51話、ベアトリス特性チーズ入りハンバーグ

 吸血鬼ベアトリスにラズベリーケーキをおごった後、彼女は殊勝にもこう切り出した。


「ケーキをおごってもらった代わりに夕食は私が作ってあげるわよ。夕方になったら町の近くにある自炊場で待ってなさい」


 そう言って彼女はまだ午後の陽ざしにあふれる町の中へと日傘をさして歩いていった。私がそれに応じる暇すら与えずに。


 彼女の背中を呆然と見送った私は、そのまま数秒立ち尽くす。


 ……どうしよう。なんか勝手に約束を取り付けられたけど……それに従う義務なんて私にはないんじゃないかな?


 そう思うものの、待ちぼうけにあうベアトリスの姿を想像すると、なんだか心苦しくもあり。


 困った、とばかりに私は小さく唸った。するとライラが私の視界の中をふわふわと飛び回る。


「別にいいじゃない、ごはんを作ってくれるならごちそうになりましょうよ。あの吸血鬼、料理の腕は確かでしょ?」


 確かに、以前彼女の住む洋館で食べたレアステーキは絶品だった。お肉自体がいいのもあるだろうけど、焼き加減といい肉の旨みを引き立てる自作のソースといい、料理の腕が一流なのは間違いない。


 あの時の食事のおいしさを思い出すと、食後のデザートを食べ終えたばかりだというのに生唾が出てくる。


「まあベアトリスのことだから、しっかりおいしい料理を作ってくれるとは思うけど……」

「ならいいじゃない。ついでにリリアの参考にもなるでしょう?」


 これから野外料理もできるだけしていこうと考えている私にとって、確かにお手本となる人物は必要だろう。


 料理のお手本と聞いてまず私が思い浮かべるのはかつての弟子リネットだけど、独り立ちしてお菓子屋さんを営む彼女と気ままに旅をする私がそうそう出会うことは無い。となると、この旅の中偶然出会ったベアトリスこそが現実的な私のお手本というわけだ。


「……ま、いいか」


 夕方ごろだとさすがのベアトリスも日光によるダメージから回復し、また私の血を吸おうとするんじゃないかという懸念もあった。


 だけど去り際見せた彼女の微笑は……ただ純粋に、借りた恩を返そうとしているだけのようにみえた。


 もちろんあの時はただの善意だけの提案で、後々気が変わって私の血を吸いにくるという可能性もある。


 だけど……少なくとも今の時点で、彼女のことをことさら拒否する理由は無い。だったら、もう少しくらい付き合ってもいいかな。私は短絡的にそう結論付けた。


 そして何よりも……やはり、彼女の作る料理は魅力的に思えたのだ。


 ベアトリスはいったいなにを作るつもりだろうか。おそらく彼女が町の雑踏の中へ向かったのは、夕食に使う食材を買うためだろう。


 肉系、魚系、あるいは野菜をメインにした料理か、それともパスタなどの麺類か。ベアトリスの料理を一度しか食べたことがない私には、とても想像がつかない。


 ひとまず私は夕方頃まで適当に時間を潰すことにした。


 慣れない自炊から立て続けにベアトリスと再会し、ちょっと疲れを覚えていた私は宿屋へと戻った。ベッドに腰かけてライラと他愛もない会話をしつつ、なんとなしに編み物をする。


 以前バッグにアップリケを施したことがあったが、その時に残った糸と裁縫道具を使った手慰み程度の編み物だ。お世辞にもうまいとはいえない。


 しかし他愛もない会話をしながら無意味な編み物をするのは意外と楽しく、あっという間に時間が過ぎ去っていった。


「リリア、そろそろ夕方よ」

「あ、本当だ。そろそろ行こっか」


 ライラに言われるまですっかり時間のことを忘却していた私だったが、慌てて裁縫道具を片付けて宿屋を後にした。


 考えてみれば急ぐ必要もないのだが、約束を反故にされたのかもしれない、とベアトリスに思われるのはなんとなく嫌だった。


 やや急ぎ足で自炊場に到着した私は、まだベアトリスの姿がないことに安堵の息を吐いた。


「あら、早いわね。先に来て下準備を済ませようと思っていたのに」


 折よく背後から覚えのある声を聞き、私は振り返った。


 そこに居たのはやはりベアトリスだ。綺麗な金髪が夕日に彩られ、どことなく神秘的だ。


 私は彼女の姿を見て、ふと気になった。


「あれ? 日傘さしてないんだ?」

「夕刻の陽ざし程度なら別に問題ないわ。段々夜が近づいてきて調子もいいしね」


 さらりと言ってのけるベアトリスに、悪意に類する感情は一切ない。夜が近づいているというのに、吸血鬼の本分のまま私を襲うつもりは無いようだ。やはり彼女はただの善意で食事を作ってくれるつもりらしい。


 ベアトリスは大きなバッグを持っていて、そこから食材と調理器具を次々出していった。ひき肉やらパンが詰まった袋やら調味料やら、その他色々。


「そのバッグから調理器具まで全部買ったの? 料理するために?」

「ええ、元々住んでた洋館も倒壊して、こういう道具は全部無くなっちゃったもの。ちょうど良い機会だわ」


 炊事場の調理台に食材と調理器具を並べたベアトリスは、よし、と小さく呟き、ゴムで髪を結んでいく。


 長い後ろ髪を一気に持ち上げて根元を結び、彼女はポニーテール姿になった。綺麗な金髪を下ろしていた時は麗らかな雰囲気だったのに、ポニーテール姿になったとたん快活そうな雰囲気を醸し出す。ちょっと見惚れてしまった。


「さて、早速作ろうかしら。リリア、悪いけどあなたに少しサポートしてもらうわよ」

「……別にいいけど」


 料理の腕は当たり前だけど私よりベアトリスの方が上だ。私に手伝えることなんてなにかあるのだろうか?


 ベアトリスはそんな私を尻目に、ちゃっちゃと調理に入っていった。


 用意していた調理器具の内の一つ、やや大きめのボウルにひき肉を入れていく。そしてそこに塩や香辛料をかけ始めた。


 そういえば、ベアトリスはなにを作るつもりなのだろう? そんな私の疑問は、続く彼女の動きで徐々に分かっていった。


 ベアトリスはひき肉に下味をつけた後、パン袋から一つパンを取り出して細かくちぎり、それをひき肉と合わせていった。そして青白い手でこねていく。


 いくら私でもそこまで見たらおおよその察しはつく。


「……ハンバーグ?」

「ぴんぽーん。この町、牛肉が安価でたくさん売っていたから、繋ぎは最低限の食べごたえのある牛ハンバーグを作れるわ。ついでにチーズも色々な種類があったし、ハンバーグとの相性は抜群ね」


 どうやらチーズを使った牛ハンバーグを作るつもりらしい。しかもベアトリスいわく食べごたえがあるとか。思わず私の喉が鳴ってしまう。


「本当はスープと自家製パンも作ってしっかりした料理にしたいけど、こういう炊事場では時間がかかりすぎるわ。だから簡単なハンバーガーで我慢してちょうだい」


 その分ハンバーグはおいしく作るから、とベアトリスは得意げに笑った。


 さらりと自家製パンやスープを作れると言ってのけたベアトリスに、私は少し驚いてしまっていた。


 やはり彼女は料理が得意なのだろう。私だったら、ハンバーグを作った上にスープやパンまで作るのはさすがに骨が折れる。だけどベアトリスからすればその程度、ただ一食の為にかける手間の内に十分入るのだ。


 ひき肉をこね終えたベアトリスは軽く手を洗い、やや大きめのフライパンを手に取った。


「悪いけど火を起こしてくれないかしら?」

「え、うん、いいけど」


 どうやらベアトリスが私に期待するサポートは火起こしのようだ。確かに私からすれば魔術で火を起こすなど慣れたもので、しかも普通に火を起こすよりも早く、火力の調節も自由自在。料理をするのにこれほど適したものはないだろう。


 ……そこまで思って、私は魔女コンロかよと自分自身に突っ込みたかったが、不毛なのでやめておいた。


 ベアトリスに言われた通り火を起こしたら、彼女はフライパンの上にパンを乗せて私に手渡した。


「はい、これで軽く焼き目がつく程度にパンを焼いてちょうだい。テレキネシスとか使えるでしょ?」


 なんか本当にうまく扱われてる感があるけど、私は文句一つ言わずフライパンをテレキネシスで火の上に固定した。正直早くベアトリス特性ハンバーガーを食べたい。


 私がパンをじっくり焼いている間に、ベアトリスは次の工程にうつったようだ。彼女は細かく砕かれたチーズの欠片が入った袋を手にして、その中身をこねたひき肉の中にいれていく。


「チーズを直接入れるんだ?」


 問いかけると、ベアトリスが得意気に笑いを返す。


「直接混ぜるとチーズもお肉の味も引き立つのよ。それに溶けたチーズの粘り気が肉汁を推しとどめてくれるから、肉汁が漏れにくいわ」


 なんだかその説明だけでお腹が空いてくる。噛んだら肉汁を吸収したチーズのとろみと肉の旨みが一気に口の中に溢れてきそうで、想像しただけでおいしそうだ。


 ベアトリスは再度水でその青白い手をゆすぎ、水気を切ってからチーズを入れたひき肉をまた軽くこねはじめた。


「……こうやって手を冷やしたら、体温でチーズが溶けるのをふせげるの」


 こねながらそんなことを言ったのは、きっと私が手を冷やしたことに疑問を抱いていると思ったからだろう。だけど料理経験に乏しい私では、そんな疑問を抱くことすらできなかった。普通に手を洗っただけだと思ってた。な、なるほどね~、そんな意味があったのか~。


「リリア、なんだか間抜けな顔をしているわ」

「……失礼な」


 ライラに言われてそう返すものの、完全に図星だった。まさかひき肉にチーズを入れてこねるという作業に、手を冷やすなんてワンポイントがあるなんて夢にも思わない。料理って細かい。


 チーズ入りひき肉をざっくりとこね終わったベアトリスは、こねた肉の塊をやや平べったく成形していく。彼女と私とライラの分だ。


 ちょうど折よく私が焼いていたパンも焼き目がつき、それを用意されていた皿に置いた。


 そして空いたフライパンに牛脂を引き、ベアトリスが成形したハンバーグを置いていく。


「ハンバーグは最初気持ち強火で表面を焼いて、軽く焼き目がついたら弱火でじっくり焼いてちょうだい。そうするといい具合に火が通るわ」


 言われた通り私は火力調整をし、焼けていくハンバーグをしばらく見守ることにした。


 ベアトリスの方はというと、ハンバーガーの残りの具材として、レタスとトマトの準備に取り掛かるようだ。


 大玉トマトはヘタを取ってやや大きめの輪切りにし、レタスは大きめにちぎっていく。そして焼いたパンにバターを塗り、レタスとトマトを置いていった。


 それが終わると彼女はひき肉をこねたボウルを水ですすいで洗い、水気を切ってからそのボウルにケチャップと茶色のソースを入れて混ぜていく。


 混ぜ終わったら小玉の玉ねぎをみじん切りにし始めた。かなりテンポよく作業をしていく彼女に、私は驚嘆する。


 正直、レタスとトマトを切ったら後はハンバーグを乗せて完成だと思っていた。しかし続く彼女の調理を見ていると、どうやらソースもしっかり作るようだ。


 ベアトリスが玉ねぎをみじん切りにし終わった頃、ハンバーグの方もしっかりと熱が通っていた。


「いい具合ね、ちょっとフライパンを貸してちょうだい」


 言われるままベアトリスにフライパンを渡す。彼女は流れるような動きで焼いたハンバーグをレタスとトマトが乗ったパンに乗せた。


 そして肉汁が残るフライパンには、バターとみじん切りにした玉ねぎを入れていく。


「これをちょっと強火で熱して玉ねぎが透き通ってきたら、ボウルに準備してあるケチャップとフォンドボーを入れてちょうだい。とろみがつく程度に沸騰させればソースの完成よ」


 彼女に指示されるまま私はソース作りをしていく。といってもただ肉汁とバターで玉ねぎを炒め、そこに準備されていた合わせソースの元を入れるだけなのだけど。


 でもそれだけでなんとなく料理している感はでてくる。ハンバーグのソースだけにこれだけ手間をかけるのは、料理にこだわりがあるっていう感じがする。


 そのうちに合わせたソースが沸騰し、とろみがついてきた。私は指示通りそこで火を消し、フライパンをベアトリスに手渡した。


 ベアトリスは煮詰めた玉ねぎソースをスプーンですくい、ハンバーグにかけていく。それが終わったらその上にパンを置いた。


「はい、完成よ。どうぞ召し上がれ」


 ベアトリス自身満足いく出来だったのか、料理を完成させた彼女の顔はほころんでいた。


 完成したハンバーガーの見た目は、売っている製品とそん色ない出来と言えた。


 軽く焼いて焦げ目をつけたパンからは香ばしい匂いが漂い、レタスの緑とトマトの赤、そして茶色めの玉ねぎソースがかかったハンバーグと彩りも良い。


 見ているだけでお腹が空いてくる、最高の出来栄えだ。


 私とライラは食欲に負け、早速ベアトリス特性ハンバーガーを食べることにした。今回はベアトリスが気を利かせてライラ用サイズのハンバーガーを作ってくれたので、取り分ける必要もない。


 ハンバーガーを手に持ち、思い切ってかぶりつく。すると、口の中に様々な旨みが広がっていった。


 パンの香ばしさにレタスのみずみずしさ、トマトの甘酸っぱさ、そして何より、メインであるハンバーグの肉々しさ。繋ぎが最低限なので、牛肉の力強い旨みが感じられる。しかもそこにチーズが混ぜてあるので、クリーミーさも加わっていた。


 更に最後にかけた玉ねぎソースがまたいい塩梅だ。玉ねぎの甘みやバターと肉汁の風味がソースから感じられ、濃い目ながらも爽やかさもある。ハンバーグだけでなく、トマトやレタスにも合うソースだ。


 はっきり言って文句の一つもないおいしさだ。やはりベアトリスの料理はおいしい。いっそのこと吸血鬼なんてやめて料理人になればいいのに、とすら思ってしまう。吸血鬼は別に職業ではないけれど。


 ライラと私は舌鼓を打ちつつ黙々とハンバーグを食べていった。ベアトリスも気品よくハンバーグに噛じりついている。


「うん、中々の出来ね。でもやっぱりパンは自分で作った方が良かったかしら。そうすればハンバーグに合った水分少なめのが出来たのに」


 市販のパンは焼いたとはいえちょっともちっとしている。ベアトリスからすると、ハンバーグにはもっと水分少なめのパンの方が良かったのだろう。


 でも私とライラは大満足だ。


「ふう、ごちそう様。とってもおいしかったよ」

「この前のステーキも良かったけど、このハンバーガーも最高の味だったわ。リリアにあなたくらいの料理スキルがあればいいのに」


 ライラはベアトリスの料理の腕にほだされたのか、彼女の肩周りをふよふよ飛んですっかり懐いている。初対面の時あんなに警戒していたのに……すっかり餌付けされてる。


「満足してくれたなら良かったわ。これで昼間の借りは返せたわね」


 ベアトリスはどことなく含みを込めてそう言った。


「……まさか借りを返したから改めて血を吸わせろ、なんて言うつもりじゃないよね?」

「ふふ、それでも別にいいんだけど……」


 ベアトリスは炊事場から少し離れ、夜空を見上げた。


「もういい具合の夜だわ。こんな素敵な夜は、血よりも暗い空に酔いたい気分よ」


 ベアトリスはしばらく夜空を見上げた後、ゆっくりと私の方を見た。


「ねえ、魔女リリア。あなたはどうして旅をしているの?」

「どうしてって……」


 私は少し沈黙して、言葉を探した。


「……旅がしたくなった、からかな。元々出不精だけど、弟子たちが皆巣立ってタイミングが良かったってのもあるし……それに、色んなごはんを食べてみたかったから。あと色んな景色も楽しめるし」

「そう、楽しそうね」


 ベアトリスは憂いを帯びた表情で、また空を見上げる。


「私も、これからは自由に旅をしてみようかしら」


 彼女はぼそりとそう呟いた。そして私を見て、微笑する。


「どこかの魔女が私の住む洋館に偶然迷い込んだせいで、洋館も壊れちゃったし……どうせ根無し草なら自由に旅を楽しむ方が良いと思わない?」

「いや、あの洋館が壊れたの私のせいじゃないから」


 慌てて私が首を振ると、ベアトリスはくすくすと笑った。


「そうね、きっと偶然よ、全部。でもあなたが偶然現れたおかげであの洋館は偶然崩れ去って、私を縛るものはもう無くなった。偶然も重なればきっと必然だわ」


 ベアトリスは言いながら、段々と決意を抱たような表情になる。


「そうよ、決めたわ。私は旅をする。いつまでもあの土地に居なければいけない理由なんて、考えてみれば無いのよ。吸血鬼だって自由に生きる権利はあるわ!」


 ぐっと拳を握って、ベアトリスは何度も頷いた。


「そうと決めたら準備をしないと! バッグは買ったし調理器具も買った。後はなにが必要かしら? とにかく数日のうちに必要な物を集めて、好き勝手に旅をしてやるわっ。うんっ、もう決めたっ!」


 ベアトリスは大声で独り言を言いつつ、料理の後片付けに入る。私とライラは呆然とそんな吸血鬼の姿を見守るしかない。


 後片付けをさっさと済ませたベアトリスは大きなバッグに調理器具をしまいこみ、それを手にして炊事場を離れていく。


 私は思わず彼女の背に声をかける。


「ベアトリス、どこへ行くの?」


 別にベアトリスがどこに行こうが彼女の勝手だ。もっと言えば私が彼女のことを気に掛ける理由もない。でも私は思わずそう聞いていた。


「帰るのよ。帰ってこれからの計画を練るの。こんな素敵な夜は、明日への希望を抱くのに最適でしょう?」


 言っている意味は分からなかったが、私は構わず彼女に言葉を返した。


「帰るってどこへ? もうあの洋館は無いんでしょ?」

「あら、何を言っているのかしら、魔女リリア」


 彼女は私に向けて魅力的な笑顔を浮かべ、夜空に手を広げてみせる。


「私は吸血鬼。この夜のとばりの下全てが私の家に等しいのよ」


 そして彼女は私に背を向け、夜が広がる道の先へ歩いていく。


「覚えてなさい魔女リリア。いつか絶対に、あなたの血を吸ってやるんだから」


 そんな、不敵な台詞を残して。吸血鬼ベアトリスは、宵闇の中に消えていった。


「……なんだか変だったわね、最後の方。旅がどうのこうの言っていたけど……」


 釈然としないとばかりにライラは首を傾げていた。


 だが、私はどことなく察するところがあった。


 吸血鬼ベアトリスは、おそらくあの土地に宿る魔術遺産。あの地に伝わる吸血鬼の伝承が具現化した、いわば土地に呪われた存在だ。


 だけど彼女は、住むべき洋館が崩れ去り、魔女である私の血を吸うという目的意識を持ち、そして今日、自由に旅をするという概念を見つけてしまった。


 つまり彼女は、もうあの土地に縛られる魔術遺産ではなくなってしまった。今やもう、夜のとばりをわが家とする、自由意思を持った吸血鬼となったのだ。


 彼女は自由を手にした。土地に縛られるはずの魔術遺産は、吸血鬼ベアトリスという名の魔術遺産へと概念を変化させ、自由自在、好き勝手にこの世界を歩き回ることができる。


 ベアトリスはいわば、その身を縛る呪いを打ち破ったのだ。そしてそれはきっと、魔女である私と関わったせいなのだろう。


 これから先、彼女が歩む道は分からない。だけど私は、なぜだか確信するものがあった。


 きっとまた、ベアトリスとはいつかどこかで会うことになる。なぜならば彼女は、いつか私の血を吸ってやると言っていたのだから。


 当然血を吸われるのはごめんだけど、去り際のそのセリフはきっと再開の約束。


 もう彼女は……私にとって、変な友人とも言える存在なのかもしれない。いや、やっぱり知人だろうか。どちらにせよ、長い付き合いにはなりそうだ。


 そんな予感を抱きながら、私はしばらくベアトリスが消えた暗闇の中を見つめ続けた。


 夜はゆっくりと更けていく。

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