そういう気分

東森 小判

第1話

 「ねえねえ茉莉香、好きな人いる?」

 いきなり愛衣が聞いてきた。

 「何?いきなり。」

 「いいじゃん。教えてよ。」

 おしゃべりの途中、何の脈絡もなく聞いてきたのが好きな人いるかって、相変わらず何考えてるんだか分からん奴だな。

 「教えるも何も、好きな人とかおらんから。」

 「え?そうなの?」

 聞いてきといて不思議そうなリアクションは、こっちのほうが不思議だよ、どうリアクションすればいいんだ?

 「う〜ん、茉莉香、好きな人いないんか。」

 いつの間にか難しい顔に変わってて、顎に手を当てて何やら考え中のようだ。

 「よし。それじゃそういうことで。」

 とびきりの笑顔を私に向けて、とっとと教室から出ていった。

 、、、今の、何だったん?

 突拍子のないやつではあるけど、今のは完全に意味不明過ぎる。

 しかもまた弁当片付けてないじゃん。

 もう。

 蓋をして、巾着に直してたらチャイムが鳴りはじめて愛衣が戻ってきた。

 「あ、茉莉香、いっつもありがとさん。」

 「ありがとさんじゃない。自分で片付けろ。」

 言ったところで、どうせ愛衣のことだし変わらず私が片付ける羽目になるのは目に見えてるけど。

 私が片付けた巾着を手に、ルンルンとスキップで自分の席に戻っていく。

 顔が赤かったような気がするけど気のせい?

 お昼の授業が始まったら、そういう諸々忘れてお昼寝してました。

 放課後、帰り支度。

 帰宅部なので、まっすぐ家に帰って昨日の続き読みたい。面白くなってきたんだよ。こいつ人間?アンディ?みたいな感じで。

 邪魔するやつがいるんだけどね。

 「茉莉香〜。」

 私の前の席の娘はすでに教室から出ていってたようで愛衣が椅子を拝借、なんて言いながら椅子に座る。

 「おい、座り方。」

 「いいじゃん。男子いないし。」

 椅子の上に膝立てて座る愛衣がニコニコと私に笑顔を向けてる。

 周りに男子いないのはそうなんだけど、膝立ててという段階で非常にお行儀が悪い上に、

 「隠せって。」

 「ん?何で?」

 何でって、、、

 女子なら膝立てるときはスカートで隠すでしょ。それなのに愛衣ときたら。

 「丸見え。」

 「お?かわいいでしょ?」

 確かにかわいいけど、、、ってそういう問題じゃない!

 「ねね、どうよ。」

 感想を求めるな。答え難いだろうが。

 「はいはい、かわいいかわいい。」

 どうでもいいって風に言ったつもりだけど、

 「そう言いながら、私のパンツガン見する茉莉香でした、まる。」

 この状況だと男子だけじゃなくて女子でも見てしまうって。

 「見てるんじゃなくて見えてんの。ほら、隠しなさいよ。」

 「面倒くさい。」

 出た。いつものやつ。これ言い出したら私の言うこと聞かないんだよ。パンツ見てても仕方がないから視線を愛衣の顔に。

 顔赤いけど、

 「恥ずかしいんだったら隠せばいいのに。」

 「恥ずいわけじゃないもん。」

 ぷいっとそっぽを向いて拗ねたような子供っぽい声まで出しやがって。

 そっぽを向いた顔がすぐに私に向き直ると、

 「男子に興味ある?」

 また唐突だな、おい。

 「いきなり何?お昼もそんなこと聞いてきたけど。」

 「いいから答えろ、拒否権はない。」

 脅迫かよ。

 「茉莉香もてるくせに彼氏作んないから。」

 そういうこと?それならそうと最初に言えよ。それより私がモテるってどこからそんなデマ湧いてきた?

 「興味ない。これでいい?」

 「何で?」

 愛衣が突っ込んでくる。しかも、わりと真面目な顔してるし。だけど、何でって言われてもな。

 「男子と付き合いたいとか、そういうの考えたこともないし。そもそも私モテないけど?」

 「、、、これだもん。」

 残念そうな上に盛大な溜息まで吐きやがった。

 「それ、ムカつく。」

 「こっちの台詞。」

 逆ギレされた。

 「じゃ、作戦練るか。茉莉香バイバイ!」

 すくっと椅子の上に立ち上がってぴょんと飛び降りる。

 だから、立ち上がったらどうしても私の目の前は愛衣のふとももな上に、飛び降りればスカート捲れるでしょうが。

 パンツ見せたいのか?痴女なのか?

 私がバイバイなりまた明日なり言う前に愛衣は教室から飛び出していた。


 「茉莉香〜、おは〜。」

 教室に入ってきてバッグを机に置いた愛衣が私のところにやってくる。いつもの朝。

 前の席の娘が仲のいい男子とおしゃべりしてるから私の横に。

 「おはよう。また髪の毛ぼさぼさじゃん。ほら。」

 私はカバンからブラシを取り出す。

 愛衣がブラッシングしやすいようにしゃがむ。だから隠しなさいよ。

 「隠せよ。見られるって。」

 「面倒くさいけど、わかった。」

 珍しく私の言うことを聞いてスカートで隠す。それから私に頭を突き出した。

 ブラシで愛衣の髪を梳く。

 さらさらで羨ましいくらいなんだけど、愛衣頓着しないんだよな。勿体ない。

 「ブラシぐらいしてこいよ。」

 「してたんだけど走ったらこんなんなった。」

 どんな走り方したんだ?だいたい遅刻するような時間帯じゃない。今だってまだ授業まで余裕あり過ぎるくらいで教室の中は半分くらいしか埋まってないのに。

 「走らんでもいいくらい余裕持って家出れば?」

 「茉莉香って中島くんのことどう思ってんの?」

 また唐突だな。中島くん、って誰だっけ?

 「誰それ?」

 「わ、酷。」

 このクラスになって2か月くらいだけど、悪いけど男子なんて殆ど顔と名前が一致しない。愛衣が教室をキョロキョロと見渡してる。ブラッシングしにくいだろ。

 「今教室に入ってきた男子。ほら、あの眼鏡。」

 「ああ、なんか見たことある。」

 私達の視線に気づいたのか、その中島くん?が私をちらりと一瞥したと思ったら思いっきり顔をそらされた。

 「で?」

 「で?」

 私に向き直った愛衣が聞いてくるけど何のこと?

 「もう、中島くん、どう思ってんのって。」

 「どうって、、、嫌われてんじゃ?」

 今だって目が合いそうになったら顔そらされたし。

 「はあ、名前覚えてない時点でダメだ。」

 盛大な溜息。昨日もだったけど結構ムカつくんだけど。

 「まじで男子に興味ない?」

 「うん。」

 即答してやったら、

 「即答かよ。」

 呆れてるんだかおかしいんだかわからないけど愛衣は笑ってる。

 「ほれ、終わったよ。」

 「ありがと。」

 ブラッシング終わり。愛衣が立ち上がる。

 「茉莉香って何読んでたの?」

 話題がコロコロ変わるやつだ。

 「SF小説。」

 「縛ったり鞭打ったりするやつじゃん。えろ。」

 「いや、それSM。」

 私が読んでるのはSF、サイエンス・フィクション。いじめるのは趣味じゃない。

 「私Mだよ。」

 愛衣の性癖とか聞きたいわけじゃないんだけど。

 「茉莉香がSだと嬉しいな。」

 「それじゃ手錠とギャグボールかまして放置プレイしてあげる。」

 冗句言ったら愛衣はドン引きしてるし、前の席の娘とおしゃべりしてた男子が聞こえていたのかえ?って顔して私を見た後、なぜかうっとりした目で私を見てきたんだけど。

 背筋がブルっと震えた。私女王様じゃないぞ!そんな趣味ないから!

 前の席の娘の視線も怖い。

 「言わせといて引くなよ。」

 愛衣に文句をつけとく。

 「茉莉香の口からあんな単語が出るとは思ってなかった。」

 そういった愛衣がくすりと笑う。唇をぺろりと舐める仕草にまたまた背筋がブルっと震えた。

 「放置プレイじゃなくて焦らしプレイがいい。」

 「おい。」

 そっちかよ!そもそも朝っぱらからする話題じゃないだろ!

 「できたら手錠より亀甲しば、痛!」

 あんまりな内容だったので愛衣の頭にチョップしてやる。結構本気で。

 涙目で頭を擦ってる愛衣。こういうところ黙ってりゃかわいいのに。

 「えろネタ引っ張んなって。」

 「う〜。」

 ここでチャイムがなり始めた。

 「ほれ、席戻れ。」

 「ほ〜い。また後で。」

 頭を擦りながら愛衣が自分の席に戻っていく。

 何で嬉しそうな顔してるん?


 お昼、いつものように愛衣と向かい合って自作の見栄えの悪いお弁当をぱくつく。愛衣は購買で買ってきた菓子パンをかじってる。

 「百合は好き?」

 また唐突だな。

 「百合みたいな大きな花はあんまり好きじゃない。匂いもきついし花粉は汚いし。」

 「そっちじゃない。」

 そっちじゃないってどっちだよ。

 私の答えに満足してない様子の愛衣。

 「もう一度聞く。百合は好き?」

 「質問の意図が分からん。」

 睨まれた。理不尽過ぎる。

 「何でわかんないの。」

 「分からんわ。」

 今度は呆れられた。さっきから何だよ。

 「もういい。」

 最後に怒り出すとか。愛衣、あの日?

 菓子パンかじってペットのミルクティーをコクリと飲み込んだ愛衣がまた変なことを唐突に言い出す。

 「茉莉香ってエロい?」

 「バカなこと聞くなって。」

 そんなの答えるわけないだろ。

 「私は真面目に聞いてんの。」

 「そういう問題?」

 最近こういうの多い。愛衣が何考えてるのかわからん。

 「私に聞く前に、愛衣はどうなんだよ。えろい?」

 「うん。私はエロいよ。毎晩してるし。」

 何言い出すんだ?聞いたことを後悔。

 言葉に詰まったまま愛衣を見てたら笑いやがった。

 「あれ〜、茉莉香〜、何を想像したのかな〜?」

 「う、うるさい!」

 その笑い方ムカつく。

 からかうような笑いがくすくす笑いに変わると、

 「私がピーなことしてるの想像したんでしょ?ね、茉莉香の想像の中の私は何してたの?ほら、教えてよ。」

 「言うわけ無いじゃん。」

 言ってたまるか。

 「茉莉香エロい。」

 調子に乗ってる愛衣がうざい。

 「エロい茉莉香に教えてあげる。私が毎晩してること。私ね、毎晩ベッドの上で、」

 「言わんでいい。」

 何言い出すか分からんし、聞きたくないから割り込むように遮った。

 それなのに、

 「ひで始まってちで終わることしてんの。」

 ドヤ顔の愛衣。だめだこれ。頭を抱え込んでしまう。

 愛衣が毎晩、、、

 だから想像するな!

 「毎晩、私がしてるのはね、、、一人でストレッチ!」

 ふんすと鼻息荒く腰に手を当てて胸を張る愛衣。

 「や〜い、引っかかってやんの〜。」

 ゲラゲラ笑う愛衣。ムカつく。

 睨んでやったら突然笑うのを止めて私に顔を近づけてきた。

 ぼそっと、小さな声でつぶやく。

 「ちなみにストレッチは裸でしてる。」

 だから!

 愛衣を睨みつけてやる。

 いつもの距離に戻った愛衣が、

 「思ったより茉莉香がエロくて、あたしゃ嬉しいよ。」

 愛衣のことを思いっきり睨んでやる。そもそも愛衣がそういうこと想像させるようなことばっかり言うからじゃないか。そう、愛衣のせいじゃん。

 「いいからいいから。茉莉香がエロくても友達やめたりしないから。」

 「そんなんで友達やめられたらたまらんわ。」

 「ありがと。」

 愛衣が笑う。こいつこういう笑い方したっけ?

 笑顔を見てたらお昼休みの終わりのチャイムが鳴り始めた。


 変な夢見てた気がするけど全然覚えてない。ぐっすり寝れたからいいとしよう。

 いつものように挨拶して教室に入る。自分の席についてぼんやりと窓の外を見る。

 窓側一番うしろの席、青空には白い雲がぽっかり。

 どうして雲は白いんだろうとか、何で浮いてんのとか、考えるのが楽しい。今度調べようといつも思うくせに調べたことがない。

 何度目かわからない今度調べようが頭の中に浮かんだタイミングで愛衣が私の横にやって来た。

 「ぐっもーにん。」

 「おう、ぐっなはと。」

 そう言って私は机に突っ伏す。

 「いや、まだ朝じゃん。」

 愛衣が突っ込んでくれた。

 「おはよう。」

 顔をあげて笑う。愛衣も笑ってる。

 「今日の私は無敵だよ。」

 「どったん?」

 ドヤ顔アンド胸張った愛衣。慎ましいね。

 、、、他人のこと言えんけど。

 「お弁当作ってみた。」

 「お〜。」

 わざとらしく驚いてやる。いや、内心滅茶苦茶驚いてるけど。

 あの、あの愛衣がお弁当作ったって。

 「今日お昼から台風来るんじゃ?」

 「多分雪だね。」

 自分で言うか。

 二人でげらげら笑う。

 「じゃ、今日は色々交換するか。怖いけど。」

 「だいじょぶだいじょぶ。ぐっじょぶだから。」

 なんか上手いこと言いました的な顔してるけど、そうでもないぞ。

 「一応期待しとく。」

 「おう。」

 チャイムが鳴り始めたので愛衣は自分の席に戻っていった。


 「信じられん。」

 お弁当の蓋を開けた私が驚きのあまり目を開いて呟いてた。

 「えへへ。どうよ。」

 ドヤ顔で慎ましい胸を、、、はこの際どうでもいい。

 愛衣のお弁当は色とりどり、おかずも栄養バランスまで考えてるかのよう。

 私の真っ茶色なお弁当とはレベチだった。

 「愛衣に負けるとはわしも堕ちたものよのう、、、」

 などと時代劇風に嘆いてみる。よよよと腕を顔に当てながら。

 「私は茉莉香のお弁当もおいしそうで好きだよ。」

 愛衣がドヤ顔のままフォローのようなことを言う。情けはいらん。

 「じゃ、食べよっか。いただきます。」

 愛衣も手を合わせて、3色そぼろご飯をパクリと口に放り込んでる。私は唐揚げと白米を。

 「茉莉香、唐揚げ頂戴。ミートボールと交換ね。」

 「おっけー。」

 お互い遠慮する性格でもないので自分の箸でおかず交換。ミートボールがやってくる。

 愛衣は私が作った唐揚げを食べる。私も愛衣が作ったミートボールをかじる。

 ん?

 か、辛い?痛い!

 「愛衣、ナニコレ?滅茶苦茶辛いんだけど!」

 「そだね。デスソース入りだよ。」

 そんなもん食わせんな!

 慌てて水筒のお茶を飲む。

 「熱い!痛い!辛い!」

 熱いお茶が辛さを更に強調して口の中が火事。

 「考えたら、これ私用のおかずだった。てへ。」

 てへじゃねー!

 愛衣が飲んでた冷えたペットボトルを寄越す。ぐいっと一口。冷たいお茶が口の中から辛いのを洗い流して、、、くれない。

 だからもう一口、もう一口。

 そんな私を愛衣がニヤニヤと笑ってる。

 少し落ち着いたのでペットボトルを愛衣に戻すと、愛衣は一口コクリと飲んでる。

 まだ痛い。

 愛衣を睨みつけるけど笑いながらもう一個あったミートボールを平然な顔して食べてる。

 「どんな味覚してんだよ。」

 「おいしいよ?」

 私のボヤキに笑って答える愛衣。

 もぐもぐと嚥下すると、

 「も少し辛くてもよかったな。」

 「信じらんない。」

 しかめっ面する私を愛衣が笑ってた。


 放課後、お昼の辛いミートボールの埋め合わせに甘味処に。

 ちなみに私はあんみつ派。いつものフルーツあんみつ。愛衣はどら焼き。

 「ん〜、おいひ〜!」

 幸せだ。緩みきった顔で甘みを堪能する。

 愛衣ももぐもぐと美味しそうにどら焼き食べてる。

 ついでに言うと、ここの抹茶がまた甘みとベストマッチ。これがあればどれだけでもあんみつ食べられる。

 あっという間にあんみつを平らげて、締めの抹茶を啜る。

 愛衣も抹茶で締めてる。

 「しかし、あれ、滅茶苦茶辛かったんだけど、あんなん食べて平気なわけ?」

 「うん。もっと辛くてもいいよ。」

 平然な顔して食ってたもんな。私はあの後完全に味覚が麻痺して自分のお弁当食べても味がしなかったというのに。

 「普通のミートボール食べたかった。」

 愛衣が笑ってる。

 「じゃ、明日は普通の作ってくる。」

 「その顔、、、普通にもっと辛いの作ってくるつもりだろ。」

 「てへ。」

 てへじゃない!笑って誤魔化しやがって。

 「愛衣の作ったおかずを食べてみたいんだって。」

 「お、嬉しいこと言ってくれるじゃん。」

 ほんとに嬉しそうな顔してるし、明日は大丈夫だろう。

 「でも愛衣が激辛好きとは知らなかった。」

 今日初めて知ったし。

 「私は秘密が多い女なのよん。」

 「カッコつけすぎ。」

 二人で笑う。

 「甘いものも好きだけどね。」

 それは知ってる。今だってどら焼き美味しそうに食べてたし。

 「でも一番好きなのは辛いのと甘いのが一度に味わえるやつだね。」

 「何それ。そんなんあるん?」

 辛くて甘いの?想像もつかんけど。

 「あるんだよ。まじで好きなんだ。」

 愛衣がじっと私見てるけど。

 「酸っぱくて苦いのもいいかも。」

 やっぱり私のことじっと見てるし。

 「愛衣ってゲテ好き?」

 言ってやったら大笑いされた。

 「それブーメランになるよ?」

 「何故に?」

 笑うのを止めた愛衣。

 「ひ、み、つ。」

 そう言って人差し指を唇に当てる。

 「なんじゃそりゃ。」

 呆れてやった。

 「私は秘密が多い、いい女だもんね。」

 「自分で言うか。」

 また二人で笑ったけど、愛衣、ほんとに笑ってる?

 作り笑いに見える、、、愛衣、何か隠してる?

 「茉莉香は甘い物好きだよね。」

 「好きだよ。」

 愛衣の質問に答える。

 「今日は辛いの食べてもらったから、今度は苦いの、食べて欲しいな。酸っぱいのも。」

 「いらん。」

 私は普通に好きなもの食べたい。

 「そのうち好きになってくれたら嬉しいな。」

 嬉しいとか言ってるくせに、嬉しくなさそうな顔してるけど?

 「帰ろっか。」

 愛衣がいきなり席を立つ。時計を見たら、やべ!

 私も席を立つ。お会計を済ませて外に。すでに真っ暗。

 携帯見たらお母さんからの着信が3件。まじでやばい。

 「それじゃ、また明日。」

 慌てて私は家の方へと駆け出した。


 「ミートボールは普通に作ったよ。」

 そう言われればミートボール以外には手を出さないに決まってる。

 愛衣に貰ったミートボールを齧る。確かに普通の味付け。美味しい。

 改めて愛衣のお弁当を覗くと、梅干し、ゴーヤチャンプルが目に入る。酸っぱいのと苦いの。昨日言ってたもんな。

 愛衣は普通の顔して梅干し食べてる。酸っぱいのが苦手な私は梅干し食べてスッパマン、みたいな顔になってしまうのに。って何時の時代のギャグだよ。

 「愛衣ってやっぱりゲテ好きじゃん。」

 「ぶ〜めらんぶ〜めらん。」

 何それ?

 「むか〜しのアイドルの歌だよん。ぶ〜めらんすとり〜と〜。」

 「知らんって。」

 お互いネタが古すぎやしませんかね。

 「昨日も言ってたけど、何でブーメラン?」

 「聞きたい?」

 もぐもぐとウィンナーを頬張ったまま愛衣が答える。聞いた私も悪いけど食べながらしゃべるの止めなさい。

 ごくんと嚥下した愛衣が私を見ながら、

 「どうしても聞きたい?」

 「いや、どうしてもってわけじゃない。」

 面白くないって顔して愛衣はゴーヤチャンプルを口に運ぶ。

 言いたくないんならいいか。

 「何で酸っぱいのとか苦いの嫌いなん?」

 また突然だな。

 「嫌いなもんは嫌いなんだよ。」

 「茉莉香っておこちゃま味覚。ぷぷ。」

 ムカつく言い方。

 「餓鬼の頃はどっちも好きだったんだよ。レモン丸かじりとかしてたし、ピーマンの入った炒めものは大好物だった。その反動だと思うけど中学入った頃から嫌いになった。」

 「あらま。かわいそうに。」

 いや、そうでもない。

 「甘いものがあればいいんだよ。」

 「ふ〜ん。」

 興味なさそうな返事の割に妙に食いつき気味に感じる。

 「茉莉香って好きな人がいたことある?」

 また唐突だな。

 「無いよ。」

 正直に答える。

 「男子見て格好いいなとか、ドキドキするとかは?」

 「それもない。」

 呆れたような顔されたけどしょうがないだろ。

 「それじゃ、誰かと一緒にいて楽しいと感じることは?」

 「愛衣と一緒にいると楽しいけど?」

 驚いた顔はすぐに残念なものを見る顔に変わった。

 「即答かい。それはそれで嬉しいけど、、、う〜ん。」

 腕組んで俯いて何やらぶつくさ独り言呟いてる。

 「、、、軽い、、、脈なし、、、どうするべ?」

 「何ぶつぶつ言ってんの?」

 愛衣が顔をあげて私をジト目で見る。そんな目で見られる覚えはないんだけど?

 「こっちの話。はあ。」

 溜息まで吐いてくれるし。

 「聞くだけ聞いといてその反応?」

 「私だって色々あるんだよ。」

 淋しげな笑顔を向けられる。

 愛衣って、こんな顔もできるんだ。いつもと違う表情にどきりとさせられる。

 「このままじゃお昼食べ終わらんね。」

 言われてみればかなり時間が過ぎていた。

 「そだね。」

 残りのお弁当をがっつく愛衣。私も一緒になって自分の弁当を胃袋に流し込んだ。


 ぼんやりと廊下越しに空を見てる愛衣。

 最近愛衣はこんな感じでぼんやりしてることが増えた。

 黙ってればいい女なんだけど。普段のあのキャラじゃね、台無しだよ。

 「なんか宮崎って最近かわいくね?」

 「おちゃらけキャラが憂い帯びた顔しててギャップが堪らんかも。」

 男子のそんな声が聞こえてきた。

 気づくの遅いんだよ。愛衣は元々かわいいんだって。

 おちゃらけはご愛嬌ってね。

 だけど、最近あんな感じでアンニュイな雰囲気を醸し出してることが多いんだよね。ギャップが、っていうのもわからんでもない。

 帰り支度もしてないみたいだし、とりあえず声掛けるか。

 「お〜い、愛衣。どしたん?ぼ〜っとしてるけど。」

 「ん?ああ、茉莉香、おはよう。」

 おい。ボケにしてもいまいちだぞ。

 「ぼんやりしすぎ。」

 何も答えずにじっと私の顔見てるけど、ほんとにどしたん?

 「、、、茉莉香って、綺麗だね。」

 「はあ?」

 いきなり何?大丈夫か?熱でもあるんじゃ?

 「それに美味しそう。食べたらきっと甘いはず。」

 「私は饅頭か。」

 反射的に突っ込むと、

 「饅頭?」

 愛衣の視線が、、、っておい!

 「饅頭は盛り過ぎだよね。」

 「、、、」

 ジト目で睨みつけてやる。

 「てへ。」

 「てへじゃね〜!」

 こちとらまじで気にしてんのに。

 「だいじょぶだいじょぶ。成長期だからきっと大きくなるって、、、」

 「そこで遠い目するんじゃね〜!」

 追い打ちかけんなよ。

 「大体愛衣だって同類じゃんか。」

 「そだけど、私、この大きさめっさ気に入ってるもん。」

 言いながら胸を張る。

 慎ましいけど。確かに私よりは大きいみたいだけど。

 私より大きいけど!

 「茉莉香は今のままがいい、と私は思うのです。」

 「何でだよ。」

 私だって大きくなりたいんだ。

 「だって、いきなり茉莉香がボインになったら、私どうしたらいいの?」

 「、、、喜べよ。」

 私は喜ぶ。当たりマエダのクラッカー。

 だから、ネタ古すぎやっちゅうねん。

 「だって慎ましい茉莉香が茉莉香なんだよ?それがボインになってみ?茉莉香じゃなくなるじゃん!」

 「いや、意味分からんし。」

 私がボインになっても私は私だろ。

 「慎ましい茉莉香のお胸を拝んでた私はどうしたらいいのって話なんよ!」

 いや、逆ギレされても。

 っていうか、拝んでたんかい!

 ツッコミどころあり過ぎやろ。

 「というわけで、慎ましい茉莉香のお胸に触るのだ。」

 言うやいなや、ほんとに私の胸に手をのばして、触るだけじゃなくて揉みやがった。

 ばしっと愛衣の頭をはたく。

 「やめれ。」

 「いいじゃん、揉んだら大きくなるって言うし。」

 私は両手で胸を隠し、愛衣は両手を開いたり閉じたりして私の胸の感触を思い出してるのかにたにた笑ってる。

 「茉莉香のお胸〜。」

 「キモい。」

 女子同士のスキンシップみたいなもんだから気にならないはずなのに、そんな顔されたら恥ずい。

 「思ってたより大きかった!パッドのせい?」

 大声で言うの勘弁してくれ。周りの男子が目を輝かせてるって。

 「うん、やっぱり茉莉香はこれくらいが、って痛!」

 止めないからもう一度頭をはたいてやる。

 「痛いなあ、もう。」

 今度は頭を撫でてる。涙目で私を見てるけど、こういう仕草はかわいい。いつもこんな感じでかわいくしてればいいのに。そしたら、、、

 、、、そしたら?

 「じゃ、今度は茉莉香の番。」

 愛衣の言葉に思考が遮られる。愛衣がにこにこと私を見てる。何期待してるんだ?それよりも、

 「何の番だよ。」

 いつものように唐突だから愛衣が何考えてるのかわからない。

 「さっきは私が触ったから、今度は茉莉香の番。ほれ。」

 そう言って私にばんと、誇らしげに胸を張る。慎ましやかな、私よりは大きいけど!愛衣の慎ましやかな胸が張られる。いや、触ったって言うより揉んだだろ。

 「いや、そういう趣味ないし。」

 「え〜、触っていいんだよ?大盤振る舞いだよ?触んないと損だよ?」

 どっかの客引きかよ。とツッコミたくなるが、突っ込んだら負けだ。

 「無い乳触ったって面白くないだろ。」

 「誰かさんより大きいもんね。」

 くそっ!

 「あ、ブラはパッド無しだよ。」

 挑発までしてきやがった。こうなったらまじで揉んでやるか?

 「うわ、山本、鼻血出すなよ。」

 という名前知らない男子の大声。

 『、、、』

 私と愛衣は互いに見つめ合って周りを見渡す。教室中の視線が私達に集中してた。男子だけじゃなくて女子まで。

 『帰ろっか。』

 二人で頷いて、さっさと帰り支度して教室から出た。


 今日の愛衣はめっちゃご機嫌。鼻歌混じりで教室に入ってくるし、ここ最近のぼんやりした表情も見せない。

 いつもの愛衣、よりもテンション高くないか?

 「昨日、いいことあったからね。積極的になったらいいことあるのがわかったし、今後はめっさ積極的に行こうと思う所存です。」

 「何の話?」

 テンション高い上に積極的に行くって、何するんだ?

 「ひ、み、つ、とか言って内緒にすると思った?ち、ち、ち。違うんだな、これが。」

 私の目の前で人差し指を揺らす愛衣。

 「茉莉香、ハグしよ。」

 言うなり、椅子から立ち上がった愛衣がいきなり抱きついてきた。

 「暑苦しい。」

 押しのけようとしたら柔らかいものを押してしまう。

 「いやん、茉莉香のえっち。」

 それ笑いながら言うセリフか?しかも隠すわけでもないし。

 「どうよ、私の胸。茉莉香より大きいでしょ。」

 「はいはい。こういう状況で触ってもわからんって。」

 確かに私よりは大きいし、柔らかかった。

 「じゃ、ちゃんと触っていいよ。昨日も言ったけど。ほれ。」

 私から離れた愛衣がまたまた胸を張ってる。

 「いや、だからそんな」

 趣味ないと言い切る前に愛衣が私の腕を取って自分の胸に押し当てやがった。

 慎ましいと思ってた愛衣のそれは、ちょうど私の手にすっぽりと収まる大きさで。

 丁度いい、なんて感想が出てきそうになる。口にせずに済んだけど。

 パッドなし、なんて言ってたけど事実のようで、ブラウスとブラ越しだと言うのにダイレクトに感触が伝わってくる。

 ん?何か硬いものが、、、

 「あん。」

 変な声出すな。洒落にならんからやめろ。

 そう言うべきだ。

 それなのに、私の口は言うことを聞かず黙ったまま。私の手も愛衣の感触を確かめ続けたまま。

 「これやばい。」

 そう言って、愛衣がようやく私の手を解放する。

 「まじやばい。」

 愛衣がまた私に抱きついてきた。

 「ん〜。」

 何かを我慢してるような声を漏らしながら私を強く抱きしめてくる。

 「愛衣、苦しい。」

 私の両手はぶらんと下がったまま。

 愛衣に腕を回してもいいけど、それやっちゃうとヤバい気がしてできない。

 「はあ。」

 溜息をひとつ吐いた愛衣が私から離れていく。

 「積極的すぎると理性が持たないし体まで暴走しちゃうし。我ながら計算外だよ。」

 ちょっと落ち込んだ様子の愛衣。俯いてもう一度溜息吐いてる。

 チャイムが鳴り始めた。

 「お花摘んでくる。」

 愛衣が走って教室から出ていった。

 私はその後ろ姿を見ながら、なんだかもやもやした感情を持て余しつつ、自分の席に戻った。


 今日の愛衣は昨日とは正反対におとなしい。おとなし過ぎる。

 「どしたん?」

 何故か私と目を合わせない愛衣に聞いてみる。

 「昨日、失敗したから。」

 「失敗?」

 昨日?何の話し?

 「こっちの話し。」

 そう言って、やっと私と目を合わせる。

 「う〜ん、積極的なのは自爆してしまったし、婉曲なのは通じないし。はあ、これどうしたらいいの?」

 愛衣が机に突っ伏す。

 自爆とか婉曲とか話がわからん。

 「なんかよくわからんけど、愛衣が悩んでるのはわかった。でもさ、愛衣って当たって砕けろじゃなかったっけ?」

 「そうなんだけどさ、今度は砕けたくないんよ。」

 溜息まで吐きやがった。

 ちらりと私を見て、

 「茉莉香がここまでニブチンとは。」

 ぶつぶつと呟く。

 「何か言った?」

 「別に。」

 ほんと今日の愛衣はいつもと違いすぎて調子が狂う。

 突然愛衣ががばっと身を起こすと、何故だか私をじっと睨みつけてくるし。

 「何だよ。」

 「ね、昨日私の胸触ったでしょ?どうだった?」

 いきなり変なこと聞いてきやがった。

 「どうって、」

 「触ったんだから感想ぐらい聞かせてよ。昨日聞きそびれてたし。」

 触ったと言うより触らせられたと言った方が正解なんだけど。

 「う〜ん、丁度いい?」

 「何それ。」

 我ながら変なこと言ってしまった気がする。

 愛衣が続きはよって顔してる。私の口が勝手に動く。

 「私の手にすっぽり?」

 「何故に疑問形?」

 よくよく考えたら友達の胸触った感想言うとかちょっとあれ過ぎる。

 「茉莉香の手にすっぽりか。思ってたより私の大きい?」

 疑問形だったことはどうでもいいのか追求なしなのはありがたいけど、

 「大きくはないな。」

 「はっきり言うなし。」

 ふんとそっぽを向く愛衣。あらら、拗ねてらっしゃる。

 「でもま、気に入ってるんだけどね、この大きさ。それに茉莉香に丁度いいらしいし。」

 前にもそんなこと言ってたな。慎ましくともないわけじゃないし。私と違って。

 「丁度いいんだったらもっと触っていいよ。何だったら揉んでもいいぞ。ほれほれ。」

 胸を張ってきた愛衣の頭に軽くチョップをくれてやる。

 「あほか。」

 「痛。」

 頭をさする仕草はかわいい。

 胸の話はお互いダメージが大きいんだから話題を変えたいんだけど、

 「茉莉香のお胸、触りたいな。」

 おい。

 「おっさんみたいなこと言うなよ。」

 「いいじゃんか。」

 愛衣がまじで手を伸ばしてきやがった。

 「いいわけないだろ。」

 その手をぱしっとはたいてやる。

 「痛。」

 流石に手を引っ込め、ないんかよ。

 「だったら揉んで大きくしてやるぜ、うへへ。」

 愛衣の顔が冗談言ってる顔に見えないんだよな。本気なのか?

 「何がうへへだよ。大体愛衣に揉まれても大きくなる気がしないんだけど?」

 「そんなこと無いから揉ませろよ。」

 両手をわしゃわしゃさせてるし、そんなに無い乳揉みたいのか?

 「何でそんなに私の胸触りたいんだか。」

 「茉莉香のだからに決まってるじゃん。」

 呆れて言ってやったのにドヤ顔で返される。私はどう反応したらいいんだ?

 「それって私が好きだからって聞こえるぞ?」

 こんな返しならいいだろうと私もドヤ顔で愛衣に言ってやる。

 まじまじと私を見た後、愛衣は盛大に溜息をこれみよがしに吐いてきやがった。しかもジト目で睨んできてるし。

 「何だよ、その反応。」

 「別に〜?」

 私変なこと言った?愛衣の反応が謎過ぎる。

 「顔洗ってくる。」

 そう言ってすくっと立ち上がるとそそくさと教室から出ていく。

 その背中を見ながら、

 「今日の愛衣、ようわからん。」

 私は独りごちていた。


 「お〜い、愛衣。お昼、、、」

 「宮崎、俺達と飯食わね?」

 私の声を遮る男子。そう言えばこの前愛衣のことギャップが堪らんとか言ってたな。

 茉莉香は私の顔と男子の顔を交互に見て、

 「う〜ん、たまには違うメンバーでも?」

 声を掛けてきた男子といつも一緒にお昼を食べてるグループ。誰かの彼女も混じって結構な大人数。いつもお昼の教室を騒がしくしてる連中だ。

 「じゃ、今日はそっちに行くよ。茉莉香、ごめん。」

 「わかった。」

 愛衣は自分の弁当を手にグループの方に歩いていく。私は自分の席に戻って独りで弁当を開ける。

 時折ちらりと愛衣の方を見るけど、結構楽しくやってるみたい。

 おい、愛衣の肩にわざとらしく触るなよ。

 さっさとお弁当を平らげて、騒がしいのはごめんと教室を出る。

 教室から出たのはいいけど、行く宛がない。考えてみたら愛衣とお昼一緒じゃないのは初めてじゃないかっていうくらい超久しぶり。

 さて、どうやって時間を潰そうか。

 適当に歩いてたら校舎裏の花壇が見える。ベンチもあって癒やしポイントのはずだけど先客がいる。

 雰囲気的にわかるけどさ、ここ、周りから丸見えなんだけど?だから昼間っから何やってんだよ!人前なんだからもう少し遠慮しろ、このリア充め!

 くるりとのめり込んでるカップルを尻目に花壇から離れる。

 癒やしが欲しい。

 何故かそんな単語が浮かんでくる。

 原因は、、、さっきのカップルのせいだ。変なもん見せつけやがって。

 誰もいないところに行きたい。学校の中にそんな場所があるわけない、、、一つ思い出した。あそこなら誰もいないはず。

 私の足は特別教室棟に向かう。中に入って階段を登っていく。

 特別教室棟は3階建て、3階まで登って、更に続く階段を登る。踊り場を超えて登れば屋上、だけど、当然のように屋上は立入禁止。

 だから、ここまでくるやつはいない。

 屋上に出られるドアのある踊り場。

 行儀悪いけど、床に大の字になって寝転がる。

 明かり取りの窓から差し込む光がちょっと眩しい。

 目を閉じる。

 その光の中に影を感じて目を開けると、窓枠に雀がとまっているのが目に入る。

 チュンチュンと鳴きながら首を左右に動かしてる。

 かわいいな、と思ったら飛んでいってしまった。もう少し見てたかったのに。

 仕方ないと目を閉じた。

 差し込む光が心地良い。このまま寝てしまったら気持ち良さそう。

 ちょっとだけ。

 私はそのまま眠気に身を任せた。


 人の気配を感じて目を覚ます。

 「こんなところで寝てたら襲っちゃうぞ。」

 私の横にちょこんと座った愛衣が笑ってる。

 のはいいんだけど、

 「おい、何で私のスカートめくってるんだ?」

 「茉莉香を襲おうかなって。」

 スカートの中を覗き込んでる愛衣の手をはたいて、スカートを直しつつ起き上がる。ついでに両手をぐっと伸ばして体の方も目を覚まさせる。欠伸が出た。

 「お、茉莉香の欠伸。」

 「言葉尻にハートマークが見えるんだけど?」

 何が楽しいんだか、愛衣はにっこりと笑顔を浮かべてる。

 「う〜ん、やっぱ寝てる間に襲っとけばよかった。」

 「あほか。」

 欠伸の後の涙目で愛衣を睨む。この前も感じたけど、最近、愛衣のこの手の発言が冗談に聞こえないときがある。

 「大体私襲ったところで面白くないだろ。」

 胸ないし、そもそも女同士だし。

 「試してみなきゃわかんないって。というわけで今から茉莉香のこと襲っていい?」

 「いいわけないだろ。」

 だからそのワキワキさせてる手をやめれ。

 「茉莉香って、多分あの声かわいいし、そういうときって普段と違って女の子らしく甘えてきてくれそうだし、絶対茉莉香襲ったら楽しいに決まってる。」

 「そんなわけ、」

 「そんなわけあるって!」

 否定しようとしたらかなり強く遮られた。

 「だから試してみよ?」

 「かわいく言ってもだめ。」

 今日の愛衣はグイグイ来るな。いつもならもう引いてるタイミングのはずなんだけど。

 「ちぇ、つまんないの。」

 「つまらんこと言ってないで教室戻ろう。」

 立ち上がっておしりのホコリをパンパンはたく。

 「戻るの?」

 「当たり前だろ。午後の授業どうすんだよ。」

 愛衣が不思議そうな顔した後笑い出した。

 「いや、だって、もう放課後。」

 「は?」

 言われてポケットからスマホを取り出して時間を確認。

 「え?まじ、うそ。」

 愛衣が笑ってる。

 「茉莉香のカバンも持ってきてるよ。ほれ。」

 愛衣が指差した先に愛衣のリュックと私のカバンがある。

 「私どんだけ寝てたんだよ。」

 サボったのは嫌いな数学と科学だから寝たのが教室かここかの違いだけではあるんだけど。あの教師陰湿だから次の授業で集中砲火食らうな。

 鬱々と考えてたら、座ったままだった愛衣が私のスカートを捲って覗き込んでた。

 「茉莉香かわいいの着けてるじゃん。」

 無言で愛衣の手をはたく。これ2度目だ。

 「私のパンツ見てどうすんだよ。」

 「ん?おかずにする。」

 今日の愛衣どうした?そんなことばっか言ってるけど。

 帰るか。立ち上がるけど愛衣は座ったまま。

 「バカなこと言ってないで帰るぞ。ほら、立って。」

 手を差し出すと私の手を捕まえてぐいっと引っ張る愛衣。

 「って、お、おい!」

 いきなり強い力で引っ張られたからそのままつんのめって床に転げてしまった。

 「あは。」

 当然こんな位置関係になる。

 私は両手を床につけてる。

 愛衣の顔が私の真下にある。

 これじゃ床ドンみたいじゃないか。

 「茉莉香、私のこと襲っていいよ。」

 言いながら愛衣が目を閉じる。

 睫毛長いな。

 リップ?少し開いた唇が色づいてつやつやと、柔らかそう。

 至近距離で見ても、やっぱり愛衣はかわいい。

 「いや、襲わんって。」

 体を起こそうとしたらまた愛衣に引っ張られる。

 「お、おい!」

 私の目の前には愛衣の細くて白い首筋。愛衣が私の頭を抱きかかえる。

 「ほら、襲いなよ。」

 愛衣が私の耳元にささやく。吐息がかかってくすぐったい。

 「冗談ならやめれ。そういう気分じゃない。」

 私の口から考えてもいない言葉がこぼれていった。

 ぎゅっと愛衣の腕に力が入って、そして腕が離れていく。

 開放された私は起き上がると、愛衣が嬉しいような悲しいような、どちらかわからないような顔して私を見てた。

 だけど、すぐに、嬉しそうな笑顔になると、

 「じゃあ、そういう気分になったら私のこと襲ってくれるんだ?」

 「いや、そういうつもりじゃ、、、」

 愛衣から目を逸らす。

 「期待してる。」

 その言葉を聞いて、私は愛衣から離れて立ち上がる。愛衣も体を起こして、立ち上がった。

 「じゃ、帰ろっか。」

 にこりと私に笑いかけて、リュックを背負った愛衣は階段の方へと歩いていく。

 その背中を見ながら私は独りごちる。

 「どうしてそういう気分じゃないなんて言ったんだ?」


 「おはよう茉莉香。その気になった?」

 「おはよう。なるわけ無いだろ。」

 朝イチからこれだよ。

 「私はいつでもおっけーだよ〜。」

 溜息が出る。

 ふと愛衣の顔を見て思い出す。

 そう言えば、愛衣っていざとなったらビビって逃げてくパターンが多かったような。

 だとしたら。

 襲うふりしたら、ビビって逃げ出してしばらくはおとなしくなるか?

 「あ、茉莉香が悪巧みしてる。」

 でも、肝が座ったときの愛衣って何考えてるのかわからなくなるときあるからな。突拍子のないことしてきそうだし、そうでなくても最近意味不明な言動が多いし。

 う〜ん。

 「今度は唸ってるし。お〜い、茉莉香〜。」

 私の目の前で手を振る愛衣。

 そんな愛衣をじっと見る。

 じっと見る。

 愛衣の手が止まる。

 じっと見る。

 「そんなに見つめられると照れるぜ。」

 ほんとに顔を真っ赤にして目を逸しやがった。

 かわいい。

 「ま、まだ見てる?茉莉香〜、まじ恥ずい。」

 更にじっと見る。

 上目遣いに私を見る愛衣。

 「に、」

 「に?」

 ぷるぷると震えだす愛衣。

 涙目になると、

 「にゃ〜!」

 変な声出して教室から逃げ出した。

 「猫かよ。」

 かわいかったからいいけど。ちゃんと授業が始まるまでに帰ってこいよ。


 「朝のあれはずるい。」

 「朝っぱらから変なこと言うからお返しだよ。」

 「む〜。」

 ほっぺを膨らませて私を睨む愛衣。

 かわいい。

 可愛気のない私とは違う。私が照れて恥ずかしがってもかわいいわけがない。

 ずるいな。

 そんなことを考えつつ愛衣をじっと見てたら、

 「だから、恥ずいって。」

 またまた顔を真っ赤にしてらっしゃる。

 「どしたん?今日の愛衣、めっちゃ照れるやん。」

 「だって、、、」

 真っ赤な顔して上目遣いで私を見てくるのは反則だ。

 「お〜い宮崎。今日カラオケ行かね?」

 かわいい愛衣を堪能してたら邪魔が入った。

 この前愛衣を誘ってきた男子、確か山本君と言ったっけ?が気安く愛衣の肩を叩く。

 「愛衣は今私と話してんの。邪魔すんな。」

 キツめの言葉が投げつけられる。

 投げつけられた山本君は何だこいつおめえは関係ねえだろ、みたいな顔で私を見て、それから愛衣に顔を向ける。

 「いいだろ?今日の放課後空けといて。そんじゃ。」

 もう一度愛衣の肩を気安く叩いて山本君はいつものグループの輪に戻っていく。

 「えっと、茉莉香?」

 「何?」

 愛衣の声に山本君の背中から愛衣に視線を戻す。

 困ったような顔をしてる愛衣。

 「茉莉香、顔怖いよ。」

 愛衣に言われて自分が山本君を睨みつけていたことに気づく。

 「悪い。」

 眉間を揉みほぐして、それから頬もほぐす。

 いつもの顔に戻ったはず。

 「珍しいね、茉莉香があんな顔するなんて。誘われても行かないから安心して。」

 それだと愛衣が山本君と遊びに行くのを私が嫌がってるみたいじゃんか。

 だから誤魔化すように、

 「私じゃなくて直接本人に言ってこいよ。」

 ぷいっとそっぽを向いてつっけんどんに言ってやった。

 「先に茉莉香に言っときたかったの。」

 愛衣は席を立ってつかつかと山本君のところに行くと、一言二言言葉を交わしてこっちに戻ってきた。

 「断ってきた。」

 「そ。」

 何故か愛衣が私に笑顔を向けてる。

 「何故に笑う?」

 「いいことあったから。」

 笑顔の愛衣を見つめても全然照れてこなかった。


 「小鳥遊。」

 朝、ぼんやりと窓の外の雲を眺めてたら男子から声を掛けられた。

 振り向くとムスッとした顔をした山本君が私を見下ろしてた。

 「何?」

 相手の顔つきに合わせて私の声もキツめになる。

 「お前宮崎の何なんだよ。」

 「は?」

 いきなりお前呼ばわりの上、質問の意図が分からな過ぎる。

 眉間にシワを寄せて山本君を睨む。

 「邪魔すんな。」

 山本君が投げつけるように言うと、そのまま背を向けて行ってしまった。

 「何なんだよ。」

 意味がわからん。愚痴の一つも言いたくなる。

 だいたい山本君にお前呼ばわりされるいわれはない。もうあいつのことは君付けしない、呼び捨てでいい。

 「おはよう茉莉香、って、何かあった?また怖い顔してるけど?」

 愛衣がやってきた。

 「おはよう。山本からインネン吹っかけられた。」

 「何言われたん?」

 「私が愛衣の何なんとか、邪魔すんなとかって。意味がわからん。」

 愛衣は納得したような顔して、

 「そういうことか。わかった。」

 そう言って、教室を見渡して山本を見つけるとそっちの方にヅカヅカと歩いていく。

 いつものメンバーと駄弁ってた山本の前まで行くと、

 「山本君。」

 と声を掛けてる。

 「宮崎から声掛けてくれるとか、」

 嬉しそうな顔して愛衣を見返す山本の言葉を遮って、

 「茉莉香に突っかかったんだって?」

 愛衣の冷たい声。

 「いや、その、」

 山本の言い訳しようとする声も遮って、

 「茉莉香は関係ないよね?ただの八つ当たりだよね?私があんたの誘いに乗らないからってそんなことするとかありえなくない?」

 ぐうの音も出せず、山本は俯いてしまう。

 そして、愛衣はトドメを刺す。

 「私、あんたのこと好きでも何でも無いし好きになることもないから。もう話し掛けたりしないで。顔も見たくない。」

 周りが完全に呆気に取られてる中、愛衣が私の席まで戻ってきた。

 山本は俯いたまま教室から出ていく。

 その背中に愛衣の軽蔑しきった視線と、女子たちの残酷なクスクス笑い、男子たちの同情的な視線が浴びせられていた。


 今現在、私の席が教室中の視線を集めてる。

 原因は愛衣。

 そしてその横に立つ山本。

 お昼を食べ終わって愛衣とおしゃべりしてたら山本がやってきて愛衣の横にやってきた。

 今朝あんなことがあったから当然のように教室中の視線が集まってる。

 「何。」

 愛衣の冷たい声。怖え〜。

 「その、、、今朝のこと、謝る。ごめんなさい。」

 「謝るのは私じゃないだろ。」

 口調まで変わってるし。

 愛衣って怒ると相当怖いんだよな。普段があんな感じだからそのギャップもあるけど、それ以上に怖い。別人じゃね?っていうくらい人格変わるし。

 山本が私に向いて頭を下げる。

 「八つ当たりしてごめんなさい。」

 「はあ。」

 愛衣の雰囲気に当てられたのもあるけど、いきなり謝られたんで間抜けな声しか出てこない。

 そもそも何で私に八つ当たりしてきたのかもわかってないのに。

 頭を上げた山本が愛衣に向き直る。

 「でもやっぱり宮崎のこと諦めきれない。好きなんだ。本気なんだ。だから、」

 「私、はっきり言ったよね。」

 愛衣に睨みつけられても山本はまっすぐに愛衣を見てる。

 「好きでも何でもない、好きになることもない、顔も見たくないって。」

 「それでも諦められないんだよ。好きなんだ。宮崎のこと好きなんだよ!」

 これって公開告白だよな。私ここにいていいのか?周りは周りで女子はきゃ〜とか黄色い声出してるし、山本グループの男子は頑張れとか言ってるし。

 「だから、俺と付き合って欲しい。」

 目の前でこんな展開になると非常にいたたまれないんですが。かと言ってここから逃げ出すのも雰囲気壊しそうで。

 見守るしかないかなと思ったら、愛衣が爆弾を投下した。

 「無理。私、好きな人いるから。」

 瞬間、教室がしーんと静まり返る。

 愛衣をちらりと見る。

 いつも見せない真剣な顔。

 その顔を見た私の胸の奥、ちりちりと何かを感じる。

 非常に不快だ。

 だから、私は愛衣から目を逸した。

 そして、さっきの愛衣の言葉を反芻する。

 愛衣、好きな人いたんだ。

 その言葉に胸の奥のちりちりが強くなる。でもその正体がわからない。

 だからイライラする。

 そんなイライラしたままの私は山本を見る。

 打ちひしがれて、俯いて、拳を握りしめて、何かを我慢してる。

 失恋、したんだよね?

 失恋ってつらいのかな?

 そんな場違いなことを考えてたら、山本が一言、

 「分かった。」

 そう言って愛衣の横から離れていく。そのまま教室を出ていった。

 静まり返っていた教室が急に騒がしくなる。

 女子たちの残酷なおしゃべり、山本グループの男子たちが教室から出ていく。山本を追いかけて慰めでもするんだろう。女子たちが残酷なおしゃべりの合間にちらちらと愛衣と、そして何故か私も見てる。意味有りげな視線が不愉快だ。

 「ごめん、せっかくの休み時間なのに無駄にしちゃった。」

 いつもの笑顔に戻った愛衣が私に話しかける。

 「う、うん。」

 何か言おうとして、でも、それは言葉になることはなくて、私はただ愛衣を見返していた。

 愛衣の視線がいつもより優しい気がする。

 何だか恥ずかしくなって、私は愛衣から目を逸した。


 最悪の寝覚め。頭がぼ〜っとしてる。

 布団に入ってもなかなか寝付けず、眠りに落ちたと思ったら浅くて、しかも変な夢まで見るという。しかも、変な夢だったことは覚えていても夢の内容は全く覚えてない。

 これ、大丈夫か?学校行ける?

 サボりたい。学校行きたくない。

 そう思っても結局お母さんに家から追い出された。

 とぼとぼと学校までの道を歩いていく。

 挨拶しながら教室に入って自分の席に着く。座ったら欠伸が出てきた。

 口元を両手で隠す。

 「お、大きな欠伸。おはよう茉莉香。」

 「おはよ。」

 愛衣が私の横で笑ってる。

 「どしたん?朝っぱらから大欠伸とか。」

 「寝れんかった。」

 「あらま、健康優良児の茉莉香さんが眠れなかったと。何があったん?」

 「わからん。」

 寝付けなかった理由は分かってる。

 胸の奥のちりちりとイライラだ。

 今も胸の奥で燻ってる。

 何となく愛衣には言いたくなかった。

 「なんで今日授業寝てるからノートよろ。」

 少しの時間考え込んで、

 「、、、それじゃ私のお願い聞いてもらおうかな?」

 「いいよ。」

 愛衣が変なことお願いするわけないから二つ返事で返す。

 「よっしゃっ!」

 愛衣が気合い入れて喜んでるけど、何お願いするつもりなんだ?

 「胸触らせろとかじゃないよな。」

 「、、、」

 愛衣の視線が踊りだした。

 おい。

 チャイムが鳴り始める。

 「じゃ、後で。」

 誤魔化すように愛衣が自分の席に戻っていく。

 変なお願いするつもりなのか?

 まあ、いいや。

 とりあえず寝よう。


 午前中の授業でぐっすり寝て、愛衣とお昼を食べておしゃべりして、午後の授業もやっぱりぐっすり寝て、只今放課後。

 おかげでスッキリした。

 帰り支度が終わったタイミングで愛衣が私のところにリュックを背負ってやってきた。

 「帰ろ。」

 愛衣の言葉に席を立つ。

 何だか視線を感じる。何故か私を見てニヤニヤしてる。

 何でだ?

 授業そっちのけで一日中寝てたからか?まあいいや。

 靴箱まで来ると振り向いて愛衣が私をじっと見る。

 「何?」

 「お願い、しようかなって。」

 約束だからちゃんとお願いは聞くけど、

 「変なお願いは無しね。」

 とりあえず釘だけは刺しとく。

 「ついてきて。」

 愛衣はくるりと背を向けるとずんずんと歩き出す。

 どこに行く気だろう。

 愛衣の足は特別教室棟に向かっていく。今日は文化系のクラブは活動してないみたいでガランとしたまま。

 階段を登る。この前私が寝てた踊り場まで。

 愛衣が私に振り向く。じっと私を見てる。

 「お願いなんだけど、」

 「うん。」

 わざわざこんなところにまで来てお願いって、何をお願いされるんだ?

 「私がしたこと、大目に見てね。」

 「なんじゃそりゃ。」

 また愛衣が意味不明なこと言い出した。

 「いいから、お願い。」

 「よくわからんけど、いいよ。大目に見てやる。」

 「ふ〜、良かった。」

 ほんとにほっとした顔してるけど、

 「ところで愛衣、何をしたん?」

 愛衣の視線が踊りだす。

 「えっと、、、」

 「はい、正直に話す。」

 こういうとき、愛衣は嘘を吐かないけど、白状するまでに少し時間がかかる。

 「えっと、、、」

 下を向いてもじもじしてる。悪いことして隠そうとしてバレたときの子供みたいだ。

 庇護欲そそるんだよね。彼氏だったらここで許してしまうんじゃないかって思う。

 愛衣に彼氏はおらんけど。

 、、、好きな人はいるんだった。

 胸の奥でちりちりとイライラが私を攻め立ててくる。

 「えっとね?そのね?お昼休み、茉莉香を起こしに行ったでしょ?そのときにね?」

 熟睡しててお昼休みは愛衣に起こされたんだった。

 「その、、、茉莉香の寝顔があまりにもかわいかったもんで、つい、」

 「つい?」

 ちりちりとイライラのせいで少し語気が強くなる。愛衣がびくっと身を竦める。

 上目遣いにちらりと私を見た愛衣が、続く言葉を言い放つ。

 「茉莉香のほっぺにちゅう、しちゃった。」

 ほっぺにちゅう、、、?

 ちゅう?!

 「愛衣が?私に?ちゅう?」

 コクリとうなずく愛衣。

 愛衣の唇が目に入る。

 あの唇が、私の頬に?

 まじ?

 愛衣が私にちゅう?

 「な、何で?」

 「何でって、好きな女の子が目の前ですやすや眠ってて、しかも寝顔がめちゃくちゃかわいくて、そしたら当然ちゅうしたくなるよね?いや、むしろしないとダメだよね?スリーピングビューティーだってちゅうで目覚めたんだからちゅうで起こすの当たり前だよね。だから私が眠ってる茉莉香をちゅうで起こすのは当然なの!当たり前なの!私は茉莉香のことが好きなの!ちゅうしたいの!だから今から茉莉香とちゅうする!」

 愛衣が一気に捲し立ててきやがった。けど、え?愛衣?何言ってんだ?

 「ちょ、ちょっと待って。」

 「待たないし、待てない。」

 愛衣が一気に私との距離を詰めてきた。手を伸ばさなくてもお互いが触れ合える距離。とっさに私は私と愛衣の間に壁を作る。戸惑いと言う名の透明な壁。

 だからだろう、愛衣はさっきの言葉とは裏腹に最後の一歩を踏みとどまってくれている。

 ちゅうしたい?私と?

 いや、待て。その前になんて言った?好き?私を?

 今からちゅうする?

 愛衣とちゅう?

 本気か?

 ちゅう、、、キス、、、愛衣と?

 愛衣とのキス、、、多分嫌じゃない。

 してもいい、と思う。

 だって、胸の奥のちりちりが消えてる。

 愛衣の言葉が溶かしてくれたみたい。

 だけど。

 してもいいとしたいは違う。

 今の私は、、、

 「茉莉香。」

 最後の一歩を踏み出そうとする愛衣に、私は呟く。

 「今はそういう気分じゃない。」

 私の言葉を聞いて、愛衣は動きを止めた。そして私を見つめる。

 しばらく私を見つめた後、愛衣は大きなため息を吐きながら、

 「そういう気分じゃない、か。」

 呟いて座り込んでしまう。

 「この前もそう言ってはぐらかされた。」

 「この前はそうだね。」

 素直に肯定する。

 「この前はそうだね、ってことは、今のは違う?」

 「さあ、どうだろうね?」

 素直に答えるつもりはない。

 もう一度溜息を吐きながら、

 「ワンチャン、ある?」

 愛衣の問いには答えずに、私は右手を差し出す。

 私の手をじっと見て、そして愛衣は私の手を取った。

 今日はこの前とは違う。

 ぐいっと強引に愛衣を引っ張り上げて私に引き寄せる。

 「え?ちょ!」

 驚く愛衣の背中に腕を回して体を密着させる。

 顔は愛衣の首筋に埋めてみる。

 愛衣の香り。

 いつものシャンプーの香り。

 落ち着く香り。胸いっぱいに吸う。

 私が落ち着いていくのとは反対に、愛衣が慌てまくってる。

 「な、何?茉莉香?」

 「いいから、おとなしくしてろよ。」

 ぐっと力を込める。

 「に、」

 愛衣の口から妙な単語が。

 それと、汗の匂い。

 緊張してる?

 友達とのハグで緊張するとかかわいいな。

 あ、愛衣にとって私は友達じゃないんだっけ。好きな人、か。

 好きな人にハグされたら、私はどうなるんだろ?

 愛衣みたいに緊張するのかな?

 それとも、、、

 「に、」

 「に?」

 また愛衣の口から妙な単語。と思ったら、

 「にゃ〜!」

 私の腕の中でジタバタと暴れだした。

 「にゃ〜!にゃ〜!」

 猫かよ。

 「ほら、暴れない。おとなしくしてってば。」

 「無理!こんなん無理〜!」

 暴れるのをやめてくれないから、仕方なく愛衣を開放する。

 だっと私から数歩距離を取ると、

 「しゃ〜!」

 威嚇してきやがる。

 猫かよ。

 「ちゅうしたいとか言ってたくせに。」

 「だって、茉莉香ずるい。」

 するい、ねえ。

 「ずるいって何が?」

 「そういう気分じゃないとか言っときながらいきなりハグは反則だって。」

 「寝てるのにちゅうも反則だろ。」

 「う、、、」

 言葉に詰まる愛衣。

 「ちゅうのお返しだよ。」

 「む〜。」

 口を尖らせて不満顔。かわいい。

 「あれ?」

 愛衣の表情が疑問顔に変わる。

 「ハグ、したんだよね?茉莉香と。」

 「そうだね。」

 「恥ずかしくて逃げ出したけど、それって、めっさ勿体ない?」

 「さあ?」

 今度は何か考え込んでるよ。

 「う〜ん、やっぱもう一回。」

 愛衣がニコニコ笑顔になって両手を広げて私に近づいてくる。

 「ダメ。」

 私は両手で愛衣の前に大きなバツを作ってやる。

 「何で?」

 「そういう気分じゃなくなった。」

 「、、、」

 愛衣の顔が一気にショックをうけた表情に、そのまま崩れ落ちて両手両足を床に着く。

 「まただよ、、、」

 俯いた愛衣が残念そうな声で呟いてる。

 「せっかくハグしたのに腕の中で暴れられてみ?結構ショックだから。」

 「う〜。」

 愛衣が自分のバカとか独り言言ってる。

 「ん?」

 ぶつぶつ言ってたと思ったら顔を上げて私のこと見てる。

 「ということは、そういう気分になればハグしてくれる、ってこと?」

 「そういう気分になればね。」

 「じゃ、ちゅうは?」

 目をキラキラさせて期待し過ぎ。

 「キスは、、、」

 愛衣が期待に満ちた顔で私を見る。

 「今日は帰ろっか。」

 「あ〜、誤魔化した!」

 ぷくっと頬を膨らませて私の横に来ると腕を組んできやがった。しかも私の顔を下から上目遣いに覗き込んできやがって、

 「ね、ね?ちゅう、ちゅうは?ねえってば。」

 わからないから答えたくないんだよ!

 「さ〜ね?」

 いつかキスしてもいいからキスしたいって変わるのかな。

 腕を組んだまま階段に向かった。

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