52話、野良羊とチョコデニッシュ

 麗らかな朝の陽ざしの中、私は街道を歩いていた。


 朝食を食べて市場を物色した後にミルライクの町を出た私は、雪が降る地域を目指して旅を再開したのだ。


 とりあえず最寄りの村や町で足を休めつつ街道を進んでいけば、そのうち寒い地域へとたどり着くだろう。


 街道はよく整備されていて歩きやすいのが利点だが、そのおかげで少々景色に目新しい物が無い。


 街道の端に生える木々や草花は見慣れたもので、新鮮さに欠ける。歩きやすいのはいいけどその辺りがちょっと残念だ。


 かと言って、樹海や獣道などはさすがに刺激が強すぎる。荒れた道は歩くだけで一苦労だし、野生の危険な獣と出くわしたらと思うとぞっとする。


 結局のところ、街道があるのなら無駄にリスクを冒して他の道を進むという選択肢はないのだ。やっぱり旅は安全な方がいい。


「ふあ……」


 危険もなく、のどかで代わり映えしない景色の中を歩き続けていると、自然とあくびが出てきた。


「さっき起きたばかりなのにもう眠いの?」

「違うよ、あまりにものどかだったから、つい……」


 呆れたように言うライラに、私は自然と出た涙をぬぐって答える。


 眠いわけではないというのは本当だった。変化の無い景色のせいで脳に刺激が足りず、自然とあくびが出てしまったのだろう。


 そんな私にどこかの誰かが刺激をプレゼントしてやろうとでも考えてくれたのか。街道の端に立てられた看板を発見し、そこに書かれていた文字を読んで私はぽかんと口を開けた。


「この辺り野良羊に注意……? なにかしらこの看板」


 呆ける私に変わって、ライラが看板の文字を口にしてくれた。改めてその文字が意味することを理解して、やはり私は一言も喋れずにぽかんとしていた。


 野良羊に注意って……なにそれ。


 思わずライラと顔を見合わせ、互いに首を傾げる。


「羊ってあの羊よね?」


 妖精のライラでも羊という動物は知っているようだ。そういえば妖精ってどこからこういう知識を仕入れているのだろう……気になるけどそれはまた後に話すとしよう。


「まあ、そうなんじゃないかな。それにしてはちょっと変だけど」


 羊ってそもそも野生で生きていける存在なのだろうか。あのモコモコした毛は定期的に刈らないと身動き取れなくなりそうだけど。


 それともそういう家畜化された羊のことではなく、元々野生で生きている羊の原種のことを指しているのだろうか。


 ……多分後者だろう。家畜化されたモコモコ羊は、あの毛のせいで野生で生きることはできないはずだ。


 だとすると野良羊への注意をうながす看板にも納得がいく。元々野生の羊は家畜化されたそれより気性が荒そうだし。


「よく分からないけど、とりあえず野良羊に注意しておこうか」

「注意って、どうやって?」

「……知らない」


 野生の羊を遠ざけたり刺激しない方法など知らないし、想像もできない。でも一応心持ちだけは注意しようということだ。それに意味があるかは微妙だけど。


 こんな妙な看板のおかげですっかり目が覚めた私は、のどかな街道を休むことなく歩いていった。


 そのうちに昼頃になり、さすがに疲れてきたので食事ついでに休憩を入れることにする。


「今日の昼食はなにを食べるの? リリアが作ってくれるとか?」

「ううん、町を出る前に思わず菓子パン買ってきちゃったから、それ食べよう」

「菓子パン?」

「甘いパンのことだよ。デザート代わりにもなるし腹持ちも結構良いの」


 バッグから菓子パンが入った袋を出し、その中身をライラに見せてあげる。


「チョコデニッシュだけど、ライラってチョコ食べたことあったっけ?」

「多分ないわ。デニッシュっていうのも食べたことないと思う。これってパンの一種よね?」


 ライラの言う通り、デニッシュはパンの一種だ。バターを練りこんだ生地を巻くようにして成形し焼くことで、サクサクとした食感とバターの風味が楽しめる。クロワッサンに似ているが、デニッシュは甘めに味付けして菓子パンにすることが多い。


 今回買ったチョコデニッシュは、その生地自体にチョコが練りこまれているタイプだ。焼き上げたデニッシュにチョコをかけるタイプもあったりと、チョコデニッシュ一つで色々と種類が多い。


 ライラと分けるためチョコデニッシュをちぎると、本来は白い中の生地がまだらのチョコ色を描いていた。


「甘い匂いがしておいしそうじゃない。リリア、紅茶と一緒に食べた方がもっとおいしくなるんじゃないの?」

「確かにそうかも。じゃあ紅茶淹れるね」


 ライラはすっかりグルメになってしまったのか、チョコデニッシュをよりおいしく食べようと紅茶をねだってきた。もしかしたら、もう私より食に興味があるんじゃないだろうか。


 紅茶を淹れるため、これまで何度やったか分からないケトルでお湯を沸かす作業を行う。


 お湯が沸いてきたら紅茶の茶葉を入れ、火を止めてしばらく蒸らす。そのうちに無色のお湯が色づいてくる。


「よし、完成っと」


 後はコップにそそいで昼食の準備は完了だ。


「り、リリア、リリア」


 待ちきれないのか、ライラが私の肩をせわしなく揺すってきた。


「ちょっと待ってよ。もう準備できるから」

「そうじゃなくて、あれ、あれ見てっ」


 ライラの慌てた声にようやく私は何か異常が起きたのだと察し、彼女が指さす方向へ顔を向ける。


 街道の端から先、生い茂る木々の中に、それはいた。


「めえええ~~」


 そんな特徴的な鳴き声を出したのは、白くモコモコとした毛のおかげで可愛らしい見た目となった、家畜化された羊だった。


 それが何匹も木々の合い間に佇んでいて、私たちの方をじっと見ている。


「えぇ……野良羊って家畜化された方なんだ……」


 あまりにも予想外だった。あの看板で注意を促していた野良羊とは、このモコモコ毛の可愛らしい家畜羊のことを指していたのだ。


 あの羊たちは、ミルライクや他の近場の村や町から逃げ出して野生化したのだろうか?


 それにしても、家畜羊が野生で生きるなんて珍しい。あの毛が生えつづけてやがて身動きが取れなくなりそうなのに。


 事実、出くわした羊たちは毛刈り時期の羊たちよりも毛を蓄えている。モコモコの毛がまるで大きい毛玉のようになって、もはや丸い不思議な生き物の様だ。


 あれでは身動きが取れないはずなのに……どうやって生きているのだろうか。


 その疑問は、羊たちの次の行動で氷解した。


「めええ~」


 羊たちは突然鳴き喚き、その毛玉のような体を生かしてゴロゴロと転がり出した。


 そのバカバカしい動きとまさかの可愛らしさに私は呆気にとられる。その間に羊たちはゴロゴロ転がって私たちを取り囲んだ。


 そして羊たちは一斉に鳴きだしたのだ。


「ちょっ……なになになに!?」


 転がる可愛らしさから一転して、うるさく鳴き続ける羊たち。私とライラは驚いて寄り添い合った。


 羊たちに周囲を囲まれているため逃げ場はない。意味不明な羊たちの行動に、私たちは怯えてじっとしているしかなかった。


 そのうちに羊たちは鳴くのを止め、一匹が私たちに近づいてくる。


 その一匹の羊はチョコデニッシュの入ったパン袋に頭を擦りつけてきた。そしてうるさく一鳴きする。


「……よ、よこせってことかしら? リリア、あげてみたら?」

「う、うん……」


 さすがに全部はあげられないので、私たちが食べる最低限の分は残して、彼らの前にチョコデニッシュを置いてみた。


 すると羊たちは一斉にチョコデニッシュに群がり、貪り始める。


「うわぁ……」


 もはや可愛げのかけらもない必死の食事を見て、私とライラは引きまくっていた。


 チョコデニッシュを食べ終えた羊たちは、一鳴きしてまた転がって木々の先へと次々消えていく。


 後に残ったのは、少なくなったチョコデニッシュとすっかり冷めた紅茶だけ。


「……ねえリリア、もしかして私たち、野良羊にごはんを奪われたの?」

「……そうなるね」

「ひどいっ、あの羊たちまるで強盗団だわっ」


 羊強盗団なんて聞いたこともないけど……。


 しかし野生化した羊の必死さといったら、すごかった。きっとパンを与えなかったらあのまま鳴き続けてたんだろうな。


 あの野良羊たちは、ああやって旅人から食べ物を半ば強制的に得て生きているのだろう。


 野生羊に注意という看板の意味を理解した私たちは、気を取り直して昼食を食べることにする。


 冷めた紅茶を温め直して、少なくなったチョコデニッシュを噛じる。


 甘くておいしいけど、さっきの羊たちのインパクトのせいか、どこか味気なくも感じる。


 そんなちょっと虚しい昼食を取りながら、ライラがぽつりとつぶやいた。


「羊のお肉って、おいしいのかしら?」

「……つ、捕まえないからね?」


 ライラの冗談とも思えないつぶやきに、震えた声でそう返した。

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