天来

あんちゅー

遥か先までも着いていきましょう

ここに何より優れているものがあった


人々はそれらを誉めそやすだろう


きっと手に入れたいと思うだろう


ただ、それを手にする為に


数多の困難に立ち向かう必要がある


そして、是非を問われることとなるだろう


身の丈に沿えず水泡に帰すとも


例えばその命を落とそうとも



春風の凪ぐ頃にあなたはこういった


「遠くへ帰ることになりました」


突然の事に返事が出来ずにいた


「彼等の想いはどうなるのだ」


つい口に出していた言葉は虚しいものだ


「本当にごめんなさい」


彼女はそう言って月を眺めた


今日はあかりの少ない三日月であった


その目は何より悲哀に満ちていた


遠雷のように轟く美しさをもって


彼女は多くの男を魅了した


彼等はこぞって彼女の欲するものを得ようとした


私はその頃に出会った


ただぴろい寝殿の中にあって


彼女はその端に寄り貢物の山に埋まっていた


啜り泣く音が静かな寝殿の中に反響した


「初めは遊び心だったのです」


成長する度に思ったのは疎外感であろう


人々の見る目が変わり


必要に迫られてなりを潜めねばならぬ


誰よりも彼女は追い詰められていた


父母は流行病で呆気なく死んだ


彼女は孤独であったのだ


男達に与えられた物だけが虚しく部屋を満たした


彼女はそれを望んでいなかった


寂しい心を埋めて欲しいだけであった


父母に可愛がられ


愛のままに育った頃の


幸せを抱きたかっただけである


私は庭師の小僧であった


枯木の残り葉に触れるように彼女は弱々しく


声を掛けられた私は


泣き腫らしたその顔に


彼女が誰かも分からなかった


無論赫灼の美女であったことに変わりは無い


今に思えば身分違いの児戯である


故に不必要な心を握り潰してしまいたかった


「それは分かっています」


苦い気持ちが喉の奥から広がった


「けれど何より大切でありました」


彼女は手を差し出した


「彼等はご自身にしか興味がございません」


貢物は日に増して積み重なっていたはずだ


その割に閑散とした屋敷には数人の侍女があるばかりだ


男達は一人、また一人と屋敷に近寄らなくなった


よく見れば彼女の埋まる貢物は随分少なくなっている


「私の傍であなただけなのです」


声にもならない叫び声のように掠れ声だ


「だからどうか私と一緒に帰りませんか?」


天に浮かぶは口を開けるように歪む三日月である


結末は単調であるが欲望さえ叶えばその全ては是非もなく


「謹んでお受けします」


彼女は晴れ晴れと、けれど蕩けた笑顔を浮かべた


柔らかに凪いでいた夜に一陣の風が吹く


それが合図であったように


私は彼女の手に引かれていく

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天来 あんちゅー @hisack

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