第2話 ときめきは突然に

「ピッグス伯爵からお礼の手紙が届きましたよ。お孫さんにも喜んでいただけたようです。今度、フランツィーニ商会の新作ドレスを購入したいそうです」


「そうか。アルマンドのおかげだな」


「いえ、お手紙からは上客になっていただけそうな手応えを感じましたので、お買い物の際にさらに仕掛けていくとよろしいかと存じます」


「なるほど、そうしよう」


「……ところで、ジェラルド様は何をなさっているのですか?」


 アルマンドが怪訝そうに眉をひそめて尋ねてくる。

 それもそうだろう。上司が部屋の真ん中で両手に鉄の塊を持って上げ下げしているのだから。


 僕は手に持っていた鉄の塊を床に置き、額に滲んだ汗を手で拭う。


「これは隣国で流行っているものらしくて、"ダンベル" というらしい」


「ダンベル……?」


「こうやって片手にひとつずつ持って上げ下げすることで筋肉を鍛えるんだそうだ。たしか "筋トレ" とか言っていたな。運動不足の貴族の男たちが屋内でもできる運動として、こぞってやり始めたらしい」


「なるほど。ですが、なぜそれをジェラルド様が?」


「うちの紹介でも取り扱って、国内で流行らせたいと思ってな。ダンベルは筋力に応じて負荷を変えられるように色々な重さのものを作れば売上を伸ばせそうだろう。そういうわけで、自分でも試してみるべきだと思って使ってみたんだ」


「左様でございましたか。それで、お使いになってみていかがですか?」


 アルマンドに感想を聞かれた僕は、左腕の上腕筋に力こぶを作って叩いてみせる。


「これは腕の筋肉を鍛えるのにいいな。使い方によっては胸筋にも効きそうだ」


「左様でございますか」


「ただ、この形だとちょっと持ち上げにくい気もするな。どうにかして改良できないだろうか」


 売上が見込めそうであれば、輸入して売り出すのではなく、国内生産に切り替えてもよさそうだ。その場合、気になる点はできるだけ改良して製造したい。


「そうだ、アルマンドも少し使ってみて感想を聞かせてくれないか」


 アルマンドなら優れた着眼点で良い改良のヒントをくれそうな気がする。そう思って頼んでみると、アルマンドはあからさまに顔をこわばらせて拒否してきた。


「いえ、私は結構です。ジェラルド様と違って筋力もありませんので」


「むしろ、それがいいんだよ。まだあまり筋力のない人だとどう感じるのかが知りたい。君の意見はきっと役立つから頼むよ」


 アルマンドだからこそ感想を聞きたいのだとお願いすると、真面目なアルマンドは溜め息をつきながらも了承してくれた。


「……分かりました。ですが、あまり期待はしないでください」


 アルマンドがしゃがんで、床に置かれたダンベルを持ち上げる……と思ったが、なかなか持ち上がらない。


「ふっ……くっ……」


 片手では無理だと思ったのか、両手でひとつのダンベルを掴んで持ち上げるが、よろよろとしていて非常に危なっかしい。


「ううっ…………ふうっ…………」


 まだ3回ほどしか上げ下げしていないのに、顔を真っ赤にして苦しそうに顔を歪めている。


(あのダンベルは、たしか初心者が最初に購入する比較的軽めのものだったはずなんだが……)


 実際、自分で使ってみてもやや物足りなくて、もう少し重くてもいいと思ったくらいだ。


 とは言え、筋力は人それぞれだから、アルマンドにとってはきつい重さなのかもしれない。


「アルマンド、もうそのくらいで大丈夫だ」


 無理をして腕や腰を痛めては大変だと思ってやめさせると、アルマンドは床にドサッとダンベルを下ろし、ふらつきながら立ち上がった。


「す、すみません……お見苦しい姿をお見せいたしました……。本当に非力なもので、情けないです……」


 額は汗ばみ、眉を寄せて辛そうな表情を浮かべ、はぁはぁと荒い息遣いで僕を見つめるアルマンド。

 その姿は、信じられないくらい色気が漂っていて、僕は思わず息を飲み────自分の頬をぶん殴った。


「ジェ、ジェラルド様!? 一体なにを……!?」


 アルマンドが驚いて声を上げる。


「いや、なんでもない。ちょっと筋トレの成果を試したくなっただけだ、ははは」


「ですが、何もご自分を殴らなくても……。お顔が腫れてしまいますよ」


「どわっ……だ、大丈夫だ……!」


 アルマンドが心配そうな表情で頬に触れてくるので、思わず変な声が出てしまった。


「ジェラルド様、お顔が真っ赤です。すぐに冷やしたほうがいいかもしれません」


「そ、そうだな! 筋トレで汗もかいたし、顔を洗って頬を冷やしてくるよ」


「はい、そうなさってください」


「じゃ、じゃあちょっと行ってくる」


「はい、お大事になさってください」


 部屋を出て廊下に出ると、さっきまで爆発しそうなほど激しかった鼓動が少しだけ落ち着いてきた。おそらく、顔色も「真っ赤」から「ピンク色」くらいに薄まっているだろう。


 しかし、頭の中だけは相変わらずめちゃくちゃだった。


(僕は何を考えているんだ……? アルマンドを見て欲情するなんて……!)


 たしかにアルマンドは、美形だと言われ慣れている自分が見ても美男子だと思う。今まで出会った男の中で、一、二を争う美しさだ。


 しかし今まで、男を見てときめいたことなどないし、そもそも僕が好きなのは女性だ。初恋もちゃんと女の子だった。


(……それなのに、どうして僕は……)


 そういえば、アルマンドは体つきが華奢で、声も低くはないから、どことなく中性的な魅力がある。もしかすると、そのせいで一瞬、惑わされてしまったのかもしれない。


 あとは、実は欲求不満だったりするのかもしれない。


(いずれにしても、二度とあんなことがないようにしなくては……)


 アルマンドを変な目で見ていると彼にバレたら、気持ち悪がって秘書を辞めてしまうかもしれない。


 そうなれば、商会にとって大きな損失だ。

 絶対に避けなければならない。


(早く婚約者を作ったほうがいいかもしれないな……)


 今まではどうしても気が乗らなくて、仕事を理由に婚約は後回しにしていたが、そろそろ本格的に婚約者探しを始めたほうがいい気がしてきた。


 洗面台の蛇口をひねると、冷たい水が勢いよく流れ出した。

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