第2話:城を出る

ダミ子とマースが旅に出ることを聞いて王室薬剤研究所の人たちは笑顔で手を振った。


「いいよー行ってきな」

「ダミ子さんがいなくなると寂しいねぇ」

「あの爆発が聞けなくなると思うと物足りないようなほっとするような……」


本音だだ漏れの意見もあった気もするが、皆二人の身を案じてくれた。


「ええ!? あれだけやる気なかったあんたが治療薬を開発する気になるなんてどういう風の吹き回しよ!?」


カモミールだけ目を皿のようにして驚いていた。


王室にも治療薬開発のため旅に出る許可をもらいにいった。


玉座にて。

王様はにこやかに頷くと、

「じゃあ有給にしとくねー」

簡単に許可をくれた。いいのか王室、そんなゆるゆるで。


あまりにもあっさり許可がおりたのでダミ子は肩から力が抜けた。


「厄介払いもかねているのでは?」

「どういう意味だマースくん」


隣でそうぬかす助手の脇腹をつねる。

ちくしょう、なら旅の遠征費も貰っておけばよかった。

資金ゼロなんて、ケチ王め。

ダミ子は心中で呟いた。


「まあ有給にしてくれたぶんはありがたいじゃないですか」

「……なんで心が読めるんだ君は」

「一応魔法使いですから」


ドヤる助手。


「あぁそう」

魔法使いって便利だなー。



城を出て城下町へ来ると、賑やかな喧騒が鼓膜を刺激する。


久しぶりの城外。

色彩豊かな農産物売り場、食べ物の香り、人々の笑い声。


「こう見るとまだ平和って思っちゃうよなぁ」

最近はずっと研究所に泊まり込みだったからこの賑やかさが懐かしい。

「人混みを歩いていると、ここも立派な王国なんだなーって実感するよ」

「研究所は人の出入りが少ないですからね。人酔いしそうです」


ダミ子の言葉にマースが苦笑まじりに返事をする。その返事はダミ子の右肩から聞こえた。


マースは現在魔法でネズミの姿に変身している。

ただいま助手が右肩に乗っている状態。


「にしても懐かしいね。その姿」

「僕は研究所に泊まらせてもらってますから、必要以上の外出をしないかぎりこの姿にならないですしね」

「人間の姿で歩けたらよかったんだけど」

「仕方ないですよ。僕はネムーニャ帝国の人間ですから」


彼の出身国であるネムーニャ帝国はグゥスカ王国と敵対関係にある。


敵対関係といっても戦争を起こすといった武力干渉はしていない。

ただ、物凄く仲が悪い。


何故仲が悪いかといえば実にくだらないもので、こちらの方が土地が大きいだの、国民の幸福度が高いだの、崇高な歴史が多いだの云々。

挙げ句の果てには国際会議に出す会食の料理をどちらの国にするかで絶交したらしい。

見栄の張り合いで戦火を交えることがないよう祈るばかりだ。


「おかげで国民同士も仲が悪いし」

「僕は気にしてないですけどね。上が勝手に小競り合いしてるだけですし」

「私もそう思うんだけどね。実際皆ネムーニャ国民を見ると石を投げてくる」

「僕の国もまた然りです」


上がそうだとそれにならうのか、両国民も互いに互いを嫌いあっている。


ちなみにネムーニャ帝国の人間は全員瞳の色が紅色という特徴がある。

そのため一目でネムーニャ国民だとわかる。


マースが人間の姿で歩いていれば、すぐ彼がネムーニャ国民だとバレてしまうだろう。


だからネズミに変身。


「その姿を見ると、当時の出会いを思いだすよ」

「やめてください……黒歴史なんですよあれ」


はにかむネズミ。


そもそもなぜ敵国出身のマースが肩身の狭い思いをしながらグゥスカ王国に滞在しているのか。

それは彼がネムーニャ帝国の元スパイだからだ。

マースはネムーニャ帝国の技術発展のため、隣国で敵国のグゥスカ王国の王室研究所へスパイとして潜入した。


二つある研究所のうち、彼が先に忍び込んだのは薬剤研究所の方だった。

魔法でネズミとして研究所に潜入したものの、普通のネズミ捕りに捕まり、普通に任務に失敗した。


「間抜けだよね」

「チーズの香りが良すぎたんです!」


再び回想。


このまま研究所の人間に見つかって殺されるのか。

絶望状態だったマースを拾い助けたのは、ミルクティー色の髪に眼鏡の薬剤師……ダミ子だった。


『お、ネズミ』


ダミ子はネズミ姿のマースを発見すると、彼をネズミ捕りから外してあげた。

両手で小さな身体を包み込むように持ち上げると、優しい指つきで毛並みを撫でた。


『よしよし』

『チュウ……』


人差し指で頭をちょんちょんと撫でてくれる。

助かった。

この人に殺されることはなさそうだ。


慈愛に満ちた瞳が眼鏡の奥で輝いている。ハーフアップにした癖のあるセミロングは軽くウェーブがかっていて柔らかそう。ほのかに良い匂いもする。

まさに女神。自分は女神に命を救われたんだ!

彼女の手のひらの上で極上の気分を味わっていると、部屋のドアから新たに別の女性が入ってきた。


『ダミ子それ、ネズミじゃん!』

『カモミール。うんラッキー。ちょうど欲しかったんだよね』


ちょうど欲しかった? 女神が?


たしか今、ダミ子さんと呼ばれていたな。じゃあ、ダミ子さんと僕は相思相愛!?

天にも昇る気持ちでうっとりと我が女神・ダミ子さんを見上げると彼女もこちらを見てニコリと笑った。

そして言った。


『ちょうど薬の実験体が欲しかったんだよね』


回想終了。


「……あの時は身体が凍りましたよ。女神の微笑みが狂気に満ちたマッドサイエンティストの笑みにしか見えなくなりましたもん」

「なんだよ。そのあと君がネズミに化けた魔法使いってわかって実験体は諦めたじゃんか。そのかわり元スパイの優秀な助手をゲットできたけどね」

「おかげで毎日こき使われてますけど。助かってよかったのかよくなかったのか」

「そんなこと言って恩人のダミ子さんと働けて嬉しいんだろう?」

「自分で言わないでくださいよ……まぁそうですけれど」


ネズミは赤くなった頬を見られないようにそっぽを向く。


「そういえば、旅に出る前に寄りたいところがあるって言ってましたよね」

「ああ、なんせ遠征費が出なかったからね。私のポケットマネーじゃ少々心細い」


王室薬剤研究所、ロイヤルと名前についてもダミ子たち薬剤師の給料はそんなに高くない。

むしろ王室に関わる人間と一般市民との間に格差が生まれないようにと給料は仕事量に比べて少なめに設定されている。


さらにダミ子は趣味の研究に給料を注ぎ込みがちなので懐が涼しかった。


「だから行くぞ。小遣いをせびりに我が家へ」


困った時は家族の援助。



ダミ子の家は城を出て南の位置にある、古びた木造の一軒家だ。

家はダミ子と祖父の二人で暮らしている。


両親はダミ子が幼い頃に病で亡くなってしまった。

同時に親を亡くし一人になったダミ子を引き取ったのは祖父だった。

故に祖父はダミ子にとってもはや第二の親のようなものである。


「着いた」

ドアを二回ノック。

「じいさん、私だ。ダミ子だ」


今さらながらダミ子ってなんだよ、と思う。


ダミ子は本名ではない。

同僚のカモミールがふざけてつけたあだ名だ。

ダミ子。彼女が愛飲しているドリンクが起源。

しかし、あまりにも語呂が良いことから研究所の仲間たちに浸透し、国王、助手、そして祖父まで彼女のことを『ダミ子』と呼ぶようになった。

もはや彼女を本名で呼ぶ者はいない。

まあ別にいいんだけど。


「おお、ダミ子か」


ドアから顔を覗かせた祖父がさっそくダミ子呼びで迎えた。


「三日も家に帰らないとは何事じゃ。この不良孫め」

「研究所に泊まってたんだよ。遊んでるわけじゃないわ」

「まったく、ワシがどんな気持ちかも知らんで……」

「お? 心配してくれたの?」

「いや、お前じゃなくて夕飯の心配」

「アンタはそういう奴だったよ」

「お前の作る不味い飯でも無いよりはマシだからの。ほれ、入れ」

祖父は顔を引っ込めるとドアを開いた。


『ゆ』

「あ、どうも」

「サンキュ」

ソファに座ると丸い円筒型のロボットがトレーに乗せたカップを差し出してきた。ダミ子とマースはそれぞれカップを受けとる。


口をつけるとそれは何の味もしない。


「……相変わらず白湯しか注げないのかこのロボ」

「ああ、なんせ『ゆロボ』だからな」

祖父は同じく渡された白湯を気にした風もなく飲む。


ゆロボ。

祖父がどこからか持ってきた謎の給水ロボット。

その役目は飲み物や食べ物を運ぶことだが、飲み物を作ることも出来る。

その際は「茶」や「湯」など一文字で伝わるものしか作れない。

以前「コーヒー」を頼んだら頭部分から湯気を出してバグった。

そのため運ばれてくる飲み物はだいたい白湯が多め。

じいさんも文句を言わず渡された白湯を飲むだけ。


「一応客人も来てるんだからさぁ」

「ま、まぁダミ子さん。白湯も健康に良いですし。僕は好きですよ、白湯」


マースが苦し紛れのフォローを入れた。

マースは現在人間の姿に戻っている。

ダミ子の祖父も彼が元ネムーニャのスパイだと知っている。

ここにはネムーニャ国民に敵意を持つ者はいない。云わば安全地帯。


「こいつはお前より使えるぞ。お前に頼むとあのわけのわからんドリンクしか出てこないからな」

「ドクダミンPのことを悪く言うなよ」


ドクダミンP。ダミ子が愛飲しているスタミナドリンクのこと。

シュワシュワ弾ける炭酸にドクダミのような渋味がある。一部の顧客からは癖になると知る人ぞ知るドリンクだ。

ダミ子もドクダミンPの魅力に虜になった一人だ。

これを飲むと研究で疲れた心身に活力が宿る……気がする。


研究所のダミ子の机にはドクダミンPが常備されており、もはや飲み物というよりお守りのようになっている。これがないと落ち着かない。


当然自宅にも在庫がたくさんあり、家族にも家を訪れた者にもこれを出す。


「白湯や茶よりもよっぽど嬉しいだろう」

「毎日食後に出される身になれ。マースくんもそう思うだろう?」

「え、まあ、そうですね……そう毎回ごくごく飲めるものではないですし……」

ダミ子をチラチラ見ながら恐る恐る返事をするマース。ダミ子が横目で睨んだ。マースが縮んだ。


「あっそ。ていうか、そんなことはいいんだよ。本題に入る。じいさん、私たち旅に出るから資金をくれ」

「ひえっ。ついに孫が恐喝してきた」

「柄にもなく可愛い声をあげるな。あとついにってなんだ」

「冗談じゃよ。なんだ、いきなり旅に出るって。二人で旅行か? お前、セージくんという婚約者がいながら……」

「違うわ……ほら、最近世界中で永眠病スリーピング・ホリックが流行ってるだろ? それに例のセージもやられちゃってさ、他人事じゃないなって思ったわけ」


「なに!? セージくんがか!」


祖父は唸るように喉から低い声を絞り出す。


「それはお前の婚期が心配だな」

「だろ?」

「いやそこはまずセージ殿の心配をしましょうよ」


マースが前につんのめる。


誰もセージの心配をしていない。

婚約者の容態より婚期の心配、この祖父にしてこの孫ありかとマースはしみじみ思った。


「まあ奴はさておき」ダミ子が婚約者そっちのけで本題に戻る。


「ここらにも病気が浸透してきたし、治療薬を開発するために旅に出たいんだ。んで、じいさんには資金て形で協力してほしいわけ」


ダミ子の言葉にふむ、と祖父は顎髭を撫でながら頷く。


「資金は問題ないが危険ではないかね。近頃は永眠病スリーピング・ホリックのせいで魔物退治をする者が減少している。魔物が野放しになっとる地域もあると聞くぞ」

「大丈夫。マースくんがいるから」

「えっ、僕ですか?」

「うん」


頷くダミ子。


「マースくんひょろっちいけど魔法使いだし。なんとかしてくれるよ」

「なんとかって……」

「おお、さすが魔法大国ネムーニャの元スパイ。任務に失敗してダミ子に仕えてるとはいえ頼りになる」

「絶妙に誉めてないですよねそれ……」


突然さらっと黒歴史を語られ落ち込むマース。

更にダミ子が容赦なく追い討ちをかける。

「役に立たなかったら彼を盾に生き延びてみせるよ」

「ダミ子さん!?」

「それは良いアイデアじゃ」

「お祖父様!?」



マースをフルボッコにした雑談が終わると、ダミ子たちは祖父から資金を受け取り、家の前に出た。

「じゃあ行ってくるから」

「おお、気をつけてな。マースくん、ダミ子を頼んだよ」

「はい。ダミ子さんの婚期を間に合わせられるよう頑張ります。頼りないなりに」

「気にしてる気にしてる」

ダミ子が意地悪な笑みを浮かべて助手を見つめる。

それを見て祖父は「あまり意地悪してやるなよ」と孫に注意した。じいさんアンタもな。


「……私が帰った時には眠ってるなんてことがないようにね」

「余計な心配するな。このようにピンピンしとるからな」

祖父がダミ子の頭に手をのせる。そのままわしゃわしゃと頭を乱暴に撫でた。


「それに眠ったとしてもお前が起こしてくれるんだろう?」

「……ああ」

「とにかくワシのことは気にするな。ゆロボもいるしな。せっかくの冒険なんだ、見聞広めて帰ってこい」


ドアの内側からゆロボが手を降っているのが見えた。


「行きましょうか、ダミ子さん」

「ああ」


しばしの別れとわかっていても鼻の奥がツンとする。

ダミ子は柄にもなく潤む目元を乱暴に手でこすり、祖父に向けて笑顔で言った。

「いってきます」

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