皮なし芳一

空木閨

第1話

 ある寺に目の見えぬ琵琶法師が住んでいた。その男の名を芳一という。


 彼の琵琶の腕前は、鬼をも涙を流すと言われる程でその名を轟かせていた。蒲公英の綿毛が風に乗って運ばれるように、噂話は広まっていき、彼の評判を聞きつけたのは人だけではなく、妖の類もまた同じく耳にした。


 そこで妖達は芳一の目の見えぬ事を利用して、貴族達の宴の席であると嘯き、毎夜の如く芳一を寺から連れ出しては人気のない墓所にて霊魂相手に弾き語りをさせていた。


 この事は他言無用であると言い含められていた為、芳一の危機を知る者はいなかったが、お寺の和尚が目敏くこれに勘付いた。


 「芳一は妖どもと関わりすぎた。既に時遅くその体は半ば取り憑かれている。これではいつ殺されたとておかしくはない」


 芳一の無事を祈りながら、和尚は手を合わせ涙を流した。それから魔除けの為に般若心経を芳一の全身に写経した。霊達の目にはお経の書かれた部分は映らないからだ。


 だが和尚は芳一の耳にお経を書くのを忘れていた……しかし運良くその事に気がついたので耳にもお経を書き足しておいたのだ。


 もしも耳にお経を書き忘れたならば、その部分は霊達から丸見えであり、きっと耳を千切られてしまうに違いないだろう。


 半ば確信に近い奇妙な不安が過ったものの、一先ずはその危機は去ったのだ。寺の一同は一旦この問題を棚上げにして、それぞれの生活の中に帰っていった。


 そしてある晩、ついに妖達が芳一の前に現れたのだ。妖達からは芳一の姿が見えなかったし、芳一も元より目が見えないので、始めはどちらも互いの存在に気が付かなかった。


 しかし妖達が来ている事を知りもしない芳一と違って、芳一を訪ねてきた妖達は彼の不在を訝しみ、芳一の名を呼んだ。


 その時になってようやく妖達がやって来た事を芳一も知る事になった。和尚に言いつけられた通りに息を潜めてじっとしていた。


 そうすると妖達からは芳一がそこに居る事に気がつく事は出来ないのであった。


 だが目の見えないはずの芳一が寺から居なくなる事は不自然であるし、お経の書かれた物が自分達には見えなくなる事を妖達自身も知っていたので、妖達は彼がお経によって透明になっていると勘付いたのだ。


 姿の見えない芳一を探すには、姿の見える部分を探す事……つまり彼の体のお経の書かれていない部分を探す事に他ならなかった。


 しかし芳一の体には一部の隙もなく有り難いお経が写経されており、耳ですら例外でなかったので、この晩は妖達も諦めた。


 例え姿が見えなくても、芳一が寺にいる事だけは感じられる……それはこれまでに築いてきた芳一との縁の力であると同時に、彼の周囲の人物の会話の内容からも窺えた。


 なので妖達は辛抱強く芳一が姿を現すのを待つ事にして、その日を待った。だが一週間が経っても芳一の姿は一向に現れなかった。そのうち一ヶ月が経った。


 これは流石に可笑しいぞと妖達も話し合ってみたものの、芳一が寺に居るのは間違いないが見えないだけだという結論に終わった。


 どうやら芳一の体に刻まれたお経とやらは本当に一部の隙もなく書かれたものらしい。


 だが見えないものはどうしようもない。そこで今一度本当にお経の書き漏らしは無いのかと考えてみると、一箇所だけ隙がありそうだと妖達は思い当たったのだ。


 「人間ってのは股間を布で隠すものだろう?それを妄りに他人様に見せようとはしない……ならば股間にはお経は書かれまい」


 ある妖の閃きに一同は感嘆し、それから寺の便所を皆で見張る事にした。特に小便器の方を重点的に見張っていた。


 なぜ小便器かというと、おそらく尻にはお経が書いてあるからだ。男というものは女に比べて尻はあまり隠さないものらしい。褌にしたって尻の穴以外は隠さないのだ。


 そうして妖達は来る日も来る日も寺の小便器に張り付いて坊主の股間を眺め続けていた。大きい者もあれば、控え目な者も居た。


 そこに突如として何もない空間からにょっきりと芳一の股間が現れる事を信じて待ち続けていたが、とうとう股間は現れなかった。


 再度妖達は集まって話し合い、芳一も馬鹿じゃないので、用を足す時は別の場所でやっているに違いないという結論に至ったのだ。


 だが姿の見えない男が何処で用を足しているかなんて皆目検討がつかなかった。


 そこで作戦は転機を迎え、芳一の部屋に招き入れてもらって彼自身に袴を下ろさせるという風に方針転換をする事となった。つまり早い話しが色仕掛けであった。

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