カトレアの咲くころ

@inugamiden

第1話「若葉島」

 「カトレアの咲くころ」

 一章


 水平線の青がかがやく。それが、海にあたえられた、一本のG線だった。波の音を奏でる、孤高の弦。そんな弦をふるわせる風の軌跡をながめながら、一人の少女が歩いてゆく。

 そこは、防潮堤の小径だった。コンクリートの長くつづく小径を支える土台が、満潮にそなえるための防壁だった。そこからながめる海の姿はどことなく自室でくつろぐ少女のような、無防備なみずみずしさで満たされている。心さえ傾くような、たからかな斜陽が、渚のさわやかな白色をやさしく煌めかせている。

 少女は――、

 海卜奏は、汐風に包まれながら、海の歌を感じる。

 遠のきながら近づいてくる潮騒の和声、かもめたちの声の拍動、そして、風の中にただよう自由の旋律、

 それらすべてが、重なりながら、海の歌を完成させている。

 奏は、音楽をたしなむから、耳はよかった。

 この”海の歌”を曲に書くことができたら、どれほど素晴らしいだろう? そんな妄想が、奏の帰路の楽しみだった。

 連絡船の時間に遅れると、大惨事だった。本数が少ない分、ダイヤグラムに気を配る学生生活が続いている。

 今日のような、帰宅の早い日は、最高だった。落日を迎える前の海は、空と同じ色だった。空と海の、世界を包み込む一対の双子が、その異なる性質の対比をえがきながら、白日を弄んでいる。

「ああ、夏」

 と、奏が呟く。

 まだ、暦の初夏を控えた、春のひとときだったが、空気の中に含まれる青色の熱気は初夏のものだった。

 奏の体は、小さかった。同世代と比べると、ひとまわり、ふたまわり、小柄。そのためか、自分を主張しないと、人の視界から消えてしまう。そんな単純な焦燥感が、奏に音楽を与えた。背中とケースをつなぐストラップの黒が、カッターシャツの白の中で強く映えている。その上、通学鞄を持つ奏の姿は、どこか甲斐甲斐しく見える。

 

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