スリーピング・サーガ~世界が眠りに堕ちる前に~
秋月流弥
第1章:旅立ち
第1話:薬剤師・ダミ子の日常
ある日、研究所が爆発した。
大きな衝撃音に続いて爆風が巻き起こり、部屋にあった標本や実験道具が吹き飛んだ。
壁は無惨に抉れ、床は煤だらけになり、周囲は煙でもくもくと包まれる。
それはもう悲惨な光景だった。
「うーん、また失敗」
やっちまったなー、と半壊になった研究所から妙に落ち着いた声でダミ子は呟いた。
自身にまとわりつく煙にむせりながらもミルクティー色のウェーブがかった髪をわしわしとかき、爆発で曇った眼鏡のレンズを雑に指でぬぐい視界をクリアにする。
「今度こそ成功すると思ったんだけどなぁ」
ため息。
本日も我が研究は失敗なり。
たった今、ダミ子の手によって爆破されたこの研究所は我が国・グゥスカ王国が運営している、常に最先端の薬を開発するために優秀な薬剤師たちを集めた王室薬剤研究所だ。
そしてダミ子はここの王室薬剤研究所で働く薬剤師である。
「こらぁ! ダミ子! あんたはまた爆発させてぇ!」
同僚のカモミールが元々鋭いツリ目を更につり上げてこちらへ走ってくる。
その手には箒とちり取りを持っていて、素早く周囲に散らばった破片を片付ける。
「今月始まって何度目よ!? 研究所の修理代だってバカにならないのよ!」
「いや~、すまんすまん」
「もうっ」
カモミールはダミ子を叱りながらも手際よく後始末をする。慣れた手つきなのはダミ子が研究所を爆発させた回数に比例するわけで。
せこせこ、と片付けをする同僚に比べて研究所を半壊させた張本人のダミ子は呑気に腕を組んで考え込むように呟いた。
「今回は何がダメだったんだろう……配合量もちゃんと守ったのに」
ブツクサ。
「ゴニョゴニョ言ってないであんたも手伝いなさいよ。どうせまた仕事と関係ない実験してたんでしょ」
「うん。身長を三十センチ伸ばす薬の開発」
「それ誰が必要とするのよ……」
「全世界の身長が控えめの紳士たち。こういう地味な悩みを抱えている人は多いからね」
小じわを消す薬然り、シミを隠す薬然り。
「大それた研究もいいけど、地味なコンプレックスを解決する薬の方が需要あると思わないか?」
言ってやったぞと言わんばかりに胸をのけぞらせるダミ子。その胸は薄い。
カモミールは呆れまじりにため息を吐く。
「ていうか、思いきり私用だし。国のお金を個人の研究に使ったらアウトじゃない?」
「む」
手渡された箒で塵を集めながら、ダミ子は同僚に反論する。
「それは違うよカモミール。私はあくまで実験器具を借りているだけ。材料費はちゃんと個人負担してる。断じて職権乱用なんてしてない」
「まず仕事そっちのけで趣味実験してるのがアウトだっての!」
頭を軽くはたかれた。
うぐ、正論。
ここはグゥスカ王国。
世界でも有数の大きな王国だ。
経済も技術も発展しており、国民はある程度不自由なく平和で穏やかに暮らしている。
なかでも技術は世界でもトップクラスに長けていて、グゥスカ王国の城内には軍事・医療の二つの研究所が設けられている。
それぞれ王室軍事研究所・王室薬剤研究所と呼ばれる。
王室軍事研究所は、敵国の襲撃から王国を守るための防御壁や反撃用の兵器の開発をしている。あくまでも国を守るための武器や防具の開発……と言っているが、どこまで本当かはダミ子は知らない。
一方、ダミ子の所属する王室薬剤研究所は、病気を治す治療薬や流行り病に対抗する新薬を開発する薬剤の調合を目的にした研究所。
ここでは薬品や医療の知識に長けた優秀な薬剤師たちが日々王国のために働いている。
働いているのだが……
「ったくあんたは毎度毎度……他にやるべきことがあるでしょう」
「やるべきことって?」
「小首を傾げるな。可愛くしても私には通用しないわよ」
「ちぇ」
唇を尖らせるダミ子を尻目にカモミールは「はぁ」と二度目のため息を吐く。
「……
「ああ、あの厄介な流行り病ね」
同僚の言葉にこれまでふざけていた表情を変える。
「王様はのんびり構えがちだけど、最近ここらも危ないって噂よ。場所によっては住人全員が眠ってしまった村もあるって話」
「へえ、深刻化してるんだね。あの病気」
半年前から流行り出した謎の奇病。
病にかかってしまった者は眠りにつき、どんな手段で起こそうとしても目を覚まさない。
患者が死亡するという例は今のところないが、治療薬が存在しないため、一度でも
「王様は『我が国民はまだ一人もかかってない』って余裕ぶっこいてるけど、国民が
「……」
「この病気を治す薬こそ、今研究するべきことなのよ!」
カモミールは叫ぶ。
世間を脅かす奇病に対抗する治療薬の開発。それがやるべきことだと彼女は言っているのだ。
彼女の熱意と真逆にダミ子は冷めた口調で言う。
「でも他の国はとっくに研究してるわけでしょ。それなのに治療薬は完成してない。それを今からうちが頑張ったところで治療薬ができる根拠なんてあるの?」
「それをどうにかするのが王室薬剤研究所の私たち薬剤師でしょう!」
鎮火失敗。
カモミールは拳を握り締め熱く語る。
つり上がった目から使命という名の炎がメラメラと燃えていた。
しかし、ダミ子はカモミールの言葉に感銘を受けることはない。
ただ冷めた瞳で燃え上がる同僚を見つめ退屈そうに欠伸をかます。
「カモミールは薬剤師の鏡だね」
「私は王室に仕える者として当然のことを言ったまで。あんたが薬剤師として面汚しなだけ」
うわキッツ~。
はっきりと言ってくれるなぁ。
「まあ本当だから反論もできないけど」
「ダミ子。あんたのしょうもなくて多少需要のある研究も嫌いじゃないわ。だけど、たまにはたくさんの人を救う大義ある研究にも本気でやってみたら?」
「そういうのはカモミールが適任だと思うよ」
「自分でもそう思うんだけどね。生憎誰かさんの尻ぬぐいで手一杯なのよこっちは!」
カモミールはダミ子に悪態をつくと、爆発で散らばった塵や破片を集めたビニール袋をひっさげゴミ処理場まで行ってしまった。
室内を見渡せば、半壊になった部分は除いて、研究所は爆発する前とほぼ同じ状態まで綺麗に掃除されていた。
「優秀~……」
さすがミス・尻ぬぐい。
ダミ子は不器用な同僚に小さく拍手を送った。
研究所のドアは爆発で木っ端微塵にされたため、ドアのあった場所がぽっかりなくなっている。
ザ・吹き抜けスタイル。
隣の廊下が丸見えだった。
「これはこれで開放感があっていいか」
なんて現実逃避していたら、廊下から物凄い勢いで研究室に何かがが入ってきた。
ネズミである。
「ダミ子さあぁぁぁん! 大変です!!」
ネズミはハスキーな声で人語を喋る。
するとボフン、と音を立てネズミは青年の姿になった。
青男はダミ子の肩を掴み揺さぶる。
「ダミ子さん、大変です。大変なんです!」
「お、おお」
ガタガタ揺れるダミ子。
青年の耳には金色のピアスが揺れ、男にしては長い髪がサラサラと波打つ。
ダミ子やカモミールと同じく白衣を着ているが、研究所の格好としては不釣り合いな装いを男はしていた。
「ゆするなゆするな、眼鏡が落ちる」
「はっ! すみません。女性の肩を強く掴むなんて……」
うろたえる男。
チャラい見た目とギャップを感じさせる彼はダミ子の助手をしている。
青年の名はマース。
隣国・ネムーニャ王国の元スパイの魔法使いだ。
今は成り行きでダミ子の助手をしている。
ネズミの姿に変身することができることから、よくダミ子の実験台にされる可哀想なお目付け役だ。
「ってあれ!? ドアがない!」
「騒がしいなぁ。ドアならさっきの爆発でお亡くなりになったよ」
「ああ、研究所から煙が出てるなと思ったら。ダミ子さん今月で何度目ですか」
この会話、デジャヴを感じる。
「それより随分慌ててたようだけど、私に用があるんじゃないの?」
「そうだ! ダミ子さん大変です!」
「だから何がさ」
「“セージ”様が
「セージが?」
その名前を聞いてダミ子の眉がわずかに歪む。
セージ。二十六歳。職業は鍛冶屋の跡取り。
鍛冶屋生まれなのに力がなく弱音ばかり吐いて、いつも親父に怒鳴られている情けない青年。
ダミ子の婚約者である。
「それで、彼は無事なのか? 彼のことだから瀕死状態だとか……」
「いえ、今のところ
「寝ちゃったか」
「あと、彼がダミ子さんにこれを」と、マースが懐から出した白い封筒をダミ子に渡す。
封をする箇所には薔薇のシールが貼られていて、キザな婚約者からのものだとすぐわかる。
「なんだ? 手紙か」
「愛するダミ子さんの為に最後の力を振り絞って書いたんですよ……」
ホロリ涙を流すマースを軽く無視。封の中身を広げる。
手紙にはこう書かれていた。
『~愛するダミ子へ~
僕はどうやらここまでらしい。
不治の病にかかってしまったからね。
願うことなら君にもう一度会いたかった。
しかしそれも叶わない運命だった。
ダミ子、君だけはどうか無事で……ぐぅ』
手紙はそこで途切れていた。
「おいたわしやセージ様……!」
「最後のぐぅってわざわざ書かなくていいだろ」
婚約者のピンチだというのにそこが気になって悲しさをそこまで感じない。
「ちなみにセージ様がグゥスカ王国で
「うん」
「他人事ではなくなりましたね」
「しかも婚約者だしな」
「ダミ子さん……どうかお気を強くもって」
いくらズボラで無感動、無神経さが目立つダミ子でも、自分の婚約者がいつ目覚めるかわからない奇病に伏したら落ち込むだろう。
マースはどう慰めていいのかオロオロしていると、その気遣いも無駄になるくらいダミ子はケロっとした顔で一言。
「そのうちどっかの国が治療薬を開発してくれるだろう」
マースはずっこけそうになった。
よろける助手を冷めた目で見ると、ダミ子は椅子に座り足を組む。
ちなみに椅子は爆発のダメージにより斜めに傾いているのでダミ子も傾いている。
「なにをオーバーなリアクションをしてるんだ君は」
「いや、思いきり他人事だなって……ダミ子さんの婚約者なんですよね?」
「焦ってセージが目を覚ますのか? 治療薬が飛んでくるのか? 否、こういう時こそ気長に待つのが大事なんだよ 」
「さいですか……」
「そう」
綿のはみ出る椅子にふんぞり返る斜め姿勢の薬剤師。
「まだまだ青いねぇ若者よ」
「うぅ、ダミ子さんだって若者でしょ」
マースを子供扱いするダミ子だが、彼女もまだ齢二十四の若者だ。
そう、まだ二十四。
今はまだ、と言っていられる。
だが……
「ダミ子さん、気長に待ってて大丈夫なんですか」
「何が言いたい」
ダミ子は小首を傾げる。
先ほど同僚をイラつかせた可愛さアピールだが、この青年には効果がある。
上目遣いで見つめるそれに「うぅ」とちょっと照れていた。
私の助手可愛い。
マースは
「だって、いつ目覚めるかわからない病気なんですよ? 治療薬が完成するのだって何年、いや何十年先かもしれない」
「う……」
「ダミ子さんはその時自分が何歳か予想できますか」
「そ、それは」
「ダミ子さんが今二十四のうら若き乙女でも、セージ様が目覚める頃にはしわしわのおばあちゃんになっているかもしれない……」
「う、おぁ……」
「しかもまだ
「ぬおおーッ!! それは嫌だー!」
ダミ子は決壊した。
「ずっと婚約者状態は嫌だ! そんなのどっかのドラマの登場人物だけで充分だ!」
「どこの世界の話ですかそれ!」
「赤色のお迎えが来るまでにどうにかせねば……」
ダミ子はマースの肩を掴んで鼻息を荒くして言う。
「行くぞマースくん」
「え、行くってどこに?」
「どこにだって……!?」
夜叉の勢いで迫るダミ子。
「ち、近い近い。怖いですダミ子さん」
ボサボサに乱れた髪の隙間から爛々と輝く翡翠色の瞳に危うさを感じる。
「決まっているだろう!
「えぇ!? 気長に待つって言ってたじゃないですか!」
「婚期が永遠に巡ってこないかもしれないと知ったいま私は猛烈に焦っている」
「さっきと真逆ー!」
「私をその気にさせたのはマースくんだろう。責任をとれ」
「誤解を招く言い方しないでくださいよ!」
こうして薬剤師ダミ子と助手のマースは
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