かも……」
「なんで!?」
「こんな人達と一緒にできるか! っていうかボーカルのクィンシー・ブラックまでいるじゃん! お前、あの人を差し置いて本気でボーカルやるつもりなのか!? 俺が言ってるのはそういう事なんだぞ!?」
「あの人は今回は歌わないって。ハーモニカで参加したいって」
「ハーモニカ……?」
予想外の角度から来た。
そうか……ハーモニカか……。
スタジオの隅にある小さいスツールにちょこんと座っているボーカル、クィンシー・ブラックをチラリと見る。
するとクィンシーは手元のハーモニカを手に取り口に当て「ツァ~~……」と鳴らした。
なんだろう……。あの人、カリスマなんだよ。
なのにちょっと暗く見えるのはどうしてなんだ。
「あの……マイロさん。本当に良いんですか? こう言っちゃなんですけど、莉音とミスエデュケーションの音楽性って全然違うじゃないですか」
人気絶頂にも関わらず活動を休止したのはそれぞれのメンバーがやりたい音楽に折り合いが付けられなかったから、というのが公式の発表だった。
ゴリゴリの英国ロックであるミスエデュケーションと、オヤジさんの趣味のジャズっぽいフレーバーが混じってはいるが日本人の耳に馴染むJ-popの莉音。
違うどころの騒ぎじゃないと思うんだが。
するとマイロ神はなんてことない顔で答えた。
「うん、全然違うね。だから良いんだよ。ぼく達はロックに関しては譲れない部分があるけど、それ以外は基本なんでもおいしく頂けるからね」
違うからこそ歩み寄れるってこと……?
おいしく頂けるって、どこで覚えたんだそんな言い回し。
「皆さんが良いなら良いんですけど……」
「OK。じゃあ一度全員で走ってみようか」
そう言ってマイロ神がなにげなく鳴らしたCのコードに俺は膝から崩れ落ちた。
「ああぁ……」
「ん? どうしたんだ少年。泣きそうな顔して」
「あまりにも……あまりにも感激しすぎて」
「ホワッ!? ただのCだぞ!?」
ゆるい笑いに包まれたスタジオでマイロ神が莉音の作った曲を鳴らし始める。
莉音が作ったのは主旋律とギターだけで、それ以外の部分はみんなの意見を取り入れつつ完成させていく流れだ。
俺は莉音が作ったギターを担当する事になっているが……ミスエデュケーションが編曲って。本当にこんな事して大丈夫なんだろうか。
「う~ん、こうした方がANIMEっぽいか?」
真剣な表情でアニメっぽさを追求しているマイロ神に話しかけてみる。
「あの、これ本当に大丈夫なんですか? 契約関係とか色々あるんじゃないですか……?」
「ん? その辺りはもちろんクリアしているよ。契約書には“もし活動を休止する場合は、全員が再開に向けて前向きに取り組むものとする”という一文がある。この一文を解釈してこの状況に当てはめると“異国の地でたまたまメンバーと会ったから全員でその国の音楽に触れて遊び、相互理解を深めてきた”というふうになるだろう? うむ。非常に前向きだ」
「そうかなぁ!? そんな解釈になります!?」
「なるなる。何も心配いらないよ。ギャラが発生するとなればまた話は別だけど、これはあくまでも“趣味”だからね。問題ない。そうだろう? リオン」
「そう。趣味。一円も発生しない、ただの趣味。私達の原点」
原点? つまり……みんなで初心に戻ろうってこと?
おまえ、英国人のマイロ神より日本語が不自由なのどうにかしろよ。
でも、そうか。
ミスエデュケーションには原点回帰が必要なのか。
日本の学園祭を口実にみんなで集まって、音楽について意見を交わす。これはいわばリハビリの時間?
こだわりのあるロックについては(まだ)語れなくても、J-popならなんとか?
「マイロ。そこはもうちょっとnostalgiaを狙った方が良いのではないか?」
ドラムのエリヤが口を出してきた。
こっちも日本語が達者だ。
「そうか? 学園祭アニメなのだからこのくらい元気な方が」
「いやいや、リオンの歌詞をちゃんと読んだか? これは学園ラブコメのアニメだぞ。ephemeral,儚いんだよ。元気さばかりでは情緒に欠ける」
「エリヤ。残酷なことを言わせてもらうが、学園ラブコメに儚さを感じるのはぼく達がold fart……オジサンだからだ。当事者はそんな事を感じたりしない」
「What...?」
ショックを受けたような表情のエリヤの横ではクィンシー・ブラックがマイペースにハーモニカを奏でている。
当たり前かもしれないが、みんな個性的――というかアクが強い。
「そもそもアニメじゃないし……」
莉音が呟いた。おまえも大概アクが強いが、このメンバーの中にいると相対的に普通に見えてくるな。
より強い個性に混ざると個性が紛れる……新発見だ。迷彩柄に初めて気付いた人ってこんな気分だったのかな。
ミスエデュケーションの皆様は散々アニメについての解釈や持論をぶつけ合いながら編曲を進めた。
それぞれお気に入りの作品やキャラクターが異なるようだ。それでもバトルものなら比較的平和に語るのだが、話が恋愛絡みとなると急に剣呑になる。
特に複数ヒロインがいる作品の話になると『推しが違う問題』で白熱しすぎて口調が荒くなる場面も何度かあった。
俺はヒヤヒヤしつつ「そのキャラクターは原作者によると最初から負けヒロインの予定だったそうです!」などと、最強の領域展開【原作者の見解】を持ち出し、その場をおさめる。
「Oh my god...僕たちはいつもそう……原作者センセイの手のひらの上なんだ……」
「認めよう……天才に転がされることほど楽しいことは無いと」
――俺はこの日、憧れのロックバンド・ミスエデュケーションのメンバー達が好きなアニメの傾向を知ってしまった。
ギターは戦闘があれば大体なんでもイケるタイプ、ベースはメカ要素か日常ものが好き、ドラムはラブコメ要素重視、そしてなんとボーカルは異世界転生の最強ものが大好きなようだ。
人間って分かんねぇもんだな……。
編曲は大まかに叩き台ができたところでひとまず終了。続きはまた来週ということでスタジオを出て、俺は前を歩く四人の後ろ姿を眺めながら人間の多面性について考える。
あの人達、活動再開しないのかな。それほど音楽性が喧嘩しているようには感じなかったんだけどな。
俺の隣では莉音が鼻歌を歌いながら歩いている。
のんきな奴だ。
「ハルー、リオンー。みんなでラーメン食べようって話になってるんだけど、一緒に行かない? オジサン達がおごってあげるよ」
マイロ神が振り返ってラーメンに誘ってくる。
「えっ!? いやいや、そんな! ……いいんですか?」
「いいよー。久しぶりに皆で集まれて楽しかったからね。そのお礼」
俺の神がラーメンをおごってくれると。
抗えない。こんなの抗えない。
駅前の天一に寄ってカウンターに並ぶ。
マイロ神は手馴れた様子で注文を済ませ、メンバーに甲斐甲斐しく水を配った。
「いやー、楽しかったね。もう来週が楽しみだよ」
「みなさんはそれまで何をして過ごすんですか?」
「どうしようねー。ディズニーランドでも行くー?」
マジか。
全員刺青だらけだけど大丈夫なのか?
「それよりコンカフェってやつ行きたい」
「鹿に餌あげたいんだけど」
見事に意見がバラバラだ。
でも時間はあるだろうし、全部行けばいいんだよな。
「いいよー、全部連れてってあげるよー。新幹線予約しなきゃ」
スマホをいじるマイロ神の前にこってりラーメンが置かれる。
次々に置かれる。全員分きた。食べよう。
器用に箸を使ってラーメンを口に運んだクィンシー・ブラックはぽつりと「Oh...bomb」と呟く。
「ああ、最高だな」
マイロ神が答えた。
「ずっとこんな時間が続けばいいのにな……」
「Yeah..」
なんかしんみりしてる。
「……ハル。君のような人がいたらぼく達も活動休止せずに済んだ気がするよ。高校を卒業したら、ぼく達のサポートメンバーにならないか?」
「え!? いやいや、冗談にしてもきついですって」
「結構本気なんだけどな……。ねぇ皆。皆もそう思ったよね?」
ウンウン、と頷くメンバー達。
そんな馬鹿な。
「な、なぜですか? 俺は別にギター上手くもなんともないし」
「NoNoNo! あのねハル。ぼくは君のギター好きだよ。確かに今はまだ粗削りだけど始めたてのキッズなんて皆そんなものさ。ぼくだってそうだった。熱意さえあれば技術はどうにでもなる。ぼくはね、君に天性の対応力を感じた。つまり、えーとほら、音って波長じゃん? 人間にとって心地良い波長って色々あるけど、ハルは人間的に639㎐だと思ったんだよね」
「どういう事ですか?」
「It`s a harmonic frequency...ええと、調和の周波数だよ。ぼく達4人に足りなかったのは639㎐なんだなって、今日すごく思った。ぼく達が音楽の話をした後で食事を共にするなんて、ちょっと前は考えられなかったことなんだよ。君が間に入ってくれたおかげだ。きっと他の人じゃなかなか――例えばリオンでも、こうはならなかっただろうね」
な、なるほど……?
例えの癖が強くて分かりにくいな~!
莉音はラーメンをすすりながら俺達を見てニヤッと笑った。どういう心理で笑ったのかは分からないが、莉音としては別に気を悪くするような話では無かったらしい。
「そうでしょう? でもハルはダメ。私のだから」
するとオッサン達はのけぞり、顔を見合わせて「ヒュゥ~」と口笛を吹いた。
「そうだった! 学園ラブコメの世界にぼく達は居るんだ。こりゃ引き下がるしかないな」
「別にラブコメじゃ……」
そう言いかけて莉音は黙ってしまった。
なんだよ。最後まで言いなさいよ。
むせたらしく、ケホケホ言いながら水を一気飲みしだす莉音。
「大丈夫か? ほらティッシュ」
「ありがと……」
ふと目を上げるとカウンターに並んだ外国人オッサンの顔が4つ並んでニヤニヤしながら俺達を見ている。やめてくれ。全員で同じような顔をするな。マッチングパズルだったら全員消えてたぞ。
「ハル」
「なんですか?」
「その調子でリオンを支えてくれよな。天才は脆いんだ。……クィンシーも、歌うことが嫌いになってしまって久しい。リオンの口から出る言葉が嘘にならないように、色々なエモーショナルを彼女に与えてやってくれ」
「……はい」
よく分からないが頷いておいた。
クィンシーは歌うことが嫌いになっていたのか……。調子に乗って「一曲歌って下さい」とか言わなくて良かった。
口から出る言葉が嘘にならないように――って、それって歌詞の事を言ってるのかな。
俺には想像することしか出来ないが、大勢のファンの前で思ってもいない感情を歌うのって天才――特にボーカルには、ストレスなのかもしれないな。
複雑な思いを胸に天一を後にした。
俺は莉音を自宅に送り届ける事になり、ミスエデュケーションの皆さんはこれからマイロの車でホテルまで移動するらしい。
デカいレクサスに乗って窓から手を振るオッサン達を見送って、俺と莉音は家路につく。
「濃い人達だったな」
「うん」
「おまえはどうなんだ? 編曲、あんな感じで良かったのか?」
「うん」
ボーッとしてるように見える。けど、こういう時の莉音はたいてい頭の中で何かに集中しているんだよな。
邪魔しないように黙っておこう。
「ハルはさ……」
「ん?」
「私の曲、聴いてくれてる?」
どきりとした。
あんまりちゃんと聴いてない――なんてバカ正直に言ったら怒るよな。
さすがに今練習してる曲は聴いてるけどさ。
「全部じゃないかもしれないけど聴いてるよ」
「そう。……どう思った?」
「どうって……すごいなって」
「そういう事じゃない」
全然届いてないんだ、と小さく呟いた。
そんな事言われても。
「じゃ、ここでいいよ。今日はありがと」
「おう……」
家の近くで借りていたギブソンES-355を返すと、莉音はそれを背負って俺に背を向けた。
天才と言われたりアイドル並に可愛いと言われたりしているが、黒髪のボブには寝癖がついたまま。しかも中学の時にお母さんが買ってきたオフホワイトのダッフルコートをいまだに着てる。ハリポタみたいなマフラーに、背中には莉音の小柄さに不釣り合いなほど大きなギターケースを背負って。
全てが、ちぐはぐ。
天才は脆いと言ったマイロ神の言葉が脳裏をよぎる。
「莉音」
「ん?」
振り返った莉音の向こうで夕日が赤く輝く。
赤燐だ、と思った。
「今日は楽しかったよ。また、来週な」
「うん!」
ニコッと笑った。
初めて、抱きしめたいと思った。
当然ながらそんな事ができる訳もなく、俺はトボトボと家路につく。
家で改めてあいつの作った曲を動画サイトで開いて眺めてみた。
『心の弦がかき鳴らされる そんな時は必ず あなたがそこに居るの この福音をあなたにも聴かせたい もっと肩を寄せてもいい? きっとあなたにも聴こえる』
恥ずかしい……。
一番最近の曲がこれだ。なぜか俺が恥ずかしい。
もしも。もしもだ。
これが委員長の言った通り、俺に向けた曲だったとしたら――。
どうすんだよ。再生回数、既に8桁いってんだぞ。
こええよ……。
悩みに悩んだ俺はひとまず忘れることにした。
あいつが俺に向けて歌ってたなんて、そうと決まった訳じゃないっていうか普通に無いと思う。
適当なこと言いやがって委員長、マジで許さん。
学校では通常授業の合間に学園祭の準備が進められ、部活動の発表がある奴は放課後もそちらで忙しくしている。
莉音は相変わらずほとんど登校してこなくて、クラスの出し物のコンカフェでも欠席を前提に男子ひしめく裏方へと名前を連ねられた。
居ない者扱いされてるのは、人気者になった今も変わらんな……。
そうしているうちに本番まで残すところあと一週間となり、毎週日曜日におこなっていたスタジオでの合同練習はおしまいになった。
その代わり、土曜日の本番に向けて水曜日から金曜日までは毎晩集まろうという事になって。
水曜の放課後から、俺は莉音を家まで迎えに行きスタジオに向かう生活になった。
莉音は多忙とは言っても人前に出るのが何よりも重要なアイドルとは少し違ってて、作曲という作業のために自宅で缶詰になる時間が多い。
だから隙間時間にこうして連れ出せる訳だが。
それももう今夜で終了してしまった。今日は金曜日。明日が本番。夢のような即席バンドも明日で解散だ。
それにしても今日は特別な一日になったな……。
というのも、機嫌の良かったクィンシー・ブラックが突然ミスエデュケーションのデビュー曲を歌ってくれたのだ。
前兆は、あった。
莉音が歌っている最中やけにそわそわしてて、さりげなくコーラスとして声を出したりしていた。
で、休憩時間。突然マイクの前に立ち彼らのデビュー曲を歌いだしたのだ。
マイロ神もびっくりしてた。本人は「急に歌いたくなった」って言ってたけど……みんな、まるで野良猫が驚かないように慎重に近付く人みたいに、あえて大騒ぎせず「へー」なんて言って軽く流してた。でも嬉しそうだった。
足元がフワフワする感覚で夜道を歩く。
これで活動再開になんてなったら、俺は歴史的な瞬間に立ち会ってしまった事になるのかもしれない……。
フワフワしてたらいつの間にか莉音の家の近くまで来てて、莉音がダッフルコートのポケットから家の鍵を取り出す音で我に返った。
「あれ? おまえ鹿のキーホルダー使ってるんだ」
先日ミスエデュケーションの皆さんからもらった奈良土産だ。俺も同じやつを貰った。
あのおじさん達、練習の合間に日本を満喫しているらしい。
「うん。ハルは使ってないの?」
「もったいなくて使えない。部屋に神棚を作ってそこに飾ってる」
「ふふ、なにそれ」
莉音は笑って、前を向いた。
「あと少しで本番だね。一回だけの演奏」
「そうだな」
学園祭用に作った曲は、諸々の事情により学園祭の一度だけ人前で演奏するという約束なのだ。今後ライブでも歌わないし、リリースも無し。
要するに幻の曲扱いになるのだが。
きっとSNSとかで普通に流れるんだろうなと思うと胃が痛い。
「あれから一年経ったね」
「ん? おまえが最初の曲を作ってから?」
主語が無いのはいつもの事。でも何を言いたいのかなんとなく分かるのは、付き合いの長さゆえだろうか。
「そう。ハルに言われなかったらネットになんて流してなかった。まさかこんな大事になるなんてあの時は思ってなかったけど……けっこうたくさん歌ったなぁ。あとどのくらい続けたら届くのかな」
何が、誰に? ――と、言えなかった。
俺はヘタレだ。
「ハルはギター楽しい?」
「お、おう。楽しいな。やっぱり好きだなって思ったよ」
「よかった。マイロも褒めてたよ。あれはお世辞じゃないと思う。別にマイロを目指さなくてもいいじゃん? ハルにはハルの音があるんだから」
それだけ言って莉音は「じゃ、明日ね」と家に向かって駆けて行った。
俺はじわじわと嬉しさが込み上げてきて、この情熱をどうしようと思うくらい胸が熱さでいっぱいになった。
急いで帰って部屋に飛び込み、ヘッドホンをつけてギターを鳴らし音の世界にどっぷり浸かる。
初めて音楽を覚えたサルみたいに、時間を忘れてギターに夢中になった。
気が付くと明け方になっていて慌ててベッドに入る。
寝て起きたらもう本番だ。
ドキドキが止まらなかった。
そうして迎えた学園祭当日。
俺達のクラスのコンカフェは盛況で、俺は朝一で紙皿にひたすらケーキを載せるお仕事をこなした。
「ハルー。シフト終わったらみんなで隣のお化け屋敷に突入しようぜ」
「悪い。俺、実行委員会の手伝いがあるんだ」
「あ、そうなの?」
学園祭を見て回る誘いは残念だが断るしかない。
シフト交代の時間まで頑張り、それが終わったら急いで近くの駐車場に走りミスエデュケーションの皆さんをお迎えに走る。
今のうちに機材を舞台袖に運び込んでおかないといけないのだ。
実行委員会と生徒会、それと先生達の協力があるとはいえ、当事者である俺が手伝わない訳にはいかないからな。
「おはようございます! 皆さん、今日はよろしくお願いします!」
「おはよーハル。リオンは?」
「後から来るって言ってました!」
今のあいつは丸一日休みって日が無いからな。
仕事が終わったら駆け付けるという約束なのだ。
オジサン達と一緒にレンタカーのバンから機材を下ろしていると、背後から委員長の声がした。
「皆さんが運ぶと目立ちますので、私達がやりますよ」
見ると、実行委員会と生徒会、それと何人かの若い先生達が腕まくりして立っていた。
「あれっ? 校長先生?」
若い先生に紛れて校長先生までいる。
校長先生はうつむき、もじもじと照れたような仕草をしながら呟いた。
「私はね……昔から英国のロックが大好きなんだ。本当は安全面から見て葉月リオンの出演は止めようと思っていたのだがね……彼らが来ると聞いて、どうしても見たくなって、つい」
なんで学校の許可が下りたんだろうとちょっと疑問に思っていたのだが、校長先生の私情が入っていたらしい。
気持ちは分かる……。現代のレジェンドだもんな。
「ファンだったんですか」
「うん……」
恥ずかしそうな校長先生も共に、皆で体育館まで機材を運ぶ。
バスドラムを抱えた校長先生は聞いたことないような野太い声を張り上げた。
「絶対! 絶対に落とすなよ! ぶつけるのも駄目だ! 残りの人生全ての力と集中力を今この瞬間に使え!」
「はい!!!」
俺達の尋常じゃない気合いの入りようにマイロ達は苦笑いを隠せないようだ。
「何かあっても大丈夫な機材しか持ってきてないから大丈夫だよ」
そうは言ってもですね! 怖いものは怖いんですよ!
搬入は無事に終わり、マイロ達は校長室へと連れ去られていった。
本当は学園祭を見て回りたかっただろうに……混乱をおさえるためと言われたら、従うしかないよな。
ケーキでも差し入れるか。
そう思ってコンカフェのケーキを買って校長室に持って行ったら、俺達の学校の制服のジャケットを着たマイロ達が出てきて危うく盆を引っくり返しそうになった。
この短時間にいったい何が!?
「みなさん日本の学園祭に興味があるそうで、ぜひ体験して頂きたいと思いまして……。生徒と同じ格好をすればバレないと思いました」
と、校長先生が言う。
「いや余計目立ちますよ!? こんな生徒いないでしょう!?」
あかん、この校長ミーハー心で目が曇っている……!
明らかに無理のある制服姿のマイロは、満更でもない表情で俺の肩に手を置いた。
「まぁそう言うな、ハル。ぼくは嬉しいよ。まさかアラサーになって日本の学園祭を学生の立場で体験できるなんて」
制服、パッツパツじゃん……。
でもそんな嬉しそうな顔をされたら、ファンとしては受け入れるしかない。
「よ、良かったですね……。写真、撮ります?」
「Yeah! ぜひ頼むよ!」
神々のスマホで画像を撮った。なぜか校長も満面の笑みで映りこんでた。
俺が買ってきたケーキをワイルドに手掴みで食べながら、オジサン達はざわつく学園祭の廊下を歩く。
「ファンタスティック……! It's just Anime!」
俺達のクラスのコンカフェを覗いた彼らは目をキラキラさせて喜んだ。
ほとんどの生徒からはうちらの制服のジャケットを着た変な外国人、という目で見られているが、一部気付いた人間もいるようで。
そういう人達は目をまん丸くして固まっている。
「なんでミスエデュケーションがこんなところに……?」
「あれじゃない? 葉月リオン繋がり」
「あ~! なるほどぉ! それで……でも今日は葉月リオン来てないよな」
という会話が交わされている。
まさか後でこのレジェンド達が俺達の体育館で演奏するとは、さすがに誰も思っていない様子。
だめだ、胃が痛い。
そっと胃を押さえながらオジサン達を学園祭に案内する。
色々食べたり他クラスの出し物を見に行ったり文化部の展示を眺めたりしていたら、委員長が俺達を呼びに来た。
「ハルくん、葉月さんが到着したよ。生徒会室に来て」
「おー」
今日は実行委員会も生徒会室を使っているらしい。
アニメによく出てくる生徒会室にオジサン達は大喜びだ。
「写真撮ります?」
「Yeah!!」
生徒会室の前でひとしきり撮影会をし、ようやく中に入る。
莉音は生徒会と実行委員のみんなに囲まれてサイン会の真っ最中。
俺達が入ったのに気付くとホッとした顔で立ち上がった。
「遅かったね。何してたの?」
「ちょっと撮影会を」
俺達と同じジャケットを着ているオジサン達を見て納得したようだ。
「似合うじゃん」
そうか……?
確かに莉音の感性は昔から謎なところがあるが。
歌手になって色んな人と接しているうちに社会性を身につけていたのかな。
「で、私達は何時頃?」
いつも通り主語のない莉音の質問に俺は答える。
「15時頃。タイムテーブルのメモ渡しただろうが。ちゃんと見とけよ」
「ごめん」
すると生徒会室が微妙に生ぬるい空気に包まれた。
……やめろ。
皆でニヤニヤするな。
軽く睨むと、委員長が前に出てきてパンと手を鳴らした。
「さて、ハルくんもからかった事だしそろそろ最後の打ち合わせしよっか。吹奏楽部の発表が終わってハケたあと、ステージが暗転するでしょ。そしたら私達実行委員会が総出で機材をセッティングします。終わったら照明がつくので、ステージが明るくなったらバンドの皆さんは袖から出てきてもらう感じで――」
机を囲んで全員で最終確認をおこなう。
本番を直前に控え、俺はもう頭が真っ白になっていった。
そして15時。
律儀にクラスのコンカフェの裏方をこなしてきた莉音が再合流した。
吹奏楽部の発表が終わり、彼らがハケていくのを俺達は体育館裏で見守る。
委員長達は機材を抱え、暗転したステージに駆け上がって行った。
体育館の中にいる人達はもうそれだけで何かを察したようで、どよめきが湧き広がる。
「……ハル、大丈夫?」
「大丈夫……」
マイロ神が「ハル大丈夫? 写真撮る?」と聞いてきたので頷いておいた。
ミスエデュケーションの皆さんと、莉音と、俺。
めいっぱい腕を伸ばして全員で自撮りした。
体育館に入り、まだ暗いステージの袖に立つ。
俺だけ場違いなのは分かっていた事だからもう良いんだが、それでも震えが止まらない。
莉音の手が俺の手をそっと握った。
「ハルと一緒にやれて、とても嬉しいよ。ハルのギターで歌うのが私の夢だった」
「莉音……」
莉音はパッと意識をステージに向け、これから歌う新曲のメロディを小さく口ずさむ。
『見つめ合うのもいいけれど 同じ場所を見つめていたいの 言葉を交わせばほら 道端の小石にも宿るあなたとの思い出 愛してる』
……なんていう直球ワードを投げてくるんだよ。
俺は心をかき乱されるのがあんまり得意じゃない。
こんなに緊張するのは一回でいいんだ。
「――なぁ。莉音ってもしかして俺のこと好きなのか?」
すると莉音はパッと振り向いて、口を開いた。
同時にステージの照明がつく。
「遅いよ!! ずっとそう歌ってたでしょ!」
体育館が割れそうなほどの歓声に莉音の声がかき消える。
かろうじて聞き取った俺も、声を張り上げた。
「そういうことは直接言えよ! バカ!」
遠回しすぎんだろ!
気付くのに一年かかったわ!
「君達、青春は後にして早く出なさいよ。写真はもう撮ったから」
オッサン達に背中を押されてステージに足を進める。
熱狂の中で一度だけ演奏される葉月リオンの新曲。
莉音の歌声もクィンシー・ブラックのハーモニカ&コーラスも絶好調で、控えめに言って最高の出来映えだった。
ちなみにこの一か月後、ミスエデュケーション活動再開というワールドニュースが界隈を駆け巡るのだがそれはまた別のお話。
拝啓・超人気歌手の幼馴染へ~俺に言いたいことを歌として世間に発表するのはやめてくれ~ @panmimi60en
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