5話、デスクラブのグラタン
喫茶店で朝食を取った後私は、フェリクスの町を軽く観光していた。
朝から昼に向けて時間が流れるにつれ、フェリクスの町は人で溢れていく。
フェリクスの特徴は大きくて広い道路だ。太陽の光を反射するほど綺麗に磨かれた石畳で、馬車数台が並走できるくらいに広い。
そこを数えきれないほどの人が歩くと、コツコツとかかとが鳴り大合唱が奏でられる。
正直交通量と比べて道路が広すぎる気もするが、それだけ壮観な光景となっているのは事実。この大道路を観光するためだけにフェリクスの町にやってくる人もいるのだろう。
私はその道路を目的もなく適当に歩き、目に入ったお店に入って気に入った小物類をなんとなくで購入していく。意外とこういうのも楽しいものだ。
しかし今私は旅の途中なので、消費できない物をたくさん買うのはよろしくない。だから買ったのは紅茶の茶葉だったり、いくつかの調味料だったり。
これなら野宿の際、保存食に味付けをしてちょっとは食事が楽しめそうだし、水さえあれば紅茶を楽しむことだってできる。
ちなみに紅茶の茶葉は適当に複数見繕った。紅茶は結構飲むが、実はそこまで茶葉を意識したことはない。いつも弟子が淹れてくれていたから、そんなこと気にする必要も無かったのだ。色々飲んでどれが一番合うか試してみよう。
調味料はとりあえず塩に、香辛料っぽいのを色々。おいしそうだな、と思った物を買っていく。
こういうのはその時の気分だ。欲しいと思ったのを軽い気持ちで買えばいい。なんて、弟子が聞いたら呆れそうな考えで私は買い物をしていた。
そしてようやく買い物を終えた頃には、お昼時になっていた。
お腹も十分空いているし、お昼ごはんをどこで食べようかと色々お店を探して回る。
フェリクスの町は広いので、これから何日か滞在するつもりだ。だからといって、一食を軽くは考えたくない。
この旅の目的は色々なおいしい料理を楽しむということだ。
今までは食べたことがあったり、まあこれはおいしいだろうというのを食べてきた。
しかし今日は違う。せっかくだから普段なら挑戦しない料理が食べてみたい。
そう思いながら町をうろついていたら、とある人気の無い一角に目が止まった。
「デスクラブ……専門店……?」
そこにあったお店の看板にはそう書かれていた。
デスクラブ……確か砂漠にいるカニだ。大きいハサミが特徴的で、砂の中から突然あらわれて人を襲うらしい。
なかなか危険な生物らしく、こいつに襲われて命を落とす人も珍しくないとかなんとか。
別名砂漠の死神。そんなデスクラブの……専門店?
私も知識だけでその姿形はおぼろげなのだが、デスクラブは食用にもなるのだろうか。ちょっと想像できない。
普段とは違う料理を食べたい。そういう気持ちがあるせいで少し気になるけど、この店なんかまともじゃない気もするので、頭の中で警鐘が鳴っている。
どうしよう……お昼はデスクラブ? 私、人襲うカニを食べるの?
どうして今日こんな気分の時に限ってこのお店が偶然目に入ってしまったのだろう。いや、普段食べないものに挑戦したい、その意気込みがあったからこそ目についたのかもしれない。
好意的に考えれば、これもある意味旅の出会いと言えるのかもしれない。
これからまだまだ続くであろう私の旅。その道中でこんな変な料理店を見つけることも多々あるだろう。
その時私は、普段食べないからといって避け続けるのだろうか? でもそれでは色々なごはんを食べるために旅をしている意味が無い。こういう変な料理を食べてこその私の旅じゃないか。
そうやって自分を鼓舞し、思いきってデスクラブ専門店に足を踏み入れた。ああ、もう戻れない。
「オー、イラッシャイ」
店内に入ってすぐ私を出迎えたのは、色黒で背が大きい店主だった。しかも片言だ。この人には悪いけど、なんだかすごく怪しい人に見える。
この時点で私はやってしまった気持ちでいっぱいになるが、今さら引き返すわけにはいかない。
毒を食らわば皿まで。お店に入ったのだからちゃんと食べよう。食べるしかない。
店内を見回してみるが、意外と言うべきか普通の内装をしていた。
テーブル席がいくつかあるが、このお昼時にお客は空。……やっぱりと言うべきか、そんなに人気は無いお店なのかもしれない。
ひとまず入口近くの席に私は腰かけた。そしてテーブルの上に置いてあったメニューを眺めてみる。
デスクラブのスープ、デスクラブのシチュー、茹でデスクラブ、デスクラブのグラタン。
さすが専門店。どれを見てもデスクラブばかりだ。できれば少しくらい普通の料理も置いて欲しかった。
しかしこれで私はデスクラブという食材から逃げられなくなった。……いや、本当に食材なのかなあれ。デスクラブって食べられる生物なの?
とりあえず注文はグラタンに決めた。まろやかなホワイトソースにとろけたチーズが特徴的なグラタンなら、デスクラブを初めて食べる私でも大丈夫だろう。デスクラブの風味とかそういうのを包み込んでくれてそうだし。
「ええと……デスクラブのグラタンをひとつ」
「ハイヨッ」
店内には店員がいないので、店主に直接注文する。すると彼はお店の入口付近に備え付けられたキッチンに行って料理を開始した。
どうやらこのお店、この人一人で切り盛りしてるらしい。
募る不安に耐えながら、グラスに入った水を飲んで時間を潰す。
すると……。
「オ客サン、デスクラブハハジメテ?」
「え? ……はい、そうですね」
「デスクラブオイシイヨ。スッゴクオイシイヨ」
「へえ……そうなんですか」
「ウチノ実家ナンテネ、毎日デスクラブヲ食ベテルンダヨ」
この店主さん、なぜか料理中にすごく話しかけてくる。別にいいのだけど、料理の方は大丈夫なのだろうか。
「デスクラブハネ、襲ッタ人間ノ数ガ多イホドオイシイッテ言ワレテイルヨ」
……突然なに言ってるんだろうこの人。なんだかすごく嫌な予感。
「ウチノデスクラブハ絶品ダヨ。オ客サンキット満足スルヨ」
さすがに私は絶句してしまう。それ、完全に人を襲ったデスクラブを提供するって言ってるよね? 私、人襲い済みクラブを食べるのすごく怖いんだけど……っていうか絶対食べられない。
「ナンテ冗談ダヨ」
心底びっくりしている私の顔が面白かったのか、店主は笑いながらそう言った。私は笑えなかった。
なにこの人……すっごくやりづらい。
思わず私は頭を抱えてしまう。ああ、帰りたい。やっぱりこんな怪しいお店に入るんじゃなかった。
「ハイ、デスクラブノグラタンダヨ」
深い後悔に襲われているうちにデスクラブのグラタンは出来上がったようだ。
テーブルの上に置かれたのはグラタン皿と、なんか大きなお皿。
大きなお皿は空だけど、グラタン皿の方は当然グラタンが入っている。
そしてなぜか、肝心のグラタンの上にはすごく大きいハサミが乗っかっていた。これ、もしかして……。
「上ニ乗ッテルノハデスクラブノハサミダヨ。ハサミハ食ベラレナイカラコノオ皿ニ入レテネ」
ならなぜ乗っけているのだろう。飾り付けにしては……邪魔すぎる。本当に何なんだろう、このお店とこの店主さん。
もう私はこの人の頭の中が分からず戦々恐々としていた。
さっきの話だと実家ではデスクラブをよく食べるって言ってたし、文化とかがあまりにも違うのかもしれない。まだ旅を初めて一日そこらの私では、異文化に触れるのはさすがに早すぎる。
とにかく早く食べてこのお店から出て行きたい。その一心で私はグラタンに手をつけた。
言われた通り上に乗っかってるハサミは大皿に取り除く。本当、なんで入れてるんだこのハサミ。
まずは警戒するようにフォークで軽くグラタンを突ついてみた。表面はチーズがいい感じに焦げているし、中は乳白色でクリーミーな感じだ。
あれ、ハサミ無くなったら意外と見た目普通かも……。
とにかくまずは一口。
食べてみると、ホワイトソースとチーズのまろやかな味が口中に広がる。
うん、これ普通のグラタンだ。ちょっとカニの風味がある。
グラタンの中身は多分ポテトとマカロニ、それにこの細長いすじみたいなのは……これがデスクラブの身だろうか?
なんだこれ。普通。普通のカニ風味のグラタンだ。
おいしいっていえばおいしいけど、心理的なマイナスがあってなんか普通。
意外にも普通な味に驚きつつ、私は黙々と食べ進めた。
牛乳とかチーズとか、そういう乳製品を使った食べ物は割と好きな方だ。だから本当なにも言うことない。これはカニ風味の普通のグラタン。なかなかおいしい。
ちょっと変わった料理を求めてこの店に来たのに、変なのは店主だけで料理はすごくまともだった。
……いや、いくらなんでも普通すぎるじゃないか。わざわざデスクラブを使わなくてもいい気がする。
もしかして、料理が普通すぎるからデスクラブのハサミを入れてデスクラブ料理だとアピールしてたのだろうか?
疑問に思ったけど、あえて店主さんには聞かなかった。また変なことを言われたら私の頭が混乱してしまう。
そのまま何の問題もなく全部たいらげた私は、コップの水を飲み干して会計をすませる。
「マタキテネ」
店主に見送られながら店外に出た私は、そのままお店から離れていった。
大分お店が遠くなった頃、私はふとお店の方に振り向いてここまでずっと思っていた言葉を吐いた。
「……普通のカニで良くない?」
あの料理、デスクラブ全然関係ない。
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