56話、ホットチョコレートとイルミネーションツリー
「なんだか寒くなってきたなぁ」
街道を歩く私は、一際強く吹いた風を浴び、自分の体を抱き寄せるように両手を組んで身震いした。
どうやらそろそろ本格的に寒い気候の地域にさしかかってきたらしく、空気が明らかに冷え込んできている。街道近くには針葉樹などの寒さに強い植物がちらほら見え、新しい土地に足を踏み入れつつある実感があった。
魔女である私は魔術で周囲の気温をある程度調節できる。しかし、周囲の温度を操作してしかも維持し続けるのは、結構大変なのだ。しかも今のように強い風が吹き付けると、一気に冷えてしまう。そこまで頼りになる魔術ではなかった。
だから私は鞄をごそごそ漁ってコートを取り出し、それを身に着けた。暖色系で、魔女服に合うようなちょっと可愛らしいデザイン。以前海辺の町エスティライトで安く買った、エメラルダ選定のコートだ。
もちろんライラ用の妖精向けコートもちゃんと準備してある。と言っても、これは市販の物ではなくエメラルダが作ってくれた特注品だけど。エスティライトでエメラルダと出会ってから、数日一緒に過ごしている間に作ってくれていたのだ。
「似合うかしら?」
コートを身に着けたライラは、嬉しそうに羽根を羽ばたかせて宙を舞った。可愛らしいコートを着けてテンションが上がる気持ちは私にも分かる。ちょっとしたものでも、おしゃれは楽しいものだ。
かく言う私も、コートを着けて気分が舞い上がってる。寒いのは嫌だけど、厚着物は結構可愛らしいデザインが多くて好きなのだ。
このコートと魔術による気温維持があれば、寒い地域での野宿もそれなりに何とかなるだろう。本音を言えばできるだけ町の宿に泊まりたいところだけど、旅をしているのだから野宿は避けられない。
次に着いた町辺りで寝袋など買っておけば、この気候での野宿も特に問題はないと思う。おそらくだけど、次の町はそろそろ見えてくるはずだ。ミルライクを出てから結構歩いてきたもん。
私のその勘が当たったのか、しばらく街道を進むと次の町が見えてきた。
はやる気持ちで足早に歩く私だったが、町に続く道中でちょっとした露店を発見し、足を止めた。
もう次の町は目と鼻の先。そんな微妙な距離で、なぜか露店があるのだ。不思議に思わないはずがない。
こんな所でなにを売っているんだろうと覗き込むと、ちょっとした菓子類とホットチョコレートが売られていた。ホットチョコレートは固形のチョコとは違っていて、飲むタイプのチョコレートだ。
……なんでこんな物をここで売っているんだろう。この寒い気候の中でホットチョコレートを売るのは分かる。体が暖かくなりそうだもんね。お菓子類も、ホットチョコレートと合いそうで悪くない。でもなんで町が目と鼻の先にある街道の途中で?
気になった私は、それとなく店員さんに聞いてみることにした。
「この先にイルミネーションツリーがあるから、それを見に来た方に売っているのよ」
若い女性の店員さんは、はにかむような笑顔でそう言い、屋台の脇にある小道を指さした。その小道はやや緩い坂の上を登るように続いている。遠目だが、その先には広場があるようだ。
なるほど、この先の広場にイルミネーションツリーとやらが設置されているのか。そしてそれはきっとこのすぐ近くの町の観光名所なのだろう。
イルミネーションツリーは、電飾などの装飾をほどこした木々のことだ。特に夜はライトアップされ、綺麗な光景を見せてくれる。
「イルミネーションツリーかぁ……」
イルミネーションツリーを思い浮かべていると、段々とこの目で見てみたくなってきた。それは新しいコートを着けて気持ちが舞い上がっているせいもあるだろう。
「ライラ、次の町に行く前に、イルミネーションツリー見てこうか」
「え? 別にいいけど、それって昼間に見る物なの?」
イルミネーションツリーのことを明確に知っているのかは分からないが、それが基本夜に見る物だとライラは知っているらしかった。
「昼に見てみるのも楽しいかもしれないじゃん。それにもうちょっとしたら夕方だし、ライトアップされる瞬間が見られるかも」
ライラをそう説得し、二人分のホットチョコレートとついでにバタークッキーを買って、屋台の小脇から伸びる小道を歩いていく。
しばらくゆるい坂を登っていくと、ようやく広場へとたどり着いた。
その広場には、中心に大きなイルミネーションツリーが構えていて、その周囲を囲むように広い池が設置されてある。そしてイルミネーションツリーを眺められるようにベンチがいくつか設置されていた。広場というより公園っぽいかも。
私は適当なベンチを選んで座り、巨大なイルミネーションツリーを見上げるようにして眺める。
やはりまだ明るいから、イルミネーションツリーはただ電飾されただけの木という有様だ。しかし、結構立派な針葉樹だからか、光が着いていない状態でも壮観だった。
歩き続けていて足が疲れていたこともあり、軽く足を伸ばしたりする。だがその途中で気づいた。
「あ、やばい、ホットチョコレート冷めちゃう」
ホットチョコレートとは、ココアパウダーを溶かして作るココアとは違って、固形チョコレートを溶かして作られている。厳密に言えば、固形チョコ以外でも作られたりしていて色々種類があるらしいけど。
あの屋台で売っていたホットチョコレートは固形チョコの割合が多いらしく、結構ドロドロっとしている。つまり冷めると凝固してしまう可能性があった。
そうでなくてもホットチョコレートなのだから温かいうちに飲みたいのが普通だ。ベンチに座って思わずくつろいでいた私は、慌ててホットチョコレートを手にした。
ホットチョコレートは使い捨てタイプの紙コップに入れられている。無地ではなく、可愛らしいデザインが入った紙コップだ。公園にはゴミ箱も設置されてあるので、飲み終わったらそのままコップを処分できて楽だ。
ちょっと紙コップを傾けると、中に入っていたホットチョコレートがわずかに遅れて動いた。かなりドロドロしていて濃厚そうだ。
ドロドロっとしていてものすごく甘そうなホットチョコレートを、一口飲んでみる。口の中に入れたとたん、カカオの濃い匂いが広がった。
「ん……んくっ」
思った通りかなり濃厚でドロドロしていて、飲みこむときちょっと引っかかる感じがあった。そして味は……意外と苦い。
チョコレートは甘い物とばかり思い込んでいた私だが、考えてみれば何も甘いだけがチョコじゃない。市販のチョコレートでも糖分控えめでカカオの含有量が多い、苦めのタイプが結構売ってある。
この飲むホットチョコレートも、甘さ控えめのタイプだった。ドロドロと濃厚で、でも甘くは無くて、口の中に苦味とカカオ風味が強く残っている。これはこれでおいしいのだが、なにか甘めの物を食べて口の中をリセットしたい気分だ。
……だから一緒に菓子類を売っていたのか、と気づく。ついでに買っていたバタークッキーを、幸いとばかりに口に運んだ。
バタークッキーのバター風味が見事口の中に残った苦いチョコを中和してくれる。
ライトアップされていないイルミネーションツリーを見ながら、暖かくて苦いホットチョコレートを飲んでバタークッキーを食べる。なんだか落ち着くような、悪くない気分だ。
「これ、私の思っていたのとは違うわ、結構苦いのね」
ライラも私と同じく、ホットチョコレートに甘さを期待していたのだろう。ちょっと表情を歪めていた。
確かに、甘い物と思い込んで飲む一口目は特に苦い。私もびっくりしたし。
でもその苦みに慣れるとこれはこれで悪くないという印象に落ちつく。口の中に残るドロドロっとした感覚とカカオの濃い風味も、バタークッキーを食べれば解決だ。
ライラはちびちびとホットチョコレートを飲み、バタークッキーをつまんでいく。
「なんか……こう、交互に飲み食べするのは……止まらないわね」
「ねっ」
ライラに頷きを返して、私たちはちびちび苦いホットチョコレートを飲み続ける。
そうしていると段々空が夕焼けに染まってきて、イルミネーションツリーのライトアップが始まった。
「見てリリア、木が光ってる!」
徐々にライトアップされるツリーを見ながら、ライラは楽しそうに声をはずませた。
まだ夕方ごろだが、光に照らされるイルミネーションツリーはすでに美しかった。これから本格的な夜を迎え暗闇の中に映えるのかと思うと、それを想像しただけでため息がでそうだ。
イルミネーションツリーがライトアップされる頃合いを見計らったのか、先ほどまで私たちしかいなかった公園にどんどん人が集まってくる。静かな公園が、一気に騒がしくなってきた。
そのざわめきを聞きながら、私は一つ気づく。
……若い男女ばかり集まってきてない? ここ。
見回してみると、ベンチに座っているのも、立ってイルミネーションツリーを眺めているのも、若い男女のペアばかりだ。
「あ~……なるほど。町も近いからここってデートスポットなのか……」
だからホットチョコレートなんて女性受けしそうなものを売っていたのかな。
「リリア、どうするの? なんだかお呼びでないって雰囲気よ。私の姿は皆に見えないだろうから、リリアは完全にお一人様に見られているわ」
「……大丈夫だよ、ああいう人たちって自分のそばの人しか目にうつってないだろうから」
「まさか、このまま夜になるまで居るつもり?」
「うん、ライラも夜のイルミネーションツリーを見たいでしょ?」
「見たいけど……」
ライラは周囲を見回した後、信じられないとばかりに私の顔を覗き込んだ。
「リリアって、心臓が強いのね」
「まあね、魔女ですから」
「絶対関係ないわ」
呆れるライラを尻目に、私はベンチでくつろぎつつ夜を待った。
若い男女のペアばかりの中に魔女姿の私が一人ベンチに座っているのは、はたから見たら奇妙な光景だろう。
でも、ここに居る人たちはそんな私のことなど目に入っていないはずだ。もっと言えば、イルミネーションツリーすらろくろく目に入ってないのではないだろうか。きっと彼ら、あるいは彼女らが見たいのは、すぐそばにいるパートナーなのだから。
だから、こんなたくさんの人がいながらも、目の前のイルミネーションツリーは私とライラの二人占めなのだ。
やがて空は暗くなり、イルミネーションツリーはその全景を明らかにさせる。
世闇を彩る、美しく輝くイルミネーションツリー。それを眺める私とライラは、いつしか周りの騒音を忘却し、見入っていた。
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