第83話 糖尿病を予防しよう!
――午後二時。
俺とソフィーは、領主ルーク・コーエン子爵の屋敷を訪問した。
ソフィーは平民の子供なので、貴族の屋敷に同行するのはあまり好ましくないのだけれど、行儀見習いということで同行を許してもらっている。
ソフィーが将来どの道に進むのかわからないが、貴族と接する経験は無駄にならないはずだ。
コーエン子爵の屋敷に着くと、コーエン子爵の執務室に案内された。
準身内の扱いである。
コーエン子爵は執務机で書き物をしていたようだが、俺たちが入室すると温和な笑顔を見せた。
「やあ、よく来たね。かけて、かけて」
気軽な雰囲気で応接ソファーをすすめる。
俺は礼を述べて、応接ソファーに腰掛けた。
ソフィーは俺の斜め後ろに立つ。
チラリと振り返ってソフィーを見ると、フンスフンスと鼻息も荒く、後ろに手を組んで直立不動だ。
領主屋敷に訪問するときは、移動販売車を使って発注した子供用のブレザーを着せている。
チェックのスカート。
上着の胸ポケットには、ワッペン。
品が良くて、なかなかの見栄えだ。
きれいな服を着ることで、ソフィーも気合いが入っているのだろう。
さて、仕事を済ませよう。
俺は腰につけたウエストポーチ型のマジックバッグから、ビニール袋に入ったプレミアム・ロースト・オークを取り出した。
「こちらがご希望のプレミアム・ロースト・オークです。三つご用意しました」
「ありがとう! 助かるよ! 王都で噂になっていてね。あちこち催促されちゃってさ。おまけに上位貴族から『プレミアム・ロースト・オークを寄越せ!』ってかなり強く言われてね」
ふむ。
プレミアム・ロースト・オークの名前は広まったようだ。
宣伝フェーズから実売フェーズに移行するのに良いタイミングだ。
「では、商業ギルドにプレミアム・ロースト・オークを卸すようにしましょう。サイドクリークから王都へ、プレミアム・ロースト・オークの商流を作るのに良いタイミングでしょう」
俺の提案にコーエン子爵がうなずく。
「そうだね。じゃあ、王都に持ち込んで宣伝するのは、この三つで最後にしよう。後は商人から買ってもらえば、みんな儲かるね。フフフ」
「そうですね。フフフ」
俺とコーエン子爵は、悪代官と越後屋のような笑みを浮かべた。
これでソフィーが冒険者ギルドに黒焦げオークを売ると、冒険者ギルドと商業ギルドを経由して大店の商人の手に渡り、王都の貴族へプレミアム・ロースト・オークが販売される。
これまで黒焦げオークは、冒険者ギルドの買い取りで評価されなかった。
黒焦げオークからプレミアム・ロースト・オークがとれるが、全体の食肉の量は少ないという低い評価で、あまり歓迎されなかったのだ。
だが、王都貴族へ商流が出来れば、高値で売れることになるだろう。
ソフィーにもお金が入るし、冒険者ギルド、商業ギルド、商人も儲かる。
税収が増えて、領主のルーク・コーエン子爵も嬉しい。
単に売るのではなく、価値を高めて売るのだ。
振り向いてソフィーを見ると、目を大きく開いて、口元はニッコリだ。
この手法を覚えてくれたかな?
昔、世話になった上司に教わった手法だ。
ソフィーが覚えてくれたら嬉しいな。
さて、商談が終って、お菓子のことを切り出そうとしたら、領主のルーク・コーエン子爵から話し始めた。
「ねえ。ところでリョージ君……。甘いお菓子はダメかな?」
この……甘党貴族は……!
俺は無慈悲に宣言した。
「ダメです!」
どうもこの世界の人たちは糖尿病に対して無防備だ。
知識がないのかもしれない。
冒険者のように肉体を使う仕事が多いせいもあるだろうし、魔法を使うとかなりエネルギーを使う。
そもそも糖尿病になるひとが少ないのだと思う。
魔法使いは大食いだ。
貴族にも魔法使いがいると聞くので、贅沢が出来る貴族でも糖尿病の怖さはわかってないのだろう。
俺はわざと深くため息をついてから話し出した。
「甘いお菓子の食べ過ぎは健康に悪いのです。糖尿病という恐ろしい病気になりますよ!」
俺はチラリと執事さんに視線を飛ばした。
執事さんは部屋の隅にたたずんでいたが、俺の言葉を聞いて目をキラリと光らせた。
「糖尿病になると喉が渇き、疲れやすくなり、水を沢山飲むようになります。症状が悪化すると失明。最悪、死に至ります」
「ええ!? そんな怖い病気があるの!?」
「ええ。私の国では、糖尿病にならないように予防に力を入れています」
「予防? どうすれば良いの?」
「まず、食生活ですね。お菓子を食べ過ぎない。お酒を飲み過ぎない。野菜やお肉をちゃんと食べて、炭水化物……パンを食べ過ぎない。バランスの良い健康的な食事をするのです」
俺は日本人なら知っている至極当たり前のことをコーエン子爵に告げたが、コーエン子爵は不満タラタラだ。
「ええ~! 甘いお菓子をいっぱい食べたいな……。僕は領主なのに、なんでそんな我慢をしなくちゃいけないの?」
「ダメですって! 領主だからこそ、健康に留意しなくちゃ不味いですよ! 領主が病気では、領地経営がままならないでしょう? 我々領民も安心出来ませんよ! 今後、お菓子は執事さんに管理してもらいます!」
「ええ!? それはないよ!?」
コーエン子爵が執事さんを見た。
すると執事さんが、貼り付いた笑顔で一言ピシャリと告げた。
「ぼっちゃま。なりません」
この執事さんは、コーエン子爵を子供の頃からお世話しているのだ。
執事さんに聞いた話では、風邪の看病からおねしょの始末までしていたそうで、コーエン子爵のことなら何でも知っている。
執事さんはコーエン子爵の親代わりともいえる人物で、コーエン子爵は頭が上がらないのだ。
執事さんの圧にコーエン子爵がウッと息を飲む。
俺は『ここだな』と思い、執事さんに視線を移した。
「執事さん。運動不足も糖尿病の原因の一つです。毎日運動をさせて下さい。剣を振っても良いですし、貴族らしく乗馬でも構いません」
「かしこまりました。リョージさんのご助言をありがたく受け入れます」
「僕は運動が苦手なんだけどな……」
コーエン子爵がブツクサ言っているが、俺と執事さんはスルーする。
領主である以上、健康でなければ領民が困るではないか。
本人の意思など無視である。
「食事、運動、この二つです。糖尿病は防げます。領地のためにも、コーエン子爵の健康を切に願っています」
「日々の節制が大切ということですね。お任せください」
俺は立ち上がり執事さんとガッシリ握手をした。
コーエン子爵は憮然としているが、ダメである。
ここで甘やかしてはいけない。
執事さんなら、きっとコーエン子爵をコントロールしてくれるだろう。
俺は執事さんに板チョコを渡し、ソフィーと一緒に部屋から出た。
するとドア越しに執事さんの説教が聞こえてきた。
「ぼっちゃま! ですから申し上げたでしょう! お菓子の食べ過ぎはなりません!」
「そんな! 僕の楽しみなんだよ!」
「ぼっちゃまは、まだ、結婚をしていないのですよ!」
「だって、面倒くさいじゃないか……」
「お世継ぎがいないのですから、健康第一で生活していただきます! お菓子もお酒も制限いたします!」
「トホホ……」
俺はソフィーと目を見合わせて、クスクス笑いながら領主屋敷を後にした。
ガンバレ! コーエン子爵!
■―― 作者より ――■
読者の皆様も糖尿病にお気をつけ下さい。
作者は昨日からダイエットを再開しました。
前回は15kg落として、10kgリバウンドしました。
今回も頑張って落とします。
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